さぬきうどんのメニュー、風習、出来事の謎を追う さぬきうどんの謎を追え

vol.34 新聞で見る讃岐うどん

新聞で見る讃岐うどん<昭和51年(1976)>

(取材・文:  記事発掘:萬谷純哉)

  • [nazo]
  • vol: 34
  • 2021.01.07

全国への物産PRが盛況、うどん店のオープン広告も続々と。

 ピンクレディーが「ペッパー警部」でデビューし、「猪木vsアリ」の世紀の一戦が行われた昭和51年。食品業界では日清食品から「どん兵衛きつねうどん」が発売され、山城新伍と川谷拓三によるCMが全国ネットでバンバン流れ始めるという、讃岐うどん界にとっては微妙な逆風が吹いた年ですが、讃岐うどんはこれにひるむことなく(笑)、うどん店の新聞広告もやや減少気味ながらそれなりに掲載が続き、県や関係団体も相変わらず「讃岐うどん」を担ぎ出して、全国各地で物産展や観光のPRにいそしんでおります。

 というわけで、最初に県や市の「讃岐うどんの扱い方」の変遷の記録ということで、物産展情報をまとめて並べておきましょう。「物産展の記事はもういいよ」と言われそうですが、しばらくご辛抱下さい(笑)。

水戸市で「姉妹・親善都市の観光と物産展」

 前年に続いて、高松市が県外で物産展イベントを実施しています。

(1月15日)

さぬきうどん実演も 水戸市で高松の物産展

 友愛を育む姉妹・親善都市の観光と物産展(高松、水戸、彦根、敦賀、秋田市主催)が2月27日から5日間、水戸市の伊勢甚百貨店で開かれる。この観光と物産展は姉妹、親善都市の文化と観光を広く紹介し、観光客の誘致と郷土の優れた物産品を一堂に、都市間の親善友好を深めようというもので、昨年10月の彦根市での開催に続いて第2回目。

 高松市からは鬼無町特産の錦松、五葉松の盆栽1000鉢を出品、即売するほか、さぬきうどんの実演即売を前面に、奉公さん、屋島だぬき、保多織など郷土民芸品、しょうゆ豆、讃岐白みそ、菓子類など約120種1万点の“郷土の誇り” を送り込む。このほか、栗林公園、屋島など観光地も写真パネルやパンフレットで広く紹介される。なお、第3回観光物産展は来年、高松市での開催が決まっている。

 当時の高松市の「姉妹・親善都市」は水戸市、彦根市、敦賀市、秋田市の4市だったようです。ただし、現在の高松市の国内交流都市は、
(姉妹城都市)……………滋賀県彦根市
(親善都市)………………茨城県水戸市
(友好都市)………………秋田県由利本荘市
(歴史文化交流都市)……栃木県下野市
(文化・観光交流都市)…石川県金沢市
とあり(高松市ホームページより)、昭和51年に姉妹都市か親善都市だった敦賀市と秋田市は、その後どこかで友好関係が消滅したようです(笑)。

福島市の百貨店で「四国の観光と物産展」

 続いて、すっかりおなじみとなった四国4県共催の「四国の観光と物産展」が、この年は福島県福島市で開催されました。

(1月25日)

うける香川の珍味 福島「四国の観光と物産展」

 大雪の福島市で「四国の観光と物産展」(香川など4県共催)が26日までの日程で開かれているが、「早春、南国の味と香りを集めて」のPRが受けて出足は上々。特に地元海産物の新鮮さに買い人気が集まり、「東北地方の販売拠点として将来とも有望」と県関係者は強気の市場予測を立てている。同展は国鉄福島駅前の中合百貨店の7階催し場を思いきり使って4県のコーナーを設け、各県とも地元特産品の出品を競った感じ。香川コーナーでは小豆島からカワハギ、フグ、サヨリなどの海産干物、つくだに類、讃岐塗り座卓、“奉公さん” など民芸品がずらりと並び、“讃岐うどん”や“金刀比羅一刀彫り” の実演でにぎやかに花を添えている。県では、当初150万円の仕入れ商品を搬入したが、期待を上回って初日だけでその20%強を売り上げ、「このぶんだと積雪のために追加注文も出来なくなる恐れがあるのでは」と心配されたほど。

 同展は10年前も同じ場所で催されたが、今回はそれにも増して購買意欲が高まっており、特に、比較的恵まれない塩干物が売れていた。香川の珍味をはじめ、初日で売り上げの半分を占めた鳴門ワカメ、愛媛のチリメンジャコ、高知のジャコ、カツオブシなどの貯蔵がきき格安な品物や、徳島しじら織りなど衣料品関係もよく売れた。反面、伊予がすりなどの高級品は敬遠された。「福島地方はとにかく食料品に購買欲が強い。それも手ごろな値段のものがよく、輸送手段などが解決されれば有力な販売エリアだ。同地区に専門コーナーを設けることもこれから検討されよう。市場調査を続けていきたい」と県関係者は望みをかけている。

 「10年前も同じ場所で催された」そうですから、全国に都道府県が数ある中、わずか10年間隔で再度福島市で開催したということですね。まさか「新規開拓で苦労するより、一回やったところがやりやすいので再度…」なんてことはないと思いますが(あるかもしれない・笑)、出し物は加工食品や民芸品、讃岐うどん、一刀彫り等、特に変わり映えはないようです。

