全一話
山の家
まんのう町の小高い山の上の道端に佇む「山の家(やまのや)」は、昭和13年生まれの尾崎博さんと昭和16年生まれの尾崎キヨミさんご夫婦が営む手作り感に満ちあふれた小さなうどん店。オープンしたのはご夫婦が65歳を超えてからという、脱サラ、いや脱ビジネス、いや、第二、第三の人生として始めた店です。そのあたりの経緯を含めて、お話をいただきました。
お話:尾崎博さん(昭和13年生まれ)、尾崎キヨミさん(昭和16年生まれ)
自衛隊を辞めて、土木の仕事を38年間
- ーーお生まれになったのは何年ですか?
- 博さん
- 僕は昭和13年9月14日生まれ。9月でもう83になるけど、まだやっとるで。玉を作るんからな全部。練るんは機械やけど、踏んだり切ったり全部しよる。結構体がえらいけどな(笑)。
- キヨミさん
- 私は79歳。昭和16年4月9日生まれ。えろうて朝起きられんけん、もうやめようかなと思て(笑)。
- ーーご出身はこちらですか?
- 博さん
- 僕は生まれたんは中国の大連。親父が満鉄でおったけんな、満州鉄道。ほやけん、長男と僕はあっちで生まれて、あっちの官舎でおったわけや。ほいで戦争が終わって、そらもうみんな無し尽くしてバーッと帰ってきたけんな。何ちゃあらへんがな。裸一貫。ほんで親父は現地召集になってソ連に抑留されてな、栄養失調で帰ってきたがな。ほなけん、これ(壁にかかった勲章)くれたんや。天皇陛下の菊の紋が入っとるやろ。それと赤富士。だけん、なんちゃなしで母親の里の善通寺に帰ってきた。親父は東京やけん、僕も最初は本籍は東京で、こっちで戸籍がいる時はいつも東京から取り寄せよったんやけど、結婚して子供ができてから、ややこしけん香川県に本籍を移してしもた。
- キヨミさん
- 私は満濃町の満濃池の下。昔は「神野(かんのう)」言うてな。うちは神野の諏訪神社の本家やったんやけど、うちの父親の前の代が女ばっかり3人でな。ほんで神社は新家の方に渡して、それが今ずっと続いとるな。
- ーー小さい時はうどんは食べていましたか?
- 博さん
- 食べん食べん! 善通寺は町やから家で打っちょらんけん、家でうどん食べる習慣はそんななかったわ。
- キヨミさん
- 私は百姓の子やけん、何でも食べるもんあったけどな~。だんごでも何でも。汁作って、赤飯や何やいうてな。マツタケは山行ったらすぐ採って来よった。うどんも親が手で全部作っじょったけんな。打ち込みうどんや。だけん、正月や、祭りや、盆やいうたらな、お母さんがいっつもうどんこっしゃえよったわ。餅いうたらあんた、座敷にいっぱいついてな、むしろの上に広げとったで。自分とこでもち米やあいなん作っとったけん。そらもうここらは皆、農家やで。
- 博さん
- 僕は小学校は善通寺中央小学校やったけど、給食でもうどんはなかった。
- キヨミさん
- 私やは弁当持って行きよった。麦飯。米があったのに麦飯炊きよった。今は白いけど昔のは麦の黒いんが上に乗っとって、よいよ好かんかった。
- ーー高校生の時に、買い食いなどでもうどんを食べたことはないですか?
- 博さん
- 私はないな。終戦で帰って来とるけん、そんな状態で学校も行ける状態でないけん、定時制の高等学校入ってな、ほんで働きもって卒業したんや。そんな時代やったけん、余分なもんは食べられんわ。パンくらいなもんじゃわ。それから高校卒業したと同時に航空自衛隊に行った。
- ーー自衛隊には何年行かれたんですか?
