さぬきうどんのメニュー、風習、出来事の謎を追う さぬきうどんの謎を追え

vol.55 新聞で見る讃岐うどん

新聞で見る平成の讃岐うどん<平成9年(1997)>

(取材・文: 記事発掘:萬谷純哉)

  • [nazo]
  • vol: 55
  • 2022.08.22

全国ネットの雑誌がいよいよ、「讃岐うどん巡り」をレジャーとして紹介し始める

 平成9年(1997)、いよいよ全国ネットの情報誌が、「製麺所型うどん店」と「特徴ある珠玉の一般店」を中心にバラエティーな讃岐うどん店を「レジャーコンテンツ」として本格的に紹介し始めました。

 この年に大きな「讃岐うどん特集」を組んだ全国ネット情報誌は、次の3誌。

(4月)グルメ情報誌『dancyu』が、コラムニスト・勝谷誠彦さんの「讃岐うどん紀行」として、讃岐うどんの店をカラー7ページで紹介。
▶掲載店=竹清、山田家、五右衛門、小縣家、長田うどん、山越

(5月)トレンド情報誌『DIME』が、コラムニスト・カーツさとうさんの「讃岐うどん弾丸ツアーレポート」として、讃岐うどんの店をカラー3ページで紹介。
▶掲載店=かけはし、フードセンターさんわ、さか枝、わら家、讃岐家、鶴丸、竹清、谷川米穀店、山越、山内、かな泉空港店

(8月)旅行情報誌『Hanako-WEST』が、「旅行情報」として、讃岐うどんの店をカラー2ページで紹介。
▶掲載店=がもう、田村、おか泉、山越、あたりや、わら家、さか枝

 平成元年(1989)の「ゲリラうどん通ごっこ」連載開始と平成5年(1993)の『恐るべきさぬきうどん』第1巻発刊以降、全国誌ではまず「麺類の専門紙と機内誌と料理雑誌が讃岐うどん特集を組む」という局面が現れましたが、平成9年のこの年から「グルメ情報誌」「トレンド情報誌」「レジャー情報誌」といういわゆる「人を動かす情報誌」が、「グルメ&レジャー」という視点から本格的に讃岐うどんを扱い始めました。

 まず、『dancyu』の讃岐うどん特集はコラムニスト勝谷誠彦さんの「体験レポート型」の讃岐うどん紀行で、全国誌で初めて「讃岐うどんの店を巡る」という視点の情報発信が出てきました。さらに続く『DIME』の讃岐うどん特集は「1泊2日3名36杯、うどんの心は讃岐に発す!!」というタイトルで、これまたコラムニストのカーツさとうさんが取材スタッフとともに3人で讃岐うどん店の弾丸ハシゴツアーを決行。そしてついに旅行情報誌『Hanako-WEST』が讃岐うどん巡りをテーマに特集を組み、いよいよ「讃岐うどん巡り」は「レジャーコンテンツ」として全国的に認知され始めることになります。

 一方、雑誌以外の動きでは、11月に山陽放送の『VOICE21』が「必見! さぬきうどんⅢ」というタイトルで第3回の讃岐うどん巡り特集を放送。紹介店は「中北」「谷川製麺所」「谷本(高松市栗林町の裏通り)」「松下」「赤坂」「宮武」「山内」「あたりや」「中村」「義経」「西森」という、超人気製麺所型店に加えてかなりマニアックな“針の穴場”も拾った珠玉の番組で、視聴率は同時間帯トップの20.5%を記録しました。

 『VOICE21』の石原ディレクターによると、讃岐うどん特番の視聴率は第1回が18.2%、第2回が19.1%で、「やる度に高視聴率を稼ぐ人気コンテンツ」だったとのこと。山陽放送は香川・岡山をカバーしていたので、この頃になると香川・岡山エリアでは『恐るべきさぬきうどん』と『VOICE21』の影響で「讃岐うどん巡りレジャー」はかなり人気が高まっていました。そして、そこへ全国ネットの雑誌が本格的に乗り出し始めたのが、この年です。ちなみに、後に讃岐うどん巡りが空前のブームを巻き起こした際、メディアや識者がこぞって「讃岐うどんブーム」と言っていたのですが、筆者はこうした経緯の当事者でしたので、「讃岐うどんブーム」ではなく、頑なに(笑)「讃岐うどん巡りブーム」と表現していました。

