法事のうどんですか。食べますよ。まずうどんが出て、それから寿司やご飯が出る。うちは真言宗ですけど、母親が高松出身で浄土真宗だったので、母親が自分の考えでうどんを出していたのかもしれない。うどんは自分の家で打って、かけうどんで出していました。ただ、家で打つのがだんだん面倒くさくなって、そのうち店でうどん玉を買ってくるようになりました。うどんに乗っていたのはネギと赤板(カマボコ)ぐらいでした。
うどんの風習ですか。「半夏生」の時はうどんを食べてましたね。「新築の家で風呂に入ってうどんを食べる」という話は、こっち(長尾町)では聞いたことないです。
お祭りの時期には、やっぱり「うどん」と「お寿司」と「天ぷら」が出てきましたね。天ぷらは、あの色つきの天ぷら。サツマイモは黄色、レンコンは何色だったかな。祭りの時には親戚も集まったりしたんですけど、お土産に「巻き寿司」も出ていました。親がよその祭りに行った時には、巻き寿司や天ぷらをもらって帰ってくるのを楽しみに待っていた記憶があります。
昭和30年代頃、うどん専門のうどん屋さんはこのあたりにはなかったと思います。うどんは食堂や喫茶店で出てました。造田の駅前にも小さな食堂があったんですけど、大衆食堂のメニューの一つとして「うどん」がありました。道路沿いの喫茶店でも「うどん」と「ラーメン」と「定食」がありました。夏場には「そうめん」も出ていましたよ。
●編集部より…「小麦を収穫して製粉屋さんに持って行って粉にして、それでうどんを作ってもらう」という習慣は、川と水車の多い中西讃で盛んだったようですが、東讃の長尾でも証言がありました。法事に出るうどんも中西讃では「湯だめうどん」がよく出てきたのですが、こちらのお宅は「かけうどん」だったそうです。祭りに「うどん、寿司、色つき天ぷら」も、中西讃だけの風習ではなかったようです。