- 博さん
- 10年。重量挙げの三宅選手、知っとる? それとマラソンの円谷選手。あれ、一緒に自衛隊の体育学校行ったことあるけんな。僕もその体育の方の関係で入校しとって、そこで間稽古(まげいこ)いうて、朝、一緒に走っじょった。円谷選手はものすごくええ人やった。あの人は東京オリンピックの後で「もう走れん」言うて死んだんや。三宅選手、あの人はちっさいけどな、大物になったわ。やっぱり、重量挙げで世界新記録持っとるきんな。たいしたもんじゃわ。ほんな人らと一緒におったわけや。自衛隊は埼玉県やけん、そこでうどん食べたかもしれんけどな(笑)。そいで航空自衛隊で全国走りまわって、それから自衛隊辞めて、ここ(満濃町)で土木(工事)やりだしたん。
- キヨミさん
- 土木が一番長かったな。38年やった。
- 博さん
- ワシも思い切りはええから、航空自衛隊をポーンと辞めてしもて、ほんで土木しだして。航空自衛隊の時に土木や全然しとらへんので。なんちゃないとこから二級の土木の技術の免許取って始めた。
- キヨミさん
- トラックを1台買うてな、そこから2台、3台と増やして。ついて行くん大変で~!(笑)
- 博さん
- ははははは。まあまあ、思た通りに。こっちやったらこっち上手くいって、またこっち上手くいって。機械やってダンプもユンボもこな大きなやつ持っとったけんな。金も何千万いうて動かしよった。まあ時期もよかったけん、それに乗っとったわな。
- キヨミさん
- 公共事業もようけあったけん。昭和から平成の時代や、ちょうどええ時期やったけんな。今はちょっとえらいな。何してもな。
- ーーなぜ土木の仕事をしようと思ったんですか?
- キヨミさん
- 手相見てもろたんやろ。
- 博さん
- うん。
- キヨミさん
- 自衛隊辞める時に手相見てもろて、どうも「土に関わる仕事がええ」て言われたらしいて、ほんだら土木しかないとなって(笑)。
68歳でうどん屋に転身
- ーーそこからなぜ、うどんをしようという話になったんですか?
- 博さん
- 土木がちょいちょい調子悪になってな。もうしょうがない。どっか勤めなんだらいかん。それやったら勤めるよりも、うどんでもやるかのと思て。讃岐やけんな。
- キヨミさん
- 勤めに行く言うたって、もう年いってからでは行かれんしな。ほんで自分でするんやったら、もう「うどん」しかなかったんや。ほんで「こんな田舎でしてもええやろか?」言うてしたら、よその人が「尾崎さんあれじゃわ、味が良かったらどんな田舎でも人は来るけん、やったらええが」って言われてな。ちょうどうどんブームがあった頃やしな。おかげでな。ほんでもまあ、今、赤字だらけやけどな。二人の年金があるけんそれを足していっきょんや。ここやったら家賃がいらんけんな。
- 博さん
- 家賃がいらんけん成り立つん。ほんでなかったらもう潰れとるわ。
- ーーうどん屋を始めたのはいつですか?
- キヨミさん
- 平成20年5月1日。主人が68、うちが65の時。
- 博さん
- ほんまやったら、みなもう辞めとる歳やわな。
- キヨミさん
- 辞めせん。まだまだそれからや。
- 博さん
- ははは~(笑)。
- ーー奥さんは「うどんする」って言われた時、止めなかったんですか?
- キヨミさん
- たぶん「うどんはいかん」て言よったんで。言うたってあんた、ジョイ(ホームセンター)で板買うて来て自分で貼りまわるのに。もうしょうがないやろ。ここ(現在のお店)、土木の時の倉庫やったん。
- 博さん
- この店は土木やっじょった時の事務所と倉庫やったん。それをいきなり改装してからパッとやったん。
- キヨミさん
- 大変やったで~(笑)。全部自分で、板買うて来て貼りまわるん。
- 博さん
- なるべく金かけんように。
- キヨミさん
- なんせな、うどん屋始めた時はユンボやあんなん残っとって、そのユンボやダンプぜ~んぶ売ってしもってな、ほんでうどんの機械買うたんや。もうしょうがない。ははは(笑)。
- ーーお店の名前は「山の家」と書いて「やまのや」ですね。
- 博さん
- 孫が付けたんや。孫が「山の方にあるけん山の家でええが」言うて(笑)。
- ーーうどんの修業はどうされたんですか?
- 博さん
- うどんは打ったことないから、最初はさぬきうどんの講習があるとこへちょっとだけ行った。さぬき麺業いうんかな、そこの1日だけ行く講習に行ってちょっと教えてもろたけど、1日行っただけでは大まかなんザーッとだけしか教えてくれんけん、後は自分で勉強せないかんわ。それはもう、自分の感覚じゃわな。
- キヨミさん
- ダシがめんどかったな。講習や行っても昆布やイリコや入れてあいなんするいうだけで肝心なことは教えんけん、自分でしたん。最初の頃、「これ尾崎さん、あんた、かけのダシが肉うどんのダシみたいなで」って言われて(笑)、それからいろいろ直していった。今はほとんど主人がするけど、最後の仕上げだけ、甘いか辛いかだけはちょっと見よんや。
- 博さん
- かけだけでのうて、ぶっかけやざるやいうてそれぞれダシを作らないかん。最初は元を作っとって、それに釜揚げだったら食べよるうちにダシにちょっと水が入るからちょっと濃いめにしたりして。
- キヨミさん
- 釜揚げやぶっかけや、あんなんのダシも美味しいんできとる。
- 博さん
- お客さんがここで「おいしかった~」言うてくれるんをモットーにしていきよるんや。今日来た人も「おいしかったわ〜、子供がこんだけ食べるんじゃわな」言うてくれてな。ここで食べさしてやっじょった人の子供がな、小さい子やけど、じわじわ全部食べてしもた。
- ーーうどん作りの作業はどういう手順ですか?
