さぬきうどんのメニュー、風習、出来事の謎を追う さぬきうどんの謎を追え

vol.37 新聞で見る讃岐うどん

新聞で見る讃岐うどん<昭和54年(1979)>

(取材・文:  記事発掘:萬谷純哉)

  • [nazo]
  • vol: 37
  • 2021.03.22

県の商業統計で、県下うどん店の数が「約600店」と判明

 前年末の昭和53年12月に大平正芳先生が内閣総理大臣に就任し、昭和54年の郷土は年明けから祝賀ムードに包まれております。この年のうどん関連記事も特に目新しい話題はありませんでしたが、年末に発表された県の商業統計調査の中に「うどん店の数」が推測される集計結果が載っていましたので、まずはそれを確認してみましょう。

(12月24日)

讃岐っ子はコーヒー党でうどん好き 県の54年商業統計調査

 香川県にやってきた県外人は、まず喫茶とうどん屋の多いのにびっくりするという。県が行った54年の商業統計調査が、この驚きをはっきり証明している。3年前の調査と比較すると、喫茶店は502店増えて1529店あり、年間販売額は114億9504万円で、初めて100億円の大台を超えた。また、うどん・そば屋は店数こそ47店減ったものの、販売額は50億629万円で66.7%増という高い伸びを見せている。どうやら讃岐人はコーヒー党であり、うどん党といえそうだ。…(中略)…

【商店数】
 総数は2万5752店で、3年前に比べ1507店(6.2%)の増加。その内訳は、卸売業3562店、小売業1万6061店、飲食店6129店。3年前と比較すると、卸売業が180店(5.3%増)小売業が180店(5.3%増)飲食店が971店(18.8%増)の増加となっており、飲食店の増加が目立っている。飲食店のうちでは喫茶店の増加が著しい。3年前には1217店だったのが、今度の調査では502店も増えて1529店となり、飲食店全体の24.9%を占め、首位に立っている。これにバー・キャバレーの19.1%、一般食堂の13.5%、そば・うどん店の10.1%が続いている。

【商品販売額】
 総額は2兆8521億4697万円。前回に比べ、名目で6340億7208万円(伸び率28.6%)増加し、実質でも5411億8083万円(同25.8%)と大幅な伸びを見せた。…(中略)…飲食店全体の販売額は438億7075万円。最高は喫茶店の114億9504万円で、初めて100億円を上回った。そば・うどん店の販売額は50億629万円。喫茶店の伸び(76.1%増)には及ばないが、それでも66.7%増と高い伸びを見せており、県民のうどん好きが統計上にもはっきりと表れている。(以下略)

 【商店数】の内容をよく見てみると、

●飲食店…6129店
●そのうち、「喫茶店」が1529店で、飲食店全体の24.9%
●「一般食堂」は(飲食店全体の)13.5%
●「そば・うどん店」は(飲食店全体の)10.1%

とあります。「そば・うどん店」は飲食店6129店の10.1%とありますから、逆算するとおそらく619店。そこから「そば店」を差し引くと、「うどん店」は「約600店」という具体的な数字が初めて出てきました。

 ちなみに、「一般食堂」と「そば店」が全部うどんも出しているとして合算しても、合わせて23.6%ですから約1446店にしかならず、やはりこれまで新聞紙上でいろんな人が出していた「香川のうどん店は2000店、3000店、4000店…」という数字は、実数とはかなりかけ離れていると言わざるを得ません。ということで、「香川のうどん店の数」論争は(別に論で争っているわけではありませんが・笑)「約600店」ということで、一旦決着を付けておきましょう(笑)。

大平首相の歓迎には「うどん」が付き物

 では、昭和54年のうどん関連記事を拾っていきましょう。まずは、大平正芳首相の歓迎記事から。

(1月25日)

郷土の味にごきげん 大平さん、讃岐うどんに舌つづみ(自民党大会レセプション)

 24日の自民党大会に引き続いて首相官邸中庭で催されたレセプションには、日本の味覚を代表する特設屋台が軒をつらね、出席者は小春日和のもとで懇親を深めた。中でも、地元から材料や道具一式をトラックで運び込み”讃岐名物手打ちうどん”で接待したコーナーは人気も高く、大平首相もうどんで古里の味を確かめるなど、準備した800食も1時間足らずでなくなってしまった。

 讃岐うどんの接待を行ったのは、自民党県連飯山支部(大西末広支部長)の香川文夫幹事長ら同党員の男女25人。うどんを揚げる大釜などの道具類は、飯山町で自営している川地義高さんが一揃え持ち込んだ。そして、宿舎で午前3時から全員で800人分のうどん作りに励んで臨んだ。会場に姿を見せた大平首相は、出席者ヘのあいさつもそこそこにうどんコーナーへ直行。「やあーご苦労さん。いいにおいだね」と言いながらポリ椀を受け取るやツルツル。番記者の問いに「讃岐うどんはコシが固くてね、最高だよ」「うまいね。君も食べないかね-」。横に並んだ斎藤党幹事長と”うどん談義”をしながら賞味。「やあ、皆さんありがとう」と人垣に囲まれて次のコーナーへ。(以下略)

