さぬきうどんのメニュー、風習、出来事の謎を追う さぬきうどんの謎を追え

vol.9 新聞で見る讃岐うどん

新聞で見る讃岐うどん<昭和27年(1952)>

(取材・文:  記事発掘:萬谷純哉)

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  • vol: 9
  • 2019.05.22

「うどん」の記事や求人情報が増え始める

 昭和27年の四国新聞は夕刊が巷の話題を拾い始めたこともあって、「うどん」に関する記事がいくつも見つかりました。さらに、公共職業安定所からの求人情報の掲載が始まって、その中に製麺業やうどんを出す食堂からの求人もたくさん登場。前年までと比べると、まさに「うどんの話題が突然増え始めた」という感じです。ではさっそく、当時の讃岐うどんの風景が窺える新聞記事を拾ってみましょう。

高松桟橋駅に夜の「駅売りうどん」が登場

(3月13日夕刊)

あったかい駅弁 高松桟橋に新しい名物

 高松桟橋駅にこのほど、夜の駅売りうどんがお目見得した。終列車と朝の一番列車だけに店を出しているが、内海名物えびのてんぷらうどんに舌つづみをうつ旅客の立姿が目を引いている。戦前にもなかったものだけに、販売元の高松駅弁会社では夜の高松桟橋名物にしようと洗面所近くに陣取った屋台にも趣向をこらし、白いコック帽の売り子を配しているが、お値段は天ぷら、かやくうどんとも1杯30円也。ただし、車内に持ち込めば茶碗とも50円。春近いとはいえまだまだ底冷えのする冷気の中で、温かそうな湯気をたてたうどんは旅客の食欲を刺激。宣伝不足で売行はまだまだとのことだが、二列車で平均百杯ははけるという。

 JR高松駅(当時の国鉄高松駅)は瀬戸大橋ができるまで宇高連絡線に直結していて、昭和34年までは国鉄高松駅構内に連絡船乗り換え用の「高松桟橋駅」がありました。そこに高松駅弁が「駅売りうどん」を出したという記事です。夜の最終列車と朝の一番列車の時だけ店が出ていたということは、常設店ではなく、また「旅客の立姿」とあるので立ち食いうどんだったようです。うどんは「茶碗」で提供され、メニューは「かやくうどん」と「えびのてんぷらうどん」で、えびは瀬戸内海名物だったと。いずれも「1杯30円」とありますが、昭和21年の新聞に「高松港の桟橋付近と三越付近の自由市場のうどんが1杯10円」とありましたから、かやくやえび天が乗っているとは言え、5年でたぶん物価が倍くらいになっていると思われます。

「西讃の若い衆」は「丸亀に行って映画を観てうどんを食って帰る」が合い言葉だった

 続いて、夕刊の「さぬき新地図めぐり」という連載ルポに、丸亀市の駅前繁華街「浜町」が取り上げられていました。

(5月8日夕刊)

丸亀浜町銀座 のれん懐かし腰掛店 郷愁“三角おこわ”と共に

 “京の着倒れ、浪速の食い倒れ”。これをちょっぴり丸亀市の商店街にあてはめれば、富屋町の衣料センターに対し、まさに浜町銀座は食道楽をもって自他ともに許すところ。浜町といっても、これを行政区別から正確に言えば、市の玄関口、国鉄丸亀駅前を東西に、市内最大幅員を誇る延長300メートルのメイン・ストリートと、映画常設地球館裏の延長70メートルの小路を含めての名称だが、そのうち後者の方が丸亀名物浜町銀座として、むしろ表通りよりも名声サクサク…。市民はもちろん、「丸亀へ行ってカツドウ(映画)を見て、浜町のカケ店(腰掛店)でうどんを食って帰る」ことが丸亀を訪れる西讃の若い衆たちの合言葉として、70~80年後の今日に至るまで浜町ファンの馴染みは深い。

 戦前この浜町のカケ店がこれほどまでに名声を博したのは、30余軒にも余ったカケ店の構えが一様にガラス障子張りの陳列棚に焼さかなと三角型に押したおこわ(赤飯)を並べ、2、3坪の店内には一枚板の飯台と長腰掛けをおきつらえた素朴さが当時の若い衆にアッピールしたわけだが、30余軒の飲食店には便所とて無く、町の中央にあるたった1カ所の共同便所を名実ともに共有していることもキタナイ話だが名物たるゆえんでもあったわけ!

