香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市扇町・昭和22年生まれの男性の証言

「自分でうどんを打つ」という習慣はなかったなあ。

(取材・文:

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  • vol: 160
  • 2016.12.01

当時のうどん屋さんはほとんど全部、製麺所の麺を使ってた

子供の頃(昭和30年前後)、家でうどんは打ってましたか?
 全然打ってない。根っからの無精もんやから(笑)。このあたりは「坂枝」や「森」や、うどんの玉を専門に作るところが何軒もあったから。だから、その当時食べに行っとったうどん屋さんも全部、うどん玉は製麺所から持って来てもらいよった。自分とこで打っちょる店はなかったな。とにかく、「うどんいうたら外で食べるもん」て思うてたから、田舎の人が「自分で打っちょった」いうのを聞いたら「へえー」言う、なんか不思議な感覚や。「それはうどん屋でしょー」言うて。まあ、自分のとこしか見えんと大きくなってきとるから、同じ県内でもよその話を聞いたらびっくりすることがようあるわな。

 うどんゆうたら、うちの元嫁の家のお義母さんががうどん屋しよったんや。元嫁が市場で屋台する前に。市場のとこで屋台があったやろ? あの屋台する前に、今の市場の東側にちっさい市場があったんや。東側ちゅうか瀬戸内町のところ。その横で「富(とみ)」いううどん屋さんしよった。うどん屋さんゆうたって、そばもあるし、いろいろある。カウンターだけのちいさい店やけどな。

そのあたりには他にもうどん屋さんはありましたか?
 「松川屋」ゆうんがあった。お風呂屋さんの隣。あそこは昔からあった。もう歳がいって、こないだやめたけどな。それと私の生まれた扇町の方に「川口」ゆうちっさいうどん屋があったな。それともう一軒記憶にあるんが、本町通りのエビス湯わかる? あの東横に名前なによったんかな…やめてしもうたな。それぐらいかな。うちの方では。

日本そば屋もラーメン専門店もなかった

メニューは「かけうどん」って書いてましたか? それとも「うどん」でしたか?
 ただの「うどん」や。「うどん」と、あとは「そば」。「中華そば」とは書いとらんけど、出てくるのは中華そばや。うちの方では日本蕎麦みたいなのは全然なかったから。そういや、その当時はラーメン屋ゆうんもなかったな。うどん屋で中華そばも売っとるし、ラーメン専門の店はなかったと思う。
寿司やおでんは?
 おでんは…「富」はあったんかな。「富」とエビス湯のとなりの、あ、亀屋! 思い出したわ。「亀屋」や。あそこはちっちゃい店やけど、よう流行っとったな。まあまあの味しとったよ。寿司は、どこもチラシといなり両方置いとったと思う。実はな、若い時にな、私も「うどん屋しようかな」いうて、ちょっと教えてもろうたことあるんや。扇町で知った人やがやっりょってな。そこでちょっとくま(ちょっとだけ)教えてもろうたけど、結局店もせんとやめてしもうた。その頃は手打ちでやってる店はそんなになかったから、やってみようかと思って練習したけど、店を出す資金もなかったし、場所もなかったからせななんだ。
「手打ちうどん屋」の発祥になってたかもしれんのに、惜しかったですね(笑)。あと一つ、葬式の時にうどんは出てましたか?
 出てない。うちは宗派は真言やけど、うどんが出たことはない。西の方行くほどいろんなんが出とるいうけど、あれはたぶん、場所場所で全然違うな。
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