「たろつのかろのうろん…」を横須賀で徳島の人から聞いた
私は昭和29年に生まれて、多度津の大通りの、JRの工場あたりに住んでいました。大通りには昔の国鉄の機関区がありましてね、かつてはそこに従業員の方が2000人ぐらいいたんです。当時の多度津は人口が2万4000人ぐらいで、町会議員が20人ぐらいいたんですが、機関区の国鉄関係だけで町会議員が5~6人もいましたよ。
うどん屋さんは、うちの周りにはそんなにはなかったかな。大通りにはうどん専門の店ではなくて、「うどんと寿司のある大衆食堂」がいくつかありましたね。今は閉まっちゃいましたけど、多度津港の近くの「水田食堂」も「うどん」がある大衆食堂でした。それと、多度津港から出ていたフェリーの中でもうどんが出ていたと思います。フェリーに1時間ぐらい乗っている途中で食べた気がしますね。でも私は当時、うどんは家で食べるか喫茶店で食べる時の方が多かったです。「喫茶店のメニューにうどんがある」と言ったら都会の人に笑われてましたけど(笑)。
そう言えば、僕が横須賀の学校に行ってた時に徳島出身の先輩がおったんですけど、その人が「お前、多度津かい。こんなの知ってるかい?」って、「たろつ(多度津)のかろ(角)のうろん(うどん)屋で うろん(うどん)六杯、腹ろぶろぶ(どぶどぶ)」いうやつを言ってきたんです。僕が「知らん」って言ったら「知らんのか。多度津のうどんって、それぐらい有名なんぞ」って。「お前、ほんまに多度津の人間か?」って言われて(笑)。で、多度津に帰ってきて聞いたら、「平野屋」さんのことかと。「平野屋」さん、こないだ閉めましたけどね。
あとは多度津じゃないけど、高松駅のうどんは記憶に残っています。まだ宇髙連絡船があった頃ですけど、高松駅から連絡船乗り場に続く通路の横にうどん屋があって、私は香川から県外に行く時はたいてい、その連絡通路のうどんを食べてから連絡船に乗っていました。連絡船の甲板のうどんはたいてい宇野から高松に向かう帰りの便で食べていましたが、連絡船のうどんよりあの連絡通路にあったうどん屋のうどんの方が美味しかった記憶があります(笑)。
法事の時は「つけうどん」、新築の風呂でうどんも食べました
家でうどんは打ってなかったです。家で食べる時は、うどん玉を買って来てました。
法事のうどんですか。うちは浄土真宗で法事の時間が長いから、丁寧にやったら3べんくらいうどんが出ますね。お坊さんが来たらお勤行が始まる前におうどんを食べてもらって1回目のお経が始まって、2回目のお経の前にうどん、3回目のお経の前にまたうどん。うどんを食べるのは1回とか2回のところもあるみたいですけど。食べ方は「つけうどん」ですね。湯だめみたいな形で出してくれて、小鉢というかぐい呑みみたいな器にダシ入れて、つけて食べる。薬味はショウガとネギくらいでね。「かけうどん」で出してくれるところはこっちの方ではあんまりないんじゃないですかね。
法事みたいな集まりの時は、セイロでうどんを買ってきました。20玉とか24玉とか入ったセイロを3枚とか4枚とか。後で法事の会席があるのに「うどんは別腹や」言うて5杯ぐらい食べるおじさんもいましたね。地元の親戚が集まって食べるから、「このうどん、どこのや?」「あそこのうどんや」「そうか。あんまりおいしないな」とか言いながら(笑)。で、次の法事には「前は評判悪かったから、今度はここの製麺所にしたで」「あ、あそこのうどんやったらおいしいわ」とか。みんなうどんには結構うるさかったですね。
「新築した時にお風呂の中でおうどん食べる」いうやつは、やったことがあります。僕が小学校に上がる頃(昭和35年頃)に家に五右衛門風呂を作ったんですけど、その時に風呂の中でうどんを食べました。おふくろがうどんを作って、近所のおじいさんとかおばあさんを呼んで「初釜です」みたいな感じで。本当は風呂でうどん食べるのは血圧が上がるからいかんのやけどね。何か年長の方に「きれいでサラ(新品)のお風呂に入ってもらう」ということでね。
あとはお祭りの時、神社の露店に屋台のうどんが出てたのを覚えています。家でも、親戚の家に行っても、「うどん」と「ばら寿司」と「天ぷら」が出てました。天ぷらは衣に黄色い色粉が付いてました。
●編集部より…昭和30年代~40年代あたりの多度津町のお話です。「たろつのかろのうろんやで うろんろっぱい はらろぶろぶ(多度津の角のうどん屋で うどん六杯 腹どぶどぶ)」という歌(言い回し)は昭和42年(1967)」の四国新聞にも出てきたように(「新聞で見る」シリーズ・昭和42年参照)、香川県内ではそれなりに認識されていたフレーズだったようですが、いつ誰が言い始めたのかについては明確な話が出てきません。また、これが「平野屋」を指していたという説もあれば、「多度津には道の角ごとにうどん屋があって、安いので6杯も食べて腹がドブドブになる」という解釈もあって(先述の四国新聞の記事は後者の説)、こちらも定かではない。しかし、「徳島出身の先輩が横須賀で教えてくれた」ということは、「多度津のうどん」は、県外にまで轟いていたのかもしれません。風習に関わるうどんでは、「法事のうどんはつけうどん」や「新築風呂でうどん」が出てきました。1つ前に掲載した東讃の長尾町出身者の方は、「法事はかけうどん」「新築風呂は聞いたことがない」と全く逆の証言をされていましたが、そのあたり、証言数が増えてきたら分布図を作ってみたいと思います。

