1970
1969
1969(昭和44)年11月
単行本『随筆うどんそば』(山田竹系著・宏平創版)発刊。
1969(昭和44)年11月
単行本『随筆うどんそば』(山田竹系著・宏平創版)発刊。
1969(昭和44)年
宇髙連絡船のうどん販売が始まる。
1968
1967
1966
1966(昭和41)年7月17日
栗林公園商工奨励館で、金子県知事や国東高松市長、マスコミ、うどん愛好者等を招いて「手打ちうどん食味会」が開催される。(主催:さぬき手打ちうどんうずしお会、協賛:高松製麺協同組合協賛)
1965
1964
1964(昭和39)年10月10日
東京オリンピック開催。
1964(昭和39)年 1月
殺菌した茹でうどんをポリ袋に密閉した「日持ちのする茹でうどん」が登場。
1963
1963(昭和38)年4~5月
長雨で香川の麦作が壊滅状態に陥る。
1963(昭和38)年2月1日
国鉄高松駅ホームに「うどん店」がオープン。1杯30円、容器込み40円。
1962
1962(昭和37)年4~5月
長雨で県産小麦が大きな被害を受ける。
1961
1960
1960(昭和35)年10月1日
うどん玉(茹でうどん)の卸値が1玉6円から7円に値上げ。
1959
1958
1957
1957(昭和32)年8月
「伊吹漁協のイリコ」が初めて新聞に載る。
1957(昭和32)年春
早稲田大学の横に「うどん食堂・玉藻」がオープン。記録に残る「香川県人が東京に出したうどん店」の第1号。
1956
1956(昭和31)年7月4日
三木武吉先生、ご逝去。
1956(昭和31)年6月
ビタミン入りのうどん「旅田の栄養玉うどん」が発売される。
1956(昭和31)年4月3~15日
東京の新宿三越で行われた「香川の食料品展示即売会」で「讃岐手打ちうどんの実演」が行われ、大人気を博す(新聞に載った「物産展の讃岐うどん手打実演」の第1号)。
1956(昭和31)年
この頃、東讃~小豆島地域が「イリコ製造」の本場として栄える。
1955
1955(昭和30)年8月
津田町商工会の土曜デーで「うどん早食い競争」が開催される(新聞に載った「うどん早食い競争」の第1号)。
1954
1954(昭和29)年
「昭和の大合併」が始まる。
1953
1953(昭和28)年10月
四国4県合同国体開催。衛生上の観点から、会場でのうどん販売は禁止となる。
1952
1952(昭和27)年3月
高松桟橋駅(国鉄高松駅構内の宇髙連絡線乗換用の駅)に、高松駅弁が「駅売りうどん」の店をオープン。「かやくうどん、えびのてんぷらうどん」1杯が各30円。国鉄車内持ち込みは50円。
1952(昭和27)年
西讃の若者の間で「丸亀へ行ってカツドウ(映画)を見て、浜町のカケ店(腰掛店)でうどんを食って帰る」が“イケてる遊び”の合い言葉に(笑)。
1952(昭和27)年
丸亀の浜町銀座で「三角おこわ」が復活。
1952(昭和27)年
中讃の乾麺が「香川の月」という名前で北海道で人気を博す。
1952(昭和27)年
豊浜の乾麺が「浜うどん」という名前で人気を博す。
1951
1950
昭和25年頃
(営業していたと思われる店)
バカ盛り 開店
1949
1949(昭和24)年
香川県内の製粉業者が2000軒を超えて乱立する(前年は約900軒)。
1948
1948(昭和23)年
「小豆島」と「仏生山」と「豊浜町」が香川の“乾麺処”として栄える。
1948(昭和23)年
多度津町の「日讃製粉」が新聞の協賛広告に登場(新聞に出た地元の「製粉会社」の第1号)。
1947
1947(昭和22)年
うどん(乾麺、ゆで麺)のヤミ取引が横行。
1947(昭和22)年
石田鉄工所(坂出市)が業務用「石田式製麺機」を製造販売。
1947(昭和22)年
高松市の「築港新世界」に「源芳」が出店(新聞に出たうどん業界の社名第1号。うどん専門店かどうかは不明)。
1946
1946(昭和21)年6月
大阪の大日本工機から「簡易家庭用製麺器」が売り出される(多度津資料館に現物あり)。
1946(昭和21)年1月
戦後高松の「自由市場」で、「うどん1杯10円」。
1946(昭和21)年
宮地鉄工(高松市)が業務用大型麺機「ミヤヂ式製麺機」を製造販売。
1945
1945(昭和20)年8月
第二次世界大戦(太平洋戦争)終戦。
1941
1941(昭和16)年12月
第二次世界大戦(太平洋戦争)開戦。
1940
1938
1937
1933
1931
1930
1927
1926
1926(大正15)年
明治から大正にかけて、屋台の「夜なきうどん」が盛況だった。
1925
1913
1912
1911
1910
1907
1903
1890
1867