さぬきうどんのメニュー、風習、出来事の謎を追う さぬきうどんの謎を追え

vol.10 新聞で見る讃岐うどん

新聞で見る讃岐うどん<昭和28年(1953)>

(取材・文:  記事発掘:萬谷純哉)

  • [nazo]
  • vol: 10
  • 2019.06.10

四国国体、人造米、そして「屋台のうどん屋」

 昭和28年のトピックスは、イベントなら四国国体の開催、食糧関係では“なんちゃって米”の「人造米」の登場、そして香川のうどん界では、新聞紙上に初めて「屋台のうどん屋」が登場したことです。ラーメンの屋台に比べると「うどんの屋台」は圧倒的に印象が薄く、このうどん処香川でも「うどんの屋台は本当にあったのか?」という疑問を持つ人もいるようですが、ここで出てきました。ただ、その登場の仕方がちょっと、歴史に残していいものかどうか…(笑)。

「屋台のうどん屋」が新聞に初登場!

 「新聞に載ったうどん屋台」の記念すべき第1号は、これ。

(6月20日)

うどん屋を殴る

 丸亀市西平山町、無職○○○○(21)は18日午後10時ごろ、市内新掘入口でうどんの屋台を出していた土居町○○○○○さん(55)にうどんを注文したところ、品切れだと断られたので「品切れならなぜ早く店をしまわないのか」と○○さんの頭をゲタで殴り、全治10日間の傷を負わせ、丸亀署員に逮捕された。

 武士の情けで名前は伏せておきますが、とりあえず「何ちゅう出方や!」とツッコミを入れておきます(笑)。しかしとりあえずこの記事によって、讃岐うどんの歴史上初めて確認された「うどんの屋台」は、晴れて「丸亀市内新堀入口で客にゲタで頭を殴られた○○さんの屋台」に決定しました(笑)。これを記念して、「屋台うどん発祥の地」として現地に「客にゲタで頭を殴られる○○さんのうどん屋台」の銅像を建立したいくらいの発見です。

 さらに続いてもう一つ、これもうどんの屋台と思われる「夜鳴きうどん屋」が出てきました。

(12月2日)

食品を一斉検査 県、食中毒防止に乗り出す

 香川県では食中毒などによる不愉快な正月をなくするため、今月一ぱい、県下保健所を通じて正月用食品の一斉取締りを実施する。取締りの対象になるものは炭酸カルシューム(石粉)を含むモチ取粉、オーラミンを含有するたくあん漬の素、法定外色素を含む菓子、あめ玉、防虫、防腐など保存設備のない乾物、つくだ煮、悪質色粉を使用しているカマボコなど1万6000種で、飲食店、旅館、仕出屋、菓子屋、カマボコ、つくだ煮製造販売業者、デパートはじめ夜鳴きうどん屋に至るまで広範囲にわたって調べ、不良品があれば県立衛研で分析、結果によっては品物を廃棄させた上、営業停止処分にする。

 これもまた別のニュースの中に、「夜鳴きうどん屋」がシレッと出てきました。しかし、「うどんの屋台」も「夜鳴きうどん屋」も記事では何の注釈もなく当たり前のように書かれているということは、当時すでにうどんの屋台が当たり前のように存在していたのではないかと思われます。ということは、上記の「丸亀市内新堀入口で客にゲタで頭を殴られた○○さんの屋台」は「うどん屋台の発祥」ではない可能性が十分ありますが、「町おこしのマーフィーの法則」によれば「誰も確認できないものは言うたもん勝ち」なので、何とか強行突破できるかもしれません(笑)。

 続いて、客にゲタで殴られたうどん屋台の人と「うどん従業員の災難」つながりで事件をもう一つ。

(3月23日)

コラム/自由港

 さきごろ、香川県木田郡川添小学校前の県道上で農業○○○○さん(53)が道の側へ親子2頭の牛を休ませていたところ、高松市松島町ウドン玉配達人○○○○君(19)が荷物をつけた自転車で子牛に接触、子牛の後足一本を折った。○○さんは「加害者がベルも鳴らさず衝突したのだから交通違反だ」として「損害賠償5万円程度を要求したい」と、20日朝、国警平井地区署へ届け出た。一方、○○君は「左側を進行中、子牛が暴れたため」と主張。何としても相手が物いわぬ牛なのでどちらがどうと割りきれず、中間に立つ係官は法規を調べるのに汗ダク。

 「これがうどん関連ニュースか?」と問われれば「あなたの感じたままです」と言うしかありませんが(笑)、自転車で子牛の足を一本折るとは、隕石ぐらいの猛スピードでぶつかったか、あるいは巨漢のスーパーうどん配達人だったのか(笑)。とりあえず、「自転車に積んだうどん玉」と「子牛一頭」じゃ子牛の方が損害は大きいから、そりゃお百姓さんも訴えるでしょう。うどん玉の配達人も気をつけないとどこに災難が待ち受けているかわかりません。

 次は、うどんの絡んだ「風習」に関する読者投稿です。

(1月20日)

読者の声「こだま」 「お寄りさん」に反対

 私の部落では毎月1回部落内で「お寄りさん」というお客をしています。この「お寄りさん」というのは、各戸が米5合を出し合い、順番に各戸に当番が回ってきて、当番になった家で寿司、うどん、そばのいずれかを作って部落の人々が集まり、これを食べるというものですが、私はこの「お寄りさん」には反対です。何故ならば、うどんを作るとしてもうどん粉にダシ、醤油、光高費、お茶、菓子で最低1000円は要ります。1000円だってバカにはできません。貧しい家庭ではこの費用のため借金をしてでも部落のみんなが集まるため、心の中では「お寄りさん」に反対していても村八分になるのを恐れて一応は務めを果たしています。

 部落は15軒あり、1回終われば1万5000円の無駄な費用が流れる。食事の後は人のうわさや悪口ばかり言って教養方面のことは一言も言ってない。このような「お寄りさん」を続けるより、貯金とか、台所改善をして家に役立つ物を作る方がよい。12時に案内しても讃岐時間で3時ごろぼつぼつ集まって来るという始末で、時間の浪費も甚しい。どうしても今まで通り続けて行きたいならば、お互いに費用ばかりでなく、当たった家では一日中この準備で忙しいのですから、時間も経済的に使うように「お寄りさん」の合理化を考えたいものです。(綾歌郡陶村・生活改善生)

 「昭和の証言」を読んでいると、うどんを食べる場面として田植えや稲刈り等の農作業の後、お祭り、法事、寄り合い等々が出てきますが、中にはこういう「楽しみより負担の方を大きく感じる風習」も当然あるわけで、そういうものはこうやって誰かが声を挙げたり世代が変わって価値観が変化したりしてだんだん淘汰されていくわけです。ただし、「人のうわさや悪口ばかり言って教養方面のことは一言も言ってない」というのはいつの世も人の性(さが)で、今もあちこちで健在でございます(笑)。

 続いて、毎年のように出てくる「うどんメニュー」の紹介。

(3月29日)

