さぬきうどんのメニュー、風習、出来事の謎を追う さぬきうどんの謎を追え

vol.21 新聞で見る讃岐うどん

新聞で見る讃岐うどん<昭和38年(1963)>

(取材・文:  記事発掘:萬谷純哉)

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  • vol: 21
  • 2020.02.20

「高松駅ホームのうどん登場」と「麦作壊滅の大災害」

 アメリカでケネディ大統領が暗殺され、日本では力道山が刺されたり三池炭鉱の爆発事故があったりした昭和38年ですが、香川のうどん関連の注目トピックスは、

①高松駅のホームに立ち食いのうどんコーナーが初登場した。
②冷害と長雨で香川の麦作が壊滅状態に陥った。

の2つです。

高松駅ホームに「立ち食いうどん店」が初登場!

 記念すべき高松駅ホームの立ち食いうどん店第1号(おそらく香川県内の駅うどんの第1号)が、昭和38年2月1日にオープンしました。これを受けて「高松駅ホーム立ち食い」をネタにしたコラムが何本も登場していましたので、かなり話題が沸騰していた模様です。

(2月1日)

高松駅で讃岐うどん 今日から3番ホームで発売

 国鉄高松駅ホームで1日から、讃岐名物の「手打ちうどん」の売店がお目見えする。これは、四国路を訪れる観光者の旅情を慰め、讃岐の味を満喫してもらおうという国鉄四国支社のキモ入りで、高松駅弁会社が開設するもの。時間は午前5時から午後10時まで、3番ホームでお目見え。値段は中味だけが30円、容器込みだと40円。この他、ミルク20円、コーヒー40円、ココア40円、ジュース20円で売る。紙コップ付きはそれぞれ5円高。

 「中味だけ30円、容器込み40円」というのは、「売店で店の器で食べると30円」で「容器にうどんを入れて列車内に持ち込んで食べると40円」ということです(筆者も昭和40年代に列車内にうどんを持ち込んで食べている人を見たような薄~い記憶があります)。ちなみに、高松駅構内に初めてうどん店が登場したのは昭和27年の3月。当時、国鉄高松駅構内にあった連絡船乗り換え用の「高松桟橋駅」(昭和34年に廃止)に「駅売りうどん」が出たのが最初で、その時も運営は高松駅弁でしたが、その「高松桟橋駅の駅売りうどん」は夜の最終列車と朝の一番列車の時だけ出ていたので(「昭和27年」参照)、常設の「駅うどん」はおそらくこれが最初です。ただし、店の出た場所がどうもあやふやで、この記事が出た2月1日の夕刊と翌2日の朝刊には違うホームの番号が…

(2月1日夕刊、2月2日)

上々の好評 高松駅新名物の「さぬきうどん」

 1日の早朝から高松駅5、6番ホームに新名物「さぬきうどん」がお目見えした。四国では阿波池田駅に次いで2番目の駅弁うどん。本場讃岐の手打ちうどんとあっては、讃岐っ子ならずとも商用、観光で高松駅に降り立ったお客さんたちには待望の好物だったろう。

 開店したばかりの駅店には、この日さっそく朝の連絡船から降りた客が小綺麗な駅店に目を付け、寒さで凍えた体をふるさとの味で暖めていた。接続列車の発車時間までの束の間、「ツルツル」と音を立てて立ち食いする味はまた格別。この「さぬきうどん」は素焼きの丼にかまぼこ、あげ、ネギの薬味が乗っかって一金30円なり。容器付きで40円という手頃な値段に、立ち食いのお客さん「オッ! これはイケる!」と上々の評判。

 1日の朝刊で「3番ホーム」と書かれていましたが、その日の夕刊でたちまち「5、6番ホーム」に変わっていました(笑)。後の記事で「5番ホーム」という記述が出てきますので、たぶん「5、6番ホーム(5番線と6番線の間のホーム)」が正解です。そして、これを受けてさっそくコラムで「駅うどん」がネタになっていました。

(2月2日)

コラム「一日一言」

 準急「いしづち」のお目見えなど、国鉄四国支社の新ダイヤが滑り出した昨日1日から、高松駅ホームで讃岐名物手打ちうどんの立ち売りが始まった。旅する者にとって、その土地の名物やうまいものが車窓で食べられることはありがたいものだが、うどんの立ち売りとは考えたものだ。

 昔から三陸線や中央線などにはそばの立ち売りで有名な駅があって、わずかな停車時間に熱いそばをかき込むことにスリルとローカル色を味わわされたものだが、近頃は便利な紙製の容器ができて、容易に車内へ持ち込めるようになった。アユ寿司と共に有名な阿波池田駅の祖谷そばなども車窓で簡単に買えるので、土讃線の旅客には大変親しまれている。そばは信濃産か出雲産にとどめを刺すと言われるけれど、黒っぽくて牧歌的な味を持つ祖谷そばの風味も、四国路を旅する人には懐かしい山国の味であろう。

 うどんは讃岐の手打ちが一番うまいとは限らない。香川で生まれて阿波池田に住んでいる食通の山田竹系氏なども、「阿波と讃岐のうどんは似たようなものだ」と言っている。その上、阿波にはジンゾクという川の小魚で味付けする有名な「たらいうどん」もある。伊予のうどんも讃岐に劣らずうまい。特に伊予かまぼこや焼き穴子をふんだんに入れた「しっぽく」の味は天下一品で、これは漱石や子規も太鼓判を押している。近頃大阪のデラックス料理として有名なうどんのすき焼きなどよりも、私は松山の「しっぽく」の味を高く買う。

 しかし、讃岐の手打ちうどんは東京にまで進出して「さぬき屋」その他の店が大繁盛し、郷土出身の作家や芸能人も大いに宣伝に努めてくれているので、PRは十分行き届いている。手打ちうどんと言っても、この頃は機械製が多く、真の手打ちは田舎の自家製ぐらいなものだろうが、機械製でも結構味はいいのだから、駅売りも大いに人気を呼ぶだろう。

 このほど山陽線に乗った時、姫路駅のホームでインスタントラーメンを売っているのを見たが、旅行者にとっては、やはりその土地独特の名物の方に食指が動くに違いない。この点、さぬきうどんの駅売りには大賛成だが、だし汁なども吟味し、生ぬるいおつゆのまま売るようなことのないよう、満足のいく讃岐の味を提供してほしいものである。

 手打ち麺やダシへのこだわりが随所に見られるコラムに、この一日一言子の「讃岐うどん魂」を見ました(笑)。他県の駅の立ち売りそばは「近頃は便利な紙製の容器ができて、容易に車内に持ち込めるようになった」そうですが、高松駅ホームのうどんの車内持ち込みも紙の容器だったのかどうか、そこは新聞の記述も筆者の記憶もありません。あと、当時、東京に「さぬき屋」という讃岐うどん店が進出して大繁盛していたそうです。

 さらにオープン5日後の2月6日、別のコラム子がまた「駅うどん」の話を書いていました。

(2月6日)

コラム「耳」/立ち食いの妙味

 高松駅構内にこのほど「讃岐うどん」の店ができ、大繁盛である。しかも乗客が列車や連絡線の出る慌ただしい間を利用してうどん立ち食いの快をむさぼるあたり、言うに言われぬ妙味がある。そこで、落語の炭坑節じゃないが、うどん立ち食いの味覚に酔って、知らず知らず「汽車がア出た出た、汽車が出た、ヨイヨイ、アベック乗せた汽車が出た…」で、もう一杯ということになる。また「船が出た出た、船が出た、ロマンス乗せた船が出た…」でもう一杯。とうとう船が出ちゃったという光景もありうると思う。