 西讃最初の西洋料理白木屋が当時のハイカラの人気をあおったこともこの街をして有名にした一因でもあり、その跡をついだロンドン屋、前神登志夫氏が今では街の世話役として活躍しているが、太平洋戦争末期には建物疎開の犠牲となってこの名物カケ店も一瞬にしてブチこわされ、丸亀を訪れる人々にその名残りを惜しまれたものだが、終戦と同時にまずトップを切ってその名も浜一食堂が再建。またたく間に昔そのままの懐しい食道街が今度は衛生設備も完備し、その名も浜町銀座として再現。昔懐かしい「三角おこわ」もそのままに、復古調へとまっしぐら…だが時代の波はここの一角にも打ち寄せるか、名物浜町のカケ店にも流行の脚光をあびてパチンコ屋が生れ、洋品雑貨、菓子店などが出現はしたものの、やはり浜町銀座のカケ店風情は、屋号染抜きののれんをくぐる人々には今も変らぬ馴染み深いものとなっている。

 丸亀駅に隣接する「浜町銀座」と呼ばれていた一角は「カケ店(腰掛店)」が立ち並ぶ飲食店街で、「西讃の若い衆」は「丸亀に行って映画を観てうどんを食って帰る」が合い言葉だったそうです(笑)。かく言う筆者も西讃(詫間町)出身で、昭和40年前後の記憶でも「街へ行く」のは丸亀で、高松は「街へ行く」のではなく「小旅行(笑)」でしたから、その感覚はよくわかります。ただ、記事中の「70~80年後の今日に至るまで浜町ファンの馴染みは深い」というのは意味がよくわかりません。昭和27年の70~80年前は明治維新のすぐ後あたりだけど、そんな頃から「浜町ファン」がいたとは思えないし(笑)、どういう意味なんでしょう。

 加えてもう一つ、「三角おこわ」が出てきました。今でも年季の入ったうどん食堂などでたまに見かける「三角に切った赤飯のかたまり」みたいなやつですが、昭和27年時点で「昔懐かしい」とありますから、あれはかなり年季の入った讃岐の郷土食なのかもしれません。どうですか? 「讃岐名物三角おこわ」、復活させませんか?(笑)

香川県産乾麺「香川の月」と「浜うどん」

 次は「乾麺」の話題。これまで、うどんや冷や麦の乾麺はヤミ物資の検挙の時ぐらいしか記事になっていなかったのですが、この年は乾麺(うどん)の出荷ニュースが2つ見つかりました。しかも、乾麺商品にネーミングまであったことが判明。まず1つ目は「香川の月」です。

(6月29日)

北海道へ毎月300トン 県産乾麺に朗報

 「香川の月」の名で北海道で愛好されている讃岐の乾麺が最低月300トン、6月から明年5月までの1年間北海道へ移出されることになり、製麺業界は活気づいている。坂出市、綾歌、仲多度両郡にある製麺工場15から生産される干うどん、そうめん、冷し麦などは月産400トンに達しているが、このうち300トンが北海道へ送られるわけで、15工場で作っている香川県中央製粉製麺協同組合(事務所・坂出市駒止町)では先月末、理事長の西川春男氏が札幌へ出向き、北海道食糧卸連合会と契約を結んだ。北海道は米麦の主食が絶対的に不足し、月400トンは本土から移入されており、従来播州、三重などから多く移入されていたが、讃岐物の味が良く好評を博した結果、こうした大量移出の契約が整った。北海道では美唄、夕張、室蘭、北見などの炭鉱地帯でとくに好評で、毎日貨車一車(750箱)70万円が積み出されている。

 「香川の月」という名前の讃岐の乾麺が北海道で愛好されていたそうです。なぜ麺の名前に「月」が付けられていたのか? それは干うどんなのか、そうめんなのか、冷し麦なのか? については不明ですが、とにかく「新聞に掲載された香川の乾麺のネーミング第一号は『香川の月』」と覚えておけば、讃岐うどんカルトクイズで1ポイント獲得です(笑)。記事から、坂出市、綾歌郡、仲多度郡内に少なくとも15の製麺工場があったことがわかります。また、それらで構成される組合の事務所が坂出市に置かれていたことから、坂出市が中讃の製粉製麺業の中心であったことが改めて窺えます。

 続いて2つ目は、豊浜町の乾麺業界の情報。

(8月11日)

