香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

丸亀市垂水町・昭和27年生まれの男性の証言

うどんを重箱に詰めて法事の案内に

(取材・文:

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  • vol: 196
  • 2017.04.27

法事のおみやげうどんは「ゆでうどん」から「乾麺、半生麺」に変わってきた

丸亀市の南部エリアは法事にうどんが出るという話を聞きまして。
 家の人が法事の一週間ぐらい前から、重箱にうどん玉を5つ6つ詰めて、それを袋で包んで親戚に法事の案内に行っきょりましたね。今だったらお菓子持っていったりとか果物持っていったりとかでしょうけど、うどんを持って案内に行くんです。
うどんがお菓子というか、おやつみたいな感覚はちょっとあったみたいですね。
 「来週法事やからねー」って案内来てくれるでしょ。来てくれた方は「わかりました、参らせてもらいます」って、うどん玉をいただいて、重箱はちょっと拭いてお返しする。
宗派は?
 浄土真宗です。お坊さん、おじゅっさんはうどん食べるんが上手なんですね。おじゅっさん来た時に、おつとめあげてもらう前に食べてもらって、法事に来た人にも食べてもらうんです。おそらくそれは浄土真宗の場合、法事の時間が長いから食べてもらうんじゃないかと思います。
それで、お昼にお重が出るわけですね。お重にうどんはついてましたか?
 お重は出してましたけど、うどんはお重の中にはなかったと思います。
で、さらに帰りにおみやげとして、うどんを渡すんですよね。
 帰りにはお供えをおみやげに持って帰ってもらうんですよ。その中に、乾麺だったりとか袋麺を入れてました。家で茹でないとあかんようなやつね。あの手のうどんをひとつ、お供えを持って帰ってもらうお土産の中に入れてました。たぶんそれは、昔、ゆでうどんをおみやげに持って帰ってもらってた名残でしょうね。
なるほど。形式は残ってるけどゆでうどんが乾麺や袋麺に変わってきたと。
 乾麺とか生麺とか。最近では県外の人向けに売ってる箱に入った半生麺もお土産に渡しています。私が一番最近出た法事も、丸亀の蓬莱町にある「宮武製麺」のおみやげうどんの詰め合わせを入れてましたわ。それと醤油豆と、それからお菓子。そんなのをもらいました。うどんだから袋の中でけっこう場取るし、重いんですよね(笑)。
おじゅっさんに出してたうどんは自家製麺ですか? それとも製麺所かうどん屋で買ってきたものですか?
 小学校の近くに「行成商店」っていう、うどんを出してちょっとしたおかずもんとかお菓子も置いてある店があって、うどん玉も売ってたのでそこで買ってました。
昔の讃岐ならではの「うどん玉を置いてるよろず屋」ですね。
 そこでうどん玉を頼むと、せいろに入ったうどん玉を買えたんです。うどんはそこで打ってましたね。まあそれは昔の話ですけど、最近はロードサイドのうどん屋さんでうどん玉を買ってます。

寒い時には醤油味の打ち込みうどん

ご家庭ではうどんは打ってましたか?
 冬に打ち込みうどんを打ってました。12月に入って寒いと親父がね、「今日は寒いから打ち込みうどんやるぞ」と。で、親父が打つんです。昔の自分のところで打ったうどんっていうのは、ぽろぽろの、色の黒い、硬い、コシがないうどんだったんですよね。それがオーストラリア小麦が来だしてから柔らかめのコシのうどんが一気に出るようになりましたね。
具材はどんな感じでしたか?
 カマボコとか、ネギ、大根、人参、サトイモ。だいたいその時期にあるもんです。
打ち込みは味噌味でしたか?
 いえ、醤油味でした。味というか、打ち込みはイリコが入っとるのがイヤでしたね。イリコの皮というか、それがうどんに付くんですよ。あれがイヤだった。
醤油味はちょっと珍しいですね。どじょううどんはありましたか?
 どじょううどんはなかったんですよ。

仕事客を旅館でうどん接待

 琴平で仕事をしていた時に、お客さんを接待しなくちゃいかんというので、旅館にムリ言いましてね、その場でうどんをゆがいて食べさせてあげてようということになりまして。
旅館で仕事の接待ですか。大がかりですね。しかも、その場でゆでて食べさせるというイベント付き(笑)。
 接待ですから、それなりのお金は払いました。でも、ゆで立てというのはそれだけでもおいしいですからね。もちろんうどんだけじゃなく、料理も出しましたよ。

街に行ってうどんを食べるぜいたく

 私の住んでたところは田舎ですからね。丸亀の市内中心部に行くのを「街へ行く」って言うんですよ。街に親に連れられて行ってね、何が楽しみかっていうと、うどん屋さんとか食堂に行くのね。で、食堂に行って食べるのはうどん。うどんと寿司、うどんと巻き寿司とかのセット。そういうのを食べると、今で言うレストランに行ったような気分になる。
うどんはぜいたくな食事だったんですね。
 親父が畑で野菜作って、サイドカーに積んで市場に持っていく。坂があったりすると押したりして、市場に着いたら下ろすのを手伝ったりしてたんです。で、市場の中にうどん屋さんがありましてね、市場に行って荷降ろしした帰りにね、そのうどん屋さんで食べるわけですよ。かけうどんにかまぼこが乗っている程度のもんですけど、うまかったですねえ。
肉体労働の後ですからね。
 丸亀市では小学校の運動会のバザーなんかに「丸亀製麺(丸亀市城西町にある製麺会社、兵庫県の全国チェーン会社とは違う)」が今もうどんを卸してますね。丸亀では昔から製麺屋さんが学校に卸してたんですよ。
じゃあ、丸亀のイベントに行ったら本家本元の「丸亀製麺」のうどんがバザーで食べられるところが結構あるんですね。

東京からさぬきうどんを見る

 昭和46年に東京の大学に行った時、陸上部に所属してたんですけど、年に一回、年間記録みたいな『陸上マン』という会報を出してたんです。そこに新入生は文章を一つ書くことになっていたんですけど、その時、新入生の私が書いたのは「うどん考」っていう原稿でした。
ずいぶん早い時期にうどんの研究をされてたんですね。
 法事があったらお土産でうどんを持っていくとかですね、そういうことを確か書いたような気がする。それは、「これくらいうどんに関わりが深い生活をしているのは香川県だけやな」っていうのが外に出て改めてわかったんで、これは書いてやろうと。
外に出たら、「何かうどんのポジションが違うな」というのが何となくわかりますよね。
 大学で東京におった時、昭和48年か49年くらいに吉祥寺に近鉄デパートができて、その4階か5階のレストラン街に「饂飩の四國」が出店したんですよ。
「饂飩の四國」は香川ではあまり知られてないですが、県外進出けっこうしてるんですよね。
 私らが食べたら、イリコの薄い色のダシのうどんは当たり前なんやけど、東京ではウケなかったみたいですね。2~3年して撤退しましたけど。
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