 そこで立ち食いの醍醐味は、実に最良のもので、全身これ食に通じる諦念(ていねん)の境地である。旅は人生のさまざまな姿と現実の縮図でもあり、千姿万態の顔を、また千差万別の考えを乗せて列車は走る、船は行くのである。その時、旅の一景物として現れた「讃岐うどん」は、まさに旅人に対する天真爛漫な贈り物である。しかも、庶民的な味! 純真素朴な味は旅の疲れをほぐしてくれるであろう。こうして白昼公然とうどんの立ち食いができるありがたさ。食欲の自由奔放を謳歌せずにはいられない。

 こっちのコラムは、讃岐うどんの麺やダシに対する「魂」は今ひとつ…(笑)。加えて替え歌のセンスもいかがなものかと思いますが(笑)、とにかくこのコラムの連発を見ると、高松駅ホームの立ち食いうどん店のオープンは相当話題になっていたことが窺えます。そしてさらに秋にもう1店、今度は高徳線のホームにもうどんコーナーがオープンしました。

(10月5日)

「さぬきの味」を売る 高松駅 うどんコーナーお目見え

 高松駅構内、高徳線のホーム入り口に「さぬきうどん」「生そば」を売るコーナーが新しくお目見え、旅客から好評を博している。この売店は、四国では阿波池田駅の「そば」、高松駅5番ホームの「さぬきうどん」に次いで3番目の駅弁コーナー。4日午前10時から開店したが、本場さぬきの手打ちうどんや生そばとあって、これはいけるとばかり旅客が殺到。「ウマイウマイ」を連発しながらさぬきの味に浸っていた。

 うどんは、かまぼこ、ねぎ、あげが乗っかって一金30円。生そばはヤマイモ入りで、季節の香りをいっぱいに漂わせたマツタケの他、かまぼこ、ノリ、タマゴ、あげ、アナゴ入りで金50円なりというお値段。毎日午前5時から午後9時まで営業することになっているが、これから寒いシーズンを迎え、温かいこのうどん、そばは旅情を慰めてくれるばかりでなく、高松駅にまた一つ名物が増えたわけだ。

 「かまぼこ、ねぎ、あげが乗っかって一金30円」。昭和27年の「高松桟橋駅の駅売りうどん」は「かやくうどん」と「えびのてんぷらうどん」がそれぞれ「1杯30円」とありましたが、それから11年も経って、しかも昭和35年、36年あたりに全国的な物価急上昇があったというのに、同じ30円です。「かやく、えび天」と「かまぼこ、ねぎ、あげ」の違いを差し引いてもあまり“値上げ感”が感じられないのは、「そば」に比べると圧倒的に庶民路線を歩んできたと言える「讃岐のうどん」だからでしょうか。

 続いて2月17日に、その「高松駅ホームの立ち食いうどん店」を始めた国鉄四国支社長さんの寄稿が載っていました。

(2月17日)

連載「讃岐おか目八目」…国鉄四国支社長・水野正元氏(福岡県出身)

 高松へ来てからまだ1年余りなので、讃岐の味というのもほんのちょっぴりといったところ。…(中略)…讃岐の名物と言われる「しょうゆ豆」「内海の小魚」「手打ちうどん」などは、風味豊かでとてもうまい。特に私はあの四角な太いうどんが好きです。こんなうまいものはないと思って、さっそく高松駅で「うどん屋」を開業したわけですが、これがまた大好評で、観光客や旅の人に喜んでもらっています。

 …(中略)…仕事の性質上、観光とか交通の話になるのですが、本土から四国へやってくる人たちの話では「高松の市内バスの車掌さんの態度は悪い」ということです。私も時折乗ってみるんですが、行き先表などわかりにくいと思います。こんぴらさんにドライブウエーとかケーブルカーを設置しようという話があり、地元の人たちが反対などしていますが、森の石松が代参したような時代ではないので、これからの観光ということをよく考え、大きな気持ちで讃岐の観光を開発してほしいものです。屋島、小豆島なども全国的に名前がよく知れている割に観光施設が十分でないのは惜しいことです。天然の絶景、瀬戸内海の美をもっと観光面に活用すべきですよ。半日コースとか1日コースとか、もっとスケールの大きな観光開発をやってほしいものです。

 「駅のホームのうどん店」第1号の運営会社は「高松駅弁」ですが、場所が駅のホームですから、オープンを最終決定したのは当然、国鉄四国支社のトップの水野支社長。このコラムは県外から香川に来られた方が香川感を語る連載ですが、連載タイトルの「おか目八目」(「当事者よりも第三者の方が客観的に物事の善し悪しを判断できる」という意味)の通り、県外(福岡県)から来られた支社長ならではの発想だったのかもしれません。

 ちなみに、同コラムの連載では他にも何人か「香川の食や観光に対する県外人の雑感」が語られていましたので、抜粋してみましょう。

「香川はうどんがうまい、ニワトリがうまい」

(2月22日)

連載「讃岐おか目八目」…県農業改良課長・星出暁氏(広島県出身)

 暮らしよいところですね。災害が少なくて、食い物がうまくて…(中略)…食べ物のうまいことはちょっと類がないでしょうね。魚、野菜、果物は種類が豊富で新鮮で、しかも安い。特にアナゴ、エビはうまい。東京ではこんなに安くてうまいものはとても食えないでしょう。また、名物の手打ちうどん、しょうゆ豆も他県では味わえないものです。私など、うどんと言えば丸くて柔らかいものだとばかり思っていましたが、手打ちを食ってあのコシコシした歯ごたえに驚きました。

 県民性は、一口に言えば「目先が利いて経済に明るく、勤勉である」ということですね。そして進取の気性がある。これは利点であると同時に欠点にもなっているようです。例を農家にとってみると、作物の転換や新しい技術導入などは他県に比べてすごく早いですね。これは生産者として当然ですが、でもあまり早すぎると「浮気っぽい」ということになる。他県のように「一つのものを少々悪くてもガッチリ主産地形成をやる」というのではなく、ちょっと悪ければ捨ててしまってすぐ儲かるものに乗り換える。「信念を持って一つのものをやり遂げる」という気質に欠けるようです。また、利にさとい面が強いため、共同化に欠けるようです。県内の耕作面積ではとても他県と太刀打ちできないのだから、共同化による経営の拡大を図らなければならないと思います。

 こういった県民性は観光面にも出ていますね。自然美にだけ頼って施設やサービスに力を入れない。長い目で観光事業を見るのではなく、「当座だけでも儲かればよい」といったところがあるようです。ある観光地で経験したことですが、同じ会社の観光バスでありながら本コース以外はとてもサービスが悪い。それはひどいものです。あまり儲からないコースなのでしょうが、同じ「利にさとい」気質でも大阪商人とは全く異質のものですね。…(以下略)

(3月2日)

連載「讃岐おか目八目」…日銀本店秘書役・玄後市郎氏(和歌山県出身)

 2年間の高松生活に別れを告げて再び東京で生活することになり、今、しみじみと讃岐のよかった点、悪かった点を考えていたところです。…(中略)…屋島を中心とした内海の景色はどこにもない素晴らしいところと思います。これは「観光香川」にとって願ってもない資産で、これを大いに生かすべきではないでしょうか。

 産業では、製紙、手袋、うちわ、製塩など特産品を中心とした中小企業が多いというのが特徴でしょう。この中で、「讃岐三白」に数えられた製塩業が斜陽化しているのは寂しい。大川郡の手袋産業は最近台頭を示してきましたが、もう少し高級な物を作れば海外へどしどし進出できると思います。逆に言いますと、今の品質を改良もせず国際市場に出した場合には後進国に圧倒される可能性を十分に含んでいるということです。今後、香川に工場を誘致するとすれば、素人考えですが、水のあまりいらない精密機械か電子産業がいいと思います。

 …(中略)…讃岐のうまい物ですが、私は「うどん」だと思います。それにニワトリがうまい。その上安いときていますから、こんなにいいことはありません。(以下略)

 県外から香川に来られたお三方とも、讃岐うどんのうまさに驚いておられますが、香川の産業や観光や県民性については、今ならおそらく思ってても言わないか、言っても新聞には載せないような歯に衣着せぬ指摘をされていて痛快です。あと、「ニワトリがうまい」という意見がありましたが、実は香川県は昔から「養鶏県」としても知られていたそうです(そういえば、飯山の「なかむら」も前史は数千羽の養鶏をやっていました)。ちなみに、骨付鳥の「一鶴」が骨付鳥を発売したのは昭和28年(同社HPより)だそうですから、上記の玄後氏も食べていたのかもしれませんね(笑)。

新粉の打ちたてうどんにカラシ?!

