香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

丸亀市綾歌町・昭和6年生まれの男性の証言

農協に大きな発動機で小麦を粉に挽く機械があった

(取材・文:

  • [showa]
  • vol: 159
  • 2016.11.28

法事や寄り合いがある時は、近所の人たちが集まって一緒にうどんを作った

 昔のうどんのことを調べよんな。年で物忘れが酷いから、話せるほどもう憶えてないで。うどんは食べよったし、自分も打っとった。家は農家やったけど、田植えが終わった後の半夏生のときやお盆、正月なんかに作って食べとったな。

 あと、法事の時も。家だけやのうて、近所で法事がある時や公民館で寄り合いが行われる時なんかも、うどんを作りに出掛けたで。周りのもんもうどんが打てたけど、法事や寄り合いには大勢の人が集まるきに、よっけうどんが要る。やから、お互いが手伝い合っとった。

小麦を小麦粉にすると約3割引に

 うどんの材料になる小麦粉は、農協でもろとった。家で作った小麦を持って行ったら、小麦粉に換えてくれたんや。当時はどこの農協でも換えてくれよった。

 そやけど、持って行った小麦をその場で小麦粉にしてもろとったんとは違う。予め用意されとった小麦を渡された。挽き賃がいったかどうかは忘れたけど、等価交換ではなかった。重さにしたら、行き帰りで3割くらいは違うかったやろか。まぁ、挽いたら皮とかも出るきにな。

小麦を挽く機械の動力は、戦前が発動機。戦後はモーター

 小麦を挽く機械はどこの農協にも置いとって、戦前までは発動機で回しとった。1メートル以上もある大きな発動機でな。音もものすごうおっきい。やけど、馬力はあんまりないんや。燃料は石油やったけど、エンジンを動かす最初だけガソリンが要ったなぁ。

 戦後になって徐々に電気のモーターが普及し始めた。発動機に比べてずいぶんと静かで、馬力も出たで。やけど、そのモーターもいつの間にか農協から姿を消したな。

 あと、家の近くには製麺所があったし、うどんを食べさせてくれる店もあった。利用したことがなかったきに、よう知らんけど。うどんで憶えているんはそんなとこかな。

  • TAGS: 
  • 関連URL: 

ページTOPへ