香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市国分寺町・昭和37年生まれの男性の証言

わが青春の四國うどん

(取材・文:

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  • vol: 18
  • 2015.07.10

わが青春の四國うどん

昭和52年頃、家が坂出やったから、善通寺の高校に通うには汽車(ディーゼル機関車)を利用した。汽車通(今のJR通学)の連中がよくメシ食いに行く所が駅のそばにあった「四國うどん」やった。3階建てで1階がうどん屋、2階が喫茶、3階でお好み焼きをやっていた。

なんで汽車通の連中がよく行くかと言うと、他の通学手段のやつが普段わざわざ行く所ではなかったから。当時善通寺には高校3校、大学1校があって、その中でも僕が通った学校が一番遠く、学校の前にはバス停があって琴南、満濃、仲南、栗熊の連中はそれを利用するし、郡家や多度津の善通寺寄りのやつは自転車で、汽車通なんは観音寺、宇多津、坂出の連中やった。

学校の左隣が讃岐の宮(護国神社)で向かい側は四国学院大学(通称シコガク)、近くに善通寺のお寺があって落ち着いた雰囲気やったけど、今みたいにコンビニやカラオケ屋やゲームセンターやケータイもないし、レンタルショップに至ってはビデオも普及する前やからあるわけもないし。高校生が寄り道する場所すらほとんどない街やった(高松やったら当時でもそんなことはなかったはず)。何しろ学校で教育の一環とかでお寺のそばの世界館という古い映画館(中に太い柱があって2階が畳敷きやった)で日蓮と寅さんの2本立てという不思議な組み合わせの映画を見ても素直に楽しいと思えたくらいやから。

学校終わって寄る場所いうても、学校近くのみどり書店か駅の近くのレコード屋くらい。土讃線やから本数が少ない上に多度津で予讃線との合流や特急の追い越しなどで待ち時間が30分から1時間近くある汽車もあるから少しでも接続のいい便に乗ることが大事やった(試しに坂出から自転車で通学してみたら汽車より早く帰れたこともあった)。

だけど土曜日だけはまるで違っていて、半日で学校が終わるから昼メシ食うために、バス通もチャリ通も汽車通も一緒に行動できた。行動のパターンは大きく2つあって、みんなが合流できる時と、バス通がいない時に分けられとった。

シコガクの前にはイタリアンの「DEAR」があったけれど、高校生には敷居が高かった(そんなにお金持ってないし、あれは大学生が行く所やとみんな思っとった)。それで、そこからさらに駅方向に行くと「168(いろは)」いう喫茶があって、みんなで行く時はそこへ行った。汚れた白い壁が忘れられない。今思うとDEARは大学生が行くもんて言いよったけど、168はもっと大人の行く所やったんかな。でもなぜかあのころは平気やった。

なんで168に行くようになったかというと当時流行ってたインベーダーゲームが店内に置いてあって、それを知ったゲーム好きのやつが(いつの時代にもゲーマーはおる)「行こう行こう」言うて、みんなも興味あったから土曜の昼に行くようになった。やけどインベーダーゲームを100円でしっかり楽しめたんは言い出しっぺのそいつだけで、僕なんかは100円使ってあっという間に終わってしまって、それ以上はやらんと見とるだけやった。メニューもカレーやピラフ、スパゲッティ、トーストなど定番のものしかなかった。

バス通がおらん時は「四國うどん」に行った。168から駅の近くの四國うどんまでは何百メートルしかないのに、バス通のやつらにはそのわずかな距離がたいぎならしく、ついては来んかった。バス停は学校の前にあったから。僕らもいつも喫茶でメシ食うのはお金かかるし、うどんやったら安いし、かけで汁まで飲んだら腹おきるからだんだんとそうなっていった。ただ、うどんはあっという間に終わってしまうから、汽車の時間がなかなか来ん時はそれまでの時間を潰すんが大変やった。たまにうどんやのうて上の階でお好み焼きを食う時はええんやけど、うどんの時は駅の待合所でなんぞかんぞ話しながら時間潰すか、近くのレコード屋をのぞいてくるとか、そんな感じやった。

そんな昼メシパターンも、男子連中がだんだん色気づきだすと、彼女ができたやつは女の子が好きな店へ行きよった。善通寺の近くにあった「ブーケ」とか、そのころ市民会館の前にできた「花きゃべつ」とか。土曜日になると「オレ今日は168行けんけん」とか「今日は四國行けんけん」言うて消えて行きよった。

どっちの店もそいつらが彼女との予定がない時は「ちょっと行ってみたらええやん」言うて連れて行かれたけど、ブーケはお菓子の家のような色づかいの店で、花キャベツは真っ白な外観(168みたいに汚れてない)に大きな窓で店内が見える造りで、男子2人がメシを食うには今でいう「女子力」が強すぎて落ち着かんかった。ちなみに聞いた話では、花きゃべつではカップルで行くやつは絶対に外から見える窓側には座らんかったらしい。

結局、高校生活も3年目になったらほとんど昼メシは四國うどんやった。彼女もおらん男子だけで汁まで全部飲んで、駅で買った週刊少年サンデーを回し読みして、駅でいろいろと話したりして汽車に乗る。そんなんが続いとった。たぶん女子は女子だけで行く所を見つけとったんやろうけど、ほんとに外でうどん食ってる女子の姿を見たことはなかった。今でこそうどん食べに行くカップルはおるけど、あのころ彼女連れてうどん食うやつはおらんかった。

四國うどんには男子やおっさんばっかりおった。上の階のお好み焼きでも女の人には会ったことなかった。店のおばちゃんくらいやった。普段は彼女とメシ行ったりするやつでも、彼女がいないときは一緒に四國うどん食ってそれから汽車に乗って観音寺まで帰りよった。そいつが3年には生徒会長になるんやけど、1年の時から生徒会や先生の動きに詳しいやつで、先生の巡回の情報を仕入れてきて、その時は「168にも他の喫茶にも行ったらあかん」と男子や女子に教えてくれよった。

3年になると、学校を出るのもだんだん遅い時間になってきて、4時台、5時台の便に乗れない時は家に帰るのが8時を過ぎてしまうので、平日でも四国うどんでかけの小を食べて家路につくことが増えていった。

ダシやらコシがどうとかそんなことなんも考えんと、とにかく腹おこしよったんが高校生のうどんとのつきあい方やった。早食いは50過ぎた今でも同じやけど。

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