 では、そうした状況を踏まえて、新聞に載った讃岐うどん関連記事を拾っていきましょう。

国民文化祭で「うどんフェア」開催

 「国民文化祭」というのは、音楽や美術や舞台芸術等のいわゆる「文化」をテーマに全国からいろんな人が集まってパフォーマンスする、言わば「国体の文化版」みたいなイベントで、この年は香川県が開催県になりました。そして、開催県では同時に地元の食文化のパビリオンみたいなものをやることになっていて、香川はやはり「うどん」をテーマ「うどんフェア」という、まあストレートなネーミングの(笑)催しを行うことになりました。

(8月14日)

「交流と創造」へ 近づく国民文化祭/うどんフェア(高松市) 
21世紀の麺文化語る 料理の鉄人、こだわり披露

 日本のうどん文化とは何なのか。讃岐のうどん文化とは…。国内外の麺文化やその歴史を見つめ、21世紀に向けたうどん文化のさらなる発展について考える「うどんフェア」。「うどんの道・その広がりを求めて」がテーマの展示やシンポジウム、基調講演などを開催。うどんの手打ち教室、全国有名うどんの試食ができる「うどん市」といった参加型イベントも盛りだくさん。

 初日の11月1日は、武蔵野手打ちうどん保存普及会長の加藤有次国学院大学教授が、麺の歴史などについて基調講演。全国各地の名物うどんのうどん店主らが“うどん談義”に花を咲かせるパネルディスカッションもあり、さまざまな視点からうどんの魅力に迫る。会場にはテレビ番組『料理の鉄人』でおなじみの坂井宏行シェフや女優の大山のぶ代さんも来場。坂井シェフは「我が家の自慢うどんメニューコンテスト」の審査委員長を務める他、自身考案のスペシャルうどんを実演。大山のぶ代さんはトークショーでうどんに対するこだわりを熱く語る。2日間を通して、海外製麺師(中国、タイ)の麺打ち実演、さぬきうどんの打ち方教室なども開かれる。

 一番の注目は、全国有名うどんが味わえる「うどん市」。讃岐うどんの他、秋田の「稲庭うどん」、群馬の「水沢うどん」、山梨の「ほうとう」、大分の「ほうちょう」を紹介。うどんを通して、実際に全国の食文化の一端に触れることができる。

H9記事・うどんフェア

(10月11日)

連載「国民文化祭かがわ/つくる・支える」
“名物”の知識深めて 研究の傍ら準備も着々…うどんフェア総合企画・真部正敏さん

 香川の名物と言えば何と言ってもうどん。どこの店がおいしいのか、どうやって食べるのが本物か…。こんな議論は、讃岐人の話題によく登場する。それほど香川と関わりの深い部門で、中心になって企画を進めてきた人の正体は、香川大の名誉教授。「うどん文化」を考え続けてきた研究者の一人だ。同大農学部の教授に昇進した昭和55年、研究の対象は野菜や果物から、小麦や米などの穀物に変わる。うどん研究のきっかけだった。59年には香川のうどん文化などについて考える「さぬきうどん研究会」を組織。でんぷんなど穀物に含まれる要素の研究をはじめ、科学的な視点からうどんを見つめることになる。

 今回のフェアの見どころは、日本をはじめ世界の麺をパネルや実演で紹介するコーナー。そのうち最初に目に入るブースが「さぬき麺ロード」。うどんの歴史、メニューの分類、店の分布などについて知識を深める。そして「日本の麺ロード」「世界の麺ロード」と続く構成になっている。「世界→日本→香川ではなくて、トップはあくまで香川。あえてドーンと一番に持ってくるんです。せっかく香川で開くからには、やっぱり香川の人に知識を深めてほしい。ただ『おいしい』というだけでなくて、さぬきうどんのバックグラウンドにある香川の風土、歴史などについて、理解してもらいたいんです」。自分の研究の傍ら、フェアの準備をコツコツと進めてきた農学博士。背広の中はやはり、うどん好きの讃岐の人。「手で丹念にこねた、ゆでたてで食べる。これほど満足できる食べ物はないです」。…(以下略)