 続いて、讃岐の食のコラムの中に「うどんのつけダシにカラシ」という記述が見つかりました。

(8月3日)

さぬき味の歳時記~8月~(加藤增夫)

 戦時中も戦災の直後も、食べ物には不自由した。お腹が減ると、いつもオチラシを食べて我慢した。甘いのでも塩味のものでも、お好み次第である。熱いお茶で溶いて食べる。独特の香りがある。工夫して自分で作ると、ごく上等のオチラシができる。

 スズキの洗い、ボラの洗いは夏の刺身の一等品である。青じそと取り合わせ、氷を乗せる。器がよろしいほど味覚をそそるであろう。ゆでタコの足の刺身も、カラシ醤油、ショウガ醤油などで大いにいけるシーズンである。タコは茹で案配が秘訣で、その味が左右される。季節的に言って、マナガツオの照り焼きは讃岐では盛夏がうまい。

 手打ちのうどんは四季いつでも結構だが、夏季の新粉のうどんの打ち立ちもうまい。茹で上がると井戸水でさらし、さっそくカラシとカヤクネギを混ぜ込んだダシにつけて食べる。もてなしの客膳の場合は、昔は必ずしょうゆ豆の一皿がついた。しょうゆ豆は春に採れたものならなおよい。ショウガ汁を加えた辛い味が伝統の風味である。

 そうめんは、讃岐の各地で昔は手延べのものが作られていた。そうめんは茹で加減が第一。その次がダシで、都会流の甘いおつゆではいただけない。お盆3日のどの日かに、そうめんを必ず食べる。もちろん、精霊に供えて。…(以下略)

 「うどんのつけダシに入れるのはショウガか、ワサビか」という論争(?)がありますが、かつて、そこに「カラシ」も参戦していたのか? という謎が出てきました。話の種に、誰かぜひお試しを(笑)。

「うどんすき」は「うどんのすき焼き」だった?!

 続いて謎の第2弾。「うどんすき」の発祥に新説が出てきました。

(12月2日)

コラム「一日一言」

 …(前略)…ところで、大阪のある料理屋が考案して全国的に有名になった「うどんのすき焼き」は高級料理の一つだが、これを簡単に家庭でやってみるのもなかなか乙なもので、これから年末にかけて、みぞれ降る夜の食事を楽しませてくれる料理と言える。手打ちうどんの名門、讃岐路の「しわす味の歳時記」にも「うどんすき」はぜひ仲間入りさせたい庶民の味の一つだろう。

 「うどんすき」を「うどんのすき焼き」と書いています。香川で「うどんすき」と言えば、今はなき「かな泉」の代表的メニューだったのを思い出しますが、それは皆さんご存じの通り「うどんのすき焼き」ではなくて、「野菜や魚介類にうどんを入れて食べる鍋料理」。また、全国的に有名な「うどんすきの発祥」と言われる大阪の料亭「美々卯(みみう)」のうどんすきも同じです。美々卯がうどんすきを始めたのは昭和一桁の頃だそうで、コラムにある「大阪のある料理屋が考案して全国的に有名になった」というのもおそらく美々卯のことだと思いますが、とすると、このコラムから考えられるのは、

①実は「うどんのすき焼き」が発祥だが、後に今のスタイルになり、こっちの方がいい感じなので、美々卯が最初の「うどんのすき焼き」の歴史を抹殺した(笑)。
②一日一言士が「うどんすき」と聞いて勝手に「うどんのすき焼き」と思い込んで、確認もせずに書いてしまった。

の2つですが、私的には②に一票(笑)。でも、すき焼きの後に入れるうどんもうまいので、どこか、「すき焼きうどん」と命名して出してくれませんか?(笑)

(12月31日)

年末警戒の署員をうどんで慰問 坂出青年会議所

 坂出青年会議所では30日深夜から31日午前2時過ぎまで、年末警戒を続けている坂出署員を温かいうどんで慰問、その労をねぎらった。市民に楽しい正月をプレゼントしようと深夜の張り込みを続ける署員には、温かいものが何より。3台の自家用車にプロパンガスとコンロ、ぬくめ湯を沸かす釜、練炭コンロに鍋、うどん玉と一式を積み込んで出発。田尾坂から府中町新宮まで8カ所の検問所を回り、温かいうどんを一人一人の署員に食べてもらった。

 慰問やお接待には、やっぱり「うどん」です。

東京の讃岐うどん店の元祖は、鈴木さんが始めた「讃岐茶屋」だった?!

 では、この年も紙面を賑わしていた「物産展と手打ちうどん実演」の記事を並べてみましょう。

(9月29日)

旅情誘う「さぬき民謡」 「四国の観光と物産展」好評 手打ちうどん実演に人気

 「第12回四国の観光と物産展」が24日から東京日本橋の三越で開かれ、人気を呼んでいる。4県の郷土色豊かな民芸品や食品がそれぞれ出品され、香川からは特産品である漆器、サラダボウルなど木製品、食品を中心に約250点が出品されている。好評なのは、やはり食品類。魚せんべいやオリーブ製品、調味料など。今度の物産展では「きんま」の菓子鉢や手文庫をはじめ、後藤塗りの文机、三面鏡、応接セットなど比較的高価な物もあり、5~6万円もする文机や三面鏡などもボツボツ売れている。1日の総売上も15~16万円を下らないという。

 地方色豊かな民芸品、食品の実演販売はいつも物産展の人気の中心だが、特にさぬき名物の「手打ちうどん」の実演の前は黒山の人だかり。また、5~6年前から高松市生島町の生島湾で養殖されている真珠がこの物産展に初めてお目見え。アコヤ貝から取り出す真珠の加工実演に女性客が押しかけていた。また、会場ロビーでは国鉄四国支社、交通公社、各県観光課の係員が「旅行相談所」を開設。四国の観光地写真展とともに旅行ファンの夢を誘っている。

 物産展に必ず参加して今や物産展の名物となっている讃岐の「手打ちうどん」。東京の本場(?)手打ちうどんの元祖は、高松市出身の鈴木力男さん(32)。早大文学部出身の変わり種で、「讃岐うどんを東京に持って来たら」と考えついたのは「東京のうどんがあまりにまずかったから」と言う。今では都内2、3の出店の他、待望の自分の店「讃岐茶屋」を持ち、社員20人を使う讃岐食品株式会社の社長さん。都内に5、6軒ある「讃岐うどん」もみんな鈴木さん方を独立して始めたものという。物産展での売上も軽く10万円を超える盛況ぶり。

