香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市庵治町・昭和14年生まれの女性の証言

うどんが食べられたのは、一年のうちで大晦日と正月だけ

(取材・文:

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  • vol: 164
  • 2016.12.15

農協では生麺と乾麺を販売していた

 子どもの頃(昭和20年代)に、うどんを食べた記憶はほとんどありません。当時、うどんは米なんかよりも珍重されていて、値段も高く、今のように「お昼はうどんにしよう!」と簡単には言えませんでした。

 一年で唯一、口にすることができたのは大晦日と正月。農協で麺を買って来て、家でダシを作り、その間だけ食べました。庵治の農協では毎年12月になると麺の注文を受け、工場にある機械で大量に作っていたのを憶えています。機械の大きな稼働音も忘れられません。

 麺は乾麺と生麺の2種類があり、食べていたのは生麺の方。けれども、乾麺もお歳暮用に必ず買っていました。ちなみに、ダシに使っていた食材は煮干しです。魚のアラがあれば、そちらも使っていました。余談ですが、漁師町の庵治は今よりも昔の方が、新鮮な魚が手に入りやすかったです。魚屋が何軒か存在し、いただきさんも3~4人いましたから。

家にあった小麦粉は団子汁用

 家でうどんの麺を作ったことは一度もありません。もちろん小麦粉はありましたが、もっぱら味噌汁の中に入れる団子用でした。季節に関係なく、御飯が足りない時によく団子汁を作りましたね。小麦粉に水を入れて練って、スプーンですくって鍋の中に団子を落としていくんですが、団子が浮き上がってくると食べ頃なんです(笑)。

 昔はメリケン粉と呼んでいましたが、小麦粉は店で買っていました。家には大きな石臼がありましたが、小麦用ではありません。当時、配給制だった米や大豆を挽き、米粉やきな粉にしました。それで、おはぎなんかをよく作っていましたね。

「うどん、巻き寿司、いなり寿司」を出す店が繁盛していた

 うどんが食べられた古い店で記憶しているのは、現在の庵治保健福祉センターの東側にあった「岡端」さんです。物心がついたとき…いえ、生まれる前からすでにあったかも知れません。うどんだけではなく、巻き寿司やいなり寿司なんかも食べることができました。当時の庵治町役場から近いこともあり、お昼には職員がよく利用していましたよ。旅館業も一緒に営んでいました。もちろん、私が「岡端」さんを利用したのは大人になってからです。うどんの麺は店で作っていなかったようですが、多分、農協の麺を使っていたのではないでしょうか。

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