浜うどん活況 近く1日2000箱生産

 「島そうめん」に対して「浜うどん」の異名で戦前広い販路を持っていた豊浜町の乾麺が、麦の統廃と同時にふたたび往年の活況をもり返している。同町8業者の生産量は1日1000箱を超え、愛媛方面への出荷量だけでも貨車一車以上となり、目下需要に応じ切れない状況にある。このほかソーメン、ヒヤムギ類も逐次生産増を示しているので、近く1日生産量2000箱となるものとみられている。

 豊浜町が西讃の乾麺どころであったことは「昭和23年」の項で紹介しましたが、その豊浜町内には8つの製麺業者が林立していたようです。そして、豊浜町の乾麺(うどん)は戦前から「浜うどん」と呼ばれて県外に販路を広げていたとのこと。ただし、何となくですが、「浜うどん」という呼び名は商品のネーミングではなく(出荷の箱に「浜うどん」と書かれていたのではなく)、地域で生産される乾麺の総称的な通称のような感じがします。今や「浜うどん」という呼び名はすっかり消えてしまっているのですが、どうですか? 何かで復活させませんか?(笑)

「ばんかけうどん」というのがあったらしい

 続いては、讃岐うどんではないけれど、うどんのメニューに関する記事を2つ。まずは「ばんかけうどん」なるメニューです。

(5月29日夕刊)

連載/うで自慢味じまん 「更科そば」 歴史は遠い江戸時代 初夏の味覚百パーセント

 初夏ともなれば、ざるそばの恋しい時節です。ざるの上に置かれた青味のかかったそばをタレに入れて一息にツルツルと呑み込む味は、夏ならではの純日本的味覚百パーセントのものです。日本一のそばといえば、東京は麻布の永坂の更科が天下一品。ここで年期を入れた職人が本欄で取り上げたライオン通りの更科で指導しているのだから、うまいのも当然。25年12月に開店してから押すな押すなのお客さんに4、5名の従業員がうれしい悲鳴をあげている。うまいそばをあげるコツをきいてみると、ソバ粉7割、メリケン粉3割に玉子を加えてそばを作るが、タレはかつお節の上等品に味つけとしてしょう油、みりん、砂糖等を加える。更科のもりのつゆは甘味が勝っているのが特長。

 大衆的人気のあるざるそば以外に、“ばんかけうどん”というのがある。これは普通のうどんに天かすを入れたもので、身体が温たまるので冬季の利用が多い。この名前の由来は、東京のある交番のポリスさんがよく特別注文でこれを食べたので、“交番からかかってくるうどん”ということで言葉が縮まって“ばんかけうどん”となったわけ。やぶそばはそばに青い色をつけたもので、つまり藪色だから“やぶそば”と名付けた。ざるそば、やぶそばは共に江戸時代からの歴史を持ち、ざるそばは永坂の更科、やぶそばは神田連雀町のヤブが東西両横綱として斯界に君臨していることは知る人ぞ知る。天ぷらとそばは密接な関係があって、天ぷらの好きな人は必ずそばを愛用している。油こいあとはあっさりという生理的要求のしからしめるところだろうが、両方共にご婦人が特にご愛用の食物でもある。

 東京の「更科そば」をネタにしたコラムですが、「ばんかけうどん」なるものは東京の交番の「ポリスさん(笑)」由来のうどんのネーミングだそうです。しかし「うどんに天カスを入れただけ」という展開のしようのないメニューなので、ヘタに復活させて香川の讃岐うどんの世界に持ち込まないように(笑)。

(9月1日)

季節向け代用食 西洋うどん等の作り方

手打ちのスパゲッティ(西洋うどん)
【材料】メリケン粉400グラム(カップ4杯)、卵4個、酢、卵のカラの片割れに一杯の塩
【作り方】粉はふるっておく。ボールに卵をとき、酢を加えよくまぜる。これに粉を少しずつ加えながらこねる。取り粉をひいた板の上にこれをとり出し、平らに四角く大体型を整えてからめん棒でのばし、紙のようにうすくする。約10分放置して乾かした後、表面にうすく粉をふり、ぐるぐるまいて、小口から5ミリの幅でちょんちょん切る。これをほぐしておぼんの上にひろげ、再び4、5時間放置して乾かしておく。大なべにたっぷり湯をわかし、塩を入れて、このめんをゆでる。時々はしで軽くかきまぜて、強火で7分程煮て、火からおろしてざるにとる。ゆですぎるとべとべとになるからこれ以上ゆでないこと。熱くしたスープざらにとりわけ、たっぷりバターをまぜこんで、塩や、またあればチーズなどをふりかけていただく。また、トマトソースをかけてもおいしい。

