香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市鍛冶屋町・昭和27年生まれの男性の証言

深夜のディスコ帰りに20人でかな泉に押しかけて無理やり店を開けてもらった(とんかつ「ひがさ」オーナー樋笠禎秀さんのお話)

(取材・文:

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  • vol: 168
  • 2016.12.29

昼飯にうどん、おやつにうどん

 生まれは鍛冶屋町、今の丸亀町グリーンのある辺りで、水神さんから5軒目の借家だった。幼稚園はペンシルベニア。今はペンシルベニアというと駐車場になっとるけど、昔は幼稚園だったんよ。小学3年まで街中で育って、そこから太田に引っ越した。太田にいた時は「大島うどん」に玉を買いに行ってたわ。それから中学の時に家を新築して、また街中に戻ったんよ。

 家の横、つまり今の丸亀町グリーンのところにに「ヤスヤ」という食堂があった。ヤキメシとかもある店だったんやけど、そこでいつも鍋焼きうどんを食いよった。アルミの鍋で、味付けはちょっと甘目。海苔にチクワにカマボコに玉子と、子供が大好きな食材ばかり入っとったなあ。

 家の斜め前、今の「丸い亀さん」の駐車場のところには、カレーやクリームの入った大和焼きを売っていた「大和屋」という店があった。そこは店の半分にパンとうどんを置いてて、うどんは一杯20円だった。安かったなあ。大和焼きも同じくらいの値段。麺はたぶん仕入れてたんとちゃうかな。カレーうどんがあったと思う…肉うどんだったかな? それが高くてさ(笑)。「大和屋」で食ううどんは、主食ではなくおやつだったわ。

 ガキの頃は「アズマヤ」にもうどんがあったな。「アズマヤ」のちょっと向こうには「源芳」いうんもあった。「森製麺」も昔からあったんかなあ。片原町には「マルフク」しかなかったんじゃないかと思う。「マルフク」は焼きうどんがうまかった。

 美術館の東側に細い道があって、それを南側の歯医者のところから入って行って、右に曲がったら「宮脇書店」に突き当って、そこを左に行ったら「テラウチ額縁店」の横に出よった。その道にもうどん屋というか製麺所があった。卸しをやってたと思うけど、そこで食べた記憶はないな。

 玉藻公園の入り口の右にあったグランドホテルの北にもうどん屋があった。その辺りには、食いもん屋とかみやげもん屋とかもずらっと並んでたなあ。とにかくそこいら中にうどんがあった。大衆食堂に入ったらラーメンがあるような感覚で、普通にうどんがあったな。

 浅野(高松市香川町)の辺りには、乾麺作ってくれるところがあった。カンカンの固いやつで、ゆがくんに30~40分かかったな。ゆがいてたら昼休みの時間なくなるんで、同僚が「樋笠、もううどんええわ」言われて(笑)。乾麺だけどけっこうコシあったで。その乾麺を作ってるところ行ったことあるんよ。うちのオヤジがJTBに勤めてて「どこどこに送れー」って注文して帰っりょった。その頃はもう「香川はうどん」って言よったな。俺がハタチの頃(昭和47年)。「夏はソウメン」って言いよったけどな。そこももう今は作っじょらんわ。

 うどんの屋台? ぜんざい、わらびもち、ラーメン、芋の切ったやつの屋台はあったけど、うどんの屋台はあったような、なかったような…。

ディスコの朝帰りに「かな泉」でうどん

 美術館ができる前の日銀の隣に、いきなりできたのがセルフの「かな泉」。プレハブのほったて小屋みたいな造りだった。自分で麺を温めてゆがくほんまのセルフ。学生時代はよく行ったな。ここ以外にもうどん屋はあったけどセルフじゃなかった。それがしばらくして、あっという間にあのビルができたんよ。

 26~7の頃(昭和50年代中盤)には、友達みんなで毎週週末にディスコに行ってた。俺は家が近いからすぐ帰れるけど、他は高瀬とかあの辺から来る田舎の子ばっかりだったんで、始発が出るまで松島の「ぐり~んはうす」で時間つぶしたりしてつきあってたんよ。当時はまだ朝まで開いてる店はなかった。かな泉は営業時間は朝の6時からだったけど、朝5時くらいにディスコ帰りの20人くらいで押しかけて「おばちゃん腹減ったけんはよ開けてよー!」いて開けてもろて、みんなでかけうどん食った思い出が(笑)。

 「川福」のうどんは細くてコシがあったので好きだった。「かな泉」のは太かったな。昔食ったうどんはイリコがあまりきつくなかったと思う。イリコを初めて強く感じたのは「わら家」だった。この辺は「丸一」でかつお節売ってたので、イリコは弱めだったのかも知れんな。家では使ってたと思うけど。

 仕事で山中湖(山梨)に行ってたんやけど、香川まで帰るんに9時間くらいかかってた。その時に食べたんが連絡船うどん。店は船の階段の横だったかな? 行きは座りたいから、席をとるためにうどんは食わんかった。連絡船うどんは帰りの味というイメージやな。

 そういえば、40年ぐらい前(昭和45年頃)に山梨で讃岐うどん店見つけたんで、入って「釜揚げないんですか?」って聞いたら「釜揚げって何ですか?」って言われた(笑)。「讃岐うどんやろ?」「社長が香川県の人なんです」それだけ。いいかげんやで(笑)。

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