さぬきうどんのメニュー、風習、出来事の謎を追う さぬきうどんの謎を追え

vol.54 新聞で見る讃岐うどん

新聞で見る平成の讃岐うどん<平成8年(1996)>

(取材・文:  記事発掘:萬谷純哉)

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  • vol: 54
  • 2022.08.18

「讃岐うどん巡りブーム」は“嵐の前の静けさ”

 平成8年(1996)。この頃の日本は1991年頃のバブル崩壊から続くいわゆる「失われた10年」の真っ只中で、景気は低空飛行を続け、若者は「就職氷河期」に苦しみ、旅行業界は「安・近・短」(安くて近いところへ短い日程で旅行する)ブームを迎えるという、いろんなものが何となく“縮こまって”いた感のある時期でした。そんな情勢を背景に、「讃岐うどん巡りブーム」を仕掛けるメディアの動きは、

●(2月)…山陽放送『VOICE21』が穴場讃岐うどんの第2回特集を放送。
●(9月)…『恐るべきさぬきうどん』第3巻発行。

の2つに止まり(『月刊タウン情報かがわ』の「ゲリラうどん通ごっこ」の連載はもちろん継続中)、全国ネットの扱いは小休止といったところです。ただし、実はこの年は、言わば「讃岐うどん巡りブーム」の“嵐の前の静けさ”。翌平成9年から全国ネットの雑誌が「穴場讃岐うどん店の紹介」だけでなく、「穴場讃岐うどん店巡り」という“レジャー”目線の情報発信を始め、さらに平成10年からは全国ネットのテレビも「讃岐うどん巡りレジャー」に乗っかってきて、いよいよ空前の「讃岐うどん巡りブーム」が全国規模で動き始めることになります。そのあたりを時系列で整理すると、

(1)平成元年(1989)~平成4年(1992)頃…『月刊タウン情報かがわ』の「ゲリラうどん通ごっこ」の連載により、香川県内の若者を中心に「製麺所型の穴場讃岐うどん店巡り」が始まる。

(2)平成5年(1993)~平成6年(1994)頃…『恐るべきさぬきうどん』発刊と山陽放送『VOICE21』の穴場讃岐うどん特集放送により、岡山・香川の若者を中心に「製麺所型の穴場讃岐うどん店巡り」が広がり始める。

(3)平成7年(1995)~平成8年(1996)頃…全国ネットの雑誌とテレビが穴場うどん店を紹介し始め、全国の若者を中心に「製麺所型の穴場讃岐うどん巡り」が動き始める。

(4)平成9年(1997)~平成12年(2000)頃…全国ネットの雑誌とテレビが「製麺所型の穴場讃岐うどん巡り」のおもしろさをバンバン紹介し始め、全国から「讃岐うどん巡り」客が殺到し始める。

という流れです。では、全国ネットメディアの「讃岐うどん特集」が大ブレイクする前の“嵐の前の静けさ”的な1年の、静かな(笑)新聞記事を拾ってみます。

『恐るべきさぬきうどん』第3巻発刊

 『恐るべきさぬきうどん』の第3巻が発刊され、四国新聞にまた紹介されました。こういう連続モノの出版物は、新聞ではたいてい第1巻が紹介されるだけなのですが、3巻とも記事を伴って紹介されたということは、新聞社も次第に「この本が讃岐うどん界の何かを動かしつつある」という認識を持ってきたのかもしれません。

(10月11日)

『恐るべきさぬきうどん』第3巻 ”客のプロ”思い託す 通らが「S級指定店」発表

 讃岐のうどん店約1000軒の中からリポートし、県内外に反響を呼んだ『恐るべきさぬきうどん』シリーズ。ついに第3巻「最後の聖麺」(B6判、1100円)がホットカプセルから発行された。「ダシはキジやイノシシを撃ってきて入れているので、その日によって味が違う」(高松市・谷川製麺)、「麺にばーちゃんのやさしさがある」(観音寺市・大喜多うどん)など、15店の”針の穴場”探訪記と5つのうどんコラムを掲載している。わずかな情報を頼りに「探して発見する喜びを味わってもらいたい」から、今回も住所・電話番号・詳しい地図はない。

