香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市中山町・昭和22年生まれの女性の証言

子供時代は姉が打ち込み汁を作ってくれた

(取材・文:

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  • vol: 242
  • 2017.10.26

果樹農家でも家で打ち込み汁を作っていた

ご実家は農家でしたか?
 実家は中山町の山手でしたから、田んぼの農家ではなく畑の方。みかんとかビワを作る農家でした。実家の方では、うどん屋さんは食べに行ったことはないですね。家で誰かが打ってましたからね。

 子供の頃、3つ上のお姉ちゃんがうどんを打って「打ち込み汁」を作ってたりしたんですよ。母親が「作っとき」って言って畑に行ってたから、お塩を入れない麺を作って、それを切って、味噌味の打ち込み汁を作ってました。あれもずっとしてたから上手でしたよ。本人は「切らされたー」言うてましたけどね(笑)。

 家で作った打ち込みはおいしかったですね。お腹もすいてたんかな? 食べられるだけで美味しいみたいな。具材は根菜とか、その時期にあるものを入れてましたね。

仏生山は小麦を作っている農家が多かった

 お嫁に来たのは仏生山の田んぼを作ってる農家でした。お米、お麦、タバコも作ってましたね。だから半夏とか、季節季節のものを嫁ぎ先の母親が「今日は半夏やからおうどんと天ぷら」とか言って作ってましたね。

 家で作った小麦を粉と交換してもらってましたから、そんなんで粉は手に入っていたんやと思います。このへんは小麦が多かったですね。でも、いろいろな政策でみんな一緒にやめたみたいですけど。

 お嫁に来た家では年寄り、主人の父親の親、おじいさんがうどんを打つのが上手だったんで、よく家でうどんやそばを打ってましたね。昔はそういうのを当たり前に家でしてましたね。周りに打てる人がいたので私は打ってないですけど。

 法事には、お料理が出る前におうどんを一杯食べてもらってました。家は一向宗です。そこの高徳寺(真宗大谷派)さんに永代経の時にお手伝い行ってるんですけど、おうどん出ますよね。「やっぱ、おうどんするんやな」って思いました。

玉を買うのはいつも「橋本」で

外食でうどんを食べましたか?
 だんだん外食するようになってね、今ではおうどん買ってきて食べるよりは、行って食べる方が多いですね。そんなにお金もかからないですからね。5人とか6人の家族なら玉を買ってきて作った方がいいんですけど、今は主人と二人ですから、「玉を買ってきておダシ作って…」いうよりは食べに行った方が楽です。普通に定食食べるより、うどんの方が安いですしね。
今はどんなお店に行かれていますか?
 「竜雲」さん。美味しいですよ。それから、旧綾上町役場の手前にある「山田うどん」。あそこまで行くんです。あそこは私たちの口に合ってますね。それと川島になるんですかね、十川になるんですかね、「久保うどん」。おそばだったら「久保うどん」さん行きますね。
この辺は年越しは「そば」が多いんですか?
 そばですね。買うのは神宮寺の「橋本」さん。うちは打ち込みやめた時から、うどんもそばも買うのは「橋本」さんですね。人数多かった頃は、うちの年寄りもお昼ごはん食べるゆうたらあそこに玉を買いに行っきょった。主人と二人になってからは、普通のうどん屋さんに食べに行ってます。

●編集部より…「家で子供(お姉ちゃん)がうどんを打ってた」というお話が登場しました。昭和の仏生山町のお話には、あの自分で丼や箸を持って行って食べる「橋本製麺所」がよく出てきます。

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