 三越内にある小劇場で期間中、4県の民謡保存会有志や地元観光バスガイドによる民謡踊りや観光地案内が、来場のお客さんを喜ばせた。高松さぬき民謡愛好会の13人が「一合まいた」「こんぴら舟々」など5曲を披露すれば、琴電バスガイドさんが丸亀から琴平までの道中を車中さながらに名調子で語りかけ、徳島の「阿波踊り」などと共に南国四国への旅情を誘っていた。

 26日午後は三越前の第一証券ホールで「四国の観光相談会」が開かれた。4県観光課、国鉄四国支社、四国観光都市連絡協議会の主催によるもので、都内の観光業者、交通公社、学校関係者など約50人を招いて四国観光の概況を説明。観光地の案内や観光映画の上映を行い、意見交換をしたが、「四国は座席指定の列車がない」「交通の便利が悪い」など苦言が続出。都内のある学校の先生は「生徒の希望も多いが、四国は食中毒が怖い。観光地では衛生に十分気をつけて欲しい」と語っていた。

 毎度おなじみの内容ですが、その中に「東京の讃岐うどん店の元祖は高松市出身の鈴木さんが経営する『讃岐茶屋』で、同店出身の讃岐うどん店が都内に5、6軒あった」という情報が出ていました。ちなみに、前出の「一日一言」のコラムの中に「讃岐の手打ちうどんは東京にまで進出して『さぬき屋』その他の店が大繁盛し…」とありましたが、別の店でしょうか。さっきの「一日一言」でも「うどんのすき焼き」でこの一日一言子の早合点の疑いが出てきたので(笑)、もしかしたら同じ店なのかもしれません。

 しかしそれにしても、記事の最後にある「四国は食中毒が怖い」という都内の学校の先生のコメントはどうなんでしょう。本当に四国は衛生状態が悪かったのか、あるいは東京の学校の先生が四国に対して偏見を持っていただけなのか。後者ならひどい話ですが…。

物産と観光のPRに「四国は一つ」のスローガンが打ち出される

 続いて、日付は前後しますが1月の新春特集で、「四国の観光と物産」の座談会の模様が掲載されていました。長いですが、当時の状況を確認するために小分けにして見てみましょう。

(1月3日)

「四国の観光と物産」座談会

 瀬戸内海時代来たる。「四国は一つ」という新しい言葉が叫ばれ、内海を抱いた四国は一躍脚光を浴びるようになった。香川、愛媛、徳島、高知4県が観光、物産を中心に「四国は一つ」のスローガンのもと、大いに売り出そうという。脚光を浴びた四国にこれに応えるような立派な観光地を作り、そして誇りある郷土物産を宣伝していこうと、東京にある4県観光物産斡旋所の代表者に集まってもらい、新春へき頭、観光、物産面から見た「一つの四国」を大いに語ってもらった。

 

 「四国は一つ」というスローガンは、行政やマスコミや協議会等の団体が昭和50年代終盤あたりまで時々使っていたような記憶があるのですが、「新しい言葉が叫ばれ…」とありますから、この頃に言われ始めたようです。

好評、讃岐うどん かまぼこにも人気集中

徳島 「四国の観光と物産」というテーマだが、物産展も昨年まで11回開いたことになるわけだ。昭和26年の大阪の近鉄百貨店をはじめとして、札幌で3回、大阪で3回、仙台で1回、それと東京で3回となるね。
高知 物資があまりなかった頃は何を持って来てもよく売れたものだ。
香川 どこの県でも食料品が一番喜ばれたね。
高知 販路の面でもずいぶん開拓されたものだ。だからというわけでもないが、デパートで物を売るよりも四国の観光宣伝に重点を置こうというのが最近の傾向だね。
徳島 東京タワーでやったのもその狙いで、東京タワーには日本全国の人が集まるので、観光宣伝にはうってつけというところだ。物産も土産品程度でね。
高知 「物産展」も賑やかに即売ということだと影響もないが、販路の開拓という面から見ると少し考えさせられることが多いね。やはり今後の物産展は観光を主体にやっていかなくては…。
香川 各県とも同じような方法をとっているようだが、食料品なら食料品、木製品なら木製品と、部門別でもあまりその土地に出ていないもの、いわゆる最新的な物を持って来てやるのが問屋筋にも魅力があるのではないか。
愛媛 だから物産展も一応役目が済んだとも考えられるわけだが、郷土産業のPRと都会で新しく動くものの調査といった「検討の場」として続けるのも結構だが、県の産業、観光、県政とか全体の宣伝の場に使う。例えば「新産業都市」とか、「観光道路はここまで延びている」とかね。そんな内容を盛り込んで年1回は県単独でやるのもいいじゃないか。
高知 県単独でもよいが、4県合同の方がボリュームもあるし、宣伝効果が上がりはしないかね。
香川 それは観光を表に出した場合だね。観光地の土産品を売る程度のね。そうなればまた物産展というのは別に考えてもいいような気がする。
徳島 四国は地理的に独立している関係上、4県が今後ますます力を合わせてやっていくのが一番だね。

 「四国の観光と物産展」は、昭和26年の大阪近鉄百貨店を皮切りに、この年までほぼ毎年1回(12年で11回)開催されていたことがわかりました。そして、まずは「物産」を中心に大都市圏で共同のPRイベントを始め、後に「観光」PRにシフトしていった…という流れです。

ーー東京タワーの物産展での、お客さんの認識の程度というのは?

愛媛 最近は高くなったね。事務所への問い合わせもここ2、3年非常に多くなっている。
高知 神田の共立講堂の「四国観光のつどい」の時も入場者が多く人気を呼んだのを見ても、認識の度合いが高くなっていることは言えるね。
徳島 東京タワーの時だが、阿波踊りを見て「阿波踊りは四国の徳島の方ですか…(笑い)」と言ってた人がいた。結局、踊りや民踊でその地方を印象づけることが大切だな。 

ーー話は変わるが、食料品も各県特色のあるものを出しているわけだが、味覚の点はどうだろう。関西人と関東人の嗜好の違いがあるわけだが。

香川 かまぼこが割合評判がよく、横須賀での物産展に60箱取り寄せたのだがあっという間に売り切れたね。昨年、正月用に池袋の西武百貨店からの注文で大量に納めたのだが、小田原のかまぼこと香川のかまぼこを食べてみたら、「さすがにうまいが少し魚臭い」と言うんだね。かまぼこを倉庫に入れたところ、ネコが入って食べたのは香川のばかりで小田原のは全然食べない。(笑い)
徳島 うちの「スダチ」も東京にボツボツ出荷されているが、出荷量が少ないためにまだなじめない。大阪あたりではかなり知られているが。「ジャパニーズ・レモン」として外人あたりにも評判がよいし、「どしどし出荷しろ」と言われるが、微妙な問題もあるので…。
香川 ある程度嗜好の違うのは仕方がないが、うちのマルキン醤油でも他の醤油と比べたら全然濃度が違うような感じがするそうだ。薄いような、甘いような。そんなわけで、最近は東京人に合うような東京向きの醤油を作っている。
愛媛 やはり東京向きというのはあるだろうが、郷土的なものに在京県人は郷愁で買うのではないか。一般の人は遠く離れた“四国のもの”という魅力で買う。

ーー四国の郷土食品で東京で人気のあるのは?