 なになに~? 卵をといて酢と混ぜて、それで小麦粉を練って紙のように四角く薄くのばして、それをぐるぐる巻いて5ミリ幅で切る? それをほぐして広げたら…紙のように薄い5ミリ幅の平たい麺になるのか。それを茹でてお皿に盛ってバターを混ぜ込んで塩やチーズやトマトソースをかけて食べる? それって、フェットチーネじゃないの? というか、「手打ちのスパゲッティ(西洋うどん)」って、スパゲティを無理やり「西洋うどん」と訳しただけじゃないか(笑)。ま、いつの時代も料理家の方々は常に新しい食べ方を提案するものですが、これをあえて「西洋うどん」と言い張るなら、こんな時代から釜バターうどんのチャレンジャーがいたということで(笑)。

讃岐うどんの事件簿

 では続いてうどんの事件簿を2ネタ。戦後しばらく紙面を賑わしていた「ヤミ検挙」の記事はすっかり見えなくなりましたが、代わって登場したのは、営業違反と食中毒の事件です。

(4月6日)

再三の注告を無視 消防署が製麺工場告発

 高松消防署では近く、同市製麺業○○○氏を消防法違反容疑で高松地検に告発。○○氏経営の製麺工場は煙突、その他の個所において火災予防不備な点が多く、同署から再三再四注意、勧告指導したにもかかわらず依然不備個所を整備せず、その間、同町住民から数回投書、電話などで危険である旨同署へ連絡があり、本年2月には付近の市民23名連名の陳情書が提出されるなど。同署では○○氏から誓約書をとり不備個所の改造を確約させたところ、同氏はようやく一部を改修したのみで、危険な状態のまま作業を続け、去る3月23日午後2時すぎ、折からの強風で(風速13メートル)ついに煙突から飛散した火の粉のため隣家住家(木造平屋建セメント瓦葺25坪)に火災を発生。幸い同署の適切処置で大火には至らなかったものの、○○氏のかかる態度は公共の危険を生ぜしめたものとし、告発のはこびになったもの。

 この「再三再四の勧告を無視して煙突から火の粉を飛ばして隣家を火事にして、消防署が怒って告発した」という製麺工場の経営者というのが実は讃岐うどん業界ではかなり名のある方でして、新聞には実名で載っていたのですがここに再掲すると多くの人が「あそこか!」とわかってしまうので伏せておきます(笑)。今なら隣家だけでなく、この製麺会社もSNSで“炎上”していたと思いますが、まあ、60年以上も前の話なので水に流しましょう(笑)。

(8月7日)

また松山で観二高生食中毒 15名中11名が下痢 原因は天ぷらうどんか

 さきに愛媛県道後での高松一高の食中毒事件が県民を驚かせた折から、さる3日、松山東高で開かれた全国高校水上四国予選に出場した観音寺二高選手15名中11名がまたまた食中毒にかかり、学校当局および父兄を心痛させている。さる3日、四国高校水上に参加、19点をあげ第3位という好成績をおさめた観音寺二高チーム15名は4日早朝帰校したが、間もなくそのうちの11名がはしげしい下痢、嘔吐をはじめ、浅田君ほか2名は40度前後の高熱を発するという中毒症状を起した。原因としては、3日夜10時半ごろ松山駅前で食ったてんぷらうどんが悪かったのではないかと見られている。

(8月10日)

うどんの種物からと診定 観音寺二高選手の集団食中毒

 さる3日、松山市で開かれた全国高校水上四国予選に出場した観音寺二高選手一行15名中12名が帰途の列車中および自宅で食中毒により発病した事件につき、香川県衛生部で原因調査中のところ、9日、松山駅で食べたうどんの種物による中毒と診定した。同部調査は新聞報道によって開始されたため、具体的な検診は実施されなかったが、発病者の問診によって究明したところによると、乗車直前松山駅前のうどん屋でてんぷらうどんを食べた12名が発病、種物を食べなかった3名は発病していないところから、それが直接原因と判定されている。