 県外からうどんツアーのグループが増えており、「世の中にうまいもの数あれど、こんなに安くうまいものが味わえるのは讃岐うどんをおいて他にないと思います」という手紙も届いている。取材スタッフは、「一番うまいのはどこなんや」とあちこちで聞かれるとか。客のプロとして「ワイらはこれがうまいと思うんじゃ」という思いを託したのが本書である。麺通団の他、「麺聖」「うどん王グループ」が加わりサミットを実施。独自の話題、仰天発言や行政区分の提案など、ホットな讃岐弁が入り交じり読者を引きつけている。そして発表したのが「1996年S級指定店」。山越(綾上)、山内(仲南)、宮武(琴平)などを推薦している。…(以下略)

 ちなみに、記事にある「1996年S級指定店」は、以下のラインナップです。毎年巻末に掲載している「うどん関連広告出稿店ランキング」を賑わせている有名店群と比べてみると、全く違う種類の店が並んでいることが改めておわかりだと思います。『恐るべきさぬきうどん』に掲載時の「見出し」を併記しましたので、合わせて懐かしんでください(笑)。

「山越」(綾上町)…………魔法の水から輝く麺
「山内」(仲南町)…………人の接近を拒むかのごとく
「宮武」(琴平町)…………琴平の良心
「谷川米穀店」(琴南町)…讃岐うどんの原点を宿す秘境
「あたりや」(高松市)……驚愕のひやひや
「長田」(満濃町)…………満濃うどんトライアングルの老舗
「山下」(善通寺市)………かみしめがあっておいしいです
「田村」(綾南町)…………田村顛末記
「彦江」(坂出市)…………うどん粉のプロが保証する味
「蒲生」(坂出市)…………目に焼きつく感動のロケーション

 綾南町「うどん会館」が2年後のオープン目指して起工式

 綾南町(現綾川町)の「道の駅」、通称「うどん会館」の起工式が行われました。

(12月12日)

うどん会館起工式(綾南)

 綾南町が滝宮地区の国道32号沿いに「道の駅」として整備する地域食材供給施設(仮称・うどん会館)の起工式が11日あり、藤井町長ら関係者約40人が工事の安全を祈願した。10年春のオープン予定。会館は、うどんをテーマにした地域活性化の拠点施設として計画した。綾川沿いの自然段差を利用した約9600平方メートルの敷地に、鉄筋コンクリート平屋建て(床面積670平方メートル)と駐車場を整備。うどん実演室や特産品売り場、道路情報や観光案内のインフォメーションを設ける他、直売広場などを備える。総事業費は3億5000万円。

サンメッセで「製麺業者全国大会」開催

 全国製麺協同組合が主催する「第37回全国製麺業者全国大会」が、サンメッセで開かれました。

(10月10日)

麺の原点見直そう 全国から製麺300業者参加 高松で大会

 「いま一度讃岐路へ 麺の原点を見直そう」をキャッチフレーズに、第37回全国製麺業者全国大会(全国製麺協同組合、県生麺事業協同組合主催)が、9日まで2日間にわたり高松市林町のサンメッセ香川で開かれた。県内では22年ぶりの大会で、全国から約300業者が参加。大展示場では、全国各地のうどん、そばなど麺類の展示・実演の他、さぬきうどん試食会や手打ち製麺機など関連機器が展示され、商談客や一般の来場者でにぎわった。大会に合わせ、県内のうどん製造業者を対象とした恒例の「さぬきうどん品評会」が開かれ、最高賞の農林水産大臣賞にさぬき麺業(高松市)のゆでうどんが輝くなど、計34点が入賞した。…(以下略)

定番イベントも例年通り開催

 その他のうどん関連定番イベントでは、丸亀お城まつりと高松まつりの「うどん早食い大会」は例年通り開催。あと、第33回善通寺市農業祭でも「うどん早食い競争が行われた」という記事がありました。ちなみに、丸亀お城まつりの「うどん早食い大会」が始まったのは昭和59年、高松まつりの「うどん早食い大会」は昭和63年開始で(「平成7年」参照)、テレビ東京の「大食い番組」が始まったのが平成元年です。特に意味はありませんが、何となく「讃岐うどんの早食い大会の方が早いぞ」ということで並べてみました(笑)。

飯山町おじょもまつりの「どぜう汁大会」が終了か?