 1月24日に行われた大平首相就任後初の自民党大会のレセプションで、香川の自民党県議連の面々が大釜を持ち込んで800人分のうどんを作り、参加者を接待したそうです。何というか、いい時代でしたね(笑)。

(7月8日)

古里の幸せしみじみ さぬきうどんでくつろぐ

 待ちに待った県民宰相のお国入り。讃岐が生んだ初の首相、大平さんは7日、県民あげての熱狂的な歓迎の中、“七夕帰郷”した。…(中略)…主の帰りを待つ観音寺市坂本町の大平事務所前には、およそ2000人の市民が熱烈歓迎。パトカーに先導された首相一行の車が、夕闇迫った午後6時に姿を見せた。日の丸の小旗と盛んな拍手ににこやかにこたえる大平首相。事務所前に並んだ地元坂本子供会のかわいい歓迎を目ざとく見つけると、志げ子夫人と車を降りた。思わぬ首相の心づかいに高い拍手。首相は両手を高々と上げ、さすがにうれしそう。事務所前では、加藤義和観音寺市長の音頭で万歳がくり返されたが、かたわらで銭形太鼓がひときわ大きく打ち鳴らされた。首相はこの日の暑さと強行スケジュールでさすがに疲れた様子だったが、特別に薪で沸かした風呂に入り、元気を取りもどした。このあと、記者団らと妹富江さんが先頭になって作った好物のさぬきうどんを食べ、記者団の質問に「やはり格別だね…」と語っていた。(以下略)

 そして7月に、「待ちに待った県民宰相のお国入り」です。ここでも記事は、「うどん」の一言を入れずには収まりません(笑)。大平さんは「『ざるうどん』を命名した」等の伝説(?)もあるように、讃岐うどんのイメージがピッタリの政治家。古くは「うどん食い逃げ事件」で知られる(笑)三木武吉先生、そして讃岐うどんのPRに功績を残したと言われる金子正則知事と並んで、「讃岐うどんのイメージが強い三大政治家」の一人と言えるでしょう。

「物産展」は東京で1回、大阪で3回

 イベント関係では、まずはおなじみ、東京水道橋の金刀比羅宮東京文社で毎年行われている献麺式と讃岐うどんのお接待が、5回目を迎えました。

(2月5日)

節分の日の”定期便”に 讃岐うどんの接待に列

 節分の日の3日、東京・水道橋の金刀比羅宮東京分社は、時ならぬ讃岐うどんの接待で大にぎわいした。全国こんぴらうどんの会(本部・琴平町)が東京分社の節分祭に花を添えようと、今年で5回目の試み。会長の小河仲太郎さん(64)をはじめ、総勢15人。丸に金の紋どころ、白衣に水色のかみしも姿で奉仕に汗だく。1日に琴平を車で出発。同日は朝5時から準備に取りかかり、献麺式のあと午後から約3時間がかりで2000食のうどんをさばいた。広さ650平方メートルの境内参道沿いに手打ちうどんの実演。在京の県人や町内の人たちにすっかりおなじみとあって、お昼時には参拝者も加わり、長い行列が出来たほど。東京分社復興奉賛会の松平頼明会長、相撲の秀の山親方や新作落語の桂円枝師匠ら県関係者も応援に駆けつけ、梅の香りの漂う中で郷土の味をかみしめた。琴平町観光協会顧問で会員の位野木峯夫さん(58)は、「うどんの会が発足したのが7年前。本宮で献麺式をしていたが、江戸千人講にちなんで東京分社でのうどん奉納を思いついた」と言い、「”こんぴらさん”の発展を願い、讃岐観光のPRになれば」(小河会長)と今では季節の定期便となっている。

 「こんぴらうどんの会」が初めて「全国こんぴらうどんの会」という名称で新聞に出てきましたが、全国組織になったのでしょうか。そういえば、昭和51年の広告に載っていた「こんぴらうどんの会」のメンバーには、東京や北九州、尼崎等の県外メンバーが入っていましたので、その後さらにご発展になられたのかもしれません。

 続いて、この年の「物産展」は東京で1回、大阪で3回行われたようです。

(2月16日)

モテモテ”さぬきうどん” 大阪で全国物産・観光展

 恒例の「全国物産・観光展」が15日から5日間、大阪・天満橋の松坂屋百貨店で開かれている。同展には北海道から沖縄まで全国47都道府県が参加。県別にコーナーが設けられているが、香川県コーナーでは”さぬきうどん”が一番の人気。1食分130円の即席さぬきうどんやパック入りしょうゆ豆、長天、エビ天、ちくわなど讃岐名物の天ぷらにも人垣ができるほどの好評。一方、民芸品コーナーでは150円から700円程度の張り子のトラ、しぶうちわ、鬼太鼓などが子供たちに人気。OLにはオリーブ油などがよく売れていた。この催しは今年でちょうど10回目。各県自慢の名所のカラー写真パネルやパンフレットを持ち込んだ観光コーナーが設けられ、特に出展地域の新聞コーナーでは郷愁を誘うのか、毎日持ち込まれる新聞が午前中にほとんどなくなっていた。