 「観音寺二高」は、後の観音寺商業高校~観音寺中央高校~観音寺総合高校。「8月3日の夜10時半頃に松山駅前で天ぷらうどんを食べ、4日早朝に帰校した」ということは、松山から高松まで深夜列車で帰ってきたということですが、7日の記事で「15名中11名」とあったのが、3日後の10日には1名増えて12名になっています。食中毒の原因は「天ぷらうどんに乗っていた天ぷらが傷んでいたのではないか?」とのこと。ちなみに私事で恐縮ですが、昭和40年代の終わり頃、筆者は友人2人と一緒に大学受験のために宇髙連絡船に乗って岡山に向かい、連絡船の中で3人ともうどんを食べたところ、素うどんを食った私と友人1人が大学に合格し、天ぷらうどんを食った1人だけ落ちたという事件がありました。皆さん、天ぷらうどんには気をつけましょう(笑)。

小豆島と仏生山のそうめんの話題を2つ

 続いて、乾麺全盛時代の香川からそうめん関連の記事とコラムを2つ。当時の香川の乾麺どころ「小豆島、仏生山、豊浜」のうち、小豆島と仏生山のそうめんに触れた記事が見つかりました。

(4月14日)

近く4300箱積出し 沖縄向の小豆島そうめん

 そうめんの産地香川県小豆郡池田町では、昨年10月頃から沖縄方面への本格的出荷を復活。本年3月までの6カ月間の出荷量は、そうめん、中華そば、平めん、その他総計1万1400箱となっている。さらに現在、中華そば2300箱、そうめん1000箱、平めんその他1000箱、計4300箱を24、25日までに沖縄那覇、奄美大島名瀬へ積出そうと生産を急いでおり、価格は神戸船渡しでそうめん(1箱4貫800匁入)1020円から1030円、中華そば1000円、平めん995円である。なお、同方面からの注文は次第に増加しており、期待がかけられている。

 小豆島のそうめんが沖縄へ盛んに“輸出”されていたというニュースは、これまでに何度か出てきました。ちなみにこの年、「小豆島製粉製麺協同組合」と「小豆島手延素麺製粉協同組合」が四国新聞に広告を出していましたが、そこに次のような取扱商品が併記されていました。

●小豆島製粉製麺協同組合………機械素麺「島の誉」、乾うどん「白梅」
●小豆島手延素麺製粉協同組合…高級手延素麺「島の光」

 現在は「小豆島のそうめん」といえば「島の光」ですから、この後、「手延べそうめん」が「機械そうめん」や「乾うどん」を抑えて小豆島そうめんの代表にのし上がってきたわけですね。一方、仏生山のそうめんはどうだったのか? 香川の郷土史家・荒井とみ三さんの、仏生山のそうめんの歴史に触れたこんなコラムが掲載されていました。

(6月29日)

名所伝説を訪ねて/仏生山の巻 素麺と道幅(荒井とみ三)

 仏生山町は香川郡の、いや東讃の唯一の仏都という好条件を与えられた町である。大阪の高野山といったようなものであるが、明治時代初期から、あまりこの町が発展しなかった理由を考えてみたい。

 初代藩主の頼重公が法然寺を建て松平家代々の墓所地とするに就いて、大名が城を築城するにしても先ず城下町の計画を樹てるように、仏生山も法然寺を中心として町の繁栄を計画したのである。それには先ず産業の確立を第一として町の経済を豊かにするために、水車小屋を五棟建て、製粉業を起し、その他いろいろ計画した。この町が素麺の名産地となったのも、この時代からである。粉の質と水が良かったので香川県の特産物となったのであるが、それと法然寺に通ずる町の道幅が広いので外来者はビックリするが、この道路計画も町の半数以上が素麺製造業者であったから、道を広くしておかないと素麺の干場に困る。それと、お殿さんの大名行列の物々しい長い行列が通行するときに、いちいち干してある素麺を取込まなくてはならぬ。それでは生産奨励にならないという事で、どんな格式のある坊さんや大名の行列が法然寺参詣に通行しても邪魔にならないように道を広くしたのである。

 時代は移り変わって、藩行の町繁栄という当初の目的がピンボケとならなくとも、仏都としての繁盛は望めなかった。大正初期に町では絶好の土地を利用して競馬場として競馬を催した。当時馬券売上が1日2万円以上あったというから、今の金額にして相当町も儲けたものである。法然寺が「おねはん」に「お虫干」にどれだけ参詣者が出ても、年に2、3日の人出では町全体の収益にはならない。現町議も町民を代表して観光と産業の面で町の発展を狙っているが、手近の競馬も現町長田村さんが認可について御苦労されている。認可のあかつきには、町も活気を取り戻すであろう。