 一方、「ドジョウ汁大会」はこの年、長尾町の「どじょ輪ピック」開催の記事はありましたが、飯山町の「おじょもまつり」の「どぜう汁大会」の記事は見つかりませんでした。その代わり、9月15日に行われた「第12回飯山町民健康づくりのつどい」というイベントの中で「どぜう汁1000食が振る舞われた」という記事が見つかりましたが、どうもこれは「どぜう汁大会」ではなさそうです。
 
 新聞には何かが「始まった」という記事は出るけど「終わった」という記事がほとんど出ないので(「歴史の記録」という点ではそのあたりがちょっと残念)確定的なことは言えませんが、「おじょもまつり」の「どぜう汁大会」の記事は翌平成9年にも出てきませんでしたので、この頃から香川の「ドジョウ汁大会」は長尾の独壇場になっていったと思われます。
 

「讃岐うどん」の創作ダンスが登場

 “微ネタ”ですが、牟礼町の公民館まつり&健康まつりで「讃岐うどんの創作ダンス」が披露されたという記事がありました。

(5月29日)

チビっ子がうどんの役 創作ダンスに拍手と声援 牟礼で公民館まつり

 牟礼町の牟礼町公民館と老人福祉センターでこのほど2日間にわたり、第23回公民館まつりと第16回健康まつりが開かれ、町内自治会の作品展やバザーなど、町をあげての行事でにぎわいました。中でも小学1年生72人の創作ダンス「讃岐名物手打ちうどん」が人気を呼びました。白い帽子、白シャツ、白タイツに身を包み、全員が粉になった気分で、水を入れてこねられたり、お湯の中でゆでられる”うどんの役”を演じ、かわいいしぐさに客席から大きな拍手と声援が飛びました。

 小学1年生72人が全身白タイツの“うどん”になって「こねられたり、ゆでられたり」するという、“笑劇”の創作ダンスがあったようです(笑)。2010年代初頭に県内うどん団体が総本山善通寺で「献麺式」を行った時、園児たちの頭にどんぶり鉢型の飾りを載せて行進させている写真が出てネット上で失笑が起こったことがありましたが、大人は恥ずかしくてできないようなことも、ちっちゃい子供にやらせたら「かわいい」となるようです。

うどんを使った交流、接待、慰問、体験教室等の記事は少なめ

 うどんを使った交流、接待、慰問、体験教室等の記事はこの年も10本近く載っていたのですが、例年同じような内容なので1本だけ紹介しておきます。

(2月22日)

お遍路さんにうどんお接待(池田・光明寺)

 お遍路シーズンたけなわの21日、池田町池田、小豆島霊場三十八番光明寺でうどんのお接待があり、お遍路さん約300人と島の人たちの交流の輪が広がった。お接待は今年で4年目。地元の製麺業小西照行さん(55)が「こびきうどん」を提供し、檀家の有志がうどんを温めたり、運ぶなどの世話をした。…(以下略)

 「こびきうどん」というのは、そうめんみたいな製法で作る小豆島の乾麺のこと。「こびき」というのは、そうめんを作る時の麺をビヨ~ンと引っ張って伸ばす工程のことです。「小豆島のこびきうどん」は“うどん王国香川”にあってちょっと差別化されたネーミングなので、何かうまくプロモーションできそうな気もしますが、どうでしょう。

うどん雑記、あれこれ

 では、その他に見つかったうどん雑記をいくつか。まずは、ものすごく久しぶりに、うどん店の数や歴史や消費量をなぞった「讃岐うどんの概要」みたいな記事が出ていました。

(4月6日)

特集「ふるさとメモリアル」(香川)…うどん
「ツルリ」讃岐代表の味 のどごしの良さ全国から注目

 讃岐うどんは全国各地にその名が広がり、今や海外にも輸出され、メジャーな食べ物として知名度が高くなる一方だ。もちろん、「讃岐うどん」の生まれ故郷は香川。県内にいくらぐらいのうどん店があるのだろうか。県に聞くと「はっきりとわからないが、1000店ぐらいでしょう」というが、県うどん品評会審査員をしている作家・佐々木正夫さんは「そんなものではありません。高松市内だけども600店を超える店があり、県内では3500店はあるでしょう」と話している。

