さぬきうどんのメニュー、風習、出来事の謎を追う さぬきうどんの謎を追え

vol.39 新聞で見る讃岐うどん

新聞で見る讃岐うどん<昭和56年(1981)>

(取材・文:  記事発掘:萬谷純哉)

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  • vol: 39
  • 2021.07.01

「さぬきうどんラリー」開催、「うどん踏み機」も登場!

 昭和56年の香川の一番の話題は、3月21日に開幕した「仁尾太陽博」。仁尾町の塩田跡地で「太陽熱発電」の実験プラント(今流行りの「太陽光発電」ではなく、大量の鏡で太陽の光を塔の一点に集めてその熱で発電をする「太陽熱発電」です)が稼働したことを記念して開催されたミニ博覧会で、人気声優の日高のり子さんがマスコットガールを務めていました。

 一方、讃岐うどん界では、前年早々に起こった「過酸化水素騒動」もそれなりに収まったようで、新聞紙上では特に大きな出来事は見つかりませんでしたが、まずは8月に掲載された讃岐うどん業界のレポート記事を紹介します。少し長いですが、当時の讃岐うどん業界の様子を端的にまとめていますので、小分けにしながら見ていきましょう。

讃岐うどんに苦言を呈する記事やコラムが

(8月9日)

特集「かがわレポート/100万人の経済」
「讃岐うどん」100億超す年間生産、業者乱立を危ぶむ声も

 ”一日一回党”はもとより「主食がうどん」と豪語する人が10人に1人はいるうどん王国・香川。観光地はもちろん、人通りの多い道なら、必ず交差点ごとに手打ちうどんの店がある。「業界でも実数はつかみきれません」。うどん製造業者で組織している県製麺組合連合会専務理事の鳥塚晴見さんに聞いても見当がつかないという県下のうどん店数。現在、一般的に言われる数としては、食堂や喫茶店も含めて約4000軒。この数字はよく冗談交じりに例えられる”電柱の数”ほどではないにしても、県内飲食店数(約6200店)のほぼ6割が、うどんを扱っている計算になる。

 店舗数が出てきましたが、「県内飲食店数が約6200店。そのうち、うどんを扱っている店が食堂や喫茶店も含めて約4000軒」という、相変わらず「うどん店の数」がよくわからない表記です。県製麺組合でも「実数がつかみきれない」とのことですが、それにしても、全県的にこれだけ「うどん、うどん」と持ち上げているにも拘わらず、県も組合もマスコミも肝心の店の数を把握していないとは。どうも、誰も数えようとしていないみたいですね(笑)。

 うどんの原料となる小麦の消費量から見ても、いかに讃岐人がうどん好きかということがわかる。県下でうどん(ゆでめん)に使われる年間小麦量は約7900トン。生産量では全国6位だが、これを人口あたりに換算すると、全国平均の4倍強。1人当たり約8キロとなり、第2位の広島(約3キロ)を断然引き離している。

 ここに書かれた「小麦量」という表記が、「小麦粉の消費量」なのか「小麦の収穫量」なのかよくわかりません。ちなみに、香川の「うどん用小麦粉の消費量」は農水省の平成13年のデータで「5万3000トン」、香川の小麦の作付面積は農水省の平成27年のデータで「全国17位」。「讃岐うどん巡りブーム」がピークを迎えたのは平成10年~15年頃ですからブーム後のデータですが(昭和56年のデータが見つからなかったので)、ここに書かれている数字や順位とはかなり違いがあります。ただし、とにかく記事の表記が曖昧なので、わからないまま事情を推測するのはやめておきましょう(笑)。

 「讃岐うどんと言えば、なんといっても”コシ”の強さだよ」と自慢する人がいるように、盛況のうどん産業を象徴しているのが、乱増気味の「手打ち実演店」。だが、この種の店が県内に現れ始めたのは意外に新しく、昭和40年ごろ。それまではうどん業者のほとんどは玉の卸しが専門で、八百屋や一般食堂などを得意先に生計を立てていた零細企業だった。その状況が40年を境に一変した理由として、鳥塚専務理事は「昔は、讃岐の人たちは、大部分が自分でうどんを打っていたため、手打ちうどんの店など必要なかった。しかし食生活の変化で家庭うどんが徐々にすたれ始め、消費者の嗜好が昔懐かしい手作りの”うまいうどん”を求めるようになってきた」ことを挙げている。このころから玉売り専門だった製造業者は小売部門へ次々と進出し、経営者自らが、永年の経験と勘を生かして個性的なうまい「手打ちうどん」づくりにしのぎを削り出す。「これがうどん王国への躍進の第一歩だった」と鳥塚さん。

 記者によると、讃岐うどんの「手打ち実演店」が「乱増気味」だそうです。「昭和40年代以降、うどん業者が小売部門(要するに客に食べさせるうどん店)に次々に進出していったことが“うどん王国”への躍進の第一歩だった」ということは、歴史的に見て、やはり昭和40年代が第一次の「讃岐うどん隆盛期」だったと言えそうです。ただし、全国から県外客がうどん目当てに殺到するという「讃岐うどん巡りブーム」はまだ起こっていません。

 今では「札幌ラーメン」「信州そば」と並んで全国の麺類ご三家に数えられ、外国にもその名を広める「讃岐うどん」だが、うまさの秘密はどこにあるのか。県農業試験場で20年近くうどんの研究に打ち込む多田正敏主任研究員は「昔はこの地でとれた良質小麦にうまさの秘訣を求めることができたが、今はどこのうどんもオーストラリアなどからの輸入小麦を使っており、条件は同じ。その中で讃岐うどんだけが適度な歯ごたえと心地よい粘りが出るのは、やはり古くから秘伝のように受け継がれてきた製麺技術にあるようだ。また、讃岐人のうどんに対する厳しい要求も見逃せない要素だ」という。

