香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

東かがわ市三本松・昭和29年生まれの男性の証言

県庁で「讃岐うどん」を覚えた

(取材・文:

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  • vol: 185
  • 2017.03.20

家ではうどんに縁がなかった

 私が小学生のころ(昭和30年代)は、三本松高校が現在の商店街のところにありました。ハイカラな名前の「十和デパート」もありましたよ。昔の三本松高校には南門があって、自宅はそのすぐ近くでした。三本松というか、私の家に限ったことなのかどうかわかりませんが、なぜかうどんに縁がなく、家でうどんを食べた記憶はありません。高松や坂出の同僚たちの思い出話を聞くと、かなり違いがあります。うちが貧しかったのかな。

 商店街には食堂があり、そこにはうどんも置いてあったような薄い記憶もありますが、私がたまに小遣いで食べていたのはお好み焼きでした。私は、一部未完成の新しい三本松高校に入学しましたが、ここも家から歩いて5分。商店街を通らずにすぐ家に帰れるような環境でした。汽車通の生徒は、たまに商店街の食堂に入っていたようですが、そこで何を食べていたかは知りません。

 大阪の豊中市にある大学に進み、学生寮に入りました。大学時代にもあまりうどんを食べたことはありません。今考えると、讃岐うどんと大阪のうどんを比較して語れるチャンスをみすみす逃してしまったと残念に思います。

県庁で覚えた讃岐うどん

 卒業後(昭和50年代初頭)は香川県庁に入り、定年までお世話になりました。独身時代は三本松からJRで高松に通い、結婚してからは高松市内で住みました。

県庁に入ってからは、周囲の動きにも流されて、毎日のようにうどん店に通いました。何時も腹を空かせていた若者には、「安い、早い、うまい」讃岐うどんは、何よりの魅力でした。一番通ったのが県庁裏の「さか枝」。さながら県庁職員の食堂みたいな雰囲気でした。どんなに行列ができていても、店員も客も手際が良くて、すぐうどんにありつくことができました。知らず知らず早食いの癖がついて、それは還暦を過ぎた今も治りません。

中讃のうどんはレベルが高い

 42歳(平成8年)以降は家内の実家のある坂出に住んでいますが、中讃地区はうどんのレベルが高いですね。讃岐うどんのおいしさを実感しました。有名店が多く、選択にも困りません。中讃保健福祉事務所に勤務したこともありますが、仕事で出かける時においしいうどん店に立ち寄る楽しみも覚えました。丸亀の「綿谷」の肉ぶっかけ、琴南の「谷川米穀店」のしょうゆと酢、青唐辛子で食べるうどんなどが印象に残っています。うどん以外では、あん餅雑煮も三本松では食べたことがありませんでした。坂出で初めていただきました。実家の食生活が貧しかったのかな。

 最近、高松市内の商店街に有名うどん店がチェーン店を出す風潮があります。好みの店が歩いてはしごできるようになりました。うどん好きの県民にはありがたい話ではないでしょうか。

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