レシピ/きょうのお惣菜 小田巻蒸し

 うどんの美味しい食べ方です。野菜は季節の田ぜりなどをあしらってください。
▽材料(5人前)=うどん玉5個、とり肉30匁、しいたけ5個、なるとかまぼこ4分の1本、ほうれん草少々、醤油大さじ3杯、みりん小さじ2杯、塩
▽作り方=とり肉は並切りにし、塩を少々ふって10分ほど置く。うどんは醤油大さじ1杯をかけてよくまぜておく。しいたけはゆでて大きめのせん切りにし、甘辛く味付けし、かまぼこはそっと湯をかけ、ほうれん草はゆでて醤油少々をかけておく。蒸し茶わんにうどんを分けて入れ、その上にとり肉、しいたけ、かまぼこ、ほうれん草をいろどりよく盛り、かき卵をかける。卵の汁は、卵1個に対し煮出汁1合を加えてのばし、醤油大さじ2、みりん、塩少々で味をつける。蒸器でなるべく弱火で20分くらい蒸す。

 うどんが入った茶碗蒸しの「小田巻蒸し」は「大阪の郷土料理だ」とする人もいるようですが、うどん料理なのにうどん処香川では今日に至るまで全く定着してきませんでした。そう言えば、大阪のうどんと讃岐うどんの違いを「讃岐うどんは麺を食べる文化、大阪のうどんは汁物の具としてうどんを食べる文化」という評を目にしたことがありますが、香川では昔から「うどんはそのままうどんで食べるのが一番うまい」ということで、あまりバラエティなメニュー展開が行われてこなかったのかもしれません。以上、パラパラと出てはきたけど意外に少なかった「昭和28年のうどん関連記事」でした。

旧正月はお寺も神社も大にぎわい

 ではここで、昭和28年の庶民生活が窺える記事をいくつかピックアップしておきましょう。まずは、お祭りの様子から。

(2月15日夕刊)

投げ米も二俵半 八栗 参道18町に人の波

 商売繁盛の神さま八栗の旧正初詣りは、夜来の雨もあがって絶好の日和に恵まれ、未明から琴電志度線は臨時二両連結を増発し、高琴、高松両バスは大型車を運転して15分毎に参拝客を送り、いずれも超満員の盛況。高徳線列車もまた徳島方面の団体客でいっぱい。志度、屋島両駅は一日中混雑を極めていた。10時ごろから近郷近在の信者が押しかけ、参道18町は一日中お詣り客でひしめきあい、この日の参詣は約10万人。山上境内は人、人、人のウズを巻いていた。

 米の増収とたばこが豊作だったためか農村景気もよくなり、お詣りのさい銭も百円札がぼつぼつ見られており、さい銭箱のほかに据え付けた四斗ダルの中にはさい銭と投げ米でいっぱい。この日の投げ米はざっと2俵半、さい銭はしめて7万円ぐらいと見られている。地元牟礼村宮北青年団は自転車臨時預かり所を設置して団の基金かせぎをやり、国警志度地区署では署員を派遣して山上に臨時出張所を開き、参詣客の整理につとめているため、これまで讃岐のモナコと見られていた山上や沿道のインチキトバクや、源氏が峯の山林中で開かれるという常習トバクなども姿を消していた。

 旧正月の八栗寺が徳島方面からの団体客までやってきて大にぎわいという記事。八栗ケーブルの歴史を紐解くと、
(昭和 6年)八栗登山鉄道が開業。
(昭和19年)八栗登山鉄道が戦争で休止。
(昭和35年)八栗登山鉄道が廃業。
(昭和39年)八栗ケーブルとして開業。
とありました。これをそのまま読めば、この昭和28年時点では「休止中」ということになりますが、詳しい運行状態はちょっとわかりません。ちなみに、「この日の参詣は約10万人」とありますが、山道を徒歩で10万人が上がったというのもにわかに信じがたいし(笑)、ケーブルが運行していたとしても定員と往復回数からとても1日で10万人が運べたとは思えないし、さらに新聞社が当日現地で一日中数えたとも思えないので、「すごくたくさんの参詣者がいた」と訳しておきましょう(笑)。あと、八栗山上(たぶん八栗寺境内周辺)は「讃岐のモナコ」と呼ばれるインチキ賭博や常習賭博のメッカ(モナコがメッカというのも何ですが・笑)だったんですね。

 続いてもう一つ、「旧正月の大にぎわい」の記事が見つかりました。

(2月23日夕刊)

坂出の十日戎にぎわう

 坂出市の年中行事の一つ、旧正十日戎は22、23の両日坂出神社奉賛会主催で行われ、22日午後2時祭典、午後3時から福引(一等・20キロ入り精米1俵、二等・乾めん1箱、三等・木炭1俵など、一本売出し価格10円)、午後6時からは文化映画を上映、終って午後11時からは福投げ(一等・1000円ほか多数)があり、夜を徹して福を祈る人々の参詣でにぎわう。なお、23日正午には同神社境内で一般の部、中学の部に分れて力餅競技も行われる。

 坂出神社の旧正月の「十日戎(とおかえびす)」は、福引きと「文化映画」と福投げと力餅競技で大にぎわいですが(文化映画の上映作品が気になりますが)、こちらは賭博の記述がありません。賭博のショバ代を表す「寺銭」という言葉があるように、お寺の境内は賭博OKで、神社はダメだったのかな。そう言えば「新聞で見る・昭和23年」の記事中に「(旧正月のこんぴらさんの境内で)開帳中のむしろトバクで2500円也をちょろりと負けてあっけなく立去るお百姓さん衆もあり…」という記述がありましたが、こんぴらさんが「金刀比羅宮」という神社になったのは明治元年の神仏分離令が出た時のことで、それまでは「松尾寺」というお寺でしたから、そのお寺の名残だとすれば、やはり「お寺と神社と賭博」の間で何かの関係があったのかもしれません。

うどんはメディアで紹介されるほどの外食ではなかった?!

 では次に、庶民の外食事情が窺える記事を2つ。

(3月19日)

珍商売盛衰記/お好み焼き ご婦人がよいお得意 夏枯れ対策に頭悩ます

 お好み焼きは終戦後初めて高松市内に入ったものだが、つい最近まではほとんどの人が振り向きもせず、商売らしい商売もできなかった。それが昨年末から大モテとなり、街角に並ぶうどん屋の閑散ぶりを尻目に、毎日午後7時ごろになると店内は満員の盛況である。お好み焼きはその昔「一銭洋食」といって田舎の祭りや農具市などに子供が好んで食べていたもので、本場ははっきりしないが大阪方面らしく、昭和15年ごろすでにこの種の店があったそうだ。しかし、当時のものは極めて簡単な焼き方で、やはり子供たちの食べものだった。それが戦後、焼き方や、うどん、肉などの内容物が改善され、工夫されて最近のお好み焼きに変わり、大人の食べものとなった。

 戦後、市内でもわずか2、3軒しか同業者がなかったが、今では15軒余り。最近は腰掛、一パイ屋にも取り入れられ、このところ開店急増の現状にある。“お好み”という語源も「ぶた焼き、ハム焼き、いか焼き、そば焼きと種々雑多で“お好み”通り焼くことから生れたのだ」とライオン通りの某店主は語っているが、1枚わずか30円均一で、しかも腹が太るとあって女性群の利用者が多く、ことにオフィスガールや芸妓がよく訪れるとのこと。男女の比は男3~4人に対し女6~7人もあるというから、いかに大衆的な食べ物であるかが判るというもの。売行きも夏中はダメだが、冬は極めて好調で、1日500~600枚はラクに売れるという。