 つい先日、法然寺付近の旅館で昼食をとっていると床の丸額に菊池寛先生の色紙がいれられてあり、それには「閑門即是深山読書随処浄士」、つまり古雅蒼然たる法然寺山に平池の美景、誰でもここに足を一歩入れば宗教的な静寂を感ずるのである。このフンイキ、おっとりとした、悪くいえばよどんだ何のシゲキも香も色もない、ただ寺の鐘の音と景色だけで、この町が単調無味で時勢の流れを見ていた。

 さすが郷土史家のコラム、短い文章ですが、とてもたくさんの情報が含まれています。そうめんに関しては、

・仏生山は松平頼重公の推奨によって江戸時代からそうめんの名産地になっていた。
・仏生山の法然寺に通じる道の幅が広いのは、そうめんの干し場確保が一番の理由だった。

の2つ。また、そうめん以外の仏生山情報としては、

・仏生山は今の高松市にあるが、昭和26年時点では「東讃」に分類されていた。
・仏生山は法然寺を中心とした「東讃唯一の仏都(仏教の盛んな都市)」という付加価値を持っていたのに、明治時代初期からあまり発展してこなかった。
・大正初期に、仏生山に競馬場があった。

等々。ちなみに、荒井とみ三さんは当時の仏生山について「よどんだ何のシゲキも香も色もない、ただ寺の鐘の音と景色だけでの単調無味な町」という印象を持っていらっしゃったようで、「年に2、3日の人出では町全体の収益にはならない」、「競馬場認可のあかつきには町も活気を取り戻すであろう」とあるように、「活性化のためには単発のイベントや美景や静寂ではなく、色も香もよどんだ刺激も必要だ」というマーケティング的には本質を突いた考え方の持ち主だったとお見受けします。

小麦の増産計画が進められているが、庶民は麦食から米食志向へ

 では最後に、毎年恒例のようにたくさん載っている「小麦事情」の記事を月を追って並べてみましょう。

(1月15日)

生産2236万石へ 27年度麦類生産計画成る

 農林省は、全国46都道府県の報告による27年度麦類の生産計画を14日まとめた。これによると、作付面積は148万5000町歩、生産目標2236万7000石となっており、26年度の麦の実収高と比べて作付面積は14.1%減、生産目標では21.8%の減少となっている。これは、食糧事情の関係と、本年4月に予定される麦類の統制撤廃により麦価が相当下落する公算が弱いため、菜種の栽培などに作付転換が行われたものと農林当局ではみている。なお、昨年2月末現在の麦の種蒔実績は、同省に報告のあった30府県で79万5020町歩となっている。四国4県の27年度麦類生産計画は次の通り。

徳島 (作付面積)2万3000町歩 (生産目標)33万1000石
香川 (作付面積)3万3000町歩 (生産目標)62万5000石
愛媛 (作付面積)3万6000町歩 (生産目標)53万6000石
高知 (作付面積)1万1000町歩 (生産目標)11万6000石

 四国4県の麦類の生産計画ですが、上位の香川と愛媛を比べると、香川は愛媛より作付け面積が小さいのに生産目標が多い。つまり、香川県の麦の生産性の高さがここにも表れています。しかし、麦の作付け面積は減少しているというニュース。さらに次は、「麦があまり消費されなくなった」という記事が続きます。

(3月18日)

香川県の食糧異変 米ばかり食べる 麦、パンに多い配給辞退

 香川県では補正後の供米割当量19万6000石を完遂してもなお8万5000石程度の配給米が不足するところから、外米、県外米の確保に悩んでいる。一方、市街地の消費者の間では、最近主食のヤミ値が下落したことから麦類の受配を辞退するものが増加。400~500名の登録人員しか持たない小売業者は売上減少で悲鳴をあげているという皮肉な現象を起している。

 一例を高松食糧卸売組合にとると、同組合では高松市内をはじめ庵治、牟礼、香西、上笠居、下笠居、直島など2900世帯11万3000人の配給用として月間平均1200トン(米600トン、麦類600トン)の配給米を操作しており、代替物(麦類)についてはクーポン券を発行しているので県内外の出入が多く正確な数字はつかめないが、大体600トンのうち3、4割、200トンから250トンが毎月辞退されている状態。この原因としては、①ヤミ米と配給米の価格差が接近したこと、②麦の場合はヤミ値が配給価格(1キロ48円50銭)を割ることがある、③ヤミ主食の持込行商が増えてきた、④クーポン券を使用しないでも自由に食べられる、等があげられ、食生活水準が高まるにつれてこの傾向はますます強くなり、漸次麦から米に切り換えられるだろうと同組合ではみている。

