香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市松島町・昭和18年生まれの女性の証言

製麺所に行列ができていた!

(取材・文:

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  • vol: 39
  • 2015.07.10

製麺所に行列ができていた!

子どもの頃にうどんを食べていましたか?
昭和20年代ですか。お昼は毎日うどんでしたね。嫁ぐまでずっと。だから、あんまり好きではなかったですよ(笑)。あと、自宅のすぐ近くでお墓の道具を扱う店を父が営んでいたのですが、従業員の人と一緒に私たち家族もそこで昼食を食べていました。お昼になると店にお手伝いさんがやって来て、うどんを作ってくれていたんです。毎日、かけうどんばかりでしたが(笑)。
麺はどうしていましたか?
築地小学校(平成22年に閉校)と今橋駅(琴電)の間にある通りに、藤村製麺所という店がありました。そこへお手伝いさんが買いに行っていましたね。その場でうどんを食べられる店ではなかったのですが、お昼前になるとうどん玉を買う人で行列ができていました。凄い人気でしたよ。店の前にせいろがズラッと並べられてあって。麺は新聞紙のような紙にくるんで持って帰っていたと思います。
麺の値段は?
よく憶えていませんが、10円か20円くらいだったかと。当時、今橋駅の前に「田中屋」という食堂があって、そこではアイスキャンデーも作って売っていました。中にバナナがちょっとだけ入ったそのアイスが10円だったので、似たような値段だったと思います。

普段食べていたうどんとは別次元だった「南地食堂」のカレーうどん

店でうどんを食べたことはありますか?
父がかなりの食い道楽でしたので、いろんなお店に連れて行ってもらいました。けれどうどんには飽き飽きしていましたので、店で進んで注文したことはありません(笑)。
それでも美味しかった記憶があるのが、瓦町に今もある「南地食堂」のカレーうどん。ダシで薄く伸ばしたとろみのあるカレーと、具のお揚げは忘れられません。それと「アズマヤ」のうどんの甘いダシも印象に残っています。
ライオン通商店街の入り口にあった「トラヤ」や三越の大食堂、三越の横にあった「田村食堂」にもよく行きました。どの店にもメニューにうどんはありましたが、食べたかどうかは定かではありません。
そうそう! アイスキャンデーを売っていた「田中屋」にもうどんがありましたよ。そこではうどんを食べました。出前もしていて、父の店でも何回か注文したことがあります。木でできた岡持ちでうどんが運ばれて来ていました。

当時の学校の先生は、給食のち時々うどん!?

その他、うどんにまつわる想い出やエピソードはありますか?
小学校の教師をしていた兄の話です。兄は昭和30年代の後半に新塩屋町小学校(平成22年に閉校)へ赴任していました。当時、お昼御飯は子どもたちと一緒で給食でしたが、それだけでは足りなかったようで、学校でうどんを食べていたそうです。
麺は給食を作っていたおばさんや用務員さんに頼み、片原町商店街を入ってすぐのところにあった「あじかわ」という製麺所で買って来てもらったとか。その麺に給食室の醤油と味の素をかけて掻き込んでいたそうです。兄だけではなく、他の先生も同じようにしてうどんを食べていたんじゃないでしょうか? カップ麺なんてまだなかった時代ですし。
後年、近所に住んでいた方からも「学校で兄によくうどんのお遣いを頼まれた」と、同様のエピソードを聞きました。兄は小さい頃と変わらず、大人になっても学校で毎日のようにうどんを食べていたんでしょうか(笑)。
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