香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市庵治町・昭和4年生まれの女性の証言

農家に生まれたから、家でうどんを食べることができた

(取材・文:

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  • vol: 100
  • 2015.08.24

農家に生まれたから、家でうどんを食べることができた

家は農家だったので、幸いにも小さい頃(昭和10年頃)からうどんを食べることができました。というのも、うどん作りには欠かせない小麦粉を農協で手に入れることができたからです。

当時、農協へ小麦を持って行くと、小麦粉に換えてもらうことができました。製粉してもらえたわけです。もちろん、米も精米することができました。ただし、当時の庵治の農協で製粉や精米ができたのは農家だけです。農家以外の人がどのように小麦粉を手に入れていたのかは知りませんが、あまりお目にかかれない食べ物であったはず。昭和10年代のこの辺(庵治町)は、家でうどんを作ったり食べたりしている人はきっと少なかったと思いますよ。

昭和一桁の年に、きつねうどんが名物の店があった

うどんを食べることができた店も、周りに多くはありませんでした。今も所々にアーケードが残る庵治の旧商店街には、当時(昭和10年頃)2軒ほどうどん屋があったと思いますが、そのうちよく利用したのは「おかはな」という一軒です。漢字で書くと「岡端」と書きます。端を「はな」と呼ぶのが珍しいですね。

「岡端」は私が物心ついた時からありましたので、少なくとも昭和の一桁の年には営業していたはずです。うどん屋だけではなく、木賃宿もしていて、薬売りなどの行商人がたびたび訪れていました。

うどんは、大きなお揚げが入ったきつねが名物で、そのお揚げを使ったいなり寿司もありました。きつねうどんが一杯30円だった時代があり、値段を憶えていることを考えると、その頃によく利用したのでしょう。もちろん、大人になってからですが。たぶん、昭和20年代から30年代のことだと思います。

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