香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

善通寺市~高松市栗林町・昭和10年生まれの女性の証言

うどんは「ちょっとごちそう」

(取材・文:

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  • vol: 163
  • 2016.12.12
 私は京都生まれで、小学3年の時(昭和20年頃)に母の再婚で善通寺に引っ越して来たけん、母は家でうどん作らんかったんですよね。小さい時に食べてたのはすいとんとか、甘藷の粉のだんごとか。けど法事の時とかに、お膳と一緒にうどんが出てたのは覚えてますよ。かまぼこが何枚かとネギがのっただけのうどんやったけど、うどんは普段は食べん、そういう特別の時に出てくる、ちょっとごちそうみたいな感じだったかな。

 昭和31年に高松に引っ越して来て、今の三越の近くに住んでたから、父と一緒によく連れていってもらったのはライオン通にあった「更科」。そば屋さんやけどうどんも出してたからね。やっぱりうどんは家で食べるもんではなくて、外で食べるごちそうやった。

 番町にあった電報局にお勤めしてた頃(昭和30年代)は、お昼は喫茶店の「アズマヤ」で、たぬきうどんとアイスクリーム食べるんが楽しみやった。今みたいにご飯食べるとこはそんなになかったけん、女の人はアズマヤによう行ってた。男の人もやっぱり、そのへんのうどん屋行ってたんと違うかな。結婚した主人は高松生まれやけん、家でうどん作りよったみたいで、打ち込みうどんていうものがあるんも結婚してから知ったわ。

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