香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市庵治町・昭和14年生まれの男性の証言

昭和20年代の庵治の記憶

(取材・文:

  • [showa]
  • vol: 94
  • 2015.08.14

昭和20年代の庵治の記憶

庵治町の昔のうどんの話を聞かせてください。庵治町も法事でうどんを出してたんですか?
いや庵治は法事ではうどんは出してなかった。あれは高松より西の方じゃないかな。親戚の法事に行っても東の方はうどんは出なかった。
庵治町でもうどんはよく食べていたんですか?
昭和20年代でいうと、庵治ではほとんど食べんといっても過言じゃない。八百屋の片隅の蒸篭に入ったうどん玉を新聞紙に包んで買って帰って、自分のところで作った出汁をかけて食べることはあった。今日はご飯が少ないから、うどんを足さないかんという感じかな。

 あとは、高松の方へ出かけた時にうどんを食べることはあったが、それも弁当を持って行って、うどん屋でうどんを食べながら弁当を食べた。もちろん麦飯やけど。

なんと! 食堂に弁当持ち込みOKだったんですか?
 当時はそれが当たり前だった。うどんが一杯10円か15円ぐらいだったと思う。汁も最後まで飲み干したもんや。当時、うどん屋というのはまだなかって、寿司うどん店という食堂やな。寿司いうても巻き寿司とチラシ寿司のことで、握り寿司のことではない。当時の最高のご馳走は巻き寿司だった。
昔は庵治町では魚の焼き干しとかの出汁を使っていたと聞きますが本当ですか?
 本当や。そもそも鰹節や昆布はものすごく高額商品で、高松市内では使っていても、庵治まで運んで来て使うということはなかった。昔はこのあたりは小魚の焼き干しを使って出汁をとっていた。いりこも当時は庵治では全く使われてなかった。

 庵治ではないが、阿讃山脈の方ではみじんこ(川の小魚)や沢蟹を使って出汁をとるのは当たり前で、フナを使うところもあった。庵治はいかなごが特産で、いかなご醤油(魚醤)も作られていたが、それほど一般的ではなかった。

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