東京・日本橋の三越本店で「全国物産展」

 続いて、東京・日本橋の三越で行われた「全国物産展」に、香川も民芸品や珍味で参加したという記事。

(5月21日)

“讃岐の味”が好評 三越本店で全国物産展

 「手づくりの味と民芸をたずねて」をキャッチフレーズに各地の観光と物産を展示即売する全国物産展が、18日から東京・日本橋の三越本店で開かれている。県下からもうどん、そうめん、つくだ煮などを即売。郷里の味を求める買い物客でにぎわっている。特設会場には、東京、京都、愛知、石川、富山の五府県を除く北海道から沖縄までの42道府県が県別コーナーを設けて民芸品、珍味類を出品。香川県は一刀彫、食用オリーブ油(1キロ缶入り3000円)オリーブ石けん(3個入り1000円)讃岐生うどん(1玉60円)つくだ煮、魚の干物類など10品目を即売、中でも生うどん、そうめん、つくだ煮の人気が高く、讃岐の味を求めるお年寄りや主婦の姿が目立った。(以下略)

 もちろん「讃岐うどん」も出品されていますが、記事には「生うどん」と書かれています。この頃はすでに「半生うどん」が普及しつつあったようなのですが(「昭和50年参照」)、この「讃岐生うどん(1玉60円)」は、どこのメーカーがどんな形態で販売していたのでしょうか。

東京・上野の松坂屋で「第11回さぬきの観光と物産展」

 次は、東京・上野の松坂屋で開かれた「第11回さぬきの観光と物産展」。

(10月17日)

売り切れ出るほど 「さぬきの観光、物産展」(東京)

 四国路のよさを東京都民に紹介する恒例の「第11回さぬきの観光と物産展」が、このほど東京・上野の松坂屋で開かれた。味覚の秋にふさわしく、会場には各地の特産品が並べられた。中でも讃岐の手打ちうどんと瀬戸内海で捕れた地魚の加工品に人気が集まり、期間中に売り切れ品が出たほどで、昨年の売り上げ実績を上回った。

 会場には高松、丸亀など県下5市と琴平町、小豆島の特産品、民芸品などをコーナー別に展示即売、徳島、愛媛、高知各県の特産品も協賛出展された。即売品の中では、おなじみの手打ちうどん(1袋100~170円)を在京県人がわざわざ買いにきたほど。番ガサ(1本1500円)と和紙で作った天狗面(1000~4500円)は民芸ブームも手伝って3日目には売り切れ。実演コーナーでは、讃岐一刀彫と手打ちうどんが披露され、巧みなノミさばきや粉ねりなどが買い物客の足を引きとめた。(以下略)

 こちらも商品ラインナップに特に目新しいモノは見当たりません。讃岐うどんは「手打ち実演」が行われたようですが、うどん商品は「手打ちうどん(1袋100~170円)」とあるだけで詳細は不明。会場での「手打ち実演」と連動していれば、そこで作られた「生うどん」を即売していたと思われますが、どうなんでしょう。

大阪天満宮と東京の金刀比羅宮東京文社で献麺式と手打ちうどんの振る舞い

 続いて、県の観光協会が行った「讃岐うどん」PR行事の記事。

(3月2日)

さぬきうどん、観光キャラバンでPR

 県観光協会(中川以良会長)は今年も観光宣伝の“切り札”として「さぬき手打ちうどん」を起用。昨年の“博多遠征”に続いて今年は阪神圏に的をしぼり、「さぬき手打ちうどん」を手にした観光キャラバンを送り込み、「讃岐の味」で「観光香川」をPRする。県観光協会は県製麺組合有志の協力で、2日午前11時から大阪天満宮で献麺式を行ったあと、境内で浪速っ子に1500食の手打ちうどんを振るまう。本場の味を賞味してもらうとともに、味で観光香川を印象づけようというのがキャラバン派遣の目的。協会は昨年3月、こんぴらうどんの会と一緒に新幹線博多開業の福岡市に乗り込み、効き目はともかく、実演、試食会でPRにこれつとめた。

 前年に博多で行った「献麺式と手打ちうどんの振る舞い」(「昭和50年」参照)を、この年は大阪天満宮で実施したそうです。

 一方、東京の金刀比羅宮東京分社では「こんぴらうどんの会」が献麺式とうどん振る舞いを実施しました。

(2月5日)

うどん接待に舌づつみ 金刀比羅宮東京分社

 讃岐うどんをどうぞ―。「節分の日」の4日、東京・水道橋わきの金刀比羅宮東京分社で“豆まき” 行事に合わせ、参拝者や道行く人たちに地元琴平から持ち込んだ讃岐うどん1500食を接待した。うどんの接待は、こんぴらうどんの会(小河仲太郎会長、会員30人)が原材料や道具類一式をトラックなどで運び込んでの奉仕。古くから東京と讃岐の縁は深く、東京の人に“琴平の味”を楽しんでもらおうと催したもので、昨年5月の同分社大祭に次いで2度目の接待。参拝者らは思わぬ“うどん接待” に舌つづみ。昼食時とあって伝え聞いた近くの勤め人や主婦らが詰めかけ、「出来たてはおいしい」と2杯組も。同分社の久留島忠祢宜は「昨年も好評だったので、今後はうどんの会の協力を得て2月の節分祭に合わせて恒例行事としていきたい」 と話している。接待と相前後して、献麺(めん)式と節分豆まき行事が行われた。豆まきでは信者の中から年男61人に加えて琴乃富士、長谷川らの関取も顔を見せ、にぎやかに“福” を呼び込んだ。