 現在、県内のうどん製造業界は高松の業者が高松製麺協同組合(120社加盟)、その他の市町の業者が讃岐製麺事業協同組合(130社加盟)をそれぞれ結成し、この両組合が県製麺組合連合会(大川優会長)を組織する形をとっているが、他にも未加入の製造業者が100社余り、さらにいわゆる製造即実演販売の店が相当数ある。同連合会の調べでは、これらうどん産業の年間生産額は100億円を超すものとみており、地場産業の中でも県経済に与える影響力はかなり大きいという。

 製麺業者の数が出てきました。整理すると、

●高松の製麺組合………………120社
●高松以外の製麺組合…………130社
●組合に未加入の製麺業者……100社余り

ということで、香川県内の製麺業者は合わせて350社余りとのことですが、製造即実演販売の店(自分の店でうどんを打ってメニューにして客に食べさせる「うどん専門店」)の数は「相当数」としか書かれていません。やっぱり誰も数えてない(笑)。

 最近では屋島や栗林公園よりもはるかに「さぬき」の名を全国にとどろかせ、観光面でもかなりの効果を発揮しているうどん業界だが、ここ数年、業績は横バイから下降傾向に入りつつある。特に問題なのは、年々業者間の格差が広がっていることだ。着実に業績を伸ばしているのはスーパーマーケットなどの大型量販店を得意先に持つ業者と県外向けの包装めんを扱う業者だけ。「手打ちうどん店」もまた、チェーン店形式で県内外に進出している企業的経営の業者は売り上げを確実に伸ばしているが、家内工業的な従業員4、5人以下の店は、小麦粉の値上がりや競合店の乱増で年々収益を悪化させている。

 「讃岐うどんは隆盛期にあるが、業績を伸ばしているのは大手製麺業者と大手うどん企業だけ」という論調ですが、「大手だけが業績を伸ばしている」というより「(リスクをとって投資をして)業績を伸ばしたから大手になった」わけで、まあビジネスのセオリー通りのことが起こっているということですね。要するに、うどん業界も「家内制手工業」からビジネス化が進み始めたということです。

 鳥塚専務理事は「本当は業界が一つになって伝統産業を守るような対策を講じなければならないのだが…」と前置きして、「人口100万人の小さな県にこれだけのうどん屋があれば、近い将来淘汰されていく店もかなり出るだろう。それよりも問題は、一部にダンピングともいえる価格で乱売する業者がいることだ。これでは組合員の結束どころの話ではない」と業界内部の足並みの乱れを厳しく批判している。

 まあ、組合というのはある種“談合組織”みたいな性格を持っていますから、組合員は“抜け駆け”みたいなことをしたら怒られるわけですね(笑)。

 さらに昨年1月、突如として訪れた”過酸化水素ショック”の後遺症も業界に暗い影を落としている。イメージダウンによる業界全体の売上不振は、県などの懸命のPR作戦でなんとか持ち直したものの、包装めん(真空パック)の場合は「今年が勝負だ」というのが業界の一致した意見だ。過酸化水素に代わって包装めん業者が使用している有機酸は、保存期間がこれまでの3分の1の1カ月程度しかない。昨年は冷夏に助けられたが、今年は猛暑。「ひょっとしたら返品の山ができるかも…」と業界幹部は不安の色を隠さない。

 このように、一見、隆盛を誇っているかに見えるうどん業界も現状は決して安泰とはいえない状態だ。原材料の高騰、うどん店の乱増による客の奪い合い、今も尾を引く過酸化水素禍など多くの問題が山積みし、バラ色の未来を予想することは出来ない。ただ、うどん通の一人として思うのは、あの口の中へ入れた時に感じるとろっとしたソフトな味わいと快い歯ごたえを持った芸術品ともいえる讃岐うどん独特の風味だけは、すべての業者が忘れてほしくないことだ。

 過酸化水素問題のイメージダウンによる売り上げ不振は、「何とか持ち直した」ようです。でも、「隆盛だけど将来も安泰とは言えない」という、ビジネス界では常識の提言です。そして最後に<メモ>として、記者の私見が載っていました。

<メモ>
 今では全国はもとより海外にまでその声価を広めている讃岐うどんだが、各業者によって麺の太さ、硬さ、味は多種多様。その中で”うどん通”を自認する県民の大部分は、自らの嗜好に合わせた”ひいき”の店を1、2軒は必ず持っている。ところが、讃岐うどんの名が広まれば広まるほど、味を二の次にした店が増えてきた。特に京阪神に「本場・讃岐うどんの看板を掲げる店の中には、われわれ讃岐人が首をかしげたくなるような店がよくある。また、県内でもこの種の店が増えてきた」と嘆くうどん通は多い。

 「流行ってくると県外に“紛い物”が出てくる」というのは、今も昔も変わりません。

 このような讃岐うどんのイメージダウンにつながりかねない業者を追放するため、52年4月、公正取引委員会が「讃岐うどん」の製品規格ともいえる次のような「公正競争規約」を制定し、「本場」とか「名産」「特産」の表示に一定の枠をはめた。
①香川県内で製造されたもの
②手打ち、または手打ち式のもの
③めんに水分が40%以上、食塩が3%以上含まれたもの
④熟成時間が2時間以上であること
など簡単な規約であるが、これらの条件を満たしていない「讃岐うどん」は、名産、特産、本場の表示が出来ない仕組みだ。めん類の中では「札幌ラーメン」「信州そば」に次いで3番目のもので、「讃岐うどん」の品質と伝統が全国に認められた証拠でもある。

 公正取引委員会が決めたこの規定は昭和51年に発表されていましたが(「昭和51年」参照)、正式施行が昭和52年4月なのでしょうか。でも、「本場、名産、特産」の表示さえしなければ何でもありなので、「味を二の次にした店を減らす」という目的に対しては、この規定は無力ですね。しかしいずれにしろ、「活況を呈する讃岐うどん業界にで、関係者やマスコミから品質の低下や安売りに対する苦言も出ている」という状況が窺えるレポート記事でした。

