家でうどんを打つことはなかったです。僕の家はお菓子屋をやっていたから、親は忙しくて僕が学校から帰ってきてもお昼ご飯もほったらかしで、お金をもらって「食べてこい」みたいな感じで、一人でうどんとばら寿司を食べに行ったりしてましたね。
お祭りの屋台のうどん? それは覚えてないなあ。「新築のうどん風呂」も僕は記憶にない。近所でも親戚でも聞いたことがないです。あと、法事に出るうどんは「かけうどん」でした。うどん屋さんから麺とおつゆを買ってきて、自分のところで温めて出してました。
家はお菓子屋からいろいろ試行錯誤していた時期があって、うどん屋をやったこともあるんです。といっても自分でうどんを打つのではなくて、製麺所からうどん玉を買ってきて、ダシは自前で作って出していたんです。メニューは「うどん」と「中華そば」がメインで、僕も店を手伝ったことがあります。当時は「自家製麺するうどん店」はほとんどなかったんじゃないですかね。
宇髙連絡船のうどんはおいしかったですね。僕は出張族だったから瀬戸大橋が開通する前はよく宇髙連絡船を使ってたので、しょっちゅう食べてました。多度津港からフェリーで鞆や福山に行く時は、フェリー乗り場のうどんもよく食べていました。「たろつのかろのうろんやで、うろんろっぱいはらがろぶろぶ」ですか。僕は近所のおじさんとかおばさんから聞いた記憶があります。「かろのうろんや」は、特にどこの店を指していたという話は聞いていません。
●編集部より…今では当たり前のようにある「うどん小・中・大」という表記ですが、「昭和のうどん屋に大や小といった提供の仕方がなかった」という話は、言われてみれば確かにそうかも。「いつ頃、どこの店が“うどん大”を始めたのか?」という謎は、これまでほとんど話題にされてこなかった盲点かもしれません。1つ前の証言で昭和29年生まれの同じ多度津町の方が「法事の時は“つけうどん”、新築時のうどん風呂もやった」と証言されていましたが、こちらは「法事の時は“かけうどん”で、新築時のうどん風呂も経験なし」。なかなか「この時代はこうだった、この地域はこうだった」と決められるものではありませんが、証言をたくさん集めて“傾向”を見出すのが本企画の目的ですので、今後ともそんな感じで皆さんの記憶を発掘していきたいと思います。