愛媛 高知の「皿鉢料理」があるね。
香川 さぬきの手打ちうどんは常時池袋の三越で実演、販売をしているが、三越さんから「よそでやったら困る」と言われるくらい人気があるね。
愛媛 宇和島のかまぼこ。それとミカンだね。

 「香川のかまぼこは魚臭いので、倉庫に入れてたら香川のばかりがネコに食べられた」とか、「徳島のスダチはどんどん出荷しろといわれるが、微妙な問題もある」とか、今の新聞ならとても書けないような話が出ていました(笑)。でも、そんな昔の新聞記事の方が何かおもしろい(笑)。

旅館は高松が一番 ひなびた面も魅力に…

ーーここらで話を四国の観光に移そう。

香川 東京で割合知られている観光地は映画や小説の舞台で、よい宣伝になっているのではないか。
徳島 香川県では壺井栄の『二十四の瞳』で小豆島が有名だ。愛媛県では『大番』や『てんやわんや』、高知県は『足摺岬』、徳島県の『鳴門秘帖』などが知られているね。映画ロケの影響も大きいね。
公社 四国方面への周遊券も毎年20%増えている。「南方ブーム」と言うのだろうが、南紀、四国、九州に相当人気があるね。苦言を言うようだが、観光地としてはまだまだお粗末だ。まず道路が悪い。四国では高松が一番よい。その次が温泉の道後がよいようだ。徳島になると、極端に言うと泊まるところがないわけだ。連れ込み宿兼用というようなところが多く、新婚旅行の時など全く困ってしまう。
徳島 三県に比べて旅館がお粗末という話だったが、確かにその通りだ。最近は観光誘致ということで日本観光旅館連盟に加入した立派な旅館ができているようだ。あながち連れ込み宿ばかりではない。(笑い)
高知 香川や愛媛では旅館の設備も一応揃っているが、うちの県でも新しい観光地の充実ということで積極的に指導しているので、だんだん充実したものができてきているよ。
徳島 そうだね。国際観光旅館とか政府登録旅館も2、3できているようだ。カギの付いたバス、トイレ付きの新婚旅行向きが完備しているよ。(笑い)
公社 高松に行くと旅館の整備も女中さんの訓練もよくできている。温泉がなくてもお湯が温泉と同じように出ればよいわけだから、都会の人が行ってもあとで「よかったなあ」と言われるような施設があることが必要条件になるね。また同時にひなびたところも魅力があるかもしれないが。
高知 やはり多少はローカル色を持たなければならないだろう。サービス面の改善や設備の整備は絶対しなければならないが…。

 『二十四の瞳』は昭和29年公開。愛媛県の『大番』と『てんやわんや』は宇和島が出てくる映画で昭和25年公開。『足摺岬』は昭和29年、『鳴門秘帖』は昭和32年公開の映画。映画や小説が観光振興のきっかけになるというのは、今も昔も同じです。あと、公社の人の発言に「四国は道路が悪い、泊まるところがない、連れ込み兼用の宿が多い」とありますが、前出の「四国は食中毒が怖い」と言った東京の学校の先生といい、四国外の識者(?)から見た四国の印象は相変わらずあまりよくないみたいですね。

ーー最近はカー時代だが、四国向けの旅行者で車の乗り入れるケースは多いのかな。

徳島 最近は多くなったね。
香川 阪神、山陰方面からバスを連ねて海を渡ってくるケースが多いと言うね。
徳島 デラックスバスを連ねてね。徳島でも「3泊4日の東京の旅」といってどんどん出ている。
公社 「四国に行ったらどこに行ったらいいですか?」という問い合わせが多いが、四国一周を勧めている。できるだけ遠くへ入ってもらうような方針を採っているが、香川県だけに入ってすぐ出て行くケースが多いので苦労するね。(笑い)しかし最近では「足摺岬に行きたい」「高知へ行ったら皿鉢料理を食べたい」「阿波踊りに引っかけて四国一周したい」とか、少なくとも観光地を2つ以上回ろうというのが最近の行き方だから、今後の四国の観光は前途有望ですね。

 今、香川の観光関係者の間では「香川は愛媛や高知に行く観光客の“通過県”になっている」という声が多いのですが、かつては「香川県だけに入ってすぐ出て行くケースが多い」という“夢のような状況”があったんですね(笑)。

高知 阿波踊りとよさこい踊りは同じ時期でね。
愛媛 うちでは伊予万才。旅館で頼めば3000円でOK。(笑い)
香川 うちは金毘羅さんの秋の大祭だね。それとタイの浜焼きが割合有名だね。タイ網の頃だが。
徳島 阿波踊りの4日間で県外から入ってくる人は8万~9万にのぼり、年々増える傾向にあるが、旅館の収容能力がないものだからお客さんの多くは見物が終わったら高松に泊まるようだ。汽車で1時間少々だからね。

ーー観光パンフレットや宣伝ポスターが非常に少ないとよく言われるのだが、実情はどうだろう。

徳島 いかんながら確かに少ない。予算の関係もあるしね。「観光については四国は一つなり」という観点から各県合作のパンフレットを作ることはもちろん、県独自のものを作る場合でも、県の観光地はもとより、他県の主要観光地も合わせて入れるということに申し合わせができているようだ。
愛媛 観光客誘致の宣伝隊の派遣だが、うちは積極的だが、他県はどうだろう。
香川 年に3、4回はやっているようだ。
高知 各県とも東北方面まで足を伸ばしている。交通公社、国鉄、4県がタイアップしてね。
公社 非常に熱心であるということは実績が上がっていることとは別だが、四国、東北はある程度成功しているね。
香川 「春の新婚旅行は四国路」というわけだな。(笑い)

ーー話題も尽きたようだが、最後に今後の物産観光展や宣伝方法についてそれぞれ大きな夢を持っていると思うが、お正月らしく大風呂敷を広げてもいいんじゃないか。(笑い)

徳島 阿波踊りを宣伝することは四国を宣伝するということになるんじゃないか。だから四国を大きく知らせる意味で、会社とか学校にPRをやることだな。
香川 物産展だが、海外でやったらおもしろいのではないか。ハワイの白木屋とか香港あたりでも近畿ブロックや九州ブロックはすでにやっているようだ。
高知 四国は海で囲まれている関係上、観光宣伝で海からの観光という面を考える必要があるんじゃないか。できたら東京あたりから水中翼船で高知に連れてくる。魚を釣ったり、海から足摺岬を見たり。おもしろいと思うのだな。

ーー「道路が悪い」なんて言われなくてもいいしね。(笑い)

高知 黒潮躍る太平洋でカツオやマグロを釣り上げる。豪快ですぞ、これは。

 「伊予万才」や「香川の鯛の浜焼き」等、今ではそれをお目当てに来る県外観光客はほとんどいないものがいくつか挙げられていますが、香川の栗林公園や屋島、愛媛の道後温泉、徳島の鳴門の渦潮や祖谷のかずら橋、高知の桂浜や龍河洞といった今日の有名観光地の名前には全く触れられていないのはなぜ? といったところで、まあこの座談会が四国観光の状況のすべてではないものの、ずいぶん時代の違いを感じる内容でした。

香川の麦作、寒波と長雨で壊滅状態に!