 「さぬきうどん研究会」の真部先生が「うどんフェア」の総合企画ということで、讃岐うどんの歴史と文化と技術を盛り込んだ“王道”のコンテンツが並んでいます。ちなみに、後で県の関係者の方から「会議の席で“田尾さんや麺通団の方にも参加していただこう”という提案があったのですが、真部先生に却下されました」と聞かされました(笑)。どうも識者の方々からは「讃岐うどん巡りブーム」の動きは「ゲリラ的な異端」扱いされていたそうで、「王道」に「ゲリラ」はふさわしくなかったようです。まあ確かに、ブームの発端は「ゲリラうどん通ごっこ」ですから(笑)。

「うどん会館」に期待が高まる

 オープンを1年後に控えた綾南町の道の駅「うどん会館」に期待を寄せる記事が載っていました。

(4月5日)

連載「これで地域おこし」…うどん会館

 清流綾川が流れ、田園地帯の広がる綾南町。自然が色濃く残る中で年間17万人の参拝客が訪れる学問の神様・滝宮天満宮とともに、10年4月にオープンする県内初の公設「うどん会館」は地域おこしの拠点として期待されている。讃岐うどんで知られる香川だが、公営のうどんPR施設はない。そこで、町と建設省が整備する「道の駅」事業に併せて建設することになった。来町者に本場の味を提供するのが狙いだ。

 国道32号沿いの建設予定地近くには、日本にうどんを持ち込んだと伝えられる空海ゆかりの僧が住んでいた。しかも綾川の流れを利用した水車小屋が数多くあり、小麦をつく光景がかつては見られ、うどんとの関わりは昔から深い。その施設の中核は、うどん作りが体験できる実演室。さらに「特産品販売コーナー」では、町特産の富有柿、加工品の柿酢や柿ドレッシングの他、味噌、醤油などを販売し、町の特産品を強力にアピールもする。

 会館では“純地元産”うどんを目玉にしようと、町は5年度から小麦の生産振興策に取り組んでいる。畜産農家から堆肥を購入するよう町内の小麦栽培農家に呼びかけ、土作りから始め、小麦の品質向上を図った。これら施策に県や町の種子購入制度を組み合わせ、12年度作付面積を7年度の85ヘクタールから155ヘクタールに倍増させる計画。これは全農地の約15%にも当たる。

 一方、町内のボランティアグループ「うどん研究会」が、うそかえ神事や滝宮念仏踊、農業フェス、朝市などのイベントでうどんのPRに努めてきた。しかし、グループの力は限られており、PRには効果があったものの、消費拡大までにはつながらなかった。「会館が営業を始めると、現在のうどん需要の3倍に当たる年間約5万食の需要がある」と町は予測。原料である小麦の安定的供給先になると見ている。「うどん販売が小麦増産への起爆剤となる」(町経済課)としており、PRと小麦生産振興に寄与する“一人二役”の会館のオープンが期待されている。

 綾南町は「うどん会館」を地域おこしの拠点として活用しようという狙いで、同時に「純地元産うどん」を目指して小麦の増産計画まで打ち出しています。ちなみに、文中に「国道32号沿いの建設予定地近くには、日本にうどんを持ち込んだと伝えられる空海ゆかりの僧が住んでいた」とあるのは、おそらく空海の弟子で滝宮出身の智泉大徳のこと。綾南町は後に「空海が唐から持ち帰ったうどんの原型を智泉大徳が麺の形に仕上げた」というストーリーで「讃岐うどん発祥の地」を掲げることになるのですが、この時点ではまだ「智泉大徳」の名前も「讃岐うどん発祥の地」というキャッチフレーズも出てきません。

県産小麦奨励品種の「チクゴイズミ」が登場

 県産小麦の奨励品種として、「チクゴイズミ」の名前が出てきました。

(1月28日)

県産小麦奨励品種 「チクゴイズミ」検討 穂発芽被害受けた代替

 県は27日、昨年6月に穂発芽が大量発生した県産小麦「ダイチノミノリ」の代替品種として、穂発芽しにくい新品種「チクゴイズミ」を奨励品種にする方向で検討を進めていることを明らかにした。県農林水産部は「試験結果を見極め、早ければ今年10月にも奨励品種にしたい」としている。…(中略)…