 以上、県と市が「讃岐うどん」を引っ提げて県外で行った物産展が4本と、県の観光協会(ほぼ県の行事と同義)の「讃岐うどん」を掲げた観光キャラバンが1本、そして「こんぴらうどんの会」が東京で行った献麺式とうどんの接待が1本。前年の新聞記事に県観光協会が「新しい観光資源として讃岐うどんを見直すことにした」とありましたが(「昭和50年」参照)、本当に「見直した」ような勢いです(笑)。

 続いて、県内での讃岐うどん関連イベントをいくつか。

白鳥の「たらいうどん」は季節イベントだった?!

(6月21日)

名物たらいうどん店が店開き 白鳥町湊川沿い

 白鳥町湊川沿いの”名物たらいうどん”が1日から店開き。まずまずの天候に恵まれて、初日から涼味と珍味を求める人たちでなかなかの繁盛ぶりを見せていた。白鳥町からたらいうどんの”本場”である御所温泉へ抜ける国道318号線の藤井橋のたもと。白鳥の町なかから車でわずかの距離だが、山を背に川の流れを前にした景観がまず売りの物のひとつ。自然の岩を巧みに生かした桟橋で味わううどんの味は格別だ。これからのシーズンはドライブ族にも好評を博しそう。営業時間は午前11時から午後9時までで、腹ごしらえを兼ねた夕涼みにも最適。1人前220円のほか、例年通りウナギ、アユなどの川魚料理も楽しめる。期間は8月末までで、駐車場の用意も十分。

 「白鳥町湊川沿いのたらいうどんの桟敷」はこれまで何度か新聞に紹介されてきましたが(「昭和42年」等参照)、実はここまで、店の名前が全く出てきていません。どこかの店が期間限定で桟敷のたらいうどんコーナーを運営しているのなら記事に店名が出てくるはずですが、それが出てこないということは、イベント的に設置される桟敷だったのかもしれません(記事からすると、6月~8月の期間限定のようです)。昭和50年頃の話ですから、まだリアルタイムで体験した方がご存命のはずなので、「昭和の証言」で詳細が出てくるのを待ちましょう。

 続いて、本場琴平の金刀比羅宮でも「こんぴらうどんの会」による献麺式が行われました。

(7月4日)

感謝を込めうどん奉納(金刀比羅宮)

 讃岐名物・うどんの献麺(めん)式が、2日午前10時から琴平町の金刀比羅宮でおごそかに行われた。これは「こんぴらうどんの会」(小河伸太郎会長、会員25人)が、毎年「半夏生」の日に感謝の意をこめて行っているもので、今年で5回目。献麺式には、かみしもに威儀を正した小河会長らが、作ったばかりのうどんを奉納かごに入れ、本宮まで珍しい「うどん行列」をして奉納。このあと、うどんづくりを実演、茶堂で参拝者1000人に無料接待。日ごろの謝意を表した。「こんぴらうどんは本当においしい。金毘羅参りに来たかいがあった」と喜ばれていた。

県が「ゆで麺」の認証マークを検討

 さて、讃岐うどんを見直し始めた県が(笑)、今度はゆで麺に「認証マーク」を出そうと検討を始めました。

(3月2日)

さぬきうどん、味、品質に太鼓判

 “高度成長”を遂げた「さぬきうどん」をさらに育て盛り立てようと、県が新年度の新しい事業の中で“ゆでめん”に県の認証マークを付けるなど、「さぬきうどん対策」を検討している。

 県の「さぬきうどん対策」は、地域食品認証事業と小麦生産への助成事業。地域食品認証制度はJAS(日本農林規格)の香川版で、地域性の強い食品を対象に、食品の品質向上を図るとともに消費者にも購入の目安にしてもらおうというのが狙い。これまで、豆腐、油揚げ、てんぷら、ちくわなど8品目が対象となり、一定基準を達成しているものに「KASマーク」が表示されている。そこで、51年度はこの制度に“ゆでめん”を加え、「さぬきうどん」のレベルアップを図る。また、小麦生産への助成事業は「さぬきうどん」の素材となる小麦の生産が低迷している折でもあり 、51年度から始めようというもの。当面、10農協で5ヘクタール程度を予定、10アール当たり3300円の補助金を出し、増産に結びつけようという。

 県が「さぬきうどん対策」に乗り出し、「地域食品認証事業」と「小麦生産への助成事業」を始めました。県ではすでに、豆腐や油揚げ等の加工食品のうち一定基準を満たしたものに「JAS」マークの香川版として「KAS」マークなるものを付けていたそうですが、それを「ゆで麺」にも適用するとのことです。「カスマーク」などという発音が県民に受け入れられていたのかどうかはわかりませんが(笑)、「県のさぬきうどん対策」という表現から、当時の県行政が「讃岐うどんを売り出そう」「讃岐うどんを観光等のPRに使おう」という意識を持って動いていたことが改めてわかります。
 