 続いて、天候不順による麦作の大被害のニュースです。記事によると、

①香川県の山間部で前年末からこの年の3月末まで3カ月以上にわたって雪が積もり、麦の成育が著しく遅れた。
②4月から5月にかけて長雨が続き、麦は倒伏や冠水に加えて病害も発生して壊滅状態に陥った。

という2度の災害に見舞われたとのこと。特に長雨の被害は甚大で、記事には「史上最大の凶作」という表現も見られました。まずは、寒波の被害を伝える記事から。

(4月9日)

麦、寒波で大打撃 琴南町川奥、勝川地区 被害金額1000万円に上る

 仲多度郡琴南町の川奥、勝川地区の麦は、本冬の寒波がもたらせた雪害により、ほとんどの畑が収穫皆無で、町並びに町農業委員会ではその被害調査をこのほどから始めており、近くこれをまとめて県に災害陳情をする。

 両地区内の麦は昨年末から3カ月以上も雪が積もり、3月末にやっと雪が解けた。そのため、麦の分けつが悪く、生育が著しく遅れた。これらの地区民は麦とサツマイモが主食にされているだけに、農家の打撃は大きい。被害面積は約100ヘクタールに及ぶものとみられ、10アール当たり10キロ(半俵)も収穫できればよい方で、ほとんどが収穫皆無の状態で、被害金額は1000万円に上るものと関係者は推定している。町当局も事態を重視し、農業委員会と共同で麦の被害調査をする他、政府へ麦払い下げの申請手続きも取ることにしている。

(4月25日)

一番茶ほとんど絶望 寒波、雪害の影響 出回りも遅れそう

 県下の新茶は、今年の冬の寒波に見舞われて一番茶がほとんど絶望。このため、出回りも例年より約10日遅れて5月10日頃になる見込み。

 温暖化の影響で香川も近年は積雪を見ることがほとんどなくなりましたが、昭和30年代は平野部でも毎年のように積雪がありました。それがこの年の寒波と積雪は特にひどく、琴南町の麦が壊滅、高瀬のお茶も収穫が遅れたとのことです。そして、雪が解けたばかりなのに、4月からいよいよ長雨が始まりました。

(4月25日)

麦、野菜 連日の雨でピンチ 相次ぐ病害発生 県農試 早急な対策を望む

 県下の各地はこのところ連日の春雨に見舞われ、麦類の赤カビ病をはじめキュウリ、ナス、タマネギなどの促成栽培にも病害が発生してかなりな被害が現れ、県農試では早急な対策を望んでいる。

 県農試の話によると、麦類は出穂期にこの雨による過剰湿気のため全般的に赤カビ病が発生、天気回復後の気温上昇によって広がる恐れがあるようだ。一方、約1週間にわたる長雨でビニールトンネル栽培のキュウリ、ナスなどが収穫時にもかかわらず「灰カビ病」が発生して収量に大きな影響が出ている地帯もある。また、三豊郡、高松市近郊を中心に県外出荷用の集団栽培しているタマネギにはキュウリ、ナス同様のボトリス病とベト病の発生が現れ始めている。

 4月25日の時点では、まだ「野菜に病害が出始めている」というレベルの報道ですが、さらに雨は降り続き、次第に被害は大きくなっていきます。

(5月18日)

農作物の長雨被害5億円 ナンキン70%ダメ 県、共済融資拡大を考慮

 うち続く長雨に追い打ちをかけるように、17日、高松地方気象台から県下に出された大雨濃霧注意報は、大きな土砂崩れや家屋の浸水などの発生が心配されたが、17日午前零時から夕刻までの雨量28ミリ強を記録したが、幸い人家などでの被害は出なかった。しかし、長雨のため麦作やスイカなどはかなり広範囲にわたる被害を受け、被害額も5億円に達する模様。県農林部が17日にまとめた長雨による農作物被害は麦類を中心に約5億円にのぼっており、倒伏、冠水によるものがほとんどだが、今後は病害虫によるものが出る見込みで、被害額はさらに増えそう。

 被害の大きいのは裸麦で、作付面積1万4200ヘクタールのうち73.3%の1万403ヘクタールが被害を受け、減収量7901トン、被害金額3億1540万円と、先の被害発表より大幅に増えている。次いで小麦は、作付面積1万4300ヘクタールのうち53.8%の7703ヘクタールが被害を受け、減収量2551トン、被害金額1億183万円。二条大麦は作付面積132ヘクタールのうち53%の70ヘクタールが被害を受け、減収量25トン、被害金額101万円となっている。…(中略)…なお、この農作物被害は今のところ天災融資法は適用されないが、県では共済資金融資の枠を広げることで被災農家の救済を考えている。

 裸麦は作付面積の73.3%、小麦も同53.3%が被害を受けたと報道されました。このうち、小麦の減収量は「2551トン」とあります。これは予想収量約5万トンのうちの5%程度ですが、調査が進むうち、そんな小さな話ではなくなってきます。そしてついに、この年の香川の麦作は「史上最大の凶作」であることが判明しました。

(5月25日)

県下麦作、史上最大の凶作 被害は4億円突破 雨で赤カビ蔓延、倒伏

 県下の麦作は相次ぐ雨のため赤カビなど病虫害が多発、倒伏、成育遅延といった悪条件が重なり、史上最大の凶作に見舞われている。…(中略)…農林省香川統調の調べによると、的確な被害実態はまだ掴めていないが、赤カビ病の発生被害が全県的に広がり、また全般的に成育が遅れて未熟なもの、さらに連日の降雨、突風による倒伏などで容易に被害実数も掴めないほどだと言っている。このため、本省へ臨時被害調査を行うよう連絡、本格的調査に乗り出すが、県の調べによると被害総額は4億円を突破するものと見られ、品質はもとより量的にも「史上最大の凶作」という非常事態に追い込まれており、関係者の憂色も濃いようだ。

 今年の県下の麦作は初期において異常寒波で発芽後の生育が遅れ、3月頃やや回復して成育を取り戻したが、何しろ低温続きのところへ4月から5月にかけて雨天続きが不作へ追い打ちを掛けたという。調べによると、山間部の小麦が今やっと開花を終えたというところもある。このため、田植え期を控えて飼料用の青刈りもやむを得ないところもあるらしい。また、平地でも1週間から約10日間遅れているようだが、その上、赤カビ病などの病害がはびこり、品質悪化と収量悪化へ拍車を加え、農家所得に大きく響くものとみられている。

 関係者会議では、生産検査の規格改正について食糧事務所側から説明(1~3等のクズ麦混入緩和など)があったが、むしろ、
①等外上麦の政府買い上げ実施
②明年度の種子確保
③農災法の適用運用
④被害農家に対する特別融資措置
⑤麦生産検査について実情考慮
などに熱心な検討対策を協議した。いずれにしても、農家における麦作所得のウエートはかなり低くなっているとは言え、約3万ヘクタールに渡って耕作されているので深刻な打撃になるものと見られている。…(以下略)

 続いて6月7日に、長雨被害に関する記者の生々しい現場報告が載っていました。

(6月7日)

悲劇、収穫ゼロの“麦秋” 「補償がなくてはダメだ」

 農民の顔から笑いが消えて1カ月、恨みの雨はなお降り続いている。豊熟な田畑はぬかるみと化し、一面の麦は黒い穂、腐った穂だらけ。年産40億円の収穫に沸くはずの麦秋は、トラクターの爆音も脱穀機の音も絶えて湖底のように静まりかえっている。年初から大雪、強風と痛めつけられ、さらに長雨の被害を受けた農民は、どのように考え、対策を立てているか。以下は県下の農村地帯を駆け回って見た報告である。

 季節外れの雷が腹の底まで響く。そんな中で、老父と嫁らしい女性が空を見上げ、麦を刈っている。老人の手と足は、麦を刈るには衰えすぎているように見えた。作業は嫁の10分の1もはかどっていない。茎はベトベトに腐り、穂は黒ずんで麦粒は数えるほどしかない。その一粒を潰すと水が飛び出した。実も入っていないのだ。刈って、乾かし、焼いて肥料にするより方法がない。「丹精込めて、結果がこの有様じゃ」老人は記者の問いに顔も上げずに言った。