 「1食分130円の即席讃岐うどん」なるものが登場しました。「即席讃岐うどん」は直訳すれば「インスタント讃岐うどん」ですが、「1食分130円」なので、ただの「うどん玉」ではなさそう。かといって、インスタントラーメンやカップ麺のフリーズドライ麺でもないだろうし、一体どんな商品なんでしょうか。

(3月9日)

古里なつかし2万人 大阪で香川の物産と観光祭

 瀬戸大橋の着工を記念した第1回「香川の物産と観光フェスティバル」が8日から6日間、大阪市東区京橋の松坂屋7階の催し場でオープンした。この催しは、県や物産協会、観光協会などが郷土の特産品と観光地への誘致を目指すイメージキャンペーンとして展開されるもので、県下の主な業種の中から49社を選び、販売目標も期間中2400万円と大きく、各売り場とも参加企業の社員がコーナーの先頭に立ってPR、即売もするなど最近にない力の入れよう。会場は760平方メートルと広く、正面の瀬戸大橋のパネルの下では、入場者が5~10センチ四方の庵治石にサインしていたが、この石は5月ごろに予定されている瀬戸大橋の最初の橋脚に永久に埋められるとあって、大変な人気。大きな段ボール箱が次々に用意されていた。

 一方、実演・演舞コーナーでは、うどん、讃岐米のもちつき、きき酒などが大もて。竜神太鼓や宮脇磬子さんのサヌカイト「かんかん石」の演奏も人気の的で、日ごろ見なれない郷土芸能に盛んな拍手が送られた。初日の入場は約2万人、250万円の売り上げがあった。9日には県観光誘致宣伝隊が来阪、天満宮でさぬきうどんの実演や献めん式、大阪市内の各所で観光客誘致の宣伝を繰り広げる。

 物産展はよく似たタイトルが何度も出てくるので何が「第1回」なのかよくわからなくなってきますが、瀬戸大橋着工記念の物産展が開かれたようです(瀬戸大橋は前年の昭和53年10月10日に起工式が行われました)。香川の物産展に讃岐うどんは付き物ですが、こう見てくると「献麺式」も結構あちこちで頻繁に行われていたようですね。

(5月13日)

好評です”讃岐の味” 高瀬茶も売れ行き上々 東京で全国観光物産展

 全国各地の味覚と見どころを都会っ子に紹介しようという「全国郷土の観光物産展」(全国観光斡旋機関連合会主催)がこのほど、東京・日本橋の三越本店で始まった。県下からも代表的な味として手打ちうどんなどが出品されたが、ちょうど新茶のシーズンとあって高瀬のお茶が人気を集めている。この催しは毎年同じ時期に行われているもので、今年が25回目。三越本店7階の会場には、北は北海道から南は九州まで各地から寄せられた海の幸、山の幸、伝統手工芸品など”お国自慢”の数々がずらりと並んで壮観。県下からも3軒の業者がうどん、そうめん、つくだに、お茶など約20品目を出品。はっぴ姿の売り子さんが威勢のいい呼び込みで讃岐の味を売り込んでいる。

 手打ちうどんは600グラム510円、乾めん1束200円、手延べそうめん250グラム350円、新茶100グラム1500円など、地元での値段に比べるとやや高めだが、めったに味わえない産地直送のものとあって人気は上々。特に高瀬のお茶は静岡などポピュラーな特産地に負けない検討ぶりを示している。同展は13日まで。

 こちらは全国ネットの物産展で「第25回」ですが、これまでの物産展記事にほとんど出て来なかった「高瀬のお茶」が初めて前面に出てきました。

(11月21日)

にぎわう香川県の物産と観光展(大阪)

 香川県の観光と物産展(県、県物産協会、県観光協会)が17日から21日まで大阪アベノ近鉄百貨店で開かれ、連日にぎわっている。展示品は鮮魚、海産物、青果物、うどん、お茶をはじめ、漆器、郷土玩具など県下の主な特産品や民芸品がほとんど網羅されており、即売も行われている。中でも「さぬきうどん」は特に人気が高く、売れ行きも上々。この他、しいたけ、てんぷら、ちくわなども主婦たちの人気を集めていた。(以下略)

 というわけで、これまで香川や四国の物産展が何度も新聞に出てきましたので、ここまで出てきたものをまとめて並べてみましょう。

●昭和40年「第5回・四国の観光と物産展」(名古屋丸栄デパート/主催者不明)
●昭和41年「第15回・四国の観光と物産展」(東京日本橋三越/四国4県、国鉄四国支社共催)
●昭和42年「第16回・四国の観光と物産展」(東京日本橋/四国4県共催)
●昭和44年「第18回・四国の観光と物産展」(東京日本橋三越/四国4県、国鉄四国支社共催)
●昭和46年「第1回・四国の観光と物産展」(大阪心斎橋そごう/四国4県共催)
●昭和47年「第2回・四国の観光と物産展」(大阪心斎橋そごう/四国4県共催)
●昭和48年「第8回・青い国四国路を行く観光と物産展」(東京上野松坂屋/香川県、高松市、香川県物産協会共催)
●昭和51年「第2回・姉妹・親善都市の観光と物産展」(水戸市伊勢甚百貨店/高松、水戸、彦根、敦賀、秋田市共催)
●昭和51年「四国の観光と物産展」(福島市中合百貨店/四国4県共催)
●昭和51年「第11回・さぬきの観光と物産展」(東京上野松坂屋/主催者不明)
●昭和54年「第1回・香川の物産と観光フェスティバル」(大阪京橋松坂屋/香川県、香川県物産協会、香川県観光協会など共催)
●昭和54年「香川県の観光と物産展」(大阪アベノ近鉄百貨店/県、県物産協会、県観光協会共催)

