香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市番町・昭和3年生まれの女性の証言

昭和45年頃うどん屋のお手伝いをしていた

(取材・文:

  • [showa]
  • vol: 31
  • 2015.07.10

昭和45年頃うどん屋のお手伝いをしていた

私は下関からお嫁に来ましたので、このあたりのうどん事情はよくわからないのです。でも、その角のうどんや(現・うどんやまびこ屋番町店)は、昭和40年くらいから、ずっとあるように思います。いろいろ店は変わったけれど、ずっとうどんやさんだから。近所なので店が変わっても、うどんはそこというかその場所に食べに行きました。

それと紺屋町にあった頃のアズマヤさんも近いので行きましたね。アズマヤさんは「おいしい」と言う人が多かったですね。それに喫茶店でうどんが出るというので、注目されていましたよね。

下関からきた人間として思うのは、香川のうどんはどこでも本当においしい。だからわざわざ(有名店に)並んで食べなくても、すぐに入った店でも、充分おいしいですよ、と言ってあげたいですね。

ああ。そうそう。思い出しました。私、今から30~40年くらい前(昭和45年頃)に、番町の香川大学の近くの…名前が出てこないんだけど…うどんやさんでお手伝いをしていたことがありました。製麺所でしたが、食べるところがあって。お昼だけですが、食器を洗ったり、いろいろ手伝いましたよ。

(場所をきいてみると、どうも「久保」です。その名を言うと…)
そうそう! 久保さんよ。もう、やめられたんでしょう? 残念よねぇ。おいしかったのにね。私も仕事が終わったら、必ず食べてから帰っていました。昼にはたくさん人が来ていましたよね。ズラーッと食べる人が店の外まで並んでましたよ。ご主人と奥さんと、おばあちゃんも当時は働かれてたね。西浜からも年配の女性の方が手伝いにきよったね。その人がよう動く、働く人でした。でも、当時の年齢から考えると、今はもう亡くなられたやろうねぇ。私も数ヶ月でしたが、久保さんのお手伝いしてたんですよ。当時は5人で店を回してました。今も奥さんとはときどき、歩いていたらばったり会いますね。

でも、もう、やってないんでしょう?

(筆者の実家が近所なので、久保さんの親族が集まられたときになどに、うちうちで作って食べている気配があることを伝えると…)
そうなの? いや。あそこのおいしいおうどんがまた食べたい! その時は呼んでって久保さんに伝えて! 以前働いていたF(証言のご婦人)が、ぜひ食べさせてほしいと言っていたと伝えてね。

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