 運命鑑定ではないが、「結局、夏枯れ対策に何かを取入れると年中商売ができて結構もうかるだろう」とはある客の話だった。全くそうだ。アベックや女性客がうどん屋に入って1時間以上も話し合うことはちょっと珍しいが、このお好み焼き屋では淑女も大口を開いてお好みを食べ、楽しきひとときを過しているというから、“お好み”もどんなに解していいか見当がつかない。店主は語る。「戦後トップを切って開店したが、大して人も寄らず、去年の初めごろ廃業の憂目にあった。しかし、昨年末から今年に入って売行きがよくなった。問題は夏期間中の商売転換です。冬よくても夏がさっぱりだと結局商売はあがったりで、一番頭を悩ましている。丸亀、坂出にも業者が2、3あるが、余り売れないそうだ。やはりお好み焼きは小都市以上でないと売れず、高松市内、いや県下における珍商売といっても過言ではないでしょう」。

 お好み焼きが「珍商売」として紹介されていました。記事によると、昭和28年3月頃は「街角に並ぶうどん屋は閑散」としていたようで、しかしお好み焼き屋は午後7時頃になると「店内満員の盛況」とのこと。その理由の一つとして、「アベックや女性客がうどん屋に入って1時間以上も話し合うことは珍しいが、お好み焼き屋では淑女も大口を開いてお好みを食べ、楽しきひとときを過している」とありますから、こんな昔からうどん屋は長居をするような店ではなかったようです。

 続いては、年末の高松市内の外食事情。

(12月5日夕刊)

逃寒食堂街を歩く 高松市内スケッチ

 師走ともなれば、お手軽で身体の温まる安値なお好み焼きや焼いも屋などは小市民で大繁盛。北風の街角に味覚をそそる“逃寒料理”あれ、これを高松市内で拾ってみた。

①お好み焼…冬の人気者お好み焼は御婦人がとくにお好き。肉、かしわ、うどん、そば、えび焼など一品料理でお値段は30円也。アベックで差し向かい、セルフ・サービスでやれば味はまた格別というもの。
②支那そば…深更ともなれば飲み屋は看板、あとはキャバレー、おでん屋のラッシュ・アワー。酔眼もうろうとして千鳥足、その鼻先に支那そば屋の哀調をおびたチャルメラの音が客を吸い込むように響く。
③てっちり…ぐっとくだけたところで、お値段は張るが1人前250円也、いわゆるフグ通に言わせると味覚は満点だし、肩の凝りは治って頭が明せきになる。若い世代には余り親しまれないようだが、アバンには大好物ヒレ酒ともなればいよいよ興趣はつのる。毒は変じて薬になる?
④焼いも…これは天地開びゃく以来、女性のファンで大もてのスター(形よりは味ですゾ)、ホコホコをむいて食べる感触は女ならでは…オヤツの時間には子供達もむらがって焼けるのを待っているが、その半分以上は女性の“ヒモ”つきというのが楽屋裏のはなし。

 新聞記者がわざわざ記事に取り上げた外食のジャンルが、「お好み焼き、支那そば、てっちり、焼きいも」。ここでも「うどん屋」は取り上げられていません。深夜の酔客も「千鳥足で支那そば屋」へ吸い込まれて、うどん屋には行きません(深夜のうどん屋があったのかなかったのかは不明)。当時の香川における「うどん」のポジションはそれほど高くなかったのか? あるいは、当たり前すぎて記事にしなかったのか? そのあたりの推測材料として、今度は物産関係の記事を拾ってみます。

香川の特産品事情

(5月24日)

新市場開拓をめざす 福岡市で「四国物産展」

 香川県では26日から月末まで、福岡市玉屋デパートで開かれる“四国の観光と物産展”に次のような特産品を出品、北九州に新市場を開拓する。なお、九州地区への進出は今回が初めてで、とくに炭鉱地帯の好景気を当て込み、高級品より大衆向け特産品の大量進出を目指している。
▽展示品(51点)=手袋、角マット、模造真珠、団扇、アジロ盆、日傘など
▽食料品(76点)=オリーブ、菓子類など
▽漆器類(105点)=キンマ、存清、後藤塗など

(8月18日)

県出品60点を予定 全国農村工業副業展 再度栄冠めざす

 香川県経済部では、9月10日から16日まで東京で開かれる第3回全国農村工業副業展への本県出品点数を約60点と予定。本月20日までに県あて出品を申し込むよう、14日、県下各関係業者に通知した。県の出品予定品種は、竹カゴ、アジロ盆、ヘチマ、真珠、干えび、かんづめ、オリーブなどで、第1回同展では三豊郡豊浜出品のヘチマ製品が農林大臣賞、第2回では高松市からのアジロ盆が農林経済局長賞をそれぞれ受けているので、三度目の栄冠を得ようと関係者側では張切っており、とくに新しいデザインを要望している。

(8月26日)

カン詰めなど58点決る 全国農村工業副業展の県出品

 9月10日から7日間、東京池袋、池袋百貨店で開かれる農林省主催第3回全国農村工業副業展への本県出品物を取りまとめていたが、25日、58点と決定した。主なる品種別では、少女セロハンブック、カン詰類、アジロ盆から狸エリマキ、狸チョッキ、兎マフラーなどで、かつて同展で農林大臣賞、経済局長賞を相ついで獲得した本県出品のさらに斬新なデザインをあしらった本年度出品物に、三度目の栄冠を期待し、関係者は張りきっている。

 5月に福岡で開催された「四国物産展」と、8月に東京の池袋百貨店で開催された「第3回全国農村工業副業展」に出品された香川の特産品の抜粋記事です。過去の全国農村工業副業展では「豊浜のヘチマ製品」と「高松市のアジロ盆(竹で編んだお盆)」が賞をもらったそうですが、どちらも今日の産業には定着していません。謎の「少女セロハンブック」と「狸エリマキ、狸チョッキ、兎マフラー」が気になりますが(笑)、内容によってはこのあたり、復活させたらイロモノで話題になるかもしれません。しかし、ここでも「うどん商品」は讃岐の名産、特産として名前が出てきません。

 続いて9月に、香川県商工観光課が香川の特産品調査の結果を発表していました。

(9月22日)

貝ボタンなど13品目 香川の特産品調査まとまる

 香川県商工観光課では県内主要産業の県外紹介に便をはかるため特産品調査を実施していたが、このほど次の通りまとまった。いずれも独特の技術を持ち、全国の8割生産を占める本県の優秀輸出品である。

●貝ボタン(主産地・大川郡鶴羽村)奈良、大阪につぎ戦前より輸出品として名声を博している。製造会社3、企組1、個人11、従業員300人(うち女が5割)。月産10万グロス。
●漆器(主産地・高松市)重要漆器工業団地として、また重要文化財として中央指定をうけており、その生産圏は全国第1位。製造会社8、個人510名、従業員4000名。月産額約7000万円。
●秤錘(主産地・高松市)錘全体は全国の70%、定量錘はその80%を生産、他県の追随を許さぬ技術を持っている。製造会社?、従業員130人(うち女10人)。月産10万個(750万円)。
●模造真珠(主産地・三豊郡仁尾町)大阪につぎ第2位の生産、ほとんど輸出用にあてられる。生産会社2、企組1、個人300、従業員2070人(うち女850人)。月産額600万円。
●団扇(主産地・丸亀市)全国生産の8割を占めている。製造会社7、組合4、個人1000、従業員6000人。月産額4000万円。
●農機具(主産地・三豊郡、坂出市)とくに自動モミすり機、脱穀機は独特の技術を誇り、農用発動機とともに全国に販路が広い。製造会社7、個人65、従業員1401人、月産5630台(1億1000万円)
●麦稈・経木帽子(主産地・三豊郡豊浜町、高松市、大川郡津田町)経木帽子は広島につぎ第2位、麦カン帽子は原料麦ワラが豊富なため第1位を占め、輸出品として好評を受けている。製造会社6、個人25、従業員170人(うち女5割)。月産14万ダース(5000万円)
●日ガサ(主産地・高松市)全国の8割を生産。昭和24年には年間400万本を輸出したが、現在は皆無。製造会社3、個人700、従業員4000人。月額630万円(13万本)。
●チリ紙(主産地・高松市)全国産の2割強の生産をもち、静岡に次ぎ第2位。製造会社9、個人1、従業員1168人(うち女355人)。月産24万6000貫(4000万円)。
●蘭、麦カン角マット、円座(主産地・高松市)全国生産の3割を生産する。製造業者?、個人10、従業員2000人。月産10万才。
●乾麺(主産地・小豆郡、坂出市)製造業者270、従業員1350人、月産4万箱(4000万円)。
●しょう油(主産地・小豆郡)製造会社90、個人40、従業員2500人。月産40万石(25億円)。
●オリーブ(主産地・小豆郡)現在増殖中で外国品より品質がすぐれ、また農家の換金作物の王者として将来の発展が約束されている。製造会社2、従業員50人。月産額50万円。

