香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市三谷町・昭和15年生まれの男性の証言

近所の連中が集まってうどんを作るのは、当時の最大の娯楽

(取材・文:

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  • vol: 251
  • 2017.11.27

小麦は売っても安いため、うどんにして食べた

 打ち込みうどんは昔、よう食べた。自分とこだけじゃのうて、三谷(高松市)の人間ならみんな食べとったやろ。

 当時、三谷に住んどった人間は農家ばっかり。山の斜面にも田んぼや畑があったほど、農業が盛んやった。今はもう荒れ果ててしもうとるけどな。主食になる米をぎょうさん作っとった。そやけど、米は高うに売れるから、自分らは食べんで、お金にした。替わりに、打ち込みうどんの材料にもなる小麦と野菜を食べとったんや。それらも畑で作っとったけど、米みたいには高う売れんかったからな。

 打ち込みうどんは毎晩のように食べた。夏の暑い時期にも「フーフー」言いもって。麺を寝かしたり足踏みしたりせんでええから、簡単にすぐ出来たし。小麦粉を水に混ぜて、手で捏ねて、生地を切るだけ。夏前には具にどじょうが入ることもあった。

用もないのに何かとかこつけて集まり、うどんを食べた

 それとは別に、ちゃんと打ったうどんを食べることもあった。昔は娯楽がないから、大した用もないのに何かと名目を付けてしょっちゅう近所の人間が集まってワイワイ騒いどってな。そんな時には必ず、うどんを作って食べたんや。生醤油とかで。要はうどんを作って食べるんが目的やったんや。

 田植えのときもちゃんとしたやつを食べた。田植えは大変やから、昔は近所の人同士が手伝い合って作業をしたんやけど、その中に食事を作る係がおって、うどんを作っとった。打つ時間がないときは、製麺所や農家から玉を仕入れることもあったで。5時くらいから田んぼに出とるから、一日に4回も5回もうどんを食べとったな。

 製麺所や農協は、小麦や小麦粉を持って行ったらうどん玉と交換してくれた。お金は要らん。小麦をなんぼか取られたけど。小麦を預ける農家もあった。収穫したら何十kgも預けとったで。

●編集部より…あちこちから発掘される「打ち込みうどん」と、寄り合いでみんなで作って囲んで食べるうどん。だんだん昭和の庶民うどんの主流が見えてきます。

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