香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

綾歌郡綾川町(旧綾南町)・昭和19年生まれの男性の証言

子どもが井手でどじょうを捕まえると、その日の晩御飯はどじょう汁

(取材・文:

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  • vol: 155
  • 2016.11.14

大晦日から正月三が日まではうどんが続いた

旧綾南町のご出身だそうですが、子どもの頃(昭和20年代)に家でうどんを食べる機会はありましたか?
 あったなぁ。盆と正月には必ず、うどんが出たで。正月のうどんは年越しそばの替わりにもなって、三が日までうどんが続いたなぁ。

 あとは暑くなる時分になったら、うどんが入ったどじょう汁を食べたし、それと半夏生の時もうどんやった。半夏生は毎年7月2日頃にあるんやけど、その日までに田植えをせなアカンのや。家は農家やったけど、当時小学生だった自分もよう手伝ったで。昔は田植えの機械なんてないから、定木を使って手で植えなアカンかったしな。

日曜日や放課後に農作業を手伝っていたのですか?
 いやいや、昔はな、農作業の手伝いをするために学校が臨時休みになっとったんよ。田植えや稲刈りなんかの忙しい時期には「農繁休業」ゆうて3日間くらい。このあたり(綾歌郡綾川町)の学校だけかも知れんけど。学校に通っている生徒はほとんど農家の子どもやったからな。

どじょう汁に入れるうどんには塩を入れない

うどんの話に戻りますが、うどんは誰がつくっていましたか?
 母親や。麺も作っとった。小麦粉を塩と水で溶いて、手で練って、その生地を足で踏んで…という具合にな。今のうどん屋でやっている方法と基本的には同じや。ただ、どじょう汁のときには塩を入れんかった。どじょう汁は味付けが味噌やからな。麺に塩を入れると味が辛うなるから。
どじょうはどのように段取りしていたのですか?
 昔はな、「井手(田んぼの横の用水路)」に指の長さくらいのどじょうがよっけおって、それを子どもらが捕まえとった。ほいで捕まえたその日の晩は、どこの家でもどじょう汁を作って食べとった(笑)。昭和30年くらいまでは。それが用水路がコンクリートになってしもてから、どじょうがおらんようになった。昔は土やったから底に潜っとったけど。
どじょう汁のとき以外は、どのようにしてうどんを食べましたか?
 麺に醤油をかけるだけ(笑)。いまで言う生醤油やな。でも、ダシ醤油みたいなんじゃない。他の料理にも使い回ししていた単なる醤油をかけとった。

挽き賃を払って、小麦粉も少し差し引かれたような…

うどんの材料の小麦は家で作っていましたか?
 そうや。農家やったからな。近所に米や小麦を挽いてくれる精米所があって、そこで小麦粉と交換した。子どもの頃、その店へお遣いにも行ったで。小麦と挽き賃(お金)を持って。でも、持って行った小麦をその場で挽くんではなかった。すでに用意されてある小麦粉との交換で、なんぼか差し引かれたんとちゃうかな。
当時、周りに製麺所やうどんが食べられる店はありましたか?
 いや~、記憶にない。あったかも知れんけど、店に行ったことはない。当時は家でうどんを食べるのが当たり前やったし、外で食べるなんて誰も思いつかんかったで(笑)。
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