 冒頭の記事に「いずれも独特の技術を持ち、全国の8割生産を占める本県の優秀輸出品である」とありますが、以下の調査を見ると全国の2割や3割のものもあり、シェア表記のない品目でも例えば香川の「農機具」が全国シェアの8割も占めていたとは到底思えないので、たぶんこれは記事の書き間違いでしょう。また、月産額や従業員数に妙に切りのいい数字が並んだり月産額の表記がない項目もあったりして、データもそれほど厳密ではないような気もしますが、とにかく当時の香川(県観光課)ではこういうラインナップが特産品だとされていたということです。

 一応この数字を信用して「売上高」をランキングにしてみると、こうなります。

<月産売上高>
250000万円…しょう油
 11000万円…農機具
  7000万円…漆器
  7000万円…秤錘
  5000万円…麦稈・経木帽子
  4000万円…団扇
  4000万円…乾麺
  4000万円…チリ紙
   630万円…日ガサ
   600万円…模造真珠
    50万円…オリーブ

 特産品の売上高では、農機具や秤錘(=はかり)といった単価の高い工業製品を抑えて「しょう油」が断トツ! 「主産地・小豆郡」とありますが、「製造会社90、個人40」と記されていますから、香川県内のあちこちでしょう油が製造されていたと思われます(鎌田醤油の前身社もすでに操業中です)。ちなみに、秤錘はのちの鎌長製衡の前身社、チリ紙はのちの常磐ティシュの前身社が中心となって高い全国シェアを獲得していたようです。

 そして「乾麺」。これまでの新聞記事では、そうめんや干しうどんといった乾麺の産地として小豆島と豊浜と仏生山が出てきましたが、ここには「主産地・小豆郡、坂出市」とあります。確かに坂出港は当時から小麦の集積地だったので、精麦、製粉だけでなく、製麺(乾麺の製造)も盛んだったとしても不思議ではありませんが、当時の坂出にどんな乾麺業者がどれくらいあったのかは、新聞記事からは不明です。

 次に、「従業員数」のランキング。

<従業員数>
6000人…団扇
4000人…漆器
4000人…日ガサ
4000人…模造真珠
2500人…しょう油
2000人…蘭、麦カン角マット、円座
1401人…農機具
1350人…乾麺
1168人…チリ紙
 300人…貝ボタン
 170人…麦稈・経木帽子
 130人…秤錘
  50人…オリーブ

 上位は、団扇、漆器、日ガサ、模造真珠…という手作り物。やはり、昭和28年頃はまだまだ生産性の低い小さな“手工業”に従事している人が多いということでしょう。ちなみに、売上高を従業員数で割って「従業員1人当たりの売上高」をランキングにしてみると、こうなります。

<従業員1人当たりの売上高>
538462円…秤錘
294118円…麦稈・経木帽子
100000円…しょう油
 78515円…農機具
 34247円…チリ紙
 17500円…漆器
 10000円…団扇
 10000円…乾麺
 10000円…オリーブ
  1575円…日ガサ
  1500円…模造真珠

 従業員数の多い団扇、漆器、日ガサ、模造真珠あたりが軒並み1人当たりの生み出す付加価値が少ないという結果。そして、「乾麺」も付加価値の少ない組に入っています。さらに、特産品別に1事業所あたりの平均従業員数(総従業員数を製造会社数と個人営業数の合計で割った数字)を算出してみると…

<1事業所あたりの平均従業員数>
116.8人…チリ紙
 25.0人…オリーブ
 20.0人…貝ボタン
 19.5人…農機具
 19.2人…しょう油
  7.7人…漆器
  6.8人…模造真珠
  5.9人…団扇
  5.7人…日ガサ
  5.5人…麦稈・経木帽子
  5.0人…乾麺

 何と、「乾麺」が最下位! つまり、乾麺の製造事業所が最も小規模だったという結果になりました。いずれも新聞に載っている数字を元にしたものですから何かの誤差はあるかもしれませんが、当時の乾麺業界は大半が「家の庭先でうどんやそうめんを干して作っていた」というレベルの規模だったと思われる…そんな数字になりました。

 ではもう一つ、当時の郷土色の立ち位置に関して、こんな記述が見つかりました。

(10月25日)

お手植の松も成長 両陛下の御宿所披雲閣

 天皇、皇后両陛下は25日午後零時20分高松本駅着で再度来県されるが、御宿所に決定した玉藻城飛雲閣では準備万端整い、いま両陛下のお出でを待つばかりになっている。

 飛雲閣は大正9年松平頼寿氏が玉藻城内に新築、同11年まで来高した各宮、賓客の宿泊所になっていた。戦後米軍に接収されていたが、26年秋解除され、改造箇所も逐次修復、純日本風を取りもどした。両陛下がご使用になるのは660坪の建物のうち、一番奥の二階建で階上「波の間」が御寝室と御座所、階下の楓の間が食堂と拝謁室に充てられる。各室の調度品、廊下のじゅうたんは寝具を除き万事質素にとの御示しで借物で間に合せ、御座所の床の間には白黄の菊の大輪が生けられ、また広間には県の特産物、工芸品を陳列している。両陛下が御散策されると予想されている庭園には、両陛下が大正11、12年御来高の折植えられた樹齢30余年の御手植松が並んですくすくと枝を延ばし、高さも7メートル余に達している。

 在県中の御食事はすべて高松市一番丁新常磐主人高関敬一氏(49)が妻トヨさん(45)と共に奉仕することになっている。予定献立は25日御昼食がスープ、パン、エビフライ、ハンバーグステーク、コーヒー、果物。同夜が和食でタイのボイル、かしわ、タイのいかだ焼等。翌朝はオート・ミル、トーストパン、フィッシュ・ムニエル、果物、紅茶。昼食がサンドウイッチにポテトサラダ、ボイルド・エッグとなっている。

◇高関敬一氏談=母(咲さん、昭和18年死亡)は大正11年、12年にお出になった両陛下に奉仕しました。今後おそろいでお出になることはもうないでしょうから、一生一代家の名誉これに過ぎるものはありません。全力を尽します。献立は衛生、栄養の点を考え、郷土食はゲテモノになる恐れがあるので遠慮致しました。

