香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

埼玉県行田市・大正15年生まれの女性の証言

柳町のうどん屋の中細麺が美味しかった

(取材・文:

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  • vol: 239
  • 2017.10.05

埼玉からお義姉さんと交換みたいに嫁に来た

 私やもう、この辺で生まれてないきん、うどんのことは十分分からん。生まれは埼玉の行田(埼玉県行田市)いうとこな。農林省の統計事務所へ勤めよったんやけど、主人と結婚して昭和27年の10月にこっち(善通寺)に来たん。主人のお義姉さんが、善通寺から埼玉の私の里の近くへ片付いとって(嫁いでいて)な。そこへ主人が来とった。私はお義姉さんと交換みたいに片付いたん(笑)。

 うち主人は保険局行っきょったんよ。自衛隊ができる前に、善通寺にあったでしょ。ほんで主人のお義母さんが、中通りで下駄屋さんしとったきん、最初はそこに腰掛けみたいにしておったん。今「ギンザ」いう料理屋さんかなんかあるでしょう? あそこの裏でな。

 うどんは、善通寺来て間なしの頃はお義母さんが打っちょったな。だから家に麺棒とかそいなんはあったん。けど私は全然したことない。私は8人兄弟で、跡取りの兄は一回り上、姉は10才も上だったから、人の作ったのを食べるだけの人やったん。ほだけんお炊事は下手や(笑)。

 善通寺ではドジョウもしよったけど、元々私は嫌いだったから。昔、うちの母がな、お味噌汁ん中へドジョウ入れたら、ドジョウがお豆腐ん中に首突っ込んで。アレが気持ちが悪うて嫌で嫌で。それからもう絶対食べんかった。大体がさっぱり系統が好きだから。あんまりコッテリしたん好かんの。

うどんを食べ始めたのは観音寺に来てから

 観音寺に来たんは昭和34年かな。もう観音寺来て50年と言わんなー。引っ越して来た時はね、ちょっと叔母…お義母さんのお姉さんの家に2階住まいしとった。家が無かったからな。あそこは青柳(旧観音寺市青柳町・現在は観音寺町に統合)やろか。ほら「クマノヤ」さんの本店があるでしょ、叔母はあそこの裏で置屋(おきや)さんしよったん。芸妓屋さん。キレイな人やったんで。あの角にあった「タカタ」いうとこで、お琴のセンセもしよったん。その後に天神(観音寺市天神町)へ移ってから、家はずっと天神です。

 うどんを食べだしたんは、もうこっち、観音寺来てからやなあ。あの頃食べる言うたら、大抵うどん屋さんじゃったな。うどんはうち主人が好きやきん、よー「つるや」行ったりしよった。だけど私は好きでなかったきん、行ってもあんまりおうどん食べんかったん。でも「つるや」もほら、だいぶん後からできたからねえ。

 最初のうちは、柳町(旧観音寺市柳町・現在は観音寺町に統合)のうどん屋さん行っきょった。今もう無いけど、柳町に「ひめぎん」があったでしょう? あそこら辺にうどん屋さん1軒あって、そこのおうどんが美味しかったわ。ちょうど中細でねえ。ただの暖簾があった普通のお店やったけど、うどんは店で打っちょったな。

 きつね寿司とかな。ばら寿司とかも置いてあったけど、炊き込み言うんかな、アレは無かったわ。ほんでいつもお客さん来たら、おうどんときつねと出前取りよった。大っきなおか持ちでね。私よー持たんかった。持ったら全部混ぜてしまう(笑)。あそこは昭和50年ぐらいにやめたん違うかな。今はしてないけど、まだ人はおるわ。

 ほんで天神来てからは、吉岡(観音寺市吉岡町)の「柳川」ばっかり行っきょった。あそこうどんが細いし、鍋焼きが美味しいきん、よー食べに行ったん。

 あと、埼玉の方は法事におうどんは出さんかったけど、善通寺ではありました。うちで法事やする時は、ばら寿司とかおうどんとかはしてましたもんな。

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