 老人の話によると、女、年寄りだけの労力だからと肥料を十分過ぎるほど施したのがかえって悪かった。開花が早く、しかもいきなり雨に打たれた。目の前で穂が腐っていった。しかし刈り取らなければならない。田植えが控えているからだ。その田んぼは平年10アール当たり7俵前後の収穫があり、1万6000円前後の麦代金が入っていたという。それが今年はゼロだ。その上、肥料代金を払わなければならない。「国か県の補償がなければ、とてもうちらのような小農はやっていけません」刈り取る手を休めた嫁が初めて口を開いた。彼女も顔を上げなかった。

 「補償がなければやっていけない」…これは記者が会ったすべての農民の口から出た言葉だ。多くの専従農家は、春野菜、麦代金を米代金が入るまでの生活費に充て、肥料代金、農機具代金を返済する。それが今年は“寒害”で春野菜の出来が悪く、麦も食料としてはおろか飼料としても買い上げてもらえないとなると、「補償だけが頼りだ」ということになる。

 被害は西讃に行くほどひどくなる。専従農家が多く、麦の作付面積が大きいからだ。どの麦種を見ても、倒伏しているか、立ったまま赤カビ病などの病害虫にやられているかである。中には実が入っているかのようにふくれた穂もあるが、これは水ぶくれで、天気になるとしぼんでしまう。しかし、農民は腐った麦を刈り入れる。善通寺市のある若い農民は「田植えが迫っているからです。しかし、本当は執念です。まいた種は必ず刈る。何千年も続いた農業の宿命ですよ」と説明してくれた。

 しかし、この“宿命”に反してトラクターで麦ごと土を掘り起こしているのが香川町の一部農民。どうせ収穫がないのならと、藁と穂をそのまま土に埋め込む苦肉の策。しかし、これも普及員に言わせると、土が還元状態になり、稲によくないらしい。また、綾歌郡の一部では「重油をぶっかけて焼いてしまおう」というので検討したが、あまりにも水分が多すぎて焼き切れない。その上、重油代が高く付くというのでウヤムヤになったそうだ。

 そして新手として出たのが「10アール1000円であげます」という話。しかし相手がなく、次いで出たのが「刈り取ってくれたら1000円と麦をあげます」という立て札。これは善通寺、観音寺など生産に多いが、やはり相手がいないという。「麦は儲からぬ」とは早くから言われてきたが、農民はやはり捨てきれない。しかし、昨年は雨で赤カビ病や発芽麦を出し、今年また全滅というダブルパンチを食った三木町の中年の農民は「おらはもう麦はやめた」と吐き捨てるように言った。彼の顔は笑ったようだった。しかしそれは自嘲以外の何物でもないことは、彼自身が一番よく知っているはずである。農民はやはり笑えないのだ。 

 足で稼いだ「現場のファクト」をベースに情緒を乗せた、なかなかの“読める”レポートです。そして6月15日、農林省香川統計調査事務所が香川の麦作被害の概況をまとめた結果、ほとんど壊滅状態になったことが改めて確認されました。

(6月16日)

裸麦の収穫は皆無 史上最高41億円の被害 小麦はやっと15% 政府売り渡し出荷「ゼロ」

 農林省香川統計調査事務所は県下の麦作被害状況を調査していたが、15日、その概況をまとめた。調べによると、10日現在の県下麦作被害は予想通り最悪事態に突入。初期の裸麦見込み収量(10アール380キロ、作付1万6000ヘクタール、6万800トン)に対してわずか5%の収量という「皆無」に近い予想で、95%に当たる5万7600トンという記録的な減収が見込まれている。

 一方、小麦は本年作柄の初期見込み収量(10アール346キロ、1万4000ヘクタール、4万8440トン)に比べて収量推定15%、被害減収4万1100トンという、これまた県始まって以来の惨害を受けている。特に注目されることは、これら農林省の実態調査が県の被害調査(7日現在34億2662万円)に比べて大きく上回る約41億円という大幅な被害額を打ち出したことだ。

 調査の概況によると、県下の麦作状況は冬の低温乾燥のため約1週間の成育遅延、凍雪害もあったが、初期ではまず「平年作のやや良」と言われていた。しかし、4月後半から出穂まで高温多湿、加えて2カ月にわたる長雨続きで全県下に赤カビ病が発生、未熟麦もあって収穫も遅れ、10日現在、収穫済みの裸麦80%、小麦ではわずか10%という実情。また、低湿地帯では冠水、腐敗麦さえ出て堆肥にするか焼却するしかないという、県下麦作史上かつて見ない惨状を呈している。なお、県経済連の調べによると、例年なら6月中旬までに30万俵の政府売り渡し産麦入庫が出るのに、今年はまだ1俵の売り渡しもないと言っており、被害の大きさを物語っている。

 5月に「減収量2551トン」と予想されていた香川の小麦は「減収量4万1100トン」にまで被害が拡大し、この年の初期見込み収量のわずか15%しか収穫できないことが判明しました。これで、香川の麦作は前年6月の長雨による大打撃(「昭和37年」参照)に続いて2年連続の災禍に見舞われることになったわけですが、前年は収穫量がそれほど大きく減らなかったものの、さすがにこの年は記録的な減収になったようです。香川県の小麦収穫量の推移が資料に残っていましたので、そのあたりの数字を含めてグラフにしてみると、次のようになっていました。

グラフ香川の小麦収穫量推移

 ご覧の通り、昭和38年(1963)に異常なほど減収しているのが一目瞭然です。その後、香川の小麦は昭和39年から一旦盛り返しましたが、昭和45年(1970)に二度目の壊滅的な減収があって、以後、かつての全盛期の収穫量に戻ることはありませんでした。

 ちなみに、この長雨による麦作被害に関する新聞記事やコラムは、5月18日から7月28日までの約2カ月で40本を超えていました。前出以外の掲載記事の見出しを抜粋して並べておきますので、事態の深刻さをご確認ください。まず5月は、被害状況のレポートと国への陳情に関する記事が中心です。

(5月18日)<前出>
(5月25日)<前出>
(5月26日)予想外に大きい麦作被害(三豊地区)/雨で60%が倒伏/活路は補償だけ
(5月29日)麦作の被害対策本格化/天災融資法適用を/正確な天気予報も要望
(5月30日)長雨の農業被害で要望まとまる(県対策協議会)/規格外麦にも配慮を/天災融資に強力措置/種子麦確保を

 続いて6月に入ると、各市町から県への陳情が記事になり始めます。

(6月3日)麦買い上げなど要望(高松長雨被害対策協議会大会)
(6月4日)“等外麦の買い上げを”/坂出市、県へ麦の被害対策陳情
(6月6日)“この麦で税金を”/高松市へ被害麦持ち込む

 「この麦で税金を」と見出しの付いた記事は、高松市の栗林農協や鶴尾農協が高松市に「被害農家の市民税の軽減」や「肥料代や農薬代の支払いの延期」等を要望したという内容ですが、併せて高松市役所玄関前に腐った裸麦の束を積み重ねて「この麦で税金を取ってください」という立て札を立てたことが話題になっていたことからこの見出しが付きました。

(6月7日)タネ麦確保絶望/雨で苦しい来年の栽培
(6月8日)天災法適用、17日過ぎに決定
(6月9日)長雨被害で農民大会開く(善通寺)/麦の買い上げなど決議
(6月11日)県議会、農被害で要望決める/麦、反収1万5000円確保/果樹、ソ菜は30%を/肥料、農薬、立ち直り資金も/住民税減免(県でも対策)に同一歩調
(6月12日)大平豊浜町長、1年間の給料を寄付/凶作の農家にお見舞い