 ご覧のように、これまで「四国の観光と物産展」「青い国四国路を行く観光と物産展」「姉妹・親善都市の観光と物産展」「さぬきの観光と物産展」「香川の物産と観光フェスティバル」「香川県の観光と物産展」の5つもの物産展が出てきており、それぞれ相当の回数を重ねていますから(「四国の観光と物産展」は名称と回数が混乱しますが・笑)、今と比べると、県は物産展にずいぶん力を入れていたことがわかります。ちなみに、この年香川が参加した4つの物産展のうち2つが全国ネットの物産展ですから、香川や四国が共催する物産展は次第に全国ネット系の方に移行していったのかもしれません。

「讃岐うどん」「札幌ラーメン」「名古屋きしめん」が三大麺類?

 県が「さぬきうまいもん」というパンフレットを作ったそうですが、その紹介記事の中に「三大麺類」なるものが出てきました。

(12月8日)

”味の観光”全国へPR パンフ「さぬきうまいもん」発行へ(県観光課)
うどん、しょうゆ豆など”素朴な食物”網羅

 自然に恵まれた讃岐は食物の宝庫。水もいいし、米もうまい。それに飛びきりの新鮮な海の幸、山の幸がたっぷり。こんな郷土料理を多くの人たちに賞味してもらおうと、県は近くパンフレット「さぬきうまいもん」を発行、”味の観光”誘致に乗り出す。これまでの観光は”四季型”といわれ、季節ごとに名所旧跡の美しい風景を紹介、”見る観光”の誘致を図ってきた。しかし、最近の観光客は見るだけでは飽き足らず、その土地でなければ食べられない素朴な味に深い関心を示すようになった。このため県観光課では、こうした時の流れに乗って郷土料理の開発を図ろうといるもので、とりあえずパンフレットで「まあ、いっぺん食べに来てみまーせ」と全国に呼びかけることにした。

 パンフレットで取り上げた”うまいもん”は、讃岐の味覚の王様「さぬきうどん」をはじめ、しょうゆ豆、タイの浜焼き、押し抜き寿司から菓子類、地酒など讃岐の味を網羅している。札幌のラーメン、名古屋のきしめんとともに三大めん類の一つに数えられるさぬきうどんでは、湯だめ、しっぽく、釜あげ、打ち込み汁、うどんすきなどの特徴と食べ方を紹介。瀬戸内海の味としては源平焼、イカナゴのぼういり、チヌめし、クルマエビのおどり食い、イイダコのおでんなど、ふるさとの味としては押し抜き寿司、島の茶がゆ、わりご弁当、しょうゆ豆、しょうゆめし、フナのてっぱいなど、県人でも忘れかけている味を取り上げている。この他、かまぼこ、細天、手延べそうめん、小豆島のつくだ煮、オリーブの塩づけ、あられ三盆などのみやげ食品、28銘柄の地酒も盛り込んでいる。パンフレットはA2判、16ページ、カラー4色刷りで2万部印刷。25日ごろ発行の予定で、全国の旅行業者、観光協会などに配布する。

 「日本三大うどん」はよく聞きますが、「讃岐うどん」と「札幌ラーメン」と名古屋きしめん」が「三大麺類」だという話は、寡聞にしてあまりお耳にかかった(?)ことがありません。ちなみに、麺類の「三大」ものは今、こんな感じで伝わっているようです。

「三大うどん」……讃岐うどん(香川)、稲庭うどん(秋田)、水沢うどん(群馬)
「三大ラーメン」…札幌ラーメン(北海道)、喜多方ラーメン(福島)、博多ラーメン(福岡)
「三大そば」………戸隠そば(長野)、出雲そば(島根)、わんこそば(岩手)
「三大そうめん」…小豆島そうめん(香川)、三輪そうめん(奈良)、揖保乃糸(兵庫)
「三大やきそば」…富士宮やきそば(静岡)、横手やきそば(秋田)、太田やきそば(群馬)

 まだ他にも何かあるのかもしれませんが、とりあえずこの有名どころに「香川」が2つも入っているとは、香川はなかなかの麺王国ではありませんか(笑)。

大興寺のお遍路さんへの「うどんお接待」

 続いて、お遍路さんの「うどんお接待」の話題。

(4月24日)

木陰で舌つづみ 人情こもる”うどん接待”(山本・大興寺)