 そしてさらに、コラムでも讃岐うどんの現状に対するネガティブな意見が出ていました。「視座さぬき」という識者持ち回りのコラムが1月に始まったのですが、そのトップバッターの方がいきなり「うどん屋に対する文句」です(笑)。

(1月30日)

コラム「視座さぬき」/「うどん屋」を探す

 初回トップバッターとしてはもう少し高尚な話から出発したかったのだが、最近いたく感じ入ることがあったので、下世話な事柄を書くことにする。

 気に入ったうどん屋があった。平均して麺がいいし、淡白な出し汁もうまい。かけうどん100円という値段もうれしい安さだ。うどんというのは微妙な出来方をする食べ物である。俗に「土三寒六」という塩加減から「こね」「寝かし」「のし」「打ち」「ゆで」と全工程が理想的にいけば、それこそ、うどんは絶品と言いたいうまさを発揮する。讃岐うどんのうまさの秘密はグルテンの度合いにあるようだが、グルテンをうまく出す最後の仕事が「打ち」である。のし板の上でめん棒に巻きつけたうどん生地をトントンと打ちつけるようにしながら延ばしていく。いわゆる手打ちの妙味である。工程の中に手抜きがあれば細長いスイトンのようなものが出来てしまう。こんなものはお話にならない。出しはうす味でないと、めんの味を落としてしまう。朝のうどん屋で絶妙に仕上がったうどんを淡白な出し汁ですすりこむうまさ。薬味はネギだけで十分なのだ。うどん好きなら、これをダイゴ味と呼ぶことに少しのためらいもあるまい。

 気に入りのうどん屋へ、多いときは週に3日も立ち寄ったであろうか。ところが、そこの主人が、かけうどん一杯の客(筆者)を小バカにする態度口調を見え見えにしてきた。そしてある朝、ついに「100円の客をバカにするな」と突っかかってしまった。うどん好きだから100円のかけうどんを食うのだ。商業道徳からすれば(古いかなあ)100円の客こそ大事にすべきではないのか。安くてうまいのが讃岐うどんの本領ではなかったのか。で、いま次のうまいうどん屋を探し歩いているところである。(盂蘭)

 「100円の客をバカにするうどん屋に、ついお怒りモードになってしまった」とのことです。詳細な事実関係は不明ですが、ちょうど当時、広告代理店で“誠実な営業(笑)”をしていた筆者も商店街で高飛車な店主に何度も出くわしましたので、あの頃は「売ってやっている」という店がまだ多かったのかもしれませんね。いやな目に遭ったら、黙って他の店に行きましょう(笑)。

(3月6日)

コラム「視座さぬき」/素うどん恋しや

 東京から久しぶりに帰郷した友人が、素うどんを食いたいと言う。すぐ思いつくのは宣伝の行き届いた有名店の名だが、私はあえて前々から小耳にはさんでいた店を探すことにする。市内郊外を問わず、店の大小にかかわらず、私は自分の記憶にある昔の素うどんに恋い焦がれている。私の記憶する素うどんとは、細くてきゃしゃでひと腰あり、滑らかな真白い膚の、竹久夢二描く美人画をうどんにしたような、そんな繊細なうどんの上に、ほんのりとした塩味の出しが今のものより一回り小ぶりの、藍(あい)のよく効いた唐津ものの器にたっぷりとかかったアレである。煮えたぎる大釜から上る湯気は出しのにおいと一つになって店内にあふれていた。友人にそれを言うと、にべもない。「そりゃ、無理というもんだ。時の流れ、時代の違いさ。君の求める素うどんは、昔恋した少女を思い出しているようなもので、今さらどうにもなるもんか」。

 言われてみれば当然のことで、原料の小麦からして地場ものはほとんどなく、大半がアメリカ産だというし、出しジャコにしてもどこでどのように捕れているのやら。春秋2回、見渡す限りの砂浜が干されるカタクチイワシに覆われていた光景など、ここ20年ばかり見たこともない。春ジャコは湿度の高い梅雨期を越すと脂がまわり、苦味が強くなって出しもまずい。上等の出しは、澄みきった大気の中で太陽にさらされて乾燥した秋ジャコに限る。と、まあ、私の素うどんへの思慕は募るばかりなのである。「きみ、すべてのものが経済を中心にして動いている現代なんだぜ。昔どおりの素うどんなど、あろうわけがない」。決定的な友人の言葉が返ってきた。それでいて彼もまた、本場の素うどんを探し求めているから妙な話である。(風者)

 始まったばかりの連載コラム(確か週1回掲載だったと思います)で、早くもうどんの話、それも苦言ばかりが2本目です。こちらは、「昔の味が失われてきている」という、年を取るとたいていの人に芽ばえてくる感情の話。「原料の小麦は大半がアメリカ産だという」とありますが、オーストラリア産ASWはまだ普及していないのか、それともこの方の思い込みか勘違いなのか、どうなんでしょう。

うどん巡りイベント「さぬきうどんラリー」開催

 さて、この年の7月、四国新聞が讃岐うどんの食べ歩きイベント「さぬきうどんラリー」を開催しました。これは、「設定期間中に指定店でうどんを食べたら1回につき1枚のカードをくれて、集めたカード枚数(食べた回数)によって商品がもらえる」という企画ですが、おそらく讃岐うどん界で初めての「うどん食べ歩きイベント」だと思います。7月2日の「うどんの日」に新聞の見開き2面を使って大々的に発表していましたので、企画内容を見てみましょう。

S56年広告・さぬきうどんラリー

 まず、実施要項は次の通り。

●さぬきうどんラリーとは、指定された参加店(協賛社)でうどん(種類を問わない)を食べ、ご来店1回につき1枚の参加カードをもらい、枚数に応じて抽選で商品を贈ります。
●実施期間…7月2日~7月31日まで。
●参加資格…どなたでも参加できます。
●実施店……本欄の広告に掲載されている店に限ります。
●賞品………(最多賞) ジャー釜(1人)
      (15枚賞)エアーポット(30人)
      (10枚賞)包丁とぎ器(20人)
      (5枚賞) 電卓(50人)