 天皇陛下のご来高の準備をしているという記事ですが、注目は最後の「陛下のお食事担当」の高関さんの「郷土食はゲテモノになる恐れがあるので遠慮致しました」というコメント。今でこそ「郷土食は大切な地方文化」という位置づけになっていますが、当時は「郷土食はゲテモノ」というのが共通認識だったようです。すると、おそらく「うどん」もしかり。かつて、郷土史家の故・草薙金四郎さんから「讃岐うどんは製造過程に足で踏むという工程があるため、皇室に献上されなかった」という話を聞きましたが、それ以前に、郷土食は皇室に対して何か卑しい存在のような位置づけだったようです。

四国国体と物産とうどん

 昭和28年は四国4県合同の「四国国体(第8回国体)」が開催された年でしたが、その記事の中にも香川の特産品とうどんが出てきました。まず、特産に関する記事はこれ。

(8月29日)

ずらりと国体向けみやげ品 高松商工奨励館に展示

 第8回国体を間近にひかえて関係方面ではその受入れ準備に大わらわとなっているが、香川県商工観光課では讃岐の物産、名物など50品目(食料品を除く)を国体向けみやげ品として、早くも28日から高松市栗林公園内商工奨励館東館に展示している。この中には郷土の名所絵入り団扇、同あじろ盆、保多織、瓦せんべい、源平餅等があり、従来とはデザインもかわり、包装紙も趣向をこらし郷土色を盛上げたものばかりで、29日、県と生産者とが会合して国体用優良みやげ品認定会を開いた上、本格的な生産を行い、国体の県外客のみやげとすることになっている。

 国体で来県した選手や来訪客をターゲットに、栗林公園内の商工奨励館に「国体のお土産」として香川の特産品を展示したというニュース。「食料品を除く」とありながら瓦せんべいや源平餅も展示していたようですが(笑)、そんな国体歓迎ムードの中で、県と市町村の間でうどんに関するこんなやり取りがあったようで…

(9月5日)

うどん販売許可など要望 県国体開催地連絡協議会

 香川県下の国体開催地市町村連絡協議会は、4日午前10時から小豆郡内海町公会堂で開き、県衛生部では衛生の見地から会場内の売店ではその場で加工する食品を売らさぬ方針だが、このためうどんも売れず不便なので、うどんだけは除外するように要望することになった。また、国体協賛会費は約3割を県が取ることになっているが、これは当初の約束通り全額地元に還元するよう要望することになり、午後3時散会した。

 県の衛生部が衛生上の問題で「国体の会場内の売店では、その場で加工する食品の販売を禁止する」という方針を打ち出したところ、国体開催地となる市町村が「うどんだけは売らせてくれ」と要望したとのこと。ということは、やっぱり当時、香川では「うどん」はそんじょそこらの食べ物とは違う特別な存在だったのだと思われます。が、しかし…

(10月9日)

露店は認めない 国体会場内売店の指導要綱成る

 香川県衛生部では、国体に対する公衆衛生対策と会場内売店指導要綱を7日作成した。主な点は次の通り。
・売店は場内にだけ設け、道路上の露店は一切認めない。
・数および位置は開催地実行委員会が制限する。
・売店の指定は開催地事務局が保健所と協議の上行う。
・認可業者には県事務局から腕章を交付する。
・販売品目は次の通りで、これ以外は一切許さない。
 ハム・サンドウイッチ、パン、菓子(いわおこし・羊かん・花あられ、まんじゅう、カステラ、チュウインガム、延しするめ、キャラメル、ドロップス、南京豆、フライ豆、チョコレート、ビスケット、塩豆、甘納豆、乾ブドウ、モナカ、金平糖、ボーロ、すずめの卵、せんべい)、飲料水(サイダー、ラムネ、ミルクコーヒー、ジュース)、氷菓子(アイスクリーム、氷菓子)、卵(ゆで卵)、果物(ミカン、リンゴ、カキ)、牛乳

 申請は却下されました(笑)。というわけで、ここまでのいろんな記事を総合すると、香川で「うどん」は庶民の間では日常食としてあまりに定着していたけれど、県は「うどんは庶民の食べ物ではあるが、特別な郷土食としては認めない。乾麺も香川の産業の一つではあるが、主力特産品としてPRするほどの位置づけではない」という考えだったような気がします。同様に、組合(香川県製粉製麺工業協同組合=昭和27年の広告リスト参照)もこの認可申請に動いた形跡がありませんので、同じような考えを持っていたのではないでしょうか。

活気づく坂出港

 坂出港に外国船の直接入港が始まり、港として「ワンランク昇格!」みたいなことになってきました。先に外米を積んだ外国船が入港したようですが、続いて5月にオーストラリアから大麦を積んだ船が2隻入港します。

(4月27日)

今度は大麦積んで 近く坂出へまた外国船

 貿易港としてクローズ・アップされている坂出港に、近く大麦を積んだ外国船が入港する。香川食糧事務所ではさきに外米の輸入にあたって外国船を直接坂出へ入港させたが、こんどは豪州産大麦約5000トンを積んだカフリスタン、シャダーサ両船を入港させることになり、両船は5月上旬相次いで入港する。輸入麦の坂出陸揚げはこれがはじめてで、従来はいずれも神戸に入港し、同港で機帆船に積替えられて坂出へ運ばれていたもの。なお、この輸入麦5000トンは大部分、県内消費に向けられる予定。

 これまで神戸に入港して積み替えられて坂出に来ていたものが、直接坂出港に入り始めました。続いて、坂出に保税工場ができることになりました。

(8月15日)

坂出に保税工場 近く許可 小麦粉輸出の振興へ

 坂出市内に初めて保税工場ができることになり、貿易港坂出の将来に大きな期待がかけられている。保税工場となるのは同市東浜日清製粉坂出工場で、13日、神戸税関長高橋英夫氏あて私設保税工場設置特許申請書が同工場長河井次郎氏により坂出税関支所に提出された。これは保税工場法第八条に基づくもので、一週間後には正式許可になる見込みである。

 従来日本で製造されていた小麦粉はフィリピン、韓国などへ輸出されていたが、アメリカ、カナダからの小麦粉がトン当り110ドルであるのに、わが国のものは120ドルから125ドルという高値のため、国際市場で太刀打ちができなかった。これは、輸入された外麦はすべて食糧庁に払下げられていたのであるが、その払下げ価格は国内消費分がトン当り3万7200円に対し、輸出向は840円高の3万8120円であり、そのうえ工場までの運賃が加算されていたので自然原料コストが高くなり、製品コストも高くなっていた。

 さきに通産省と大蔵省と折衝の結果、輸出振興策として輸出用小麦粉製造工場に対して保税工場を特許し、輸入外麦は食糧庁の手を経ず輸入業者から直接工場へ搬入され、原料倉庫に入れられ小麦粉に製造、更に製品倉庫に入れられ注文に応じて輸出されるわけであるが、この保税制度によりトン当り840円と運賃などの中間経費が安くなる。また、政府の優先外貨資金三百数十万ドルが用意され、外麦輸入から製品輸出までの間低利で融資されるので資金の心配もなく、業者の欲するとき、欲する品種や量を自由に入手できることになったわけである。

 保税工場というのは、外国からの貨物を関税を保留したまま加工できる工場のこと。小麦粉で言えば、これまでは輸入小麦が一旦食糧庁に入り、関税と運賃が上乗せされて坂出に来て、それを加工(製粉)して売るから値段が高くなっていたところ、保税工場ができると輸入小麦が直接坂出に入り、関税が掛からないまま(保税)製粉加工して販売できるから販売価格が安くなって世界と戦えるようになる、という仕組み。要するに、当時の日本の有望な成長戦略であった「加工貿易」を大きく促進する施策であり、その拠点の一つとなる保税工場が坂出にできたというわけです。