 山本町の四国霊場六十七番札所・小松尾山大興寺で22日、地区の人らによる恒例のうどん接待が行われた。統一地方選さなかとあって”お接待”は2週間延期されていた。快晴に恵まれたこの日、朝早くから参拝客が相次ぎ、鈴の音が響く境内では木陰で手打ちうどんに舌づつみを打つ白装束のお遍路さんの姿が初夏の風物詩を描き出していた。

 お接待に当たったのは、斉藤マサさん(69)ら上河内地区の婦人約30人。戦後途絶えていた風習を、費用を持ち寄って始めてもう14~15年を迎える。この日も午前8時ごろから、だし汁などの準備にかかり、うどん玉も約400個を用意した。毎年4月の第2日曜日を”お接待の日”に決めていたが、町を二分しての町長選と町議選で選挙一色だったため、今年は延期された。お通夜堂に用意されたテーブルと前庭に置かれた縁台に腰を下ろした白装束のお遍路さんは、運ばれてくる讃岐うどんに舌つづみ。観光客が大型バスで訪れると接待役の地区の人もテンヤワンヤの忙しさで、うれしい悲鳴を上げていた。すっかり同寺の名物となった”お接待日”の問い合わせも多く、斉藤さんらは「この風習をいつまでも守っていきたい」と張り切っている。

 大興寺での「うどんお接待」は、ついこの間、当プロジェクト・ライターの森口さんが「昭和の証言」で聞き取りをされたばかりです(「昭和の証言」vol.301参照)。そこに「お接待」の準備から本番までの詳細から「百葉うどん」の話まで、たくさんの情報が盛り込まれていますので、ぜひご再読ください。

お役所では「讃岐うどん」が地場産業とされていなかった(笑)

 讃岐うどん絡みの“お役所仕事”的な些細なやりとりが一つ、記事になっていました。

(2月9日)

県議会で問答 「讃岐うどん」まま子扱い? ”地場産業に入らぬ” 県「所管の違い」でと弁明

 「讃岐といえばうどん」と県外にまで有名な讃岐うどんは地場産業ではないのか。8日の県議会経済委員会で、年間生産額70億円を超える県下の製粉製麺業を県が”主な地場産業”と認めていないことについて、ちょっとした論争があった。「技術指導が県農試の所管となっているので…」と地場産業問題を扱う県経済労働部はその理由を述べたが、あまりにも”お役所的”な見解に、委員は再度「それはおかしい」と指摘。結局「地場産業として県も従来以上に販路開拓などに努める」ことでケリがついたが、それにしても県の見解では讃岐うどんが地場産業ではなかったというのは変な話。

 この日の経済委員会は、地場産業の振興について審議。質問のトップに立った都村忠弘委員は経済労働部が用意した説明資料を基に、「資料では手袋、縫製品、家具など23業種を地場産業として企業数や生産額などを一覧表にまとめている。しかし、その中に製粉製麺業は入っていない」として、讃岐うどんは地場産業ではないのか、と不思議そうな口調で正した。藤田経済労働部長が「説明資料は主な地場産業ということで、一覧表にない讃岐うどんも県としてその振興になおざりでない」。続いて木村企業振興課長が「製粉製麺業は技術指導が県農業試験場(農林部)であるところから、経済労働部所管の地場産業からは除いた。業界の概況は企業数550、従業者3000人、生産額は71億5000万円(ゆで麺60億円で愛知県に次いで全国2位、乾麺11億5000万円で12位)となっている」と補足答弁をした。

 ところが、木村課長の答弁の数字による製麺製粉業界の概況を説明資料の”主な地場産業”の一覧表と照らし合わせると、企業数は手袋(726)石材(556)に次いで3位、従業者も縫製品(6350人)手袋(3800人)に続く3位で、生産額もちり紙の76億円に次ぐ8位に相当。藤田部長の「一覧表は主な地場産業をとりあげた」との答弁は当たらない。まして木村課長の「技術指導が県農試の所管だから地場産業から除いた」との理由は一般県民にはなかなか理解しにくい答弁。

 そこで、都村委員は再度立って「技術指導の所管が異なるということで地場産業と認めないのはおかしい」と指摘。これに対し藤田部長が「経済労働部も観光課を中心に讃岐うどんについては物産展などを通して販路開拓、需要拡大を図っており、今後いっそう、業界の振興に努めたい。今回のことは製粉製麺業が資料的に欠けていたということで了承してもらいたい」と答え、都村委員も了解した。それにしても、年間生産額70億円(県の主な地場産業の23番目の業種にあげられている傘は6000万円)を超す讃岐うどんが地場産業でなかったとは驚き。

 ちょっと長いですが、要するに、県が経済委員会に出してきた「主な地場産業」の資料に「製粉製麺業(讃岐うどん)が入ってなかった」という話。どうやら経済労働部が地場産業としているのは「商工業的な産業」で、うどんは「農業」扱いだったようですが、ま、いすれにしろお役所の管理上の問題であって、現場には特に関係のない大した話だと思います(笑)。

「さぬきうどん品評会」の第1回が始まる

 第1回の「さぬきうどん品評会」が開催されました。

(5月12日)