「名産、特産、本場」の表示に規制がかかる

 続いて、「本場讃岐うどん」の名称に規制が一つ入りました。

(9月13日)

”さぬき名産うどん”にも 本物の表示に新ワク(公取委)

 公正取引委員会(沢田悌委員長)はこのほど、生めん、トマト加工品、帯締めの3品目の表示に関する公正競争規約案をまとめた。産地や製造法が札幌とは縁遠いのに「本場札幌ラーメン」と銘打ったり、オール絹ではない帯締めを「正絹」と表示するなど、3品目とも不当表示が多く、消費者からの苦情が目立っているため、公取委がそれぞれの業界を指導、規約作りにこぎつけた。…(中略)…

【生めん】対象品目はゆでめん、そば、蒸しめん、揚げめん、ゆでスパゲティ、ゆでマカロニ、中華めん、ぎょうざの皮など。公正規約案によると、このうち、そば粉使用のものは、そば粉の使用量が30%以上のものに限られ、それ以下だと生めん類と誤認されるもとになるので「そば」の表示は使用できない。成分、原材料についてもまぎらわしい表示は使えず、例えば茶そばだと、茶の使用量が使用原料粉の総重量の1%を超えていないと「茶そば」の表示はできなくなる。

 また、現在「名産」「特産」「本場」の表示が数多く使われているが、例えば「本場札幌ラーメン」「さぬき名産うどん」「特産信州そば」と表示する場合は、原料が札幌市、長野県、香川県の当該地ないしはその周辺で製造されたもので、製造法が本場の伝統的特徴を持ったものに限られる。それ以外は「名産」「特産」などは使えず、単に「札幌ラーメン」「さぬきうどん」「信州そば」とだけしか表示できなくなる。(以下略)

 讃岐うどんの商品に「名産、特産、本場」等の言葉を付けることができるのは県産あるいは県周辺産の小麦で作ったうどんだけで、それ以外は「讃岐うどん」とだけしか表示できなくなる、という規制がかかるそうです。まあ、「讃岐うどん」と表示できればそれで十分なような気もしますが(笑)、「讃岐うどん」という名称自体に使用規制をかけるのが難しいので(中国なら「讃岐うどん」を商標登録できるみたいですが・笑)、“せめて一太刀”といったところかもしれません。

 ちなみに、こういう「何かが流行し始めると不誠実な新規参入者が出てきて、本家がそれを規制し始める」という動きはビジネスの世界でよくある話で、平成の「讃岐うどん巡りブーム」が起こった時にも、ブームに乗って県外に「讃岐うどん」を掲げるうどん店が急増するのを見て、香川県のうどんの組合が県外の“パチモノ”讃岐うどん店(笑)と差別化するために「本場讃岐うどん」の定義のようなものを発表しました。そして、それと全く同じような内容が今、「全国生めん類公正取引協議会」という団体が出している「生めん類の表示に関する公正競争規約」というものの中にこういう表記で載っています。

<讃岐うどんに「名産、特産、本場、名物」等を表示する場合の基準>
・香川県内で製造されたもの。
・手打、手打式のもの。
・加水量…小麦粉重量に対し40%以上。
・食塩…小麦粉重量に対し3%以上。
・熟成時間…2時間以上。
・ゆでる場合…ゆで時間約15分で十分アルファー化されていること。

 どう見てもこれは香川のうどんの組合が作った基準をそのまま“上”に上げたものだと思われますが、1つ目の項目に「香川県内で製造されたもの」とあり、「県産あるいは県周辺産の小麦で作ったうどん」という条件が消えています。つまり、昭和51年以降のどこかで、「県産小麦じゃなくても、香川県内で作ったうどんなら『本場讃岐うどん』と書いてもええか」という話に基準が変わったのだと思います。あるいは、なし崩しにそういうことになっていったのかもしれませんが(笑)。

 ちなみに、この基準を当てはめれば、「八十八庵」の名物「打ち込みうどん」は打ち込み麺だから塩はほとんど入ってないため、「食塩」の基準に引っかかってアウトになります(笑)。さらに、「なかむらファミリー」をはじめ、近年ブームの細麺の店は「ゆで時間約15分」の基準に引っかかって全部アウト(笑)。「手打、手打式」というのがどういう基準なのか具体的にわかりませんが、「手打ち」を厳密に当てはめれば工場生産型のうどんチェーン店は全部アウト(笑)…みたいなことになってしまいますが、まあみんな「名産、特産、本場、名物」と銘打たなくても「讃岐うどん」で十分戦えるのでオッケーなんでしょう。

うどん用外国産小麦はまだまだ「アメリカ産」が主流?!