 県産小麦について、県は平成元年度に「ダイチノミノリ」を奨励品種に採用。8年産の場合、小麦の栽培面積(740ヘクタール)の99%以上に当たる737ヘクタールで同品種が導入されている。しかし、昨年は低温による生育遅れで収穫が梅雨入りと重なったため、成熟した粒から穂が出る「穂発芽」が発生。全体の26%が政府買い入れの規格外になるなどの被害が出た。…(中略)…県によると、チクゴイズミは農水省九州試験場で開発した新品種で、ダイチノミノリに比べて収量はやや多く、穂発芽しにくいという。

 過去5代の県産小麦奨励品種を再掲すると、

●昭和52年(1977)~平成13年(2001)…「セトコムギ」
●平成元年 (1989)~平成13年(2001)…「ダイチノミノリ」
●平成9年 (1997)~平成21年(2009)…「チクゴイズミ」
●平成13年(2001)~…………………………「さぬきの夢2000」
●平成21年(2009)~…………………………「さぬきの夢2009」

という推移。「チクゴイズミ」は「さぬきの夢」シリーズの一つ前の奨励品種ですが、ご覧のように栽培年はそれぞれ何年か被っていて、「チクゴイズミ」は「さぬきの夢2009」が出る平成21年まで栽培されていたようです。

「天狗うどん」が県外PRに出かける

 坂出市が岡山県のイベントで「天狗うどん」の出張販売を行いました。

(2月27日)

中国横断道・総社~北房開通イベント 「天狗うどん」で坂出の観光PR

 坂出市は、中国横断自動車道の総社~北房間の開通を前に、沿線市町など関係10団体が3月9日に岡山県内の賀陽ICを中心に実施する開通記念イベントに「天狗うどん」の出前即売を行い、観光客誘致などをPRする。記念イベントに参加するのは、県内では坂出市だけ。当日は、地元特産の金時ニンジンやサツマイモなど多種多彩な具が入ったうどん1000食を提供する…(以下略)

 この年、中国横断自動車道の総社~北房間が開通し、高速道路網が四国から瀬戸大橋を通って日本海までつながることになりました(「中国横断」というのは、中国地方を南から北に抜けることを指します)。それを記念して開催されたイベントに、坂出市が「天狗うどん」を引っ提げて参加したとのこと。

 過去の新聞記事によると、坂出市の“天狗グルメ”は平成3年の「第1回天狗まつり」で出てきた「天狗汁」が最初で、同時に市内のうどん屋さん(「町川」)が10種の具を載せた「天狗うどん」を考案(味噌仕立てと醤油仕立ての2種類)、さらに市内の寿司屋さんが同じくちらし寿司に10種の具をあしらった「天狗ずし」を出したとありましたから(「平成3年」参照)、最初は「天狗汁」「天狗うどん」「天狗ずし」の3本立てで始まりました。

 しかし、その後の経緯は、

●平成4年…「第2回天狗まつり」の紹介記事では「天狗汁の接待が行われた」という記述があっただけで、「天狗うどん」「天狗ずし」は出てきませんでした(「平成4年」参照)。

●平成7年…「第5回天狗まつり」では「天狗汁」ではなく「天狗うどん」の方が振る舞われ、「天狗汁」は「坂出・綾歌ふれあい祭」という別の祭りで出されていました(「平成7年」参照)。

●現在………坂出市のHPにある「天狗まつり」の紹介ページには「テングウォーク」「相模坊まつり」「天狗うどん」「坂出天狗マラソン大会」の4つが並んでいて、「天狗汁」と「天狗ずし」は表には見当たりません。

 という流れで、「天狗汁」と「天狗ずし」がかなり影が薄くなっているようです。うどんブームに乗っかって最終的に「天狗うどん」だけがメインコンテンツに残されたのかもしれませんが、どうでしょう、「天狗汁」「天狗うどん」「天狗ずし」の3本立てを復活させた方がパワーアップできそうな気もしますが。