 讃岐うどんの歴史ははっきりとしていないが、半夏にうどんを食べる風習がある。農家でうどんを打ち、田植えや草取りが終わった時、農作業の慰労の意味でうどんが出されたということだ。そのうどんが、なぜ全国に広がったのか。佐々木さんは「戦後の食糧不足がまだ尾を引いていた昭和30年頃、香川は二毛作で小麦を作り、量はかなりありました。そんな環境の中でうどん作りが盛んになり、観光客が讃岐に来てうどんを食べ、全国に有名になっていくわけです。全国から人が来るこんぴらさんの影響も大きかったと思います」と分析する。この他、グルメブームで雑誌などが全国で自慢の食べ物の特集を連発し、香川を代表するものは「讃岐うどん」ということで、讃岐うどんののどごしの良さやおいしさが全国から注目された。佐々木さんも雑誌に讃岐うどんを大いに売り込んでくれた一人だ。

 人口比から見たうどん店の数はもちろん日本一で、うどんに関する出版物の古典といわれている随筆「うどんそば」(山田竹系著)にも、「玉うどんと乾麺の製造業者の数は香川で350店。100万人の人口なら普通100店くらいだろうが、香川はこの3倍以上もある」と記されている。では、うどん用の小麦の生産量はどうなっているのだろうか。食糧庁加工食品課がまとめた平成6年の小麦の使用量を見ると、ゆで麺部門の1位は香川(2万5771トン)、2位は埼玉(1万8641トン)、乾麺も部門1位が香川(8958トン)、2位は群馬(7318トン)。生麺部門は香川(7666トン)が2位に甘んじ、愛知(8597トン)が1位だが、3部門を足したうどん用総小麦粉消費量では、もちろん全国都道府県の中では群を抜いてトップだ。

 うどん店の数について、県は「はっきりとわからないが、1000店ぐらいでしょう」という回答ですが、佐々木正夫先生は「そんなものではない。高松市内だけでも600店を超える店があり、県内では3500店はあるでしょう」と話していたそうです。当連載の熱心な読者ならご存じの通り、佐々木先生は昔から一貫して「3000店前後」の数字を主張されています。

 ちなみに、筆者も当時は香川のうどん店の数を数えてなかったので、『恐るべきさぬきうどん』の中では「1000店ぐらいありそう」という感じの表記をしていました。その後、「“うどん王国香川”を名乗っているのにうどん店の数を把握していないのはいかがなものか」ということで『タウン情報かがわ』編集部で徹底調査を開始し、発見した全店を掲載した『さぬきうどん全店制覇攻略本』を平成10年10月に発行。そこで「653店」という数字を初めて発表しましたが、いくつか調査漏れもあったと思うので、当時の県内うどん店は、まあだいたい660~670店ぐらいだったと思います。また、佐々木先生は「高松市内だけでも600店を超える店がある」とおっしゃっていたそうですが、『さぬきうどん全店制覇攻略本』では、平成10年時点で高松市内のうどん店は「235店」でした(調査責任者として、これはほぼ実数だと思います)。

 あと、「随筆『うどんそば』(山田竹系著)にも、『玉うどんと乾めんの製造業者の数は香川で350店。100万人の人口なら普通100店くらいだろうが、香川はこの3倍以上もある』と記されている」とありますが、『うどんそば』が発刊されたのは昭和44年ですから、それは30年近く前の推計。しかも「うどん店の数」ではなく「乾麺製造業者の数」ですから、そのあたりはちょっと誤解を招く引用ですね(笑)。

 また、讃岐うどんの歴史については「はっきりとしていない」という一言だけで、かつて盛んに出てきていた「奈良時代に渡来説」や「空海が伝えた説」は全く触れられていません。あと「昭和30年頃、香川は二毛作で小麦を作り、量はかなりありました」とありますが、この新聞記事発掘では、香川の二毛作の大半は「裸麦」だったことが確認されています。

 続いて、「一日一言」が県産小麦とオーストラリア産小麦の話に触れていました。

(7月2日)