 ちなみに、記事を見る限りの表面的な感想ですが、当時の政府は荒廃からの復興を主導し、民間活力が育ってくると利権や規制を取り払って民間の自由経済活動に委ねるという国益を優先した施策をやっていたんだなあ、というのは褒めすぎですか(笑)。いや、国益より省益を優先させて規制と利権を抱え込み、さらにそれを拡大膨張させようとばかりしている昨今の霞ヶ関を見ていると、つい比較してしまって(笑)。

(11月18日)

小麦が8000トン 米国から坂出へ大量入荷

 8250トンという大量のアメリカ産小麦が坂出港へ輸入、陸揚げされることになり、同港の荷役関係者、倉庫業者は活気づいている。同港はもとより、四国でこうした大量の外麦が輸入されるのは初めてのことで、今回誘致される植物防疫所、検疫所の設置を前にしてこのような大量の外麦荷役、倉入れ作業がスムースに行われるか否かは、植物防疫所、検疫所誘致を立証する貴重な一つの試金石と見られている。一切の輸入手続きをはじめ倉入れを請負っている日通坂出支店では、19日に関係者を集めて荷さばきの方法について打合会を開き、万全を期すことになった。話題のアメリカ産小麦(Wホワイト)8250トンを積んだ日豊丸(6300トン)は24日坂出へ入港の予定であったが、17日に日通坂出支店に入った情報によると28、29日ごろに延びた模様であるが、荷役は本船からはしけ取りに1週間、はしけから陸揚げ倉庫入れまでまた1週間と、約半カ月を要する見込み。

 この小麦は東洋物産倉庫へ3600トン、臨港倉庫へ2300トン、郵船組倉庫へ850トン、豊年精油倉庫へ840トン、経済連倉庫へ660トンがそれぞれ分散倉入れされ燻蒸される予定であるが、麦角菌が3%以下は燻蒸の必要がないので1000トンは直ちに日清製粉坂出工場倉庫へ入れ製粉されることになっているが、これらの県内県外配分についてはまだ決定されていない。なお、坂出港は19日ごろ宝隆丸(4526トン)がタイ国から外塩5500トン、綾菊丸(2731トン)がアンガウル燐鉱石2200トンを、22日には銀星丸(2172トン)が外塩1850トンを積んでそれぞれ入港するほか、台湾船2隻、韓国船1隻が輸出肥料を積込みのため本月中に入港する予定で、ここしばらく同港は貿易船で賑うわけである。

 そして11月、大量の輸入小麦が坂出港に入ってきました。日本はまだ実質的に戦後のアメリカ統治の流れの中にありますから、オーストラリア産ではなくアメリカ産小麦ですが、先述の香川県製粉製麺工業協同組合の事務所も坂出にあり、小麦の輸入の本拠地も坂出。うどん業界における坂出の地位は、ここからますます高まっていくことになります。

しかし、麦は売れない?!

 坂出港の活気に溢れる記事とは打って変わって、国内の米や麦の食糧事情は「麦は売れない、しかし食糧事情は楽観を許さない」という、新聞記事からはよくわからない動きが見られます。まず、「麦が売れない」というニュース。

(8月26日)

倉庫に眠る34万俵 県下単協 深刻な麦の買手探し

 香川県28年産麦集荷はすでに8割程度をこのほど終ったが、台風禍による品質低下と政府払下げ麦を大量に抱え込んだ県下精麦加工業者の買いあさり見合せから、農協の系統委託は予期以上の好成績をあげた反面、買い手のない麦を大量に抱え込んでいる単協では保管倉庫の余裕もなく、部落の民家倉庫に臨時保管しており、買い手を求める声が深刻になってきた。本年中旬までの検査麦72万俵は単協がほとんど全量を集荷、うち県経済連を通じて政府へ売ったもの33万6918俵(裸麦21万1984俵、小麦12万1934俵)、主として加工業者への販売量4万5011俵(裸麦3万921俵、小麦1万4090俵)と計38万1929俵が系統に委託されたが、残量34万俵が県下単協倉庫に保管されている現状である。

 品質低下を見越して一般業者は買いつけを控え、精麦業者は政府払下げ麦を抱え込んで9月いっぱい委託加工一本で手一杯のうえ、10月から11月にかけての供米出回りで単協保管麦の荷払いによる価格の低落を見込み、全くなりをひそめた形で、前年相当量を買いつけた阪神地方の大口買つけ業者も品質低下を考慮して引き手も余り活発ではない。一方、単協では倉庫に収容しきれず部落内の民家倉庫納屋まで臨時保管倉庫にあて、売り手さがしに懸命であり、現在県経済連へ約10万俵の委託申込みをするなど、予期しなかった系統利用100%という好成績も考えられている。なお、不活発な販売状況につき、県農協課では投機売を控え、来年度の麦端堺期まで平均売りで対処するよう警告している。

 ややこしそうな記事ですが、要するに県内や京阪神の大口買い手である精麦加工業者が、
・台風のせいで、この年収穫した麦の品質があまりよくない。
・「政府払い下げ麦」を大量に抱え込んでいる。
・値下がりを見込んで待っている。
等の理由で新麦を買い控えているため、今年収穫した麦のほとんどを集荷している単協(市町村レベルの農協)が大量の麦を抱えて困っているということのようです。そこで、県が「麦を食べましょう」という呼びかけを始めたのかと思ったら、どうも「食糧危機だから麦を食べよう」という話のようで…

(10月29日)

麦を食べましょう 県庁に推進本部を設置

 日本一良質の麦産県、香川では楽観を許さぬ食糧事情から麦食励行運動を展開、合理的な食生活の確立をはかろうと28日、県庁で県食糧事務所、県教委、農業団体、青年団体、婦人団体など各代表30名が集り協議した結果、県庁に麦食励行推進本部を設け、県下各機関団体に趣旨の徹底をはかることになった。なお、具体的な実施方法には、①官公署、学校、会社工場の給食または昼食に麦飯を励行する②麦飯励行の講演、講話会の開催③印刷物の刊行による徹底などが考えられている。

(10月30日)

11・12月分の製粉、精麦用に玄麦78万トン放出 食糧庁、緊急食糧対策で

 食糧庁では29日、さきに閣議決定をみた緊急食糧対策の一環として
①11、12月分の製粉、精麦用として政府手持玄麦78万トンを放出する
②価格抑制および供米用としての小麦粉、精麦を委託加工し、北海道、東北および京浜、京阪神の大消費地に備蓄することに決定した
と次のように発表した。(以下略)

 そしてこの年最大のトピックス、「人造米」が登場します。「米」ではありません。小麦粉80%と砕米及び等外米の粉米20%を混ぜて米粒の形に成型した、“なんちゃって米”です。それを政府が大々的に奨励し始めた、つまり食品会社に「どんどん作って売ってくれ」と勧め、国民には「栄養があるから」とかいろいろ理由を付けて「どんどん食べましょう」と呼びかけたわけですが、はたしてどうなりましたか。まずは推奨する側のお役人さんの言い分から。

(8月4日)

人造米、是か非か 「栄養的には勧めたい」(有本邦太郎医博談)