”讃岐の味”守ろう 高松でうどんの品評会

 県民は1日1回は食べないと落ち着かないという「さぬきうどん」。その第1回品評会(県、県製麺組合連合会主催)が11日、高松市番町の県総合会館で行われた。製造の合理化が進むにつれ、ややもすれば伝統の味に低下傾向がみられるため、品質の向上と消費の拡大を図るのがねらい。県内のさぬきうどん製造業者で玉売りを主たる業とする者が出品対象者。この日は、生麺94点、包装麺9点の計103点が出品された。

 審査員は、食品評論家の山田竹系さん、北川料理学校の北川保夫校長ら15人。業者名がわからないように紙ザラに盛られたうどんを、ながめたり、つまんだり、口に入れてチェック。つやや腰、形、塩味、風味などで審査していた。審査は三次にわたり、最終審査には生麺27点、包装麺3点が残った。この中から農林水産大臣賞、食糧庁長官賞、中四国農政局長賞各1点、知事賞、県農林部長賞、県食品産業協議会会長賞、食品加工技術研究会会長賞各2点、県製麺組合連合会会長賞5点を決めるが、発表は25日になる見込み、表彰式は26日、栗林公園で行われ、記念講演と入賞うどんの試食会がある。

 この「さぬきうどん品評会」は平成14年度に「さぬきうどん技能グランプリ」と名称を変え、平成22年度からは県産小麦「さぬきの夢」を使ったうどんに限定した「さぬきの夢 うどん技能グランプリ」となって今日まで続いていますが、「県内のさぬきうどん製造業者で玉売りを主たる業とする者」が出品対象者だったそうですから、いわゆる“人気うどん店”は選考の対象外、という品評会です。

「セルフうどん」は「一風変わった趣向を凝らす店」?!

 続いて、外食産業の概況を伝える大阪発のレポートがありましたが、「セルフうどん」が「一風変わった趣向をこらす店」と紹介されていました。

(12月16日)

乱戦抜け出し必死の外食産業 ユニークさで勝負 経営悪化や企業間格差も

【大阪】「外食産業の80年代は自然淘汰の時代」だそうな。外食産業といえば”限りなき成長産業”として70年代を急成長してきた。ところが、同業者間の過当競争に加え、最近は異業種からの新規参入も相次いで、いまや乱戦模様。ここから抜け出すには、他社にないユニークな戦略を打ち出す以外にない。このところ「ドライブスルー」とか「セルフうどん」といった一風変わった趣向をこらす店が増えているのもそのため。外食産業は戦国時代を生き抜こうと必死である。(以下略)

 「セルフサービスのうどん店」は、香川では昭和50年頃にすでに全県的に大盛況だったのですが(「昭和50年」参照)、大阪では珍しかったということでしょう。その「セルフうどん店」が外食産業に出てきたとのことですが、「セルフうどんのチェーン店」を展開する会社がすでにあったのでしょうか。県外のうどん情報は四国新聞ではなかなか見られないのですが、この「大阪で増えてきたセルフうどんの店」のことが知りたいところです。

オーストラリア産「ASW」はまだ?

 「米価審議会で米価と麦価の値上げの検討が始まった」というニュースが見つかりましたが、「外国産小麦」の項目に「オーストラリア産」の文字が見えません。

(12月18日)

米3.2%、麦14.1%上げ諮問 財政主導に批判集中

 消費者米・麦価(政府売り渡し価格)の値上げを審議する米価審議会が17日午前10時半から東京・九段の農林水産省分庁舎で始まった。…(中略)…

【麦の標準売り渡し価格(諮問価格)】
外国産小麦(米国産ウエスタン・ホワイトNo.2)…………………6879円
     (カナダ産ウエスタン・レッド・スプリングNo.1)…7832円
外国産大麦(オーストラリア産ツーロウNo.2)……………………4868円

 今や讃岐うどん用小麦粉と言えばその大半がオーストラリア産ですが、昭和54年の年末時点で、お国が決める「小麦の政府売り渡し価格」の「外国産小麦」の項に、「オーストラリア産」が入っていません。オーストラリア産小麦は当時まだ、国の麦価審議にかからないくらい輸入量が少なかったのでしょうか。ちなみに、戦後の日本はアメリカに統治されていたため、輸入小麦もアメリカ産とカナダ産が中心でした。小麦粉のことを昔から「メリケン粉」と呼びますが、雑学好きの方はご存じの通り、昔は小麦粉と言えばアメリカ産というイメージだったため、「アメリケン小麦粉(昔の人は英語の発音がよかった・笑)」…「アメリケン粉」…「メリケン粉」…ばんざーい! というわけで(笑)。

「味ぽん」の広告の中に妙な「冷やしうどん」の解説が(笑)

 続いて、広告の中に書かれていた讃岐うどんに関する記述を2本。まず、「味ぽん」の広告の中に書かれていた「讃岐うどん」と「冷やしうどん」に関する文章です。讃岐うどんの起源について「弘法大師持ち帰り説」を書いていますが、その後の「冷やしうどん」の記述がどうも、香川の冷やしうどんとは別物のようで(笑)。

S54年広告・味ぽん

(8月3日「味ぽん」広告内)