コラム「一日一言」

 …(前略)…もう知られた話だが、讃岐うどんに使う小麦はほとんど「ASW」種。「オーストラリア・スタンダード・ホワイト」の名前通り、オーストラリア産。8000キロものかなたから来る洋モノだが、実にこれがうどんにぴったり。「コシ、ツヤ、味。県内産など目じゃない」らしい。それもそのはず、ASWはかの地の農夫が毎年のように調査団を繰り出して研究した日本向け品種。製粉業者も研究を深め、今では手打ち用、機械打ち用など専門分化した何種もの小麦粉を提供している。

 一方、昨年度の県下はダイチノミノリ約4200トンを収穫したが、それも含めて国内産をうどんに使う率は極めて低く、20%以下。一説では5%、あるいはゼロ。理由は簡単。まずい。幻想のままに、「それは残念。純血讃岐うどんが食べたい」などと言われると、おじさんの顔が曇る。第一、県内の製麺業で使う小麦粉は年間4万トン以上。もはや量も質も賄えない。地元ベストセラー『恐るべきさぬきうどん』の第3弾を8月末に出版するホットカプセル社に“純血うどん”への期待を尋ねると、「うどんは文化財ではありません」(田尾和俊社長)。さすが麺食い。恐るべき一言。ああうどん幻想。

 久しぶりに「ASWはオーストラリアの農夫が香川に何度も調査に来て研究開発した」という話が出てきました。以前にも触れたように、讃岐うどんの品質を画期的に向上させることになったASWの開発は讃岐うどん界にとってまさに『プロジェクトX』モノの出来事だったと思うのですが、NHKの『プロジェクトX』に出たのは「讃岐の夢2000」の開発の方でした。何かの力が働いたのでしょうか(笑)。

 しかしその後、県産小麦(ダイチノミノリ)で作った讃岐うどんは「まずい」と一刀両断(笑)。県産小麦では「もはや量も質も賄えない」と続き、“歯に衣着せぬ”コラムが展開しています。そんな話に対して求められた筆者のコメントが「うどんは文化財ではありません」って(笑)。まあ、当時の大きな流れとして、讃岐うどんを大きな意味で「文化財的郷土料理」として扱ってきていた業界識者に対し、讃岐うどんを「レジャー素材的なグルメコンテンツ」としてプロモーションしていた筆者の“スタンスの違い”をいろいろコメントしたのですが、メディアの常で、インパクトのあるフレーズだけを切り取られてしまいました。当時ホットカプセル社の社長だった筆者は40歳。今より少々“とんがってた”ことは確かで、とりあえず申し訳ございません(笑)。

(7月25日)

コラム「ネット裏」…やっぱり「うどん」

 スタンド裏のうどん売店が観客らの人気を集めている。今年で開店5年目とあって、「県営野球場に来たら、うどんを食べなくては」という人も多い。球場近くのうどん屋から毎朝400食を仕入れるが、午後4時の閉店前に毎日売り切れる。「試合前後だけでなく、5回終了後のグラウンド整備の間にもたくさんの人が食べに来る」と店員さんは試合の進行状況を気に掛けながら準備にあたっている。売店はセルフサービスのため、県外から応援に来た人の中にはうどん玉の温め方に戸惑う”珍プレー”も見られるという。

 高校野球の香川県大会のこぼれ話。野球だけに「珍プレー」でオトシてみたミニレポートです(笑)。昔、阪神の弘田選手がキャンプで朝も昼もうどんを食べたら、スポーツ紙に「弘田、うどんのダブルヘッダー」という見出しで載ったことがありますが、こういうイジリ方は断然、スポーツ記事に多いですね。

 続いて、「連絡船のうどん」に触れたコラムがありました。

(11月26日)

コラム「一日一言」

 少し前のこと。どこのうどんが一番かと尋ねられて、珍しく友人たちの意見が一致した。結論は「連絡船うどん」。その味は最後の連絡船・讃岐丸の引退で、もはや幻の味になった。反論もあるだろうが、まあ聞いてほしい。座談メンバーは名だたる麺食いぞろい。いや琴平の○○だの、仲南の○○だのと推薦店を持ち出して、収拾のつかない我田引水、唯我独尊状態になった。だしはイリコに限るだの、麵はネジレのある方がだしの絡みがいいだのと、蘊蓄を傾けて止まらない。あの店は隠し味にワインを使っているんだぜ、と怪しげな極秘情報まで飛び出して大騒ぎだ。