 最近、食糧界に新しい話題をまきおこし、賛否まちまちの中に将来を注視されているものに「人造米」がある。これについて厚生省栄養課長有本邦太郎医博にきいてみた。

 人造米は主として「外米をなるべく買わないようにしよう」という国策的な意義と、「米粒でなければ嗜好に合わない人が多い」という建前から考案されたもので、目下試験中といってもよいものでしょう。原料とその配合は、砕米及び等外米の粉米が20グラム、小麦粉80グラム、ヴィタミン0.5グラム、カルシューム0.75グラムの割合でできていて、大部分が小麦粉です。この割合の人造米はヴィタミン及びカルシュームが入っていますから、値段も配給米よりちょっと高いのですが、栄養素の入らない人造米は1キロにつき25円くらい安くなっています。

 われわれから言わせれば、栄養素の入ったものの方が値段は高くともよいと思います。何故ならば、0.5グラムのヴィタミンと0.75グラムのカルシューム分を外の食品から得ようとすると、これよりずっと高いものになるからです。炊き上がった人造米の栄養価を調べてみますと、水分が14%、たん白質8.3%、脂肪1.3%、含水炭素74.5%、灰水1.35%、カルシューム0.75%、ヴィタミンB5.08%、熱量は34.5カロリー(100グラムについて)で、栄養はよくなっています。大部分が小麦粉なのですから、「わざわざ加工しなくとも、粉食としてパンなりうどんにして食べればよい」という意見もありますが、各人の嗜好は理屈を超越したものがあって、とくに日本人は米粒に想像以上の魅力を持っているのです。

 現在、外米は約80万トンほど輸入して米不足を補っておりますが、人造米を使うことで、何割かの節約ができればということを狙っているわけです。しかし、現在では人造米の値段は高すぎるし、加工の方法にまだまだ研究の余地があります。例えば、特有のにおいも製造方法で除くことができると思います。何分にも1キロ80円以上では一般家庭ではどうかと思いますが、国策の線に添って考えればまた別です。1割入れたご飯なら、内地米とほぼ同じ程度に食べられます。2割以上は入れられないようです。おかゆやオートミールにすれば、人造米だけで結構です。

<人造米を試食して>主婦の実験談(塩野ひさ江さん)
 内地米7合、人造米3合、計1升の米を炊いて見ましたところ、初めての経験ですから水分が多すぎ、内地米に人造米がからみついた状態で1升のご飯を食べてもらうのに苦労しました。次は水分をぐんと少くして5合に1合の割合で炊いたら、これなら少しにおいますがまあまあという程度。人造米はメリケン粉が大部分ですから、内地米と一緒にといで長い時間放っておいてから炊いては軟かになりますから、別々にといで、炊く時に水の加減をして炊くとよろしく、これ以上の量を内地米に入れるとちょうど敗戦直後配給の短めんをわずかのお米に入れて炊いたと同じようなご飯になります。お値段も1キロ75円では、安い麦や外米を使った方がよいようですが、外米駆逐のためなら食べなれてみたいと思います。

 国策である、栄養も豊富である、日本人はパンやうどんより米が好きだから“なんちゃって”でも米の格好をしているものの方がよい、おかゆやオートミールにすれば十分食べられる…等々がお役人側の言い分。そして、主婦の実験談も当然その主張に沿ったものが採用されていますが、「特有のにおいも製造方法で除くことができる…」とか「少しにおいますがまあまあ…」とか、どちらも人造米が臭いことだけは隠せないようですね(笑)。では、新聞記者と評論家の本音のコラムを2本どうぞ。

(10月8日)

コラム「一日一言」

 人造米の栄養価をめぐる農林省と厚生省の論争は、消費者はもちろんのこと、新しい事業部門として人造米に目をつけている製粉製メン業者などから大きな関心が寄せられている。総理大臣が増産を指示したのに厚生省が栄養上の見地から反対論をとなえたことも妙な工合であるが、この問題で苦しい立場に置かれた山県厚相は厚生省は「人造米に反対しているのではない」と釈明を行った。それにしても、厚生省が「せいぜい天然米の半分の栄養価しかない」と公言したのに対し、「七分づき米くらいの栄養価は十分ある」と農林省が反論しているのは、単に立場の違いばかりとはいえないだろう。役所のナワ張り根性というものを十二分に計算に入れるとしても、それ以上に人造米そのものがまだまだ研究課程にあることが意見の分れる本当の原因だと考えられないだろうか。もし人造米が栄養、味覚、調理などあらゆる方面から相当の研究を経てきているものであれば、もっと要領のいい説明か政府の各部門の意見を総合して聞かれ得るはずである。農林、厚生両省が正反対の意見を出したということは、人造米そのものについて両省の研究が不十分であったにもかかわらず、凶作という政治的背景から登場を急がされたことを雄弁に物語っているとはいえないだろうか。

 人造米の栄養価についての農林、厚生両省の論争がどう展開するかは今後に期待するとして、人造米が凶作のピンチヒッターとなり得るかどうかについて、海外からも関心が寄せられていることを一つ御披露に及んでおこう。タイ国では自国産米の輸出増進に力コブを入れているが、「もし人造米が普及するようなことがあれば売り上げにひびく」として日本国内での人造米の評判に気をつかっているらしい。ところが、このところ世評はあまり芳しくないというのでタイ米の売れ行きには影響なしと見て、大いに気を強くしているということである。外米を少しでも多く買いたいわれわれとしてはタイ国の心配はそれこそ杞憂というべきだが、人造米も国際的に名が知れるようになれば、国内でとやかく言われてもさぞかし本望であろう。

(10月16日)

コラム「人造米の親心」(評論家・新妻イト)

 28年度産米が冷害、病虫害、水害、台風の被害などで非常な減収となる予想に、政府でもばく大な消費者の口を心配して、あれやこれやの対策を講じているようですが、その親心の一つとして「人造米」なるものを大わらわで宣伝しております。人造米という言葉は耳新しいのですが、米の形をしたウドン粉米はすでに「蓬莱米」と名のり、消極的ではありましたが家庭にも駅弁のタイめしにも使われていました。今度の人造米はそれよりも質がよいに違いありませんが、やはり兄弟分であることはたしかでありましょう。

 私がここに人造米をとりあげましたのは、その栄養とか価格とかについて言うのではなく、人造米そのものについて少し疑義を感じるからであります。第一は、戦時中から粉食を奨励してきたので、ようやく都会の人々はパン食に慣れてきたのに、粉食の普及はたな上げして、米の依存を思わせる、しかも儀物礼賛のような感じを国民に与えるのはどうかと思うことです。そのうえ、この人造米には少々ではあっても本物の米が混入されているそうですが、偽物を本物と同じ味にできあげることは、多くの場合不可能なことでしょう。

 かつて戦時中、手拭さえ欠乏したとき、政府は親心をもって純綿2割混ぜたスフ手拭を配給してくれたことがありました。私たちは慈雨の喜びで使ったのですが、それは3日目から切れ始め、1週間目には使用できなくなり、おまけに銭湯の湯船の中は、その破れた繊維でどろどろになった思い出があります。2割の純綿を入れるなら5人に1人でよいから、破れぬものにして配給された方が、時期的な差はあっても皆が満足されるのではないかと抗議したことがありましたが、私はもうむだな親心はたくさんだと思っています。

