香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

さぬき市大川町末・昭和29年生まれの男性の証言

分校の父兄会で、親子で打ち込みうどん作り

(取材・文:

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  • vol: 165
  • 2016.12.19

昭和40年代、志度商の前にうどん屋があった

 うちは農家ではなかったので、家でうどんは打たなかったなあ。母親が東京なんで、そもそも家であんまりうどん食べなかった。中学生くらいまでは(昭和30年代)、外でもほとんど食べてなかったです。

 うどんを食べだしたのは高校入ってから(昭和40年代中盤)の昼ごはん。志度商の前にうどん屋があったんですよ。値段は忘れたんですけどね。ちょっと大きめのお椀でうどんが出てくる。持ってきた弁当は早弁したりなんやして(笑)、昼はそこのうどん屋行って食べたり。

 あとは法事とかの、いわゆるお客。めったに行かないですけどお客で親戚に行くと、バラ寿司と、うどんと、天ぷらが出る。

 それと小学校の時、末(すえ)の分校で、打ち込みうどんはしよったよね。授業の一環なんですよ。父兄会みたいな時に、子供たちと一緒に練ってうどんを打つ。生地を手でこねて、寝かさずに耳たぶくらいに固くしたら、一応麺棒で伸ばす。それから切って、みそ汁みたいなのにポンと放り込んで。こねてから一晩寝かしてないんで、コシはなかった。

 でも、讃岐うどんブームになってから、ほんまにうどんが美味しくなった。ぶっかけが一般的になったし、天ぷらも店で揚げるようになって天ぷら屋から卸すのがなくなったでしょ。それも職人みたいな揚げ方してますもんね。

 高松で働いてた頃(昭和50年代)は、製麺所でうどん食べてもダシが「これ、お茶やろ」みたいなのがあったり。うどんもコシがなかったり。「ゆがけてないやん」みたいな。今でも覚えてますわ。あそこのはひどかった(匿店名)。でも安いから食べてた。80円でしたから。こんなにうまくなったのは讃岐うどんブームのおかげです。

カナガワではなくカガワです

 あと、昔は県外に出たら香川のことをみんな知らなかった。大学時代ね、大阪行って「香川出身です」って言ったら通じないんですから。で「四国です」って言ったら「四国? 徳島と愛媛と高知」「3県違う、もう1県ある(笑)。4県あるから四国なんですよ」と。同世代の人がほぼ知らなかった。で、「小豆島にはよく遊びに行くんだ」と。でも香川は知らない。「カナガワですか?」「いえ、カガワです」「カナガワですか?」…どんだけこのやりとりしたか。ほんとに知られてなかった。

 大阪おった時に、転勤で香川県行ったことある人は、うどんがうまい言ってたんですけど、その頃私、うどん嫌いで(笑)。食べるとおなかの調子が悪くなってたんです。で、こっち帰ってきて「メシ行こう」言うたらうどんですよ。「また腹の調子が悪くなるのにな」と思いよった。

 40年くらい前に、日赤の前に手練りでやってる店がありました。大きな釜で茹でて、手打ちでした。菊池寛通り入って三軒目。「めんめ」いうところです。あそこのは、柔らかいけどコシがあった。ほんと手打ち足踏みでちゃんとやってたから、腰いわしちゃってやめたって聞いたけど…。栗林トンネルの辺りで、うどん再開してるんですか。それは行ってみないと。

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