香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

さぬき市志度・昭和23年生まれの男性の証言

製麺所でうどんをセイロ買い。仲間で大食い大会をやっていた

(取材・文:

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  • vol: 91
  • 2015.08.10

製麺所でうどんをセイロ買い。仲間で大食い大会をやっていた。

このあたり(志度)には昔からうどん屋さんがありましたか?
古くからあるのは牟礼製麺。このへんでは一番古いと思うよ。JR志度駅横の今の場所で売りだしたのは最近かもしれないけど、うどん自体を売り始めたのはもっと前。その頃はマルナカなどに麺を卸すだけの製麺所やったと思う。その頃の大将とは変わって、いま牟礼製麺をやってるんは2代目ちゃうかな?
製麺所で買ったうどんはどうやって食べていましたか?
うちは親父がうどんをようけ製麺所で買うてきて、「うどんの食い合い」、食べ比べをやりよったな。身内に学校の先生が多くて、先生みんな家に連れてきてはうどんをがつがつ食べて、「わしは今日は10玉くうた~~」と言うては手柄にしてた。

製麺所から20玉くらいのうどん玉が入ったせいろを、7つも8つも買うてきて。それが1日でなくなるほどの勢いやったから、家のもんが食べるうどんはまず先に退けといた。たんまり残ったせいろのうどんを前に、「さ、たべるぞ!」と5~6人の先生仲間やその友達で食べ尽くした。うどんが好きな人ばっかりやから、楽しみでやっていたんやと思う。

そこはどこの製麺所のうどんですか?
それは「フジタ」のうどん。志度の大橋(おおばし)という地区で、今も志度寺の近くにあるお米屋さんの場所にあった製麺所で、昔はうどんを作って売っていたと思う。そこでせいろごと玉買いできた。

そのあたりにうどん屋さんも2,3軒。玉売りしているところも2,3軒あったように思う。でも製麺所は八百屋やマルナカに卸していただけで、店頭で食べさせる…というのはほんまに最近やなあ。

商店街の食堂でうどんを食べるのがステイタス

外食でうどんを食べることはなかった?
昔は志度のもんは、年に1回くらい琴電に乗って、三越で遊んで、高松でうどんと寿司を食べて帰るのがステイタスやった。今でもちょっと三越に行ったら自慢したくなるけど(笑)。今の三越前にルイ・ヴィトンがあるやろ? あの場所に食堂があって、そこにもよう行ってた。

昔はうどんを食べる場所は「うどん屋」というより、「食堂」やった。商店街の食堂に入ったら何でもあったで。丼、支那そば、バラ寿司やきつね寿司、押しずし…いろんなメニューがあったけど、うどんもそのうちの1つ。うどんは今みたいなコシは全然なくて、もっと太かった。しばらくダシに置いていたらフヤフヤになってくるような麺だった。今みたいな「うどん専門店」はなかったな。

ちなみに僕は、ライオン通りの食堂に行くんがステイタスやった。ライオン通りも今に比べたらかなり食堂が多かったけど、「常磐街の食堂でうどん食べた!」言うた人がおったら、「僕はライオン通りの◯◯でうどんと寿司たべたで!」と自慢げに言うてたな(笑)。

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