香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

さぬき市大川町・昭和30年生まれの男性の証言

田植えが一軒終わるごとに打ち上げでうどんを

(取材・文:

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  • vol: 41
  • 2015.07.10

田植えが一軒終わるごとに打ち上げでうどんを

子どもの頃に自宅でうどんを食べた記憶はほとんどありません。習慣的に食べていたものではありませんでしたね。憶えているのは、田植えが終わったその日の晩飯は必ず打ち込みうどんだった、ということくらいです。

家は農家で、昔は近所の農家数軒と共同で田植えをしていました。当時は田植機というような便利なものがなく、「定規(※)」を使っての手作業です。当然、負担は大きく、そのためにみんなで協力して進めるのですが、一軒の田植えが終わるごとにその家に集まってうどんを食べていました。

方言かどうかは分かりませんが、田植えが終わることを「はぜる」と言っていました。
「今日、○○さんの家の田植えがはぜた!!」。その朗らかな調子から、打ち上げとしてうどんを食べていたんだと思います。小学生だった昭和40年頃まで続けられていました。ただ、他の農家もうどんが打ち込みだったかどうかは…? 麺は、近所の八百屋などで用立てしていた(笑)うちと違い、他の家では自分ところでしっかりと打っていたようです。

経営は同じでも製麺所と店が離れた場所に!? 製麺所ではうどんを食べられなかった

外では二つの店でうどんを食べた記憶があります。一つは、高校生の時(昭和45年頃)にバイクで何度か行ったことがある大山製麺所。もう一つが、生意気にも小学校からの帰りに(昭和40年頃)一人で立ち寄っていた「かどや食堂」です。どちらも富田小学校(平成27年に閉校)の近くにありました。

大山製麺所は製麺所から少し離れた場所にうどんを食べさせる店がありました。店が後からできて、麺はもちろん自分の製麺所のものを使っていたと思います。

「かどや食堂」のうどんもたぶん、大山製麺所の麺を使っていたんじゃないでしょうか? 二つの店ではかけうどんしか食べませんでしたが、いずれもカツオがベースのダシと、角のない優しい麺が特徴だった気がします。

最後に余談ですが、子どもの頃はうどんよりもそうめんを食べていた印象の方が遙かに大きいです(笑)。

※定規
一定間隔に揃えて苗を植えるために用いる道具。細長い木枠や木の棒に等間隔で記が刻まれ、それを目安にして田植えを行います。

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