香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市郷東町・昭和25年生まれの男性の証言

池上のオヤジが配達してくれたうどん

(取材・文:

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  • vol: 154
  • 2016.11.10

農繁期の昼食は池上のうどん。今は亡きご主人がオートバイで配達していた

生まれて初めてうどんを食べたのはいつ頃ですか?
 物心ついた頃(昭和30年頃)には食べていた。昔はどこの家でもうどんを作っていた。
どんなときに食べていましたか? 一番古い記憶を聞かせてください。
 昔、この辺りはド田舎で田んぼだらけ。うちは百姓をしながら牛乳用の牛を飼っていた。農繁期になったら隣近所みんなが集まって助け合いみたいな感じになる。家族だけでは追いつかない。うちは田んぼが一町(約1ha)あったけん、隣近所に手伝いに来てもらう。そういうときはお袋も忙しいから、近くにあった池上製麺所から、せいろを2つ、3つくらい頼んでみんなに振る舞いよった。

 ひとつのせいろが20玉かな。40〜60は食べよったと思う。今は移転したけど、池上は昔からあった。俺が小さい頃からあったから半世紀以上やわ。汚い小さい店だった。今は、るみばぁちゃんが有名やけど、もとは夫婦でしよった。田んぼが忙しいときは、そこからせいろで買って昼ごはんにみんな食べよった。

小さい頃は農作業を手伝うことはなかったと思いますが、田植えの繁忙期に家族や近所の人とうどんを食べたのが一番古い記憶ですか?
 いや、昔は子どもも手伝いしよった。小学校へ行く行かんや関係ない。2つ、3つの子からみんな総動員。物心ついた頃から田んぼを手伝いよった。背負える子どもは背負って、ハイハイし始めた子は、いちじくの木に犬のリードみたいなロープでくくりつけて、ゴザ敷いてそこにおらした。それで、ご飯時になったらおひつに入れたごはんを持ち込んで田んぼで食べよった。田んぼへ行くとき、リヤカーに小さかった俺が入れられる、おひつも入れられる、食器も入れられる。
じゃあ、池上で注文したうどんは田んぼで食べていたのですか? 配達でしたか?
 池上うどんは家で食べた。もちろん、家に届けてくれる。池上のオヤジが配達しよった。必ず酒臭い、いつも無精ひげ生やしてランニングシャツで、天才バカボンのお父さんみたいなパンツはいてオートバイに乗って来よった。

 近所の人にうどんを振る舞うのは繁忙期の昼間。農作業の手を止めて、みんなでうちの家に帰ってきて、池上でとったうどんを食べよった。家族だけのときは天気が良かったら田んぼで昼飯を食べる。その時はうどんがあったりなかったりした。

具はネギだけ、ダシは口の中に突き刺さる煮干しが入ったまま

子どもの頃に食べていたうどんは何うどんだったのですか?
 かけうどん。かけうどんゆうても、薄い皿に入れて、お汁なんかほとんどかかってない。今のうどんは、ひたひたのダシの中にうどんが入ってるけど、昔のうどんはちょっとしょっぱい、あんまりおいしくないぶっかけのダシみたいなのをかける。あとはネギ。田舎だからネギはいくらでもあった。それくらい。鰹節なんかとんでもない。
そのうどんのダシは自家製ですか? 誰がつくるのですか?
 自家製やけど、今考えるとあんまりおいしくなかったね。おばあちゃんとかお袋とか女の人が作る。忙しいときは田んぼの途中で抜けて作りに帰っていた。
夏場は冷やしうどんみたいな食べ方はなかったのですか?
 そこまでめんどくさいことはせんかった。氷がない、冷蔵庫がないんだから。水道もなかったから、あっても井戸水の冷たい水。井戸水をくみ上げて冷やしうどんにして食べたかどうか…あるかもしれんけど印象が薄い。温かくするか、そのまま。醤油をかけて食べることもあったけど、どちらかというと煮干しのダシで醤油をちょっと入れてできあがり。
ダシ作りが簡単だったんですね。もしかして、煮干しもそのまま入っている?
 そう、もちろん。あれが口の中に刺さって嫌で嫌で。食べづらかった。
昔は煮干しをのけなかったんですね。
 のけなかった。面倒くさいからと、もったいないという理由があったのかもしれないね。

農家なので野菜が豊富。冬場は旬の野菜の具だくさんのしっぽくうどん

お手伝いしてくれた人に振る舞うのはうどんだけだったのですか?
 あとは漬け物とかナスの炊いたやつとか。ごはんもあったけど、うどんがメインならうどんだけ。おかずはあんまりなかった。栄養が偏るとか全然関係ない。お腹が起きるかどうか。田んぼは物心ついた頃から高校生まで手伝わされよったな。
うどんを昼に振る舞って、夕食はぞれぞれのおうちに帰って食べていたのですか?
 そう。でも、最後の日くらいは今で言う打ち上げ。うちに集まってお酒出したりしてた。
その時のお食事はどんなものですか?
 ちらし寿司、昼の残りがあればうどんも出る。昔から讃岐の人は何回うどん食べても飽きない。飲んでる大人はどんなつまみだったのか。そんなにご馳走という感じでもなかったなぁ。
最後の日もかけうどんだったのですか?
 かけだったと思う。そういえば、しっぽくみたいなんもしよったね。その時期に採れる野菜がたくさん入っている。今みたいにカラフルじゃない。でも揚げは必ず入っとったな。あとカシワ肉がちょっと入っとったかな。
普段ネギだけなら、野菜やカシワ肉が入るとゴージャスですよね。
 百姓だったから、野菜は豊富にあった。今みたいにセレベスとかはなかったけど、里芋にしてもいくらでもあった。しっぽくうどんの記憶は寒い時期。里芋も大根も冬野菜やから。
祭りや法事のときはどうだったんですか?
 うどんとちらし寿司がメインかな。それと色の付いた天ぷら。「揚げ物」と言いよった。