 国から大きなお金を融通してもらうための「天災融資法」の適用に、何とか目途が立ったようです。しかし、「面倒な手続きを待っている場合ではない」とばかりに「年収を丸ごと寄付する」と宣言したのは豊浜町の大平町長。何を隠そう、あの大平正芳元総理のお兄さんです。そしてようやく、国の調査団も香川入りしました。

(6月13日)衆議院調査団来県/県代表、麦被害で陳情/麦種子1000トンは確保/政府在庫米、月末までに払い下げへ
(6月14日)“黒い麦”持ち陳情/東讃各地で参議院調査団に
(6月15日)麦被害、参議院調査団に惨状訴える(東讃)/「飼料にもならぬ」ムシロ旗押し立て300人
(6月18日)小林農林部長、陳情から帰県/天災法、見通しは明るい

 衆議院と参議院の調査団が相次いで来県。東讃の農業関係者300人がムシロ旗を立てて救済を訴えました。一方、県内で絶望視されていた来年の収穫用のタネ麦は、政府が1000トンほど確保してくれたようです。

(6月21日)麦、香川は88%減収/農林省、長雨被害の集計
(6月23日)長雨被害に減税措置/高松国税局、調査始める
(6月24日)種子確保に古麦の発芽試験(引田町)
(6月29日)中四国農政局長報告、麦は前年の77%減収/長雨被害、香川は特に打撃

 次第に被害状況の集計が進んで、「香川の麦は88%の減収、中四国全体では77%の減収になる」と報告されました。とにかく、ほぼ壊滅状態になったことは間違いなく、それに対し、対策に不満を持つ農業関係者がさらに大きな陳情活動を起こします。

(6月30日)長雨対策、農業団体が県へ猛運動/「救農基金少ない」と、明日1000人を動員、ヒザ詰め談判も
(7月1日)県庁前、座り込み/農業関係者約1000人、長雨被害対策に不満
(7月2日)長雨被害対策に不満、1000人が県庁へ/座り込み、知事に面会要求
(7月5日)「農民見舞い」になぜソッポ/県議会が知事に挑戦状/長雨県会の休会波紋/涙で待つ3億円、頭が痛い金子知事、地財法が鬼門に
(7月23日)1俵600~800円/県経済農協連、等外下麦を委託販売
(12月1日)麦災害共済金、10億6000万円に決まる/四国4県で最高

 ちなみに、災害や不幸な出来事があるとお祭り事に「自粛ムード」が出てくるのは今も昔も同じで(今の方が世間の目が厳しいかもしれませんが)、三木町と高松市で盆踊りが中止になりました。

(7月24日)盆踊り、長雨被害で賛否両論/三木町平木では自粛/琴平町は揉めた挙げ句実施
(7月28日)高松、盆踊りは中止/長雨被害で遠慮、寂しくなる港まつり

 高松市の「盆踊り」は毎年屋島山上で行われていたそうですが、この年は「港まつり(昭和26年に第1回開催)」と一緒に高松中央球場でコンクール大会を行う計画でした。それが中止になったため、「港まつりが寂しくなる」という記事です。ちなみに、高松市の「港まつり」はこの年が最後で、翌39年から港まつりと盆踊りを一体化して今の「高松まつり」が始まりました。

 以上が、昭和38年の「新聞で見る・長雨による麦作大被害」の概要です。では最後に、その他のうどん周辺記事をいくつか拾っておきましょう。

オーストラリア産小麦も坂出港に輸入

 坂出港に1万トン級のバースが完成したという記事ですが、そこに「オーストラリア小麦を積んで入港」とありました。

(12月24日)

1万トン級接岸OK 第一船が入港 活況を呈す坂出港

 坂出港の中央突堤に32年から工費3億4000万円で建設中だった1万トン級バースは11月末に完成、19日には第6管区海上保安部水路部の検査を終わり、1万トン級汽船の受入態勢は完全に整い、23日に第一船として日本郵船の「まにら丸」(1万2747トン)が接岸した。まにら丸はアフリカのチュニジア産リン鉱石4115トンをスファックス港から積んで入港したもので、24日夜、四日市港へ向け出港の予定。

 なお、同日坂出港にはアメリカ木材1300トンを積んできた国土産業海陸の春明丸(8534トン)と、ノルウェー船バルクトレーダー号(1万2000トン)がオーストラリア小麦1万4800トンを積んで入港しており、久しぶりで活気を呈した。

 これまで、「アメリカ産やカナダ産の小麦が坂出港に入ってきた」という記述は何度か出てきましたが、オーストラリア産小麦の記述は初めてです(オーストラリア産大麦は昭和28年に坂出港に入ってきています)。ただし、「ASW」の本格輸入はまだずっと先の話です。

小豆島の池田町と北海道根室の中標津町を「そうめん」が結ぶ

 この年も「小豆島の池田町でそうめん生産がシーズンを迎える」という記事が何度か掲載されていましたが、そうめんによる地域交流の話題がありましたので紹介します。

(4月28日)

北海道へ渡る「島ソーメン」 池田と根室・中標津町を結ぶ テレビ小説「あしたの風」が縁 貨車1両分も注文 試食会で認められた“味”

 北と南の特産物を交換したのが縁となって、小豆島特産の手延べソーメンが北海道の最東部から大量注文が舞い込み、話題となっている。小豆郡池田町の八木町長宛にこのほど北海道根室市庁標津郡中標津町観光協会から島の手延べソーメン500箱(1箱18キロ入り)=貨車1両分=の大口注文があった。

 事の起こりは郷土の作家壺井栄女史作のNHKテレビ小説「あしたの風」が放送されていた頃、中標津町観光協会役員安部清さんがドラマの中で見た小豆島特産の手延べソーメンにひかれて、去る2月中旬、同地方阿寒特産の干し物「コマイ」を添えて「見本に少し送って欲しい」との便りが届いた。このため、八木町長はさっそく返礼として18キロ入り手延べソーメン1箱と食べ方などの説明を書いて送った。それを、去る6日に現地の尾崎豊町長、遠藤小太郎観光協会会長ら町内の有志が試食会を開いたところ、大好評となって今度の大口注文となったもの。すでに生産のシーズンが終わりかけているため、八木町長が生産組合と交渉するなど品物を揃えるのに一役果たした。なお、両町ではこれを機会に今後北と南の名物を交換する他、姉妹町の実現も考えたいと検討されている。

(八木池田町長の話)中標津町は人口1万4000人近くの観光町で、同地方一帯は阿寒国立公園に指定されている。幸い当地も瀬戸内海国立公園に指定されているだけに親しみも自然に湧き、これを機会に両町の姉妹町の縁結びも実現したいと思う。いずれにしても、島の特産がPRされて北海道に渡ることはうれしいことだ。

 というわけで、池田町は「姉妹町の実現も考えたい」と喜んでいましたが、2020年現在、小豆島の池田町の姉妹市町は「全国池田サミット」とやらであちこちの「池田町」や「池田市」ばかりと提携していて、「中標津町」の名前は見当たりません(笑)。姉妹町提携の話はどうなったのでしょう。

協賛広告に「有限会社久保田製粉所」が初登場

 うどん関連広告では、「香川の成長を推進する企業」という企画の協賛広告に「小麦粉・乾麺/有限会社久保田製粉所(綾歌郡綾歌町)」が初めて登場していました。今の「株式会社久保田麵業」さんの前身です。その他で協賛広告と年賀広告に出ていたうどん関連会社は「日讃製粉株式会社」のみ。あと、「タカマツ主婦の店」が「中央店2階にてうどん・そば・ぜんざいの営業を希望する業者の方を求めております」という広告を出していました。

(昭和39年に続く)

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