- 博さん
- うどんは店が終わった後、15時か16時くらいから作るわけ。練って、足で踏んで、ほんで切ってダンゴにするやろ。それをまた何べんも踏んで折りたたんで踏んで、ほんで冷蔵庫の中で寝かしとくんや。それから朝になって、それをもう一回ちょっと踏んで、ほんで切るわけや。あんまり早う切って置いとったら味が落ちるけん、朝出して足で踏んでから切って茹でるわけ。
- キヨミさん
- 手で切るけんな。
- 博さん
- そうやな。下の台は固定で上の刃が動いていくやつ、あれで切っじょん。
- ーー朝は何時頃から作業をするんですか?
- 博さん
- 朝は6時から。ダシも6時から作ってな。毎日毎日、その日のダシはその日に作る。元になる白ダシの上に醤油やあいなん入れてその日の分のダシを作るけん、6時に絶対起きなんだら間に合わんのや。
讃岐うどん巡りブームの真っ只中にオープン
- ーー平成20年(2008年)のオープンということは、讃岐うどんブームの真っ只中ですね。
- キヨミさん
- 始めたのが5月の1日の連休やったけんな。店を開けた時からようけ来てくれて。ほやきん娘やみんなが手伝いに来よったで、ずっとな。
- 博さん
- ブームやったけんな。こいなん(お店に飾っているサイン色紙)ようけ来とるけんな。テレビも3件くらい来たかな。お客さんもなんぼでも来るけん、次から次へと、どんどんどんどん作じょったけんな。
- キヨミさん
- まあ、えらかったけどな。玉買いに来る人もようけおったな。
- 博さん
- 1日に1000玉ぐらい打ったことあるわ。うちの娘が行きよるとこの会社がな、高松で何かの会をやる時に「うどんをみなに食べさすけん打ってくれ」言うけん、朝から1000玉くらい打った。ダシも作っての~。
- キヨミさん
- ダシ、ポリ(タンク)に入れてな、ひとっつも寝ずにこっしゃえてな。ようやったわ~。
- 博さん
- あれ一番最高やな、1000玉くらい打った。その上に店の分も何百玉も打ったわ。
- キヨミさん
- ほんで儲けたかいうたら、あれは損じゃわ。あとからガス代やら電気代やらようけきて、あんた、玉はまだ60円かそこらやったやろ。
- 博さん
- 安かった。
- キヨミさん
- 安かったけん、あとから請求書来て大きな赤字(笑)。それからまんのう公園で「イベントやなんかあるけんしてくれ」いうて来たけど、もう断ったん。「えらいけん、もうできんわ~」いうて。店が休みならええけど、こっちの客もしながらやけんな。
- 博さん
- 法事のうどんもちょいちょい頼まれる。ほんだけんどな、「もうえらいけんあんまりせんで」て言うとるもんじゃけん、だいぶ少のうなったわな。
- キヨミさん
- あと、選挙の時やな。町会議員やあいなんの選挙の時に、1週間ぐらいうどんの注文があったけどな。4年前はしたけど、今度はどいなんやろ?
- 博さん
- 今頃はあんまりせんようなったけんな。もう寄り合もせんようなったけん。
- ーー県外のお客さんは結構来られますか?
- キヨミさん
- 多いな。
- 博さん
- 今はコロナで県外からはほとんどないけど、こないだから2、3人は来たかな。今日やって、今さっき来た人はそうや。車でそっと来よる。
- キヨミさん
- 車で、家族だけでな。
- 博さん
- うちは町の中からちょっと外れて山の方へ入り込んどるけん、ちょっと来にくいんかもしれんけど、県外の人はインターネットで調べてぼんぼん来よったけん、ずっと土日は忙しかったの~。ほんで、遅う来るけんの。
- ーー県外の人は早い時間でないと玉がなくなるという感覚がないんですね。
- 博さん
- ないない。夕方の5時も6時もやっとると思とんじゃ。「今から行きますけど」言うて電話かかってくるんじゃ。電話番号知っとるいうことはな、インターネットでみな調べよんじゃ。
- キヨミさん
- あれ(インターネット)は便利かも知らんけど、あんまりし過ぎてもいかんわ。「爪楊枝が反対に入っとった」とかなんとかいうて書いとるんで。もう、ちょっとしたことでも。
- 博さん
- 書かれる。悪いことは書かれる。そんなんでも書く人は書くんじゃ。
- キヨミさん
- 「そんな人はもう来んでもええが」と思とるけん、気にせんけどな(笑)。
- ーー地元のお客さんはどうですか?