 ちょっとややこしくて話の筋が見えない部分もありますが、要するに「庶民が配給の麦の3~4割を買わなくなった」という話です。配給というのは米や麦をタダでくれるのではなく、政府が価格と供給量(店が売れる量や個人が買える量)を統制して、個人は統制された米や麦を決められた量の範囲内で決められた単価で買うわけですが、ここで、統制された配給品の競合となるのが「ヤミ商品」。決められた配給量よりたくさん米や麦を食べたい、使いたいという個人や業者に統制品より高い値段で売って儲けるヤミ業者があちこちにいて、当局とイタチごっこをやっていたわけです(昭和23年、昭和24年あたり参照)。

 それがここにきてヤミ米やヤミ麦の値段が配給の統制品と接近してきたため、「同じような値段なら米を食べたいから、配給の麦を買うならヤミ米を買う」とか「どうせ麦を買うならヤミ麦の方が安いからそっちを買う」というユーザーが増えてきたというニュースです。これは言うまでもなく「庶民生活に少しずつ余裕が出てきている」ということで、記事の最後にある「食生活水準が高まるにつれてこの傾向はますます強くなり、漸次麦から米に切り換えられるだろう」という話につながるわけです。

(7月9日)

農林26号は認可 香川の小麦に銘柄決定

 香川県産麦は自由販売戦に備え、まず裸麦で香川県裸一号の特別銘柄設定の認可を受けていたが、さらに小麦でも農林26号の銘柄設定を申請中のところ、このほど認可になったので、品質、歩止り優良という票センを付けて売出されることになった。なお、農林26号の県内作付面積は約5000町歩で、年間10万石の収穫となっている。

(8月9日)

麦類増反を推進 県経済部 減少原因を調査

 政府の主食増産要請にもかかわらず香川県下の麦作付面積は23年以来減少を続けているので、県経済部では26~27年度の減少原因を調査するとともに、今後県下17カ所で増反対策協議会を開いて麦類増産計画を進めることになった。26年作付面積3万4722町歩は27年で3万4400町歩となり、300余町歩の減反となっているが、その原因をみると作付転換が主で、菜種105町歩、早掘ジャガ芋19町歩、雑穀74町歩、たばこ62町歩と作付放棄22町歩などとなっており、農家の金詰りの進行に伴い換金作物の獲入れが目立っているが、本年などは野菜価格の暴落によりかえって欠損をみている状態なので、同部では裸麦、小麦とも全国一の高値が決定されている麦の有利性を強調する方針なので、作付の減少も本年を最後で増加に向うのではないかとみられている。

 「麦食から米食へ」という現実を見てか、麦作の現場では麦から野菜やタバコ等への作付け転換が進んでいたようですが、それでも香川県では麦類の増産計画を進めていたようです。かつて、「高度成長期にモータリゼーションの到来が目に見えていたのに、いつまでも重油優先を続けて後に大きなツケを払うことになった」という石油行政の失敗がありましたが、昭和27年のこの政策の結果はどうなったのか? 後の新聞記事に注目ですが、もし失政だったとしたら揉み潰されて載ってないかも(笑)。ではオマケで小麦粉を使った詐欺みたいな事件の記事を1本。

(11月18日)

薬は総て小麦粉 ドイツ帰り?のニセ医者挙る

 高松市署では16日午後6時ごろ、同市栗林町自称医師○○○○○ら付近を医師法並びに医療法違反容疑で逮捕した。同人はさる12日から15日までの間、市内屋島西町で無許可のまま開業し、同町○○○○さん他老人4人に対して初診料200円診察料1回100円を取り、診療、投薬、注射を行っていたもの。なお、同人は「ドイツ帰朝のドクター」など多彩な宣伝文を掲載したビラを配布したほか、粉薬にはメリケン粉にアスピリンを混合したもの、ねんざにはメリケン粉と食スをまぜたものを塗り、注射はビタミンB1ばかりを使用、患者をあざむき昨年ごろから県下各所で開業、ほとんど無知な老人ばかりを相手にしていたもので、高松市署及び県医務課で手配中のところ遂に悪運つきて検挙となった。