 ではここから、讃岐うどんの話が出てくる“町ネタ”をいくつか拾ってみましょう。まずは、香川県出身東京在住の高校教諭の方の寄稿文から。

(1月18日)

コラム「過去から未来へ」/郷土を再検討の機会

 わたしは終戦直後に生まれ、戦後の日本とともに歩んできた。香川に生まれた私が東京に出てからはや10年になる。長男でありながら、ふるさとを離れて高校の教師をしている。春・夏・冬の休暇には必ず讃岐の地を踏む。そして、まずうどんを食べる。それから初めて親に電話をし、「今着いたよ」と言う。食事の支度をして待っている母のことを考えて、うどんを食べたことは黙っておく。「さぬきうどんを食べるのが目的で帰省している」などと決して言えないから…。

 昭和50年の農業センサスによると、香川の専業農家は10%を割ったという。また、農業従事者の女性化、老齢化が一層進行しているという。そのせいかどうかはわからぬが、最近、田のあぜに豆を見なくなったし、冬の小麦の緑もあまりに少なくなった。これでは、あのさぬきうどんも近い将来、アメリカうどんになってしまうのではないか。いや、もしかしたらもうなっているのかもしれない。(以下略)
(東海大付属相模高校教諭・昭和21年生まれ)

 前段はさておき、「あのさぬきうどんも近い将来、アメリカうどんになってしまうのではないか」という一文から、この先生の中では「うどん用の外国産小麦はアメリカ産だ」という認識が定着していることがわかります。それが香川に在住していた「10年前」の記憶なのか、あるいはこれを寄稿した昭和51年の多くの一般人の認識だったのかはわかりませんが、これがそのまま載ったということは、昭和51年時点で新聞社も「外国産小麦はアメリカ産が主流」という認識だったと思われます。まだ、新聞に「ASW」の話は出てきません。

またまた「八十八庵」の「遠国そば」

 これまで広告の中に何度も出てきた「八十八庵」の「遠国そば」が、今度は記事で紹介されていました。

(1月18日)

さぬき東西自慢/大窪寺そば(長尾町)
田舎風のしっぽく、懐かしい風味かもし出す

 長尾町多和の四国霊場八十八番結願寺である大窪寺門前でそばを売っていることは、よく知られている。本物の生そばである。機械そばも売っているが、この方は細くて長いだけで“こし” がない。では生そばはといえば、特徴として太くて短く“こし” がある。門前の「八十八庵」という草ぶき屋根の民家風の食堂があり、「遠国そば」といえば、この本物をくれる。

 作り方は、地元の山々で収穫したそばを石うすでひき、ジネンジョという山イモをねり込む。うどんと同じように庖丁で切ってゆでるが、長さは20センチぐらいしかない。太さは、手打ちうどんよりやや細め。これにニンジン、ダイコン、シイタケなどの山菜を一緒に煮込んだダシをかける。いわゆる田舎風のしっぽく。しょうゆ味である。遠国そばは文字通り、人里離れた山間辺地の食べ物として都会人には懐かしい風味をかもし出してくれる。

 もう一つ、“打ち込みそば”というのがある。これは打ち込みうどんをヒントにそばを煮込んだもの。ミソの味付け。鉄なべの中には野菜や肉類も多く、スタミナ食といえそうだ。

 「八十八庵」と言えば「打ち込みうどん」が断然の知名度と人気を誇っていますが、「遠国そば」も「打ち込みそば」も冬季限定メニューで健在です。

ついに四国新聞が「うどん店3000軒」と言い切った!(笑)

 続いて、同じコラムに「こんぴらうどん」の紹介が載っていました。

(1月18日)

さぬき東西自慢/こんぴらうどん(琴平町)
金刀比羅宮へ奉納 味守り、使命感に燃える

 讃岐の幼児語に、うどんのことを「つるつる」「ピッピー」という。うどんを食べる時の音声が、そのまま言葉になったものだろう。弘法大師が唐へ留学した帰りに持ち込んだものだという説をとれば、約1200年の歴史をもつ食べ物といえる。讃岐人を育て性格を作ってきた元祖。「60歳前後の人でうどんを作れない人はいない」といわれるほど、うどんは家庭に浸透している。インスタント万能時代に光を放つ“手打ち” の味だ。

 こんぴらうどんもその代表的な手打ちの味だろう。琴平町内のうどん業者5人で「こんぴらうどんの会」(小河仲太郎会長)を結成。讃岐の味を守り、後世に伝える使命感に燃えているとあって頼もしい。毎年7月2日(半夏の日)には金刀比羅宮へ手打ちうどんを奉納。参拝者に1000玉をふるまっているほど。

 干ばつは庶民に“うどん” を守り育てることを教えた。原料選択、製法過程に永年の伝統が生き、他の追随を許さない。小麦粉の中のグルテンをたくみに利用。“土三寒六”はうどん製法上の慣用句。県下にうどんと名の付く店は3000余。さすが讃岐は“うどんの本場”といえよう。

 短いコラムの中に引っかかるところが3つ出てきました。まず、さりげなく「弘法大師が唐からうどんを持ち帰った説」が取り上げられています。一応「説をとれば」と書いてはいるものの、もはやこのコラムの筆者の頭に「奈良時代に渡来説」はない、と言い切ってもいいと思います。

 次に、おわかりのように「こんぴらうどん」というのは特定の店の名前ではなく、「琴平のうどん」の総称として使われています。すなわち、当時の琴平は「讃岐うどん発祥の地」であり、琴平のうどんはただの讃岐うどんではなく差別化された「こんぴらうどん」であり、その「こんぴらうどん」を継承するための「こんぴらうどんの会」も献麺式や県外PR活動を盛んに行っていたという、まさに讃岐うどん文化の担い手の一角を占めていたエリアだったと言えます。

 しかし、それより何より、コラムの最後に四国新聞が「県下にうどんと名の付く店は3000余」と言い切っていることに注目です! これまで新聞に出てきた「香川のうどん店の数についての表記」にこれを加えて並べると、こうなりました。