田んぼが暇な時期は、家族みんなで家計にやさしい(?!)うどん作り

家でうどんを打つのはどんなときだったのですか?
 農作業が繁忙期でない、中途半端な時期やね。収穫するのは10月後半から11月やから、それ以外の時はあまりすることはないわけやね。草を抜くくらい。昼寝してるときもある。そういうときに晩ご飯にうどんを作る。おじいちゃんやおばあちゃんとみんなで作ってた。
お母さんだけが作っていたわけではないのですね。
 10人以上の大家族だった。ばあさんとオヤジの妹とかお袋とか、だいたい女衆が作ってた。台所に男はあんまり入らんけんな。
でも、足で踏んだりとか力仕事がありますよね?
 子どもが踏まされよった。何回も何回も踏んで…もうしんどかった。
みんなで協力して、うどん作りは暇つぶしでもあったのですか?
 費用がかからんからね。人件費がかからんから安かった。高度成長が始まる前やから収入も少なく、農家は農家で安いものでお腹が起きることが大事だった。
子どもの頃のうどんの位置づけとしたら、特別ご馳走でもないし、かといって不満に思う感じでもなかった?
 そうやね。短いし、今みたいにコシのある長いうどんではなかったけど普通に食べてた。晩ご飯がネギだけのうどんということもあった。おいしかったね。お腹が空いてたらの話だけど、まず食べるものがなかったし、だいたいみんないつもお腹空いてるわ。
小学校・中学校のとき(昭和30年代後半)に、外食でうどんを食べることはなかったのですか?
 ありません。そんなうどん屋さんやない。池上は製麺所だけだった。店で食べるスタイルになったのはつい最近、うどんブームのちょっと前かな。まあ近所の人が行って食べるくらいはしよったけど、店になって池上がブームになったのはずっとあとやな。

坂出工業高校近くの製麺所で毎日のようにうどんを食べて帰宅

昭和40年頃、高校時代にはどうでしたか? 外でうどん食べることはありましたか?
 毎日のようにうどんを食べて帰っていた。香西駅から坂出工業高校に通っていた。坂出は遠いから、帰りにお腹が空く。正門のちょっと横へ行ったところに製麺所があった。名前はちょっと忘れたな。注文とるために名前はあったと思うけど。のれんはなかった。
値段は覚えていますか?
 かけうどん20円。かけうどんゆうても、ぶっかけみたいなダシを七輪の上に置いてくれとるわけ。そのダシを自分でかけて、ネギも自分でのせる。立ち食いで食べて帰る。
テーブルや椅子はなかった?
 あったけど、1人か2人くらいしか座れん。あとは座敷みたいなところがあって「おばちゃん、ここ座らせてもらうで」ゆうて座る。製麺所の片隅で食べてた感じやね。レジもない。今なら衛生的にもダメやわな。それでも学校が終わる頃になったら、あとからどんどん学生や他の客が来る。
20円というのは、お腹が満たされるものとしては安かったのですか?
 安かったと思う。
それが昭和40年から44年頃のことですね。
 そう。それで十数年前に、昔の友達を訪ねたついでに、あのうどん屋さん、まだあるかなと思ってその店へ訪ねて行ったら、まだあったんや。おばちゃんがおって、高校の頃に通いよったゆうたら、「あんた高松から来よった子やろ」って覚えてくれとった。喜んでくれて奥から旦那さんを呼ぼうとしてくれたけど、旦那さんは寝込んどったけん「もう呼ばんでええ」でゆうた。がいに年がいって、もう80過ぎとったんちゃうかな。おばちゃんが元気なけんまだやりよったけど、今はもう閉めとると思うわ。

帰省したときは、かの有名な連絡船うどん目指して猛ダッシュ

高校卒業後はどうでしたか?
 京都へ就職した。で、帰ってくるときはかの有名な連絡船のうどん。おいしかったねぇ。今食べたらそうは思わんかもしれんけど、県外のうどんはまずい。県外へ行った人はみんな言う。だから、宇野へ着くとみんな真っ先にうどんを食おうと思って目の色が変わるくらい走って行って食べよった。
ほかに何かうどんにまつわるエピソードがあればお願いします。
 そやなぁ、昔は”ぶっかけ”とも”かけ”とも呼んでなかった。ただ単に”うどん”。で、何玉食べるか、熱いんか冷たいんかどっちか聞くくらい。熱いのは温める、冷たいんはそのままダシだけかける。ダシはその時によって「ダシは温いけどかまんのか」とか聞く。
冷たいと言っても、冷蔵庫がなかった時代はそんなに冷たくはなかったんですよね。
 全然冷たくない。生ぬるい。
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