 怪しい治療は今も昔も後を絶ちません。「ドイツ帰朝のドクター」って(「帰朝」は朝命を受けて外国に行った者が帰国すること)、外国帰りを騙る者も、昔も今もあちこちにいらっしゃるようで(笑)。

昭和27年の四国新聞に載ったうどん関連広告

組合

●香川県製粉協会
●香川県精麦工業協同組合
●香川県製粉製麺工業協同組合
●小豆島製粉製麺協同組合…機械素麺「島の誉」、乾うどん「白梅」、「島の誉」
●小豆島手延素麺製粉協同組合…高級手延素麺「島の光」

民間企業

●日讃製粉株式会社(4回)
●日清製粉株式会社坂出工場(2回)
●中野精麦製粉株式会社
●高畑精麦所
●綾精麦所(火事お詫び)
●中野精麦製粉株式会社
●坂出精麦株式会社

 年賀広告や協賛広告に、精麦・製粉の組合や民間企業の名前がずいぶん増えてきました。企業では引き続き「日讃製粉」と「日清製粉坂出工場」が何度も名を連ねていましたが、善通寺の雄「高畑精麦所」がここに初お目見えしました。

求人広告

●香川県製麺協同組合(製麺工場)
(4月6日、16日、5月2日、8日)
△ウドン配達人/身体強健にして自転車に乗れる人。男女を問わず年令18才~23才。
(10月20日、21日、12月6日、8日)
△ウドン配達人数名/男17才~20才、身体強健なる者、住込のできる人。女独身30才以上、通勤者屋内仕事

●山下製麺工場(高松市塩上町1147・琴電瓦町駅一丁右側)
(12月8日、11日)
△ウドン見習工及配達人急募/年令17~20才、男子、住込できる人(ただし寝具持参)

●高松公共職業安定所
(7月23日~25日)
△男子配達人/18才~22才、通日150円、経験不要、製麺所義務了
(8月13日、14日)
△男子麺類製造見習/16~21才、住食
付2000円~3000円、経不問、義務了(某麺類製造所)
(8月18日~24日)
△男子うどん製造見習/16~20才、住食付1500円、経不問(某製麺所)
(8月25日~30日)
△男子配達人/15~18才、住食付2000円~、経不問、義務了(某製麺所)
(9月4日、5日)
△男子機械うどん見習/16~20才、住食付2000~3000円(製麺所)
(9月6日)
△男子製麺見習/16~20才、住食付1500(製麺業)
(11月14日、15日)
△男子ウドン製造見習/20才前後、住食付1500~2000円(某製麺業義務了)
(11月29日、12月11日)
△女子雑役/25才まで、住・食付2000~2500円(市内某製麺業)
(12月12日、13日)
△男子配達人/18~23才、通日150円、経験不問、義務了(市内某乾麺工場)
(12月19日)
△女子雑役/25才まで、住食付2000~2500円、経験不問、義務了(市内某製麺業)

●坂出公共職業安定所
(7月21日)
△男子製粉雑役/18~20才、経験不要、三食付
(11月30日)
△男子店員/16~20才、義務了者、通勤日収100円(市内某製麺所)
(12月5日、6日)
△男子配達夫/18~22才、義務了者、通勤日収130円(市内某製麺所)
(12月14日~18日)
△男子配達夫/20才まで、義務了者、通勤日収100円(市内某製麺所)
(12月20日、22日、23日、25日、27日)
△男子配達夫/18~22才、義務了者、通勤日収130円(市内某製麺所)

●観音寺公共職業安定所
(12月11日、14日、15日、16日、17 1819)
△製麺見習工/男子17~20才、支那ソバ製造見習、通3000円(町内某食堂)
(12月14日、15日、16日、17日 1819)
△ウドン製造工/男子18~25才、手打ウドン製造、通日収150~200円(町内某食堂)

 この年から職安の求人情報が掲載され始めました。うどん関連で目立つのは「配達人」の募集ですが、香川県製麺協同組合の「身体強健にして自転車に乗れる人」という条件が仕事内容をなかなか具体的に想像させます(笑)。あとは「製造見習い」と「雑役」。坂出管内の「市内某製麺所」が募集している「男子店員」というのは、「店員」ですから製麺工場でなくておそらく「うどん店」ですね。「義務了」とあるのは、義務教育完了者、つまり中卒以上ということだと思いますが、いずれにしろ、今では許されない「性別や学歴や身体条件を限定した募集」が普通に行われていた時代です。

(昭和28年に続く)

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