<昭和47年>「香川県内にはうどんを食べさせる店が2000軒もあるといわれる」(佐々木正夫)
<昭和47年>「香川県下にはうどんが食べられる店が2200軒ほどある」(山田竹系)
<昭和49年>「県内に2000軒以上もあるといわれるうどん屋さん」(佐々木正夫)
<昭和50年>「県内にはうどん屋さんが3600軒もあるそうだが」(佐々木正夫)
<昭和51年>「県下にうどんと名の付く店は3000余」(四国新聞)

 これはもう、「新聞が言い切ったんやから間違いない、3000軒で決まりやがな!」と言わざるを得ません(笑)。特に根拠のない数字がだんだん「事実」になっていくという過程が見られて、いい感じですねえ(笑)。

「シコシコ」の反撃か?!(笑)

 さて、世界中で当欄だけが注目している「コシコシvsシコシコ」論争(笑)ですが、最新のサンプルが出てきました。

(10月18日)

さぬきの味アラカルト/うどんは全国進出

 (前略)…シコシコした歯ごたえと、薄口で味付けの「さぬき手打ちうどん」。高松を中心に県内では「手打ち」の看板が目立ち、本場の味が手軽に賞味できる。「うまさの秘密は粉を練るところから始まります」と高松・中野町で「うどんの庄」を開業する店主(43)が秘伝を語る。「地粉を混じえて荒ねり、本ねりに時間をかけなくちゃナ…」と身ぶり、手ぶりで話す。「本ねりではビニール袋に入れて踏むが、その後、1時間半は寝させます。155作るには約3時間かかります。つゆもコブ、カツオ、しょうゆのみで淡く」…と話しぶりにもうまさを伝える伝統が漂っているようだ。

 湯だめ、かまあげ、打ち込み、天ぷら、きつねなどの食べ方の他に、しっぽく、山かけ…と種類も多い。さらに東讃から徳島にかけては車座になり食べる「たらいうどん」も野趣に富む。このだしはハゼ科のジンソクからとる。味つけはいずれも薄口の上方風で、醤油の香がうまさを増す。関東の濃い味とは対照的だ。この点にも「さぬきうどん」を全国的にしたものがあるようだ。他県の都市などでも「本場さぬきうどん」の店が多い。公取委は消費者保護のため、「本もの」以外は近く規制するという。本場の味が守られるようだ。(以下略)

 ここまで、県内人の中では「コシコシ」しか出てきていなかったところへ、ついに「シコシコ」を使う県内人が出ました! しかも、それは「四国新聞の記者」です(笑)。ここまでの経緯を再掲すると、

「コシコシ」…四国新聞のコラムニスト(昭和42年)
「コシコシ」…四国新聞の一日一言子(昭和44年)
「しこしこ」…東京在住と思われる記者(昭和44年)
「シッコリ」…関東~仙台在住だったお役人の方(昭和46年)
「コシコシ」…佐々木正夫先生(昭和50年)
「シコシコ」…四国新聞の記者(昭和51年)

…となります。さあ、これに対して「コシコシ」の佐々木正夫先生はどう出るのか? このまま「新聞が言い切ったんやから間違いない、『シコシコ』で決まりやがな!」となっていくのか? 興味が尽きないのは本欄だけかもしれませんが(笑)、続報を待ちましょう。

三木町が生んだ「大蛇退治」と「うどん大食い」の明治の豪傑、「箭田(やた)佐次郎先生」を称えよう

 「国道シリーズ」という連載コラムの中に、三木町出身で大蛇退治とうどん大食いで知られた「箭田(やた)佐次郎先生」という明治の豪傑の話が出てきました。

(6月20日)

コラム「国道シリーズ」193号線二十三次/箭田佐次郎
うどん好き 明治の豪傑 有名な大蛇退治

 清水越えで豪傑の名前を聞いて訪ねてみた。三木町中山の三差路から多和(長尾町)へ県道志度脇線を100メートルも入ると、路傍左側に高さ約2メートルの石碑が立っていた。雑草に覆われているので、よく場所を聞いて行かないと見逃す。「箭田(やた)先生紀徳の碑」とあり、裏面には門人の建立発起人24人の名が刻まれていた。碑は昭和4年12月の建立だが、すでに文字は読みにくい。

 農作業中の老婦人に聞いてみた。「箭田先生は大蛇退治で有名」だという。大きな体ではなかったが、やや太り気味。顔はさすがに”ごつ”かったという。とにかく一風変わったエピソードを持つ人に違いないが、半信半疑で近くの「三木町中山部落案内図」(明治百年記念事業の碑)を訪れた。先生について案内図の裏側に詳しく説明してあった。しかも、とぐろを巻く大蛇と先生の決闘場面の図解入りだった。

 時は明治30年旧暦6月15日。先生は近くの大相山(368メートル)に草刈りに出かけたところ、10メートルもある大蛇に出くわした。天神揚真流の剣道の達人だった先生は、まず尖棒(とがりぼう…麦、稲ワラの運搬に使う)で突き進んだが、反撃された。すぐ鎌に持ちかえ、大蛇の急所めがけて投げつけ、ズタズタに切りまくった。「傷口からほとばしる鮮血は野山の草木を染め小川の水を真っ赤にした」(岩部暁著『三木の地名と伝説』から)というが、確かにヘビは大きかったようだ。「2日後の17日には大滝山参りから帰った村人がたくさん見物に行った」とある。案内図にも「箭田先生大蛇倒伏地」と”現場”が一番大きく描かれてあった。