 精一杯、盛り上がって「最後はやっぱり好みの問題」が結論になりかけたころ、ふとだれかがつぶやいた。「でもなあ。昔、帰省する時に食べた連絡船のうどんが一番おいしかった気がするなあ」。ここで打打(ちょうちょう)発止のうどんバトルが急停車した。みんなうなずいた。そうだ、そうだった。岡山からの連絡船で一番の楽しみは、あの船上うどんだった。みんな船に乗ると同時にデッキを目指したものだ。

 たとえば当時の東京のうどんはすごかった。だしは黒。うどんの断面は丸。3分も煮れば溶けそうな麺に腰などあるはずがない。それはチューブから押し出したような疑似うどんだった。それほどのうどん好きでなくても、その味には閉口した。閉口した分、故郷が恋しかった。近づくにつれ、恋しさはますます募る。そこへ真っ先に現れるのが連絡船うどん。飢えは最上の香辛料。

 讚岐丸はそのころ就航した。24日の最終航海では、9年ぶりにあのうどんも復活したという。 岸壁と船を結ぶ紙テープ。ドラの音。潮風。蛍の光。船は22年間に2140万人の思い出を運んだ。さようなら讃岐丸。

 宇髙連絡船は瀬戸大橋が開通した1988年に廃止になり、その後「讃岐丸」は改装されて観光船になっていたのですが、この年に現役を引退しました。ちなみに、文中にある「あの店は隠し味にワインを使っているんだぜ」という話は、当時すでにうどん巡りの超人気店になりつつあった琴平の「宮武」の麺とダシのうまさの秘密を探ろうとしていたうどんマニアたちの間で出ていた、“根も葉もない”ウワサ話(笑)の一つ。いずれにしろ、この頃すでに県内で「穴場店巡り」が盛んになりつつあり、自称“うどん通”が増殖し始めていたことがわかります。

うどん関連広告本数は、3年連続“低空飛行”

 平成8年の四国新聞に載っていたうどん関連広告は、125本。平成4年、5年の370本越え以降、3年連続でピークの半分以下が続いています。ただし、その背景はこれまで何度か触れてきたように、うどん店の新聞広告は新聞社の「営業企画」で集めた「協賛広告」が圧倒的に多いため、「うどん店の意向」より「新聞社の営業方針」の影響が大きいことは確かで、従ってこの数字が「“うどん屋景気”をそのまま表している」と考えるのは早計ですが、まあそれでも「頼まれたら広告を出せる」といううどん店の数ではありますから、一応、「広告を出せるうどん店の数がかなり減っている」と捉えておきましょうか。

 店別に見ると、広告出稿のトップ2はここしばらく「かな泉」と「さぬき麺業」が2強状態です。

<県内うどん店>
【高松市】

「かな泉」(高松市大工町他)……… 19本
「さぬき麺業」(高松市松並町他)… 15本

「川福」(高松市ライオン通)…………3本
「久保製麺」(高松市番町)……………2本
「さか枝」(高松市番町)………………2本
「源芳」(高松市番町)…………………2本
「秀」(高松市八坂町)…………………2本

「三福」(高松市兵庫町)………………1本
「こんぴらうどん」(高松市古馬場町)1本
「井筒製麺所」(高松市西の丸町)……1本
「丸川製麺」(高松市中新町)…………1本
「松下製麺」(高松市中野町)…………1本
「さぬきうどん」(高松市栗林町他)…1本
「田中」(高松市木太町)………………1本
「善や」(高松市新田町)………………1本
「大円」(高松市今里町)………………1本
「花ざかり」(高松市十川東町)………1本
「得得」(高松市勅使町)………………1本
「中北」(高松市勅使町)………………1本
「てら屋」(高松市檀紙町)……………1本
「北山うどん」(高松市鬼無町)………1本
「ヨコクラうどん」(高松市鬼無町)…1本