 もちろん、手拭と主食とでは大変な違いですから比べものにはならないかも知れませんが、たとえクズ米にしても混入するとならば、それが満足されないものにしてもらいたくないものです。こうした人造米なども業者の商売にまかせておけばよいことで、従って商売同士の競争からよいものができるかも知れないし、また買う人も好みにまかせればよいことです。それを政府は配給米の中に混入するとか、うわさだけでもとんでもない話です。私たち麦めし族は昔から値の安い麦を混入しているので、むしろこの麦めしのおいしい炊き方でも研究して普及に努力してほしいと思います。それと同時に、内地麦の増産をはかったなら、海外からの輸入の量を減らすことができるのではないでしょうか。それはとも角として、米の絶対に足りない現在の日本として、米に依存しなければならないような形だけ似た偽せ物の宣伝に、政府として力こぶを入れすぎているのではないでしょうか。

というわけで、評判は散々です。ちなみにこの年の年末の記事では、

(12月11日)

特賞に人造米10俵も 15日から高松市で歳末大売出し

 高松商工会議所、高松商店街連合会共催、高松市後援歳末福引大売出しはいよいよ15日から30日まで、高松前商店街をあげて行われる。主催者側では誓文払いの不成績を挽回しようと必死の宣伝対策をねっており、総額500万円の宣伝費、装飾費で消費者のボーナスを狙っている。買上げ200円毎に福引券を渡し、今年は景品に馬力をかけ、5万円以上の花嫁衣装、花嫁道具一揃のほか、高級ミシン、ラジオ、自転車などが用意されている。変わったところでは、丸亀町通は人造白米10俵を特賞とし、牛車に人造米を積んで市内目抜通りをノタリ、ノタリ宣伝に繰出す予定になっている。

(12月18日)

人造米 第一号が名乗り 讃岐食糧 製造試験も上々

 時代の脚光をあびて、香川県にも遅ればせながら人造米製造第一号が名乗りをあげた。三豊郡詫間町、讃岐食糧工業株式会社がそれで、去る5日製造試験を行ったところ、成績上々。この程から操業開始の運びとなったもので、設備は全粉式と川上式を備えており、日産10トンの製造計画。なお、さきに農林省が人造米増産計画を発表してから本県には相ついで希望者が増え、県農務課に申請手続きの照会をしているものだけでもすでに19件をかぞえ、うち9件は年内操業を希望している。

(12月28日)

人造米10俵大当り 高松の西村さんに幸運のクジ 高松全市歳末大売出しの福引に大当り第一号

 27日午後4時ごろ、本年最後の日曜日の人出にごった返す丸亀町通り福引抽せん場に現れたお嬢さんが特賞の人造米10俵を引き当てた。この幸運の女性は市内福田町の○○○○さんで、香川大学に在学中、米によくよくの縁があるのか家業は米屋さんとのこと。抽選券5枚の中の1枚が銀色の玉をふり出し、車に積んだ人造米と相なったもの。お米がいらぬなら現金4万5000円が贈られるとは、とにかく四苦八苦の歳末にはうらやましい話ではある。

…というふうに全力の普及活動が行われていたようですが、やはり味の不人気には勝てず、人造米は数年後に消えました。

昭和28年の四国新聞に載ったうどん関連広告

<組合>
●香川県精麦協同組合(理事長・高畑勝)

<民間企業>
●日讃製粉株式会社製粉部、製麺部(3回)
●日清製粉坂出工場(2回)
●上戸精穀所(精麦・本山駅前)

<求人広告>
●山下うどん製造所(琴電瓦町駅南)
(7月15日)
△うどん見習急募/20歳前後、住込、給料2000円程度(食事付)

●香川県製麺協同組合
(1月21日、23日)
△ウドン配達人(数名)/18~25才、身体強健自転車に乗れる人、男女を問わず(男に限り住込の出来る人)
(2月19日)
△女事務員/簿記の経験ある独身者、市内又は近村居住、年齢不問
(7月2日)
△ウドン配達人(数名)/身体強健、自転車に乗れる男女、18~25才程度まで(男子は住込できる人を望む)
(11月22日、23日、29日)
△製麺工見習若干名/男子、20才前後、自転車に乗れる人(住込み出来る人)

●長尾公共職業安定所
(4月27日)
△男子店員/16~20才、住込寝具不要、食付手取2500~3000円(某製粉所)

●高松公共職業安定所
(2月8日、9日)
△男子配達人/17~20才前後、住・食付2000円(市内某うどん店)
(2月18日、19日)
△男子製麺工/20才まで、住食付1500円(某うどん店)
高松公共職業安定所
(2月20日、21日)
△男子製麺工/20才まで、住食付1500円(某うどん店)
(4月28日)
△男子製麺見習/16~17才、通2000円(木田郡某製麺工場)
(6月4日5日)
△男子製麺工/20才前後、住食付2000円(市内某製麺所)
(7月3日、6日、7日)
△男子配達人/15~18才、住食付1500~2000円(市内某うどん店)
(8月3~5日、16日)
△男子製麺見習/16~17才、住、食付1500~1800円(市内某製麺所)
(8月4日、5日、16日)
△ウドン玉行商/男女年齢不問、姓名在社
(8月17~19日)
△男子配達人/15~20才、住2000~2500円(市内某製麺所)
(10月27~30日)
△男子ウドン製造見習/17~20才、住月収2000円(市内某製造所)
(11月22日、23日)
△男子ウドン製造見習/月収住2000~3000円(某製麺所)
(12月1日、2日15日、17日、18日)
△男子うどん製造見習/16~20才、経験不要、月収3000円(市内某製麺所)
(12月25日)
△男子生うどん製造工/20~30才、二年以上住、月収6000~8000円、通勤応相談(某製麺会社)
(12月25日、27~30日)
△男子生うどん製造工見習/17~20才、住月収3000円、寝具貸与(某製麺会社)
(12月27~30日)
△女子配達人/18~22才、住月収2500円(某製麺所)

●丸亀公共職業安定所
(10月11日)
△男子麺類製造工/18~25才、新中卒、通、住可、2000~4000円(某食堂)
(10月15日、18日、20日)
△男子製麺工/18~25才、新中卒、通住可、月収4000円位
(11月29日~12月3日)
△男子製麺工/18~25才、新中卒、経不問、通勤5000円(某精麦所)

●坂出公共職業安定所
(1月15日、16日、18日)
△男子配達夫/18~22才、義務了者、通勤日収130円(市内某製麺所)
(6月7日、10~12日、14日、17日、19日)
△男子配達夫/16~18才、義務了者、通勤日収100~130円(市内某製麺店)
(9月30日、10月1~3日、7~9日)
△男子配達人/16~19才、義務了者、通勤日収120円、昼食付(市内某製麺所)
(10月25日、27~11月2日、11月4日、5日)
△男子配達夫/16~20才、義務了者、通勤月収4000円(市内某製麺所)

●観音寺公共職業安定所
(1月23日~2月4日)
△男子製麺工/18~20才、手打ウドン製造見習、住込1500円(某製麺所)
(2月19日、22日~3月12日)
△男子製麺工/18~20才、住1500円(郡内某製麺所)
(6月26日、28日、29日、7月1日)
△女子/16~20才、住込2000~3000円(郡内某ウドン店)
(7月19日、23日、24日)
△女子女中/17~20才、住込2000~3000円(詫間町某ウドン屋)
(7月21日、23~29日、8月2日、3日)
△ウドン玉行商/男女年齢不問、姓名在社

 この年に新たに出てきた会社は本山駅前の上戸精穀所。職種では「ウドン玉行商」というのが初めて登場しました。また、高松管内の某製麺会社が「生うどん」という呼称を初めて使っています。

(昭和29年に続く)

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