「さぬきうどん研究会」と「武蔵野手打ちうどん保存普及会」が交流

 東京の「武蔵野手打ちうどん保存普及会」が香川県を訪れ、「さぬきうどん研究会」と交流しました。

(7月20日)

うどん談義に花咲かす 武蔵野手打ちうどん保存普及会とさぬきうどん研究会 打ち合い、交流

 東京の武蔵野手打ちうどん保存普及会(会長・加藤有次国学院大教授)が19日、高松市を訪れ、さぬきうどん研究会(会長・真部正敏香川大名誉教授)とのうどん“打ち合い”パーティーなどで親睦を深めた。保存普及会は今年で発足10周年。加藤会長と真部会長の親交が縁で、今回の記念ツアーを企画した。保存普及会からは約45人、研究会からは約15人が参加し、高松市松並町のさぬき麺業本社工場でうどん交流会を開いた。…(以下略)

 加藤先生は真部先生と親交があったとのことで、この3カ月後に行われた国民文化祭の「うどんフェア」で基調講演をされたのも、おそらくその縁からだと思います。ちなみに加藤先生は、2000年に筆者主催で開催した「第3回讃岐うどん王選手権」に、東京からテレビ局を引き連れて参加されていました。何でも「うどん博士(加藤先生)がうどんの聖地で選手権に挑む」みたいな関東ローカルの番組だったそうですが、400人を超えるうどんマニアたちの中に交じって、残念ながら予選落ちされました。変な選手権で申し訳ありませんでした(笑)。

連絡船のうどんに関する事実誤認の記事が?!

 前出の「中国横断自動車道の総社~北房間が開通」を記念して四国新聞で「日本海から太平洋へ」というタイトルの特集があり、そこに、前年に続いて讃岐うどんの概論みたいな記事があったのですが…

(3月15日)

特集「日本海から太平洋へ」 讃岐うどん…人気の秘密は「手打ち」

 コシが強く、しんなりとした独特の風味で定評のある讃岐うどん。香川県の暖かい気候と、うどん好きの県民性が育んだ手づくりの味わいが新鮮だ。昭和30年頃まで、香川県の家庭には必ず麺棒と打ち台があり、うどんを打って食べていた。うどんがこれほど普及したのは、温暖な気候の下に良質な小麦が栽培されたことや、水車が多くて製粉技術が普及したことなどがある。

 うどんは今でも県民に最も人気のあるメニューで、高松市内でも「電信柱の数より、うどん屋の方が多い」と言われるほど、様々なうどん屋が軒を並べている。讃岐うどんが全国的に有名になったのは、昭和30年代のこと。四国と本州を結ぶ宇髙連絡船で販売され、その抜群の味が脚光を浴びたのがきっかけだった。

 讃岐うどんの特徴を、うどん専門店「かな泉」の泉川賢社長(72)は、「手打ちがほとんどで、小麦粉も手打ち向きのものを使う。小麦粉を濃い食塩水でこねた後、足踏みし、寝かせて熟成させる。この足踏みと熟成を何度か繰り返すうちに繊維が絡み合い、機械打ちではできないコシが出る」と説明する。安くて簡単なのが身上のうどんだけに、昼食としては最適だが、夕食としてはもの足りない、とのイメージがある。このため、うどんを会席料理と組み合わせたり、うどんすきにして食べたりと、各店がうどんに高級感を持たせる工夫も怠りない。…(中略)…

 香川のうどん文化を後世に残そうと活動している「さぬきうどん研究会」の会長を務める真部正敏・香川大学名誉教授(66)は、「讃岐うどんは、香川の気候や風土が育んだもの。麺とコメは、日本の伝統的な食の中心であり、麺やコメにどんな良さがあるかを訴えることが、日本の食文化を守ることになるのではないか」と話す。讃岐うどんには、手作りでなければ表現できない微妙な味わいがある。ファーストフードや調理済み食品など画一的な食品が氾濫する現代で、この手づくりの味は貴重だ。