【東讃】

「郷屋敷」(牟礼町)……………………3本
「寒川」(三木町)………………………3本
「権平うどん」(白鳥町)………………1本
「吉本食品」(大内町)…………………1本
「花林亭」(寒川町)……………………1本 3月21日オープン
「入谷製麺」(長尾町)…………………1本
「味呂」(庵治町)………………………1本

【中讃】

「日の出製麺」(坂出市富士見町)……2本
「たかや」(多度津町)…………………2本
「サヌキ食品」(綾歌町)………………2本
「長田うどん」(満濃町)………………2本
「いきいきうどん」(坂出市京町)……1本
「まごころ」(丸亀市蓬莱町)…………1本
「大庄屋」(琴平町)……………………1本
「小縣家」(満濃町)……………………1本

【西讃】

「渡辺」(高瀬町)………………………1本
「将八うどん」(観音寺市)……………1本

【島嶼部】

「甚助」(土庄町)………………………1本

<県外うどん店>

「大阪川福」(大阪市南区)……………1本

<県内製麺会社>

「石丸製麺」(香南町)…………………6本
「藤井製麺」(三木町)…………………3本
「日糧」(詫間町)………………………3本
「大山製粉生麺所」(大川町)…………1本
「樹下製麺」(寒川町)…………………1本
「冨田屋」(川部町)……………………1本
「冨田乾麺」(香南町)…………………1本
「サンヨーフーズ」(坂出市西庄町)… 1本
「久保田麵業」(綾歌町)………………1本
「大庄屋」(琴平町)……………………1本
「おおみね」(土庄町)…………………1本
「創麺屋」(内海町)……………………1本

<県内製粉会社>

「木下製粉」(坂出市高屋町)…………1本
「日讃製粉」(多度津町)………………1本

<その他うどん業界>

「加ト吉」(観音寺市観音寺町)………11本
「香川県生麺事業協同組合」……………2本
「さぬき麺機」(高瀬町)………………1本
「マルヨシセンター」……………………1本

過去20年の広告出稿トップ2の推移

 ではここで、過去20年の「県下うどん店・広告出稿トップ2」の推移をまとめておきます。

(昭和52年)●「さぬきうどん」8本 ●「いずみや」「番丁」各6本
(昭和53年)●「さぬきうどん」7本 ●「久保製麺」5本
(昭和54年)●「さぬきうどん」9本 ●「かな泉」6本
(昭和55年)●「かな泉」11本   ●「さぬきうどん」8本
(昭和56年)●「かな泉」19本   ●「さぬきうどん」9本
(昭和57年)●「かな泉」18本   ●「さぬきうどん」9本
(昭和58年)●「かな泉」17本   ●「さぬきうどん」6本
(昭和59年)●「かな泉」27本   ●「さぬきうどん」10本
(昭和60年)●「かな泉」25本   ●「さぬきうどん」6本 
(昭和61年)●「かな泉」20本   ●「川福」6本
(昭和62年)●「かな泉」26本   ●「川福」8本
(昭和63年)●「かな泉」22本   ●「川福」10本
(平成元年) ●「かな泉」33本   ●「さぬき麺業」20本
(平成2年) ●「かな泉」34本   ●「さぬき麺業」24本
(平成3年) ●「かな泉」25本   ●「さぬき麺業」20本
(平成4年) ●「かな泉」33本   ●「さぬき麺業」20本
(平成5年) ●「かな泉」28本   ●「さぬき麺業」18本
(平成6年) ●「かな泉」18本   ●「さぬき麺業」14本
(平成7年) ●「さぬき麺業」25本 ●「かな泉」24本   
(平成8年) ●「かな泉」19本   ●「さぬき麺業」15本

 こう並べて見ると、うどん店の広告出稿勢力図が一目瞭然。まず、「さぬきうどん」がたくさん広告を出していた時代から始まり、昭和55年から「かな泉」の時代が到来。「さぬきうどん」はしばらく2番手にいましたが、昭和61年から「川福」が盛んに広告出稿を始め、平成に入ると「かな泉」と「さぬき麺業」の2強時代に突入しています。「かな泉」は残念ながらこの数年後に消えることになりますが、とりあえずこんな推移だったことをご確認ください。

(平成9年に続く)

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