「冷やしうどん」

 讃岐うどんは、いつ頃生まれたのか。弘法大師が唐から持ち帰ったという小麦粉の団子がルーツといわれ、その歴史は長いようです。さて、いわゆる「手打ち」の作り方、これは、今も昔も同じです。良質の小麦粉を塩と水で練って、ビニールやムシロをかぶせ、足でよく伸ばすあの方法です。手打ちのコツが足踏みにある、というのが面白いですね。もっとも最近では、機械製のうどんでも、手打ちに負けないぐらい、ネバリとコシが出るとか。

 鍋にたっぷりの水を沸騰させて、手打ちうどんを入れ、2、3分茹でてから箸で軽くほぐします。箸でまぜると、うどんが切れるのでご注意。火加減を調節しながら、時々さし水をして、更に、10~12分ぐらい茹でてください。茹で上がったら、冷水でよく洗って麺をひきしめます。器に氷を置き、麺をのせます。つゆには、細ネギ、若布、味ぽん数滴。うどんは、嚙まずに、ノドで食べましょう。

 香川の「冷やしうどん」は改めて言うまでもなく、「水で締めたうどんを冷水と一緒に器に入れてつけダシで食べる」というスタイルのメニューですが、ここでは「水で締めた麺を氷の上に載せる」と書かれていますから、讃岐うどんの冷やしうどんではなく、「味ぽんが提案する新しいスタイルの冷やしうどん」ということにしておいてあげましょう(「だったらそう書けよ」という話ですが・笑)。

「うどんの日」の協賛広告に讃岐うどんの紹介記事がガッツリと

 7月2日の「うどんの日」に全ページ協賛広告が掲載され(前年は県と県観光協会が広告で出していましたが、この年は四国新聞がの協賛広告のスタイルです)、そこに讃岐うどんに関する記事がたくさん載っていましたので、文章部分を小分けにして再掲しながら見ていきましょう。

S54年広告・うどんの日協賛

「半夏のはげだんご」は「団子」じゃなくて「うどん」のこと?!

 まずは、タイトル下のリード文から見てみましょう。

 この日は半夏生(はんげしょう)。麦刈りから田植えと長かった農繁期も終り、半夏休みとなる。農作業の一つの区切りの日でもある。半夏生を他県では「畑作の祝い日」としたり、「田の神まつり」として行事をするところもある。讃岐では、古くからこの日に“うどん”や“だんご”を食べる習慣がある。いつごろからこの日をうどんの日と呼ばれたかは、はっきりしない。おそらく半夏生とうどんのならわしが、現代生活の中に持込まれたのだろう。昔の習慣がいまに生きているものの一つといえよう。

 短い文章ですが、ちょっと内容の怪しい話が2つ。まず、「古くからこの日に“うどん”や“だんご”を食べる習慣がある」とありますが、昭和44年に発行された山田竹系さんの『随筆うどんそば』の中に、次のような文章があります。

半夏(はんげ)には、いまでも、よく米の粉の団子をこしらえて食べる農家がある。しかし、ここにいう半夏生のはげだんごというのは、団子と思ったら大間違いである。さぬきや阿波の、いろいろな町村誌に、はげ団子を、団子だと記しているのが多いが、これは勉強不足もはなはだしい。半夏生のはげ団子とは、うどんのことである。うどんを下手に打って、下手にゆでると、まるで団子のようにかたまってしまう。しかし、半夏生には、どの家もこの家も、たくさんのうどんを打つから、中には団子のようなのもできる。それを冷やかしたのが、“半夏生のはげだんご”である。(山田竹系著『随筆うどんそば』より)

 郷土随筆家の御大・山田先生が「“はげだんご”を団子だと記しているのは勉強不足もはなはだだしい」とご立腹です(笑)。とすると、新聞広告にある「半夏生の日に“だんご”を食べる習慣がある」という文章も「勉強不足もはなはだしい」組に入ってしまいますが、どうなんでしょう。

「うどんの日」を制定したのは「本場さぬきうどん協同組合」じゃない?!

 次に、「いつごろからこの日をうどんの日と呼ばれたかは、はっきりしない」とありますが、「うどんの日」は今、公式情報としてネット内等の各所で「昭和55年に香川県製麺組合(現本場さぬきうどん協同組合)が制定した」と書かれています。しかし、昭和53年にすでに県と県観光協会が新聞紙上で「うどんの日」を高らかに宣言していますし(「昭和53年」参照)、この昭和54年の第2回「うどんの日」全ページ広告でも「うどんの日」は大々的に紹介されていますので、「昭和55年に香川県製麺組合が制定した」というのも時系列がちょっと辻褄が合わない…というわけで、いろんな事情が絡んでいるのかも知れないので深入りはしませんが、とりあえず“情報リテラシー”のお勉強材料としておきましょう(笑)。