 一方、先生は、うどんが大好きだった。高松方面からの帰りに長尾町内のうどん屋へ立ち寄り、モロブタ3枚をペロリとたいらげたという。しかも「亭主、まだあるか」と催促したため、居合わせた人たちはあいた口がふさがらなかった。また昔の聖人、高僧と同じように自分の死期を予知した。羽織、はかまで隣近所や親類に「お世話になりました」とあいさつ回り。2、3日後にコロリと死んだ。この婦人の話は、明治25~26年ごろ旧奥鹿村長を務めたこともあり、とにかく学問、武術にすぐれ、風流人としても豪傑だったという。このため、先生を慕う門人は数え切れなかった。

 この「箭田佐次郎」という先生、ネットで検索しても全く何も引っかかってきません。しかし、三木町中山あたりの路傍に高さ2メートルもある「箭田先生紀徳の碑」が建っているというので、実在した人物であることは間違いなさそうです。酔狂な方はぜひ探検に行ってみてください。ちなみに、箭田先生が平らげたという「モロブタ3枚」はおそらく「せいろ3枚」と同じくらいの量ですから、玉数にして60~70玉。それをペロリと食って「亭主、まだあるか」と言ったという話は、伝説とは言え、今のところ間違いなく「文献に残る讃岐のうどん大食いのチャンピオン」です。よって、ここに「箭田佐次郎先生」の名を残して称えることにしました(笑)。

家庭用「麺打ち機」が相次いで発売される

 記事の最後は「家庭用めん打ち機」の新発売情報。まずは7月に、東芝から「めん打ち機」が発売されました。

(7月22日)

東芝が「めん打ち機」発売へ

 粉と塩と水を入れると、切ったうどんやそばが出てくるという「めん打ち機」を東芝が8月16日から発売する。練る、のばす、切るの三役をこなし、茶そば、ゴマそば、さらにギョウザ、シューマイの皮も作れる。ゆっくりと強い力で練るので、腰の強いものができるという。1回に400グラム(4人分)までの粉を30分程度で打ち上げる。重さ10.5キロ、受け皿と計量カップ付きで定価2万6800円。ブームを呼んだ「もちつき機」に味をしめての”手づくりの味シリーズ”とかで、ヒーターで焼き鳥、焼き肉、タコ焼きを楽しむ「ホーム屋台」(1万8000円)、パン作りに欠かせない粉練りを卓上でやれる「粉練り機」(1万4800円)も同時発売する。

 粉と塩と水を入れると、機械が練って延ばして切って30分ぐらいでうどんの麺線に仕上げるそうです。どんな機械なのか、写真でもあれば…と思っていたら、12月4日に何と、「ナショナルの製麺機」の広告が写真入りで載っていました。

昭和51年広告・ナショナル麺機

 先の東芝の「めん打ち機」もおそらく同じようなものだと思います。製造工程を見ると、「のす」と「きる」は“まあそうだろう”という説明が載っていますが、「こねる」のところが「タイマーを入れると、塩水が少しずつ粉と混ざり、じょうずにこねあがります。まとめて、約2~4時間ねかしましょう」という、かなりマニアックな工程が指示されています。というか、そこまでするなら、もう自分で打った方が満足度が高いかもしれません(笑)。

うどん店のオープン広告は大小合わせて6本!

 昭和51年に新聞に載っていたうどん店のオープン広告は、以下の7本でした(前年は3本)。

●4月30日オープン/さぬき麺業本社直営店(高松市松並町)

昭和51年広告・さぬき麺業本社直営店

●5月1日オープン/きみや(高松市常磐町・ファッションプラザ「シャルマン」内)

昭和51年広告・きみや

●8月2日オープン/源内瓦町店(高松市瓦町・ニュー銀星末沢ビル内)

昭和51年広告・源内瓦町店

 「源内瓦町店」の広告に、山田竹系さんが以下のような文章を寄せていました。「かな泉」の佐々木正夫先生に対抗して、「源内」は山田竹系さんを起用です。ちなみに、佐々木先生は広告の中で「かな泉」のうどんを「本物だ」と絶賛しておられましたが、山田竹系さんも「源内」のうどんを「本物のさぬきうどん」と褒めちぎっています。

源内うどんについて(山田竹系)

 奇傑平賀源内先生を生んだ東讃志度の町、そのすばらしい眺めの天野峠の一角に、呱々の声をあげたのが、本場さぬき手打ちうどんの名店“源内うどん”である。以来足かけ五年、この源内うどんがいよいよ高松の中心街に進出した。これまで、東讃各地のうどん党や、徳島の方々にはこの本場の飛びきりうまいうどんの味に容易に親しむことができ、評判になっていたが、今回高松進出によって、これからは高松や西讃のうどん党、あるいは県外観光客たちも、源内うどんが誇る本物のさぬきうどんを、手軽に賞味することができるようになったのは、まことにありがたいことである。