 そして、参加店は以下のラインナップです。

【高松市】かな泉、さぬきうどん、トミタ、ヒコーキうどん、丸川製麺、源芳、さぬきや、わら家、さぬき麺業、花車、ふる里、すゑひろ、久保製麺、番丁、くぼた、一代、山鹿、松下製麺所、さぬき一番、
【志度町】源内
【長尾町】八十八庵
【牟礼町】山田家
【坂出市】家康、さぬき富士
【丸亀市】まごころ
【飯山町】木村
【琴平町】小河うどん

 店の選考基準は書かれていませんでしたが、おそらく広告が出ている店を中心に新聞社が頼んでいったのではないかと(笑)。「讃岐うどん巡りブーム」が来るのはまだ10年以上先ですから、現在の超人気製麺所型店(がもう、山越、なかむら、山内、谷川米穀店、田村…等々)は当然、まだマスコミには全く登場しません。そして、こんな告知が7月中に5本出て…

S56年広告・さぬきうどんラリー

8月下旬に当選者が発表されて、ラリーは終了しました。

(8月23日)

さぬきうどんラリー当選者 最多賞に○○さん

 「さぬきうどんの日・7月2日」の制定を記念するさぬきうどんラリー(四国新聞社主催)の応募は15日に締め切り、22日四国新聞社で鳥塚晴見県製麺組合連合会専務理事、亀井敬県観光協会事務局次長が立ち会って、抽選が行われた。ラリーにはうどん好きの讃岐人らしく2万枚近くの応募があり、最多賞のジャー釜(がま)は1人で271枚を集めた高松市の○○さんが射止めた。また15枚賞(エアポット)は丸亀市の○○さん他29人、10枚賞(包丁とぎ器)は坂出市の○○さん他19人、5枚賞(電卓)は高松市の○○さん他49人の当選が決まった。当選者の発表は25日の本紙朝刊で。

 当選者発表の紙面は個人の名前がズラズラ並んでいるので再掲は割愛しますが、結果の概要は以下の通りです。

●5枚賞…711人
●10枚賞…296人
●15枚賞…544人
(計1551人)

 カードを5枚以上集めて応募してきた人の総数は1551人。記事にある「2万枚近くの応募」というのは参加人数ではなく、1551人が集めたカードの総数だと思われます。ちなみに、抽選の結果当選した101人の性別をチェックしてみると「男51人、女50人」という、「公平な抽選じゃなくて男女数を合わせてないか?」という内訳になっていましたが(笑)、“初物”で注目されたこともあって、なかなかの盛況イベントだったようです。

 あと、7月2日の「さぬきうどんラリー」の見開き告知ページに佐々木正夫先生が寄稿されていましたので、再掲しておきましょう。

「半夏生のハゲうどん」(佐々木正夫)

 讃岐の手打ちうどんの歴史は遠く奈良時代に中国から渡来した唐菓子だといわれている。最初はアンコ入りで、名前も混飩(こんどん)から温飩(うんどん)になり、江戸時代から饂飩(うどん)と呼ばれるようになったらしい。全国どこへ行ってもうどんはあるが、うどんの讃岐として認められたのは江戸中期から。こんぴら参詣の旅人たちは薄口のダシの讃岐うどんを食べ「これはいける」と口づてに全国にPRされたようである。

 七月二日、讃岐では田植えが終った半夏生には“はんげのハゲうどん”と称して、この日は野良仕事を休んだ。讃岐だけにしかない祝祭日なのであった。半夏生の日を“うどんの日”とはよくできたもので、きょうは県民こぞってハゲうどんを食べよう。うどんはかまないでツルッ、ツルッとすすり込むのが上手な食べ方。ノドを通る瞬間に味わうのである。

 「讃岐うどんの起源説」は、「奈良時代渡来説」に始まり、昭和50年代に入って“なし崩し”的に「弘法大師持ち帰り説」が主流になったのですが(「昭和53年」参照)、佐々木先生は四国新聞紙上では昭和40年代から一貫して「奈良時代渡来説」だけに触れられています。加えて、「うどんはかまずにすすり込むのが上手な食べ方」と断言されています(笑)。

「県外PR」は2本のみ

 続いておなじみの県外PRイベントですが、この年は東京で行われた「四国の観光と物産展」と「亀戸天神の献麺式」の2本だけが載っていました。

(2月9日)

“味と技”一堂に 東京で四国の観光と物産展 太陽博もPR

 東京都内ではここだけ、という四国の味と技を一堂に集めた「四国の観光と物産展」(四国ブロック物産斡旋協議会主催)が副都心、新宿の小田急デパートで開かれ、活況を呈している。7日には仁尾町から太陽博コンパニオンが上京、観光コーナーに立ち、この3月オープン予定の仁尾太陽博を「四国の新しい見どころ」として大いに売り込んだ。

 同展は関東に比較的なじみの薄い「四国」を多角的にPRしようと昨年から始めたもので、都内ではただ一つの4県共同展。各県特産の珍味、四国ならではの手工芸品などを一堂に集めて、という趣向で、新宿の有名デパートに地の利を得たことも手伝い、昨年は関係者の思惑を上回る売り上げを記録した。今年も県からはうどん、つくだ煮、オリーブ油、ソーメン、てんぷらなどの食料品を中心にキリげた、奉公さんなどの民芸品、盆栽と盛りだくさんの出展。一貫張、一刀彫の実演に加えて、高瀬茶業組合から茶摘み娘が出て高瀬茶の試飲サービスを行うなどバラエティーに富んだ”デモンストレーション”もあってなかなかの集客力を見せていた。