「香川のうどん店4500店」が登場(笑)、うどんの起源の「奈良時代渡来説」も再登場だ

 続いて、上段の本文はこういう内容です。

うどん王国

 さぬきうどんーーこれほど深く生活の中にとけこんだ名産はない。「一日に一ぺんは食べんと、ノドが承知してくれん」といわれるほど、讃岐人はうどんが好き。いくら特産といわれても、うまくなくては食べてくれないが、讃岐の手打ちうどんは、とにかくうまい。ノドを通るときの感触はなんともこたえられない。中でも、アツアツの薄口のダシがたっぷり入った“かけうどん”が最高にうまい。ネギとショウガをふりかけ、嚙まずにすすり込むのが上手な食べ方。いいカッコしてダシを残す必要はない。

 ところで、うどん好きの香川県人の年間一人当たりの消費量は三百八十玉で全国平均の百八十九玉の二倍以上(食糧庁調べ)というから驚く。文句なしに郷土食品といえるし、うどんさまは、おらが国さの讃岐にどっかと胡座(あぐら)をかいている感じだ。“日々是饂飩”(にちにちこれうどん)といわれるが、香川県内にうどん屋さんが約四千五百店もあるのはすばらしい。

 さぬきうどんーー歴史は古く、遠く奈良時代、中国から渡来したものといわれ、最初はアンコ入りの唐菓子だった。その後、江戸中期からいまのような細長いうどんになった、というのが通説である。讃岐に残されている古い資料では金刀比羅宮に保存されている江戸期の絵図に手打ちうどんの風景が見られ、琴平町内の古老の話では、「江戸期の旅籠では、土間に大釜をすえ、一日二十五俵ものうどんを作って接待した」というエピソードも残っている。

 七月二日ーー県内の農家では、“はんげのハゲうどん”といって田休みしてうどんを食べる。新嫁はうどんを持って里方へ遊びに行く。讃岐の坊さんは、うどん好きでないと勤まらぬといわれるほど、仏事や命日はうどんばかり。一日に七、八軒は読経に回るが、どこのうちへ行ってもうどんだ。祭りのあとの“どうやぶり”もうどんに決っている。子どもたちは、食っては遊び、お腹が空いたら、また食べに行くという風習である。秋が終り、年越しには除夜の鐘をうどんを食べながら聞き、新しい正月もうどんで始まる。

 こう書き並べてみると、香川県人のうどん好きは、ふるさとに残された風習が今日のうどん王国を築き、讃岐名物のチャンピオンになったともいえよう。讃岐のうどんは自画自賛だけではない。昨年、公正取引委員会からは「さぬきうどん」と表示するよう指導をうけ、県の統一観光宣伝でも“うどんポスター”で全国へPRしたり、いまや手打ちうどんは麺業者だけのものではなく、九十八万県民みんなのものになっている。

 「香川県内にうどん屋さんが約四千五百店もある」という、過去最大クラスの店舗数記述が出てきました(笑)。ところが、本稿冒頭で紹介した通り、7月2日付けのこの文章のわずか半年後の12月14日に、県の経済統計で「県下うどん店の数が約600軒」という数字が出てきちゃったんですけど、どうしましょう(笑)。

 また、讃岐うどんの起源については、もはや敗北が決定したと思われた「奈良時代渡来説」が再登場しました。しかも、「弘法大師持ち帰り説」が決定的に優勢となった中、その弘法大師説に全く触れずに「奈良時代渡来説」だけを書いているところに、何かこの文章を書いた方の強い意志が感じられるのですが(笑)。

明治~大正にかけて「うどんの屋台」が大盛況だったらしい

 そして広告文章のメインは、高松市内町の「手打ちうどん・だるま」の大将の登場です。

七十年、うどん打ちつづける高松の高橋繁一さん

(82才 高松市内町 手打ちうどん・だるま)

 ひと口に七十年というけど、ワシくらい、つらい目をした男はおらん。浅野村(香川町浅野)の生まれやが、ママ母にいじめられ、親類の世話で高松のうどん屋に弟子入りした。七つのときのことや。朝は四時に起こされ、三貫目くらいのうどん粉を背負ってゴザに巻いたうどんを踏まされた。からだが小まいから、足のきりぶしで踏まんと、うどんが伸びん。それから朝めし食べて天秤棒かついでうどんの配達じゃ。雪の朝、ハダシで回ってみい、どれほどつらいか。

 そうそう、あのころは青のれんのうどん店が半分、夜泣きうどんの屋台が半分、そのくらい屋台が盛んやったなあ。二五才で独立、女房と二人で一日に三十貫くらい打ったのも、ええ思い出になってしもた。一貫目のうどん粉で四十五玉くらいできる。弟子が来てからは一日六十貫打ったもんや。それにしても、近ごろ、ホンモノのうどんが少のうなってしもた。うどんは塩かげんが大事。塩の分量は、冬は夏の四分の一でええ。うどん業者は、もっと腕をみがいて、みなはんに日本一のうどんを食べてもらわないかんがな。

 昭和54年に82歳ということは、高橋さんは明治30年生まれ。その方が若い頃(子供の頃?)、「青のれんのうどん店が半分、夜泣きうどんの屋台が半分、そのくらい屋台が盛んやった」ということは、明治から大正にかけて、香川では屋台のうどん屋が相当たくさんあったようです。独立してから「1貫目で45玉できるうどんを1日60貫打った」ということは、1日に2700玉! ゴールデンウィークの超人気店並の生産力になりますが(笑