 わたしは、天野峠での創業以来、ずっとここのうどんには親しんでいるし、いまさらここに述べるまでもなく、さぬきうどんの本当のよさを百も承知の高松人士には詳しく物申す必要もあるまい。おだまき風の源内うどん、新鮮な車えびの天ぷらうどん、うどんすき、あるいは小えびをあしらった源平うどん、湯だめ、釜あげなどバラエティに富んで、しかも本格派の昔ながらの手打うどんのよさは、遠方からの客を招くにもまことに手頃な美しい店であり、高松人士もきっと満足することと思う。とくに昼食時には、同店独特のうどん定食も出すので、サラリーマンたちにも打ってつけの店だと思う。源内うどんの、今後ますますのご精進を祈り、心からの声援を送りたい。(随筆家・日本文芸家協会会員)

●8月24日オープン/さぬき一番南支店(高松市東ハゼ町)

昭和51年広告・さぬき一番南支店

●11月12日オープン/まくや(高松市三条町・三条タウン内)

昭和51年広告・まくや

●11月18日オープン/さぬきうどん東京店

昭和51年広告・さぬきうどん東京店

●12月3日オープン/いちばん(高瀬町)

昭和51年広告・いちばん

うどん店広告の総数は、やや減少

 オープン広告も含めたうどん店広告を掲載本数の多い順に並べてみると、こうなりました。

(8本)…「いずみや」(高松市トキワ街・ダイエー地下「味の町」)
(5本)…「さぬきうどん」(高松市栗林公園前、他)
     「やしろ」(丸亀市)
(4本)…「古里うどん」(高松市春日町・ホームセンターやしま内)
(3本)…「久保製麺所(高松市番町)
     「さぬき麺業」(高松市松並町)
(2本)…「さぬき一番」(高松市東ハゼ町、他)
     「きみや」(高松市常磐町)
     「番丁」(高松市・県庁裏門前)
     「源内」(高松市瓦町他)
     「ゆたか」(高松市中野町、他)
     「味の里」(大内町)
     「長田うどん」(満濃町)
     「こんぴらうどん」(琴平町)
     「松野たらいうどん」(徳島県土成町)
(1本)…「かな泉」(高松市大工町、他)
     「山鹿」(高松市内町)
     「更科」(高松市・ライオン通り)
     「庄司」(高松市常磐町・ジャスコ高松店屋上)
     「すゑひろ」(高松市中野町)
     「松下製麺所」(高松市中野町)
     「わら家」(高松市屋島中町)
     「いち藤」(高松市藤塚町)
     「まくや」(高松市三条町)
     「一番」(坂出市)
     「亀山」(丸亀市)
     「さぬきや」(丸亀市)
     「鳥坂うどん」(善通寺市・西部ガーデン内)
     「讃州屋」(善通寺市)
     「いちばん」(高瀬町)
     「玉藻」(東京都新橋)

 総数62本。前年が85本でしたので、この年は約3割減になりました。その内訳を見ると、ここまで「うどん店広告」の先頭を走っていた「かな泉」が、この年は協賛広告1本だけしか打っていませんでした。また、前年19本の「さぬきうどん」もこの年は5本だけ。前年13本の「番丁」もわずか2本。この年最多の8本の広告掲載があった「いずみや」は、「ダイエー」の広告の中に店名が記載されているものばかりで単独広告はありませんでしたから、やはり「うどん店広告」は、やや失速気味だったようです。

「お土産うどん」の広告が急増!

 一方、この年増えていたのは「お土産うどん」の広告で、以下の5社が広告を出していました。

●民サ麵業(高松市勅使町)。商品名はどこかのテレビ番組みたいな「四国特選・さぬきうどん遍路」です。

昭和51年広告・民サ麵業

●サンヨーフーズ(坂出市)。商品名は「本場さぬき・釜あげ一丁」です。

昭和51年広告・サンヨーフーズ

●サヌキ食品(綾歌町)。商品名は「手打一番」です。「包装うどんのパイオニア」と謳っていますが、具体的に何のどの技術のパイオニアなのかはよくわかりません。

昭和51年広告・サヌキ食品

●合田照一商店(豊浜町)。豊浜の乾麺の老舗です。うどん商品は特にネーミングなしの「讃岐うどん」です。

昭和51年広告・合田照一商店

●天祐物産(小豆島・池田町)。手延べそうめんと並んで「家伝秘法」の「手延べうどん」を販売しています。

昭和51年広告・天祐物産

「こんぴらうどんの会」が、メンバー名の入った広告を掲載

 最後に、その他のうどん関連の広告を2本。まず、数年前から広告にも記事にも何度も出てきている「こんぴらうどんの会」が、メンバーの名前(店名、社名)の入った広告を出していました。

昭和51年広告・こんぴらうどんの会

 14の店と会社の名前が列挙されていますが、そのうち琴平町の店と会社は5つだけ。しかも、あとの9つのうち県外メンバーが6つもあるとは、「こんぴらうどんの会」はどこへ向かってどういう展開をしているのか…よくわからなくなってきました(笑)。

 続いて、一部マニアの間で「幻の冷凍うどん」メーカーとして最大評価されていた「ピギー食品」の広告が、四国新聞に初めて登場しました。ただし、冷凍うどんは当然、まだ影も形もありません。

昭和51年広告・ピギー食品

(昭和52年に続く)

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