香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市屋島西町・昭和34年生まれの男性の証言

郵便局員の指定食堂(?)、屋島の森製麺の思い出

(取材・文:

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  • vol: 105
  • 2015.09.10

法事の時は、豪華なお膳を食べ終わった後にうどんが登場!

子どもの頃(昭和40年代)にうどんを食べていましたか?
 お昼は毎日のように食べていました。両親が店をしていたので、サッと食べられて作る手間も掛からないうどんは昼御飯にもってこいでした。
ということは、家でうどんの生地を作るという手間暇は…?
 我が家ではなかったですね。家でうどんを作っていたという話は、周りでも聞いたことがありませんでした。ただ、三木町にあった祖母の家では、わざわざ小麦粉から作っていました。節目のときなどによく作っていたようです。私も法事などで訪れたときに、何度か祖母の作ったうどんを食べました。
法事のときに食べたのはどんなうどんでしたか?
 普通のかけうどんでした。味もごく普通だったのか、印象が薄いですね。でも、お膳を食べ終わった後にいつもうどんが登場したのはよく憶えています。子ども心にも「うどんは別腹なのか!」と、ビックリしました(笑)。

ツケ払いもできた? 民家を改装した製麺所

ご自宅でうどんを食べるとき、麺はどちらで買っていましたか?
 自宅の近くにあった「森製麺」という店です。屋島郵便局の近くにありました。森製麺は私が生まれる前からありました。なくなったのは10年以上前(平成17年/2005年以前)になるでしょうか。地元の人がよく利用していました。私も麺をもらいによくお遣いしましたよ。行くと何にも言わなくても、店の人がせいろから麺を取り出してビニール袋に入れ、渡してくれました。お遣いに行く前に母が電話で注文していたのでしょうね。お金のやりとりをした記憶がありませんから、支払いはツケにして後でまとめて払っていたのかも知れません。
お店でうどんを食べることはできましたか?
 それはできませんでした。
どんな感じの店でしたか?
 店の外観は普通の民家そのものでした。自宅を改装して製麺所にしたのでしょうね。だから知らない人が店の前を通っても、そこが製麺所とは気づかなかったでしょう。店内にはおくどさん(かまど)や大釜、麺を打つ台、せいろなんかがありましたが。ご主人が大きな包丁で生地を切っていたのをよく憶えています。お店は、ずっとご夫婦二人で切り盛りされていましたよ。でも、1980年代に入って周りにスーパーが建つようになると、ご主人は働きに出て奥さんが一人で店をするようになりました。スーパーの商品に押されて売り上げが落ちたからでしょうね。ご主人は朝早くにうどんの生地を作ってから、働きに出掛けていたんだと思います。

今も残る、郵便局員くつろぎの老舗製麺所

近所には他に製麺所や、うどんを食べられる店はありましたか?
 あまり利用したことはありませんが、「藤村」さんという製麺所がもう一つありました。藤村製麺所は今も営業していますね。お店で食べることもできます。 郵便局の指定食堂のような店だったのか、当時から局員さんがよく利用していました。昼時になると、配達用の赤いバイクが店の前にズラッと並んでいたのが印象に残っています。藤村さんとこの麺は太目で、森さんとこは細目でしたね。

サイドメニューやダシの材料は近所の八百屋で

ご自宅ではどのようにうどんを食べていましたか?
 森製麺で買ってきたうどんを、つけうどんにして食べることが多かったです。夏は氷水に麺を入れた冷やしうどん、冬は湯だめです。かけうどんもたまにありました。近くの八百屋で買っていたおかずもうどんと一緒に食べました。おかずは衣の天ぷらや練り天、フライ物の中から何か一つでしたね。うどんのダシには煮干しを使っていましたが、それも同じ八百屋のものでした。
今もうどんをよく食べますか?
 両親から引き継いで今は私が店をしていますが、お昼はもっぱらそうめんが多くなりました。森製麺がなくなってしまったこともありますが、母が高齢になり、太いうどんよりも細いそうめんの方が食べやすくなったのも理由です。でも、森製麺のうどんがやっぱり忘れられませんね。
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