香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市庵治町・昭和23年生まれの女性の証言

庵治の農協と「北」さんの思い出

(取材・文:

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  • vol: 123
  • 2016.01.29

庵治の農協でうどんも素麺もラーメンの玉も作っていた

子どもの頃(昭和30年頃)、家でうどんを食べていましたか?
冬場だけ、身体が温まるのでしっぽくうどんを作って食べていました。あとはお祭りや法事、家に親戚などのお客さんが来るときにうどんを用意して食べていたくらいですね。そんな時は、ネギやかまぼこが入ったかけうどんでした。それと、うどんと一緒にバラ寿司や練り物の天ぷらが付くことも多かったです。
うどんの麺はどこで手に入れていましたか?
近所の農協です。今、庵治でロケが行われた『世界の中心で、愛をさけぶ』という映画に登場する写真館のセットが残っていますが、その場所が昔は庵治の農協でした。その農協へ小麦や小麦粉を預けると、麺に換えてもらうことができたんです。 家は半農半業の生活だったので、米や野菜や小麦は家で作っていました。家には手で回して挽く石臼や、足踏み式の大きな木の臼もあって、それらを使って精米や精麦、製粉をしていたこともあるようです。ただ両親の時代にはほとんどの場合、農協にお願いしていました。

収穫した小麦は、ほとんどを農協に預けていたと思います。何十キロとあったのではないでしょうか。預けた小麦は、農協が帳面で管理しました。それで、うどんなどの小麦を使った商品を農協で分けてもらうと、その量に応じて加工賃を載せて、帳面上で小麦が差し引きされるんです。お小遣い帳のような具合でした。

農協が麺を作っていたんですか?
当時の庵治の農協は、うどんや素麺をはじめ、ラーメンまで扱っていました。ただ、素麺は夏場だけで、ラーメンはごくたまにしか見かけませんでした。 珍しかったラーメンが農協に並ぶと、その情報が町内に放送されるんです。それを聴くと、子ども心に居ても立ってもいられなくなり、母の袖を引っ張って農協に向かったことを憶えています。うどんや素麺は麺が白いですが、ラーメンは黄色いですよね。当時はその見慣れない色が、とても魅力的に感じました。

ちなみに、うどんは生麺と乾麺の2種類があり、素麺は家で食べる分だけではなくて、お中元用にも購入していました。あと、仏壇にも素麺をお供えしていましたね(笑)。

農協は、小麦や小麦粉を預けなくても誰でも麺を買うことはできたのですか?
それはよく分かりません。でも、一般の方が麺を買っていたような記憶はないですね。農協は農家だけしか利用できなかったのかも知れません。庵治には製麺所がありましたから、農家以外の人はそこでうどんを手に入れていたのではないでしょうか?

ひと仕事を終えた漁師が朝、釜揚げを求めて通う製麺所があった

その製麺所はどちらに?
庵治の古い商店街の北側にありました。店の名前も「北(きた)」さんです。地元の食堂へ麺を卸していたようです。
店で食べることもできましたか?
きちんとしたテーブルや椅子はありませんでしたが、ひと仕事を終えた漁師さんが朝、釜揚げうどんを食べに「北」さんのところへよく行っていたようです。 その後、「北」さんは城岬(しろばな)公園の手前にある峠に場所を移して、店内でうどんを食べられる「味呂(あじろ)」という本格的なうどん屋を始めました。残念ながら数年前に店を閉めてしまいましたが。庵治に住んでいる方なら誰もが知っている、かなり人気の店でした。

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