- キヨミさん
- 県内の人は仕事しよる人がお昼食べに来るけど。
- 博さん
- それでも地元の人は案外少ないな。高松の方から来る人もおるけど、ここは会社も何もないし周りは民家だけやけんな。民家の人はそなんうどんばっかり食べへんわ。
- キヨミさん
- それでもみんなが「やめんとして、して」言うけん、体しんどいけどしよる(笑)。
「思い切り」と「行き当たり」の人生(笑)
- ーーこれまでを振り返って、いかがでしたか?
- キヨミさん
- いやほんまにな、ようしてきたわと思う。
- 博さん
- まあ、お客さんもみなよう来てくれたと思ってな。
- キヨミさん
- そうやな。土木からうどんに切り替えする時、家のローンもまだようけ残っとったけど、あっと言う間に払たけんな。おかげじゃな。
- 博さん
- お客さん来てなかったらもう全然ダメじゃわな、家もなくなってしまう。ほんまにな、みんなのおかげじゃわ。
- キヨミさん
- 会社の社長やなんかが応援してくれたりして、おかげでな、ここまでこられたと思うで。土木の時もな、知っとる人や社長がいろいろしてくれたけんな。金貸してくれたり、大きな仕事さしてくれたけん、やってこれた。みんなのおかげやで。私ら二人だけでは何ちゃあできん。
- 博さん
- うん、全然できん。
- ーー時代にうまく乗ってきたんですね。
- 博さん
- うん。潮にうまいこと乗って来たわの。うどんやってブームに乗ってやってきたけんの。土木しよる時まではうどんやあんまり食べてこんかったのに、縁があったんやのー。
- キヨミさん
- でも、どっちかいうたらあれやわな、割と行き当たりばったりで来たんとちゃうかな(笑)。
- 博さん
- 当てずっぽうに「よしこれや!」言うて、ほいでやる。思いきってパッとやったら、もうそれにとりかかるきんな。速いんや。そいういタイプやのんワシ。
- キヨミさん
- そらあんた、お金の勘定やそんなせんけん(笑)。
- 博さん
- まあ、ついてくるんはえらいと思うわ。
- キヨミさん
- えらいんで。うん。けど、あっと言う間の出来事じゃわ。いやほんまで。人生はな、無駄にしたらいかん。とにかく人に優しにせないかんわ。もうそれが一番。人に嫌われたらもうなんちゃできんようになるで。いつもそう思うわ、やっぱり。おかげでな、ほんまよう来られたわな。
さらなる野望も?!
- ーー最後に、今後の展望をお聞かせください。
- キヨミさん
- まだあんた、「違う商売しようか」言うとるな。
- 博さん
- いや、違う商売はせえへんけどもな、(お菓子の)だんごを売ってやろかなと思てな。
- キヨミさん
- もうついて行けん(笑)。うどんはもうせんわな?
- 博さん
- いやいや、それはしとってやるわな。
- キヨミさん
- 両方やったらえらいわ~。
- 博さん
- いやいや、できる。
- キヨミさん
- もう這いまわじょんのに、なんでそんなことできるん。それやったらそれだけにせな、私はもうせんで、今度は(笑)。はは、もうこらえてもらわないかん。
- 博さん
- いや、ネットで販売したらええんや。うどんの持ち帰りやって今でもしょんで。今日やって30玉は売っとんで。玉だけでも10玉ずつくらい買いに来るんや。玉売りは免許持っとるけんな。
- キヨミさん
- もう知らんわ~! この人、年がいってもじっとしとんが好かんの!
- 博さん
- いや~、じっとしとったらボケるけんな(笑)。じっとしとったらテレビばっかり見るけん、いかんいかん。
- キヨミさん
- まあな、うどん屋しとったら人と話ができる。お客さんと。もう馴染みの人が大勢おるけんな。やっぱりそんなんあるで。さらなる野望はどなんすんかしゃんけど、人の人生いうたら不思議なやろ。みんなそれぞれ違うけんな。聞きよったらな、やっぱりみんな苦労しとるわな。うどん屋はな。うちはまだよかったけどな~。
- 博さん
- 今からうどん屋始めるのはしんどいやろな。このご時世やし、体も痛めるからな。ほなけんワシは肩が痛いんや。
- キヨミさん
- そうやな。
- [全一回]
- 全一話 山の家 2021.09.27