 客足はオープンの6日から昨年を上回る好調ぶりで、関係者の意気も「県全体で1000万円だった昨年の売り上げをしのぐのは確実。今年は1500万円が目標」などと上がりっぱなし。7日にはこの3月21日から始まる仁尾太陽博のコンパニオン、中井和子さん(21)亀山佳代子さん(21)の2人が上京、会場入り口などで”太陽の笑顔”をふりまき新名所誕生をPRした。同展は6~11日。

 「四国の観光と物産展」は昭和40年以来何度も新聞に出てきましたが、この記事には「昨年から始めたもの」とあります。タイトルが同じでも主催が違うと回数が別になっているのかもしれません。出品される物産には特に目新しさはありませんが、やはり「仁尾太陽博」のPRに力が入っているようです。

(3月19日)

味どころ香川へどうぞ 東京で観光キャンペーン 献麺式とうどん祭り

 「全国的な知名度を誇る讃岐うどんを媒介にして観光・香川のイメージアップを図ろう」という2つの行事が18日、東京で盛大に催された。亀戸天神での献麺式とホテル・ニューオータニでのうどん祭りがそれ。双方の会場で、味覚にはうるさい江戸っ子に打ち立てのうどんを大盤振る舞い。「味どころ香川へどうぞ」と訴えた。これは県、県観光協会、県製麺組合連合会の三者で組織する観光誘致宣伝隊が催したもので、近年東京でも人気抜群のさぬきうどんを前面に押し立てた「香川よいとこ、一度はおいで」作戦。

 第一部は午前11時から行われた東京・亀戸の亀戸天神社での献麺式。氏神がかつて讃岐の国司だった菅原道真公ということで、「昔の知事に故郷の味を」という趣向。梅見客でにぎわう境内で打ち立てのうどんの他、だし、薬味など一式を三宝に載せ、奉納する神事がおごそかに行われた後、1000食分のうどんが下町の人たちに振るまわれた。午後は会場を紀尾井町のホテル・ニューオータニに移して「うどん祭り」。観光・運輸業者、マスコミ関係者ら約150人を集めて、うどんの他、各種郷土料理、郷土芸能など”讃岐づくし”のPR作戦。21日オープン予定の仁尾太陽博関係者も相乗りして、観光県香川のすばらしさを訴えた。

 こちらも恒例の「亀戸天神社での献麺式」ですが、「うどん祭り」なるイベントもくっついてご発展の様子です。

こんぴらの「うどん学校」が2年目を迎える

 今や“こんぴらさん”の有名スポットになっている「中野うどん学校」が、オープン2年目に新聞で紹介されていました。ただし、当時の名称は「こんぴら讃岐うどん学校」です。

(10月30日)

讃岐の秘法教えます めん棒手に観光客、旅の思い出にと大好評(琴平の”うどん学校”)

 「讃岐うどんのつくりかた秘法をマスター、家庭で活用して」と、こんぴらさんの門前町琴平町にユニークな「こんぴら讃岐うどん学校」がオープンして2年目。これは全国から金刀比羅宮へ参拝にやってくる観光客に「旅のよき思い出にして」と、内町で土産物を経営する中野吉貫さん(34)が昨年6月ごろから始めたもので、観光客から「旅の思い出づくりと家庭にあって実用できる」としてなかなか好評。

 この「こんぴら讃岐うどん学校」は中野さんが経営する土産物店の2階の一室。正面に「こんぴら讃岐うどん学校」の大きな看板があり、校長の中野さんをリーダーに秋山正久さん(60)が教育実習を担当。学校ではカシのめん棒から、包丁、前掛け、帽子などで一気に50人が手打ちうどんを習えるように用意、材料の小麦粉をこね、これを踏んできたえ、めん棒で延ばし、包丁で切るところまで教える。あとはゆで上がった自作の手打ちうどんを試食、土産にめん棒と卒業証書をもらう仕組みで、受講料は19人まで1人1500円、20人以上2000円。

 年間380万人余の観光客がこんぴら参りに訪れてにぎわう観光地だけに、このユニークな「こんぴら讃岐うどん学校」へ「こんぴら参りに行ったついでに讃岐の手打ちうどんづくりを」と、これまで延べ2000人の観光客がうどんづくりをマスターした。教室には小麦粉をこねて踏み、めん棒で延ばし、ゆがいて仕上げるまでを8枚のパネルで図解、教育担当の秋山さんは観光客を相手に「うどんづくりは土三寒六といって塩かげんと踏み、こねるのが一番…」と力説。試食が終わると「あなたはさぬきうどんづくりの秘法を習得、今後は家庭で活用されんことを希望…」と書いた卒業証書を授与。「帰って讃岐うどんのつくり方がわからなかったら卒業証書の裏に詳しく図解してあります」と付け加え「うちの学校はカンニングペーパーつきです」とみんなを笑わせる。

 「こんぴら讃岐うどん学校」は昭和55年の6月頃にオープンしたそうです。初代校長は中野社長。現在は「松っちゃん」こと松永澄子さんが名物校長を務めていますが、「うちの学校はカンニングペーパーつきです」という鉄板ネタ(?)は、今も健在でしょうか(笑)。

「うどん踏み機」登場!

 讃岐うどんマニア界で知る人ぞ知る「うどん踏み機」が、この年に登場しました。

(9月12日)

うどんの足踏み省力化 豊中の機械会社、ロボット人形を開発

 讃岐の味を代表する、コシの強い手打ちうどんづくりの秘けつは何といっても長時間かけて繰り返される麺塊の足踏み作業だが、苦痛の伴う二つの単純な重労働の引き受け手は年々少なくなる一方。うどんづくりの伝統的なこの足踏み作業をマイコン制御のロボットでしている会社がある。この自動うどん踏み機を開発したのは豊中町の西讃麺機KK(大西謙太郎社長)。踏み機は容量に応じて1回分1.5~2.5キロ、圧力も75~140キロが可能。