 2段落目に「讃岐うどんが全国的に有名になったのは昭和30年代、宇髙連絡船のうどんがきっかけだった」という記述がありますが、『乗り物ニュース』のHPによると「宇髙連絡船のデッキでうどん屋が開業したのは昭和44年」とあり、他の資料にも「連絡船のうどんは宇髙連絡船が廃止になる昭和63年までの約20年間」という記述がいくつか出てきます。また、昭和38年に高松駅のホームに初めてうどん店がオープンした時の記事中に「開店したばかりの駅店には、この日さっそく朝の連絡船から降りた客が小綺麗な駅店に目を付け、寒さで凍えた体をふるさとの味で暖めていた」とあったのも(「昭和38年」参照)、当時まだ連絡船にはうどん店がなかったという傍証になるかもしれない…ということで、この「昭和30年代に宇髙連絡船のうどんがきっかけで讃岐うどんが全国的に有名になった」というのは、ちょっと怪しい。根拠のない“記者の思い込み”かもしれません。

「夏の蛤(はまぐり)」

 読者投稿の中に、こんぴらのうどん店の“客引き”の話に忘れられつつある“隠語”が出てきましたので、小ネタとしてピックアップしてみました(笑)。

(5月18日)

「読者の広場」…こんぴらへの苦情に思う

 こんぴらさんへの苦情が高知新聞経由で紹介されていました。…(中略)…石段の真下で客引きするうどん屋や、腕を引っ張らんばかりの客引き、隣に気兼ねなしの口上。安藤広重の「東海道五十三次」の画で、客の荷物を話さない女中そのままの光景です。買わずに帰る客に「夏の蛤」の一言。「ミ クサッテ カイ クサラン」。…(以下略)

 夏の蛤は「身が腐って、貝(殻)は腐らん」。で、見るだけで買わない客に対する捨て台詞で「見くさって、買いくさらん」という隠語。品がない言い回しなので、あまり使いたくないですが(笑)。

昭和33年創業の「さぬきや製麺所」

 東京で昭和33年に創業した「さぬきや製麺所」という店の情報が出てきました。

(10月5日)

コラム「東京TODAY」…手打ちにこだわり50年

 東京にも「さぬきうどん」の店は多い。NTTの電話帳「東京23区企業名版」を調べてみると、「さぬき」「讃岐」「サヌキ」の付くうどんの麺類の企業関係だけで約40社。「さぬき」などと名乗らない店まで入れると、何軒あるか想像もつかない。しかし、「製麺所」と掲載しているのは1社。それは、都内大田区大森西にある「さぬきや製麺所」。経営者の大滝良一さん(78)は高松市出身で、製麺一筋50年。昭和33年に上京し、荒川区で開業した。35年から現在地で商売を続けている。今では仕事の中心は二男の二郎さん(41)。12年前にバトンタッチした。

 店は、京浜急行梅屋敷駅前の商店街にある。大きな「さぬきや」の看板が印象的。うどんの製造、小売を中心に、そば、焼きそば用の麺など多彩な品揃え。どれも手打ちにこだわっており、店の真ん中の作業所が買い物客から見えるようになっている。毎日、ゆで麺だけで約500玉を作っている。お客さんにおいしいうどんを提供するために苦労することは、まず良質の小麦粉を手に入れること。そして、できたてを買ってもらうための作るタイミングだそうだ。確かに「さぬきや」のゆで麺は、県内で見られるあのコシの強い「さぬきうどん」だ。父親からの伝統は受け継がれている。

 「昭和30年代の東京の讃岐うどん店」は、これまで、昭和32年に高松市出身の喜多博さんが早稲田大学のそばで開業した「玉藻」(「昭和34年」参照)や、開業年と場所はわかりませんが昭和30年代前半に高松市出身の鈴木力男さんが都内で開業した「讃岐茶屋」(「昭和38年」参照)の2軒が新聞に出てきましたが、この「さぬきや製麺所」は記事を読む限り、「うどん店」ではなくて「玉売りの製麺所」のようですね。

「うどん早食い大会」はまだまだ盛況

 続いて、うどん関連イベントの情報。まず、「丸亀お城まつり」と「高松まつり」で行われている「2大うどん早食い大会」は、この年も予定通り開催。加えて、8月に小豆島の内海町の「マルキン醤油」で開かれた夏祭りと、綾上町の「第5回あやかみサマーフェスティバル」でも、うどん早食い競争が行われました。また、徳島県土成町の「御所たらいうどん祭り」でも、うどん早食い大会が行われたことが記事になっていましたが、このところ出てくるのは全部「早食い大会」で、「大食い大会」はどうも消えてしまったみたいな印象です。健康的な配慮が理由なのか、用意するうどんの量が少なくてすむからなのか、どうなんでしょう。