 同機の特徴は単に麺の圧縮だけでなく、人間の足踏み作業の感触をロボットに転化したため、麺にコシの強いグルテン生地が熟成される。また、重労働のため人集めの難しい作業の省力化と高い人件費の節約が図れる他、衛生的で機械に取り付けた人形が店のイメージを強調するなど。”人形うどん”として新案特許を申請している同機は、すでに神戸や大阪、東京など7、8店開店しているが、同社ではこの他、圧延機や練り機なども開発している。なお、同機購入者には讃岐うどんに造詣の深い大西社長がうどんづくりの”ノウハウ”を指導、県外からの開店希望者らに好評を得ている。

 マニアの間では通称「ふみちゃん」で知られているうどん踏み機は、最初は「人形うどん」という名称で売り出されていました。記事に付いていた写真と広告は、こんな感じです。

S56年広告・うどん踏み機

「牛乳うどん」に続いて「ハトムギうどん」と「大麦入りうどん」が登場

(3月24日)

ふる里の珍味披露 長尾町造田の乙井婦人学級 自慢料理の賞味会開く

  長尾町造田の乙井婦人学級(会員48人)は、創造的な食べ物をテーマに「自慢料理の賞味会」をこのほど、同所乙井公民館で開いた。賞味会にはほとんどの会員が出席。同学級の役員7人が作った牛乳うどん、七草がゆ、野草料理、大豆ハンバーグなど10種近いメニューが披露され、会員たちは味を比べたり素材を検討するなどして、家庭で作る時の参考にしていた。…(以下略)

 長尾町の婦人学級の「自慢の料理賞味会」で、「牛乳うどん」が出ました。「牛乳うどん」は前年2月に大川農協酪農婦人部が寒川町で試作して新聞に載りましたが(「昭和55年」参照)、寒川町も長尾町も旧大川郡で、いずれも当時は「大川農協」の管轄です。「牛乳うどん」はその後讃岐うどん界に定着はしませんでしたが、発祥は「旧大川郡」ということで歴史に残しておきましょう。

 続いて今度は、「ハトムギうどん」と「大麦入りうどん」が開発されました。

(7月9日)

高栄養価のハトムギでうどん作り成功 三木の酒造会社、伝統の味に新風 粘り気に工夫、十数年の研究実る

 漢方薬として動脈硬化防止、健胃などに効果のあるハトムギを使って、三木町の酒造会社が新手のうどんを作った。健康食品ブームに乗って食品業界ではハトムギが注目されており、同社は「讃岐うどん伝統の味に新風を吹き込みたい」と意気込んでいる。

 ハトムギうどんを作ったのは、三木町平木の宝美人酒造社長植松正治さん(68)。植松さんは本業の酒造りでも、経費を節減するための酒造法を考案するなどのアイデアマン。新陳代謝を活発にするハトムギは漢方薬として昔から広く常用されているが、植松さんはハトムギが米や小麦に比べてタンパク質、脂肪分が多く、栄養価も高いことに着目、「食品として食べる方法はないか」と、十数年前から研究を始めた。

 食品とするためには、ハトムギ特有のいがらっぽさを消さなければならず、そのため、うどんにすることを思いついた。しかし、ハトムギには小麦に含まれているグルテンがなく、水を加えても粘り気が出ず、ボロボロに崩れるのが最大の難点だった。研究を重ねた結果、植松さんはハトムギの一部を水に溶き、加熱してのり状にすることによって粘り気を出すという独特の製造法で、小麦など一切混ぜものなしに、ハトムギだけでうどんを作ることに成功、54年に特許を申請した。7月末に乾麺の「手延べはとむぎうどん」として売り出すが、こちらは大量生産のため、ハトムギと小麦を半々の割合にしたもの。試作のうどんは「新しい風味があり、食べやすい」と好評だ。ハトムギは今年から農林水産省が水田の転作作物に指定、生産を奨励しており、同省の外郭団体の国産ハトムギ開発協議会も「健康食品としてみそ、しょうゆなどに使われ始めて需要が伸びているが、ハトムギが半分も入っているうどんは珍しい」と話している。

(9月16日)

大麦入りうどん登場 健康食品ブームで注目 “讃岐の味”に新風

 健康食品ブームに乗って讃岐うどんの本場・香川県で、大麦入りうどんが登場、近く四国、京阪神で売り出されることになった。大麦と小麦を半分ずつ配合した珍しい生めんで、「讃岐うどんに新風を」と発売元は張り切っている。価格は1袋60円。

 大麦入りうどんを発売するのはサンヨーフーズ(本社坂出市、宮池計彦社長)。大麦を使った食品はここ数年、根強い人気があり、全国精麦協同組合などを中心に研究、開発が進められている。しかし、大麦は小麦に含まれる粘質物グルテンがなく、大麦を配合するとうどん独特のねばり、こしがなくなり難点とされていた。大麦の配合率を落とさずに加工するため、同社はうどんの原料である中力粉、パンなどに使う粘質製の強い粉の二種類の小麦を加えることで”ツナギ”の強化に成功した。色は漂白剤を使用していないので少し茶色、味もややソバに近いが、生めんの風味があり、こしの強さも上々という。

 「ハトムギうどん」も「大麦入りうどん」も、当時起こっていたらしい健康食品ブームを背景に「うどんに“健康”の付加価値を付けよう」という試みで、「うどんにするにはグルテンが足りない」という難点を克服しての商品化です。残念ながらいずれも市場に定着とまでは行かなかったようですが、讃岐うどん界は昔からうどんを愛するいろんな方々がいろんな研究開発を試み続けてきたことが改めてわかります。

綾川の「水車」の歴史をまとめた冊子が完成

 小麦を製粉する動力として使われてきた「水車」の本場とも言われる「綾川水系の水車」の歴史を、100ページを超える手書きの冊子にまとめた方がいらっしゃいます。

(1月21日)

綾川の水車系譜発行 綾南の杉村さん 足で集めた資料駆使

 綾南町滝宮、農業杉村重信さん(70)は、このほど綾川水系で営まれていた水車の系譜をまとめて手書きの冊子「寺車・さぬきうどん発祥地・竜灯院」(B5判、117ページ)200冊を発行した。杉村さんは、先に萱原用水の久保太郎右衛門の伝記をまとめたあと、昨年春、滝宮公園の水車の屋根のふき替えをした時から「綾川の水車をまとめよう」と資料を集めていた。

 冊子は、綾川の延長38キロに28カ所の水車があったことを列挙し、「中車は菅公在国の仁和年中から昭和40年府中ダムで水没するまで1070年の息吹がある」といい、「さぬきうどんの発祥は空海が滝宮に来て伝えたのに始まる」という。足で集めた多種多様の資料を駆使して綾川水系の水車の盛衰をユニークな視点でまとめている。

 冊子は水車の運営を記録した古文書の引用やうどん粉の「替粉」「歩留まり」「うどんのつくり方」まで解説しており、図解した水車一覧表もついている。杉村さんの話では「水車はかなりの資産だったが、8年周期で経営者が変わっている。一度洪水に遭えば一斉に失うという大冒険でもあったようだ。水車のある場所の利便、動力化(電化)などで戦後、急速に衰退していった」という。現在は水車小屋しか見られないが、滝宮神社の玉垣(がき)、光貴寺のミニ霊場に上車、中車の名が刻まれている。

 かなり詳細で貴重な資料のようですが、県立図書館の蔵書検索に引っかかってきませんでした。40年くらい前の発行なのでどこかに残っていると思われますが、「綾川の水車」をお調べの方はぜひ探してみてください。ちなみに、讃岐うどんの起源については「空海が滝宮に来て伝えたのに始まる」と書かれているそうです。滝宮のある現綾川町は「空海からうどんの原型を伝えられた智泉大徳が“切り麺”の今のうどんの形にして、故郷の滝宮で両親をもてなしたのが讃岐うどんの始まり」だとして「讃岐うどん発祥の地」を名乗っていますが、「智泉大徳」の名前はまだ新聞紙上には出てきません。

「うどんのお接待」の記事が4本

 では、「うどんのお接待」の記事を4本続けてどうぞ。

(4月20日)

お遍路さんに”うどん接待” 山本・大興寺

 四国霊場第六十七番札所小松尾山大興寺(山本町辻)で19日、地元の人らが恒例の”うどん接待”を行った。この接待は、同町上河内地区の婦人らが費用を持ち寄って戦後途絶えていた風習を復活させ、毎年4月の第2日曜日に行っている。この日も斉藤マサさん(71)ら約20人の人たちが400人分のうどん玉を用意して参拝者を待った。

 前庭の縁台には次々訪れる白装束のお遍路さんが招かれ、大喜びで舌つづみを打ったほか、ハッサクや甘夏カンなども配った。また、この日は町内の歩け歩け大会も行われ、約100人の参加者らも接待うどんを味わった。あいにく小雨混じりの曇り空、。やや寒い一日だったが、鈴の音の響く境内は大にぎわい。お遍路さんの中には一度味わった接待うどんが忘れられず問い合わせる人もあり、地区の婦人らを喜ばせている。

 本企画ではすっかりおなじみになった「大興寺のうどん接待」です。毎回紹介される「斉藤マサさん」のお名前も、きっと読者にかなり覚えられたと思います。

(7月30日)

真夏の讃岐路を楽しむ 北海道からチビっ子使節団(綾南)
手打ちうどん賞味 姉妹都市・秩父別町の15人、民宿し交流深める

 綾南町が姉妹都市縁組をしている北海道秩父別町の青木貞良教育長を団長とする小中学生ら15人の親善使節団が27日、綾南町を訪れた。一行は3泊4日の予定で真夏の讃岐を見て回り、町内の子供たちと交流を深めている。綾南町からのチビっ子使節団は今年1月、冬の北海道を訪ねて歓待され、「今度はそのお礼をしなくては」とおおわらわ。…(中略)…28日は午前中、金刀比羅宮に参拝、初めて電車に乗って大喜び。昼食は萱原用水土地改良区の役員が手打ちうどんの実演、さぬきうどんが気に入ったようす。…(以下略)

 姉妹町の小中学生使節団を、手打うどんでお接待です。

(8月10日)

「捜査もはかどります」ドジョウ慰問に舌つづみ(琴平署)

 「ドジョウうどんでスタミナをつけて」と仲南町買田の谷文雄さん(46)と満濃町炭所西の高畑敬さん(48)が7日、琴平署をドジョウ慰問した。同署は去る7月13日、琴平町榎井で起きた老女ひき逃げ事件の捜査に全力を挙げており、署員も休日返上の勤務。これを知った谷、高畑さんは「夏バテ防止にはドジョウうどんがよい」と、この日昼前、うどん玉とドジョウを持って同署を訪れた。さっそく炊事場でドジョウうどんをつくり、約50人の署員たちに出来たてのドジョウうどんを食べてもらった。汗を流しながら大盛りのドジョウうどんに大喜びの署員たちは「元気を出して必ずひき逃げ犯人を検挙しなくては」とハッスルしていた。

(9月20日)

県民あげて輪禍追放へ 明日から交通安全運動
“細く長い”運転を 手打ちうどんプレゼント(琴平)

 「うどんのように細く(慎重)、長い(ゆっくり)安全運動を」と、琴平町内のうどん屋さんたちが18日、琴平署前の国道32号沿いで交通キャンペーンを行い、ドライバーに手打ちうどんをプレゼントして「ゆっくり走って事故を起こさないように」と呼びかけた。この”こんぴらうどん”の交通キャンペーンは町内の成本在慶さん(41)や満濃町炭所西の谷文雄さん(47)らうどん屋を経営する有志6人が白ハッピ姿で行ったもの。琴平署横の広場に釜を据えつけ、出来たての手打ちうどんを車で走るドライバーを呼び止めてプレゼントした。思わぬうどんのプレゼントにドライバーたちは「交通キャンペーンでうまいうどんが食べられるとは」と舌つづみを打っていた。

 琴平町での「うどん屋さんによるうどんお接待」は、これまで町内のうどん店で結成された「こんぴらうどんの会」の警察署慰問の記事しか出てきていなかったのですが(「昭和53年」等参照)、この年は同じ琴平町のうどん店による警察慰問のうどんお接待なのに、「こんぴらうどんの会」の名前がありません。あと、8月10日の記事にある「仲南町買田の谷文雄さん(46)」は、9月20日の記事では「満濃町炭所西の谷文雄さん(47)」となっているのがちょっと気になりましたが(笑)。

うどん店のオープン広告は5本

 昭和56年の四国新聞に載ったうどん関連広告は、以下の通り。

<県内うどん店>

(19本)…「かな泉」(高松市大工町本店他)
(9本)…「さぬきうどん」(高松市栗林公園前他)
     「番丁」(高松市県庁前他)
(8本)…「丸川製麺」(高松市中新町)
(7本)…「源芳」(高松市番丁)
     「さぬきや」(高松市・高松商業西通り)
     「すゑひろ」(高松市中野町)
     「松下製麺所」(高松市中野町)
     「花車」(高松市元山町)
     「トミタ」(香南町)
     「源内」(志度町、高松市郷東町)
     「八十八庵」(長尾町)
     「家康」(坂出市)
(6本)…「久保製麺」(高松市番町)
     「ふる里」(高松市古新町)
     「くぼた」(高松市錦町)
     「さぬき一番」(高松市南新町他)
     「山鹿」(高松市内町)
     「一代」(高松市西の丸町)
     「ヒコーキうどん」(高松市林町)
     「わら家」(高松市・屋島)
     「さぬき麺業」(高松市松並町他)
     「山田家」(牟礼町)
     「さぬき富士」(坂出市)
     「まごころ」(丸亀市)
     「木村」(飯山町)
     「こんぴら小河うどん」(琴平町)
(3本)…「更科」(高松市・ライオン通)
(2本)…「うどん矢」(高松市林町)
(1本)…「浅草亭」(高松市片原町商店街)
     「鶴丸」(高松市・フェリー通り)
     「黒田屋」(高松市南古馬場)
     「川福」(高松市・ライオン通)
     「桃山うどん」(高松市勅使町)
     「なかむら」(高松市太田上町)
     「なみき」(高松市香西東町)
     「井筒屋」(引田町)
     「瀬と路」(引田町)
     「権平うどん」(白鳥町)
     「新車」(三木町)
     「船岡」(香川町)
     「讃岐茶屋比呂」(綾上町)

<県外うどん店>

(1本)…「松野たらいうどん」(徳島県土成町)
     「川福」(大阪市他)
     「さぬきめん坊」(京都市他)

<県内製麺会社>

(1本)…「民サ麵業」(高松市勅使町)
     「牟礼製麺」(志度町)
     「讃岐屋」(志度町・マルナカ志度店)
     「藤井製麺」(三木町)
     「佐藤製麺」(塩江町)
     「オビカ食品」(丸亀市)
     「香川食品」(善通寺市)

<県内製粉会社>

(6本)…「日清製粉」(坂出市)
     「吉原食糧」(坂出市)
     「日讃製粉」(多度津町)
(5本)…「木下製粉」(坂出市)
     「豊国製粉所」(観音寺市)
     「安田製粉」(内海町)

<その他うどん業界>

(9本)…「さぬき麺機」
(5本)…「福井工作所」(坂出市)
(1本)…「西讃麺機」(豊中町)
     「香川県包装麺協同組合」

 合計本数が前年までよりずいぶん増えていますが、このうち半分以上は「さぬきうどんラリー」の告知内に名前が出てきた店で、それを除くと、ほぼ例年並みの数に落ち着きます。この年の「うどん店オープン広告」は、次の5本。

●「かな泉丸亀店」…5月8日オープン
 のちに名人と称される大将数人が集結した“伝説の名店”「かな泉丸亀店」が、5月8日にオープンしました。これで「かな泉」の店舗は、
<県内>・紺屋町店・大工町店・屋島店・三越高松店・ポッポ藤塚店・丸亀店・箕浦店
<県外>・松山店・広島店・福山店・宇野店
というラインナップになりました。

S56年広告・かな泉丸亀店オープン

●「鶴丸」…8月23日オープン
 深夜の名店「鶴丸」が8月23日にオープンしました。ただし、営業時間は「午前11時30分~深夜2時」とありますから、当初は昼間も営業していたようです。

S56年広告・鶴丸オープン

●「瀬と路」…7月16日オープン

S56年広告・瀬と路オープン

●「うどん矢」…9月19日オープン

S56年広告・うどん矢オープン

●「讃岐茶屋・比呂」…12月12日オープン

S56年広告・讃岐茶屋比呂オープン

 続いて、元日の「かな泉」の広告に、「かな泉」のメニューがズラリと入っていました。「さぬき温麺」という聞き慣れないメニューが見えます。

S56年広告・かな泉

 こちらは「香川県包装麺組合」のラインナップ。前年の「過酸化水素騒動」から立ち直るべく、頑張っています。

S56年広告・包装麺組合

 最後に、面白系の表記を3本。

▲八十八庵が「香川の軽井沢」と自称していました(笑)。

S56年広告・八十八庵・軽井沢

▲さらに、冬に猪料理を出していました。キャッチフレーズは「獲ってきて 皆に喰わせる ぼたん鍋」と、五・七・五の川柳になっています。さらに、「猪牧場」と「猪大訓練場」(「猪犬訓練場」にも見えますが)の「直営」とあります。どっちがどっちの直営かわかりませんが(笑)、当時の八十八庵はなかなか攻めていたようです。

S56年広告・八十八庵・猪料理

▲香川食品が「釜あげうどん(包装)」という謎の商品を打ち出していました(笑)。

S56年広告・釜あげうどん(包装)

(昭和57年に続く)

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