 一方、「ドジョウ汁大会」は長尾の「どじょ輪ピック」の記事は見つかりましたが、飯山おじょもまつりの「どぜう汁大会」の記事は2年連続で見つかりませんでした。

うどんを使った慰問、接待、交流、体験教室の記事が大量に

 毎年のようにたくさん掲載されている「うどんを使った慰問、接待、交流、体験教室」の記事は、顔ぶれと内容がほとんど同じなので当欄ではこのところ割愛気味ですが、この年はあまりに多かったので、「たくさん行われている」というメッセージを伝えるために列挙しておきます。

(1月)
●内海警察署橘駐在所の巡査たちが、内海町の子供バス停広場で地区内のお年寄りや園児50人余りに手打ちうどん80玉を振る舞う。
●善通寺市の竜川幼稚園で、園児80人が打ち込みうどん作りを行う。
●瀬戸大橋駅伝の発着地点となった坂出市役所駐車場で、市内スポーツクラブの婦人部員ら約60人が、選手たちにうどん約3200食などを振る舞う。
●三野町の三野保育所で、地域のお年寄り35人と園児約50人が打ち込みうどん作りで交流する。
●観音寺市の中部中学校が「将八うどん」の高橋正一さんを講師に招き、1年生215人がうどん作りの体験学習を行う。
(2月)
●土庄町教育委員会が、中央公民館で小学生40人を対象にうどんづくり体験教室を行う。
●香川町教育委員会が町内うどん店店主を招き、香川町の浅野公民館で「第2回親子うどん作り教室」を開催する。
●志度町の志度母親クラブが、町農村構造改善センターで料理教室を開催し、手打ちうどん作りを行う。
●高松東交通安全協会の三木地区役員15人が、高松東署でドジョウうどん約80食を作って振る舞う。
●志度地区婦人会が志度高校を訪れ、定時制生徒にうどんを振る舞う。
(3月)
●綾上町の西分南小学校が「謝恩発表会」に地域のお年寄りたちを招き、打ち込みうどん作り等を行う。
●丸亀市の飯野保育所で、5歳児たちがうどん作りを行う。
●香川町大野公民館で、香川町食生活改善推進協議会などの主催で「ひとりでできるもん料理教室」が開催され、小学生約20人が打ち込みうどん作りを行う。
●サンクリスタル高松で、高松市教育委員会主催の「知ってもらおう高松講座」が開催され、高松市内に引っ越してきた転入家族など50人が手打ちうどん作りを行う。講師は「さぬき麺業」の香川政明さん。
(4月)
●土庄町の多聞寺で交通キャンペーンが行われ、土庄署員や婦人会のメンバーたち30人が300食のうどんでお遍路さんを接待する。
●綾歌町のボランティアグループ「碧空会」が大規模農道で交通安全キャンペーンを行い、手打ちうどん500玉をドライバーに振る舞う。
(7月)
●綾南町滝宮の南原児童館でサマースクールが行われ、20組の親子が手打ちうどん作りを楽しんだ。
(8月)
●満濃町児童館で、児童クラブの子供たちが手作りうどんを体験する。
(9月)
●綾上町の「綾上国際交流会」が海外技術研修員14人と県国際交流課職員15人を高山航空公園に招いて、ドジョウうどん作りを行う。指導は「綾南町さぬきうどん研究会」の十河利夫さん。
●宇多津ボランティア協会が郷照寺で、参拝者にうどん400玉のお接待を行う。
(11月)
●塩江町の内場池運動緑地公園で、「山ばと子ども会」がレクレーション大会を主催。親子約130人がうどん作りなどを行う。
(12月)
●高松東交通安全協会のメンバー10人が年末の慰問で高松東署を訪れ、ドジョウうどんを振る舞う。
●綾南町の陶小学校の「ふれあい教室」で、6年生55人が地域のお年寄りたちの指導でうどん作りを行う。
●善通寺市の「交通安全を考える会」の会員10人が善通寺署を訪れ、署員らにきつねうどん150食分を作って振る舞う。
●琴平ロータリークラブと仲多度南部製麺組合が琴平署を訪れ、署員に打ち込みうどん約100食を振る舞う。
●高松市の林保育所で町老人クラブと子どもたちの交流会があり、手打ちうどん作りなどが行われる。
●東部更生保護婦人会のメンバー10人が大内署を訪れ、手づくりのうどん80人分とちらし寿司50人分を振る舞う。

うどん関連広告の本数はさらに減少

 うどん関連広告の本数は前年まで3年連続で150本以下の低空飛行を続けていましたが、この年は105本。ついに“100本切れ”に迫ってきました。

<県内うどん店>
【高松市】

「かな泉」(高松市大工町他)……… 15本
「さぬき麺業」(高松市松並町他)… 12本 9月1日松並店オープン

「川福」(高松市ライオン通)…………2本
「久保製麺」(高松市番町)……………2本
「たけ匠」(高松市高松町)……………2本 10月25日オープン

「こんぴらうどん」(高松市古馬場町)1本
「うどん棒」(高松市トキワ街高松オーパ内)…1本
「さか枝」(高松市番町)………………1本
「丸山製麺」(高松市宮脇町)…………1本
「丸川製麺」(高松市中新町)…………1本
「松下製麺」(高松市中野町)…………1本
「こころ」(高松市中野町)……………1本
「おかすみ」(高松市西ハゼ町)………1本 1月14日オープン
「バール」(高松市一宮町)……………1本
「秀」(高松市八坂町)…………………1本
「田中」(高松市木太町)………………1本
「花ざかり」(高松市十川東町)………1本
「中北」(高松市勅使町)………………1本
「てら屋」(高松市檀紙町)……………1本
「北山うどん」(高松市鬼無町)………1本
「ヨコクラうどん」(高松市鬼無町)…1本

【東讃】

「郷屋敷」(牟礼町)……………………2本
「寒川」(三木町)………………………2本
「権平うどん」(白鳥町)………………1本
「吉本食品」(大内町)…………………1本
「木下製麺」(寒川町)…………………1本
「だるまうどん」(長尾町)……………1本

【中讃】

「長田うどん」(満濃町)………………3本
「日の出製麺」(坂出市富士見町)……2本
「里家」(丸亀市川西町)………………2本
「大庄屋」(琴平町)……………………2本
「いきいきうどん」(坂出市京町)……1本
「麺匠房」(宇多津町)…………………1本
「めりけんや」(宇多津町)……………1本
「多恵寿」(丸亀市幸町)………………1本
「まごころ」(丸亀市蓬莱町)…………1本
「サヌキ食品」(綾歌町)………………1本
「小縣家」(満濃町)……………………1本
「柳生屋」(満濃町)……………………1本

【西讃】

「将八うどん」(観音寺市)……………2本
「渡辺」(高瀬町)………………………1本

【島嶼部】

「甚助」(土庄町)………………………1本
「おおみね」(土庄町)…………………1本

<県外うどん店>

「大阪川福」(大阪市南区)……………1本

<県内製麺会社>

「藤井製麺」(三木町)…………………6本
「石丸製麺」(香南町)…………………4本
「サンヨーフーズ」(坂出市西庄町)… 2本
「冨田屋」(高松市川部町)……………1本
「日根」(志度町)………………………1本
「日糧」(詫間町)………………………1本

<その他うどん業界>

「加ト吉」(観音寺市観音寺町)………5本
「香川県生麺事業協同組合」……………4本
「香川県製粉製麺協同組合」……………1本

 以上、全体的に見ると、

●民間…全国の雑誌をはじめとする「讃岐うどん巡りレジャー」の情報発信が活発化し、讃岐うどん巡りファンが動き始める。
●行政…県や市町、組合、識者が、讃岐うどんの歴史や文化、技術をテーマにイベントや恒例行事を行う。

という、「立ち位置の違う2つの大きな動きが並行して動いている」という印象を受けるのが、この時期の特徴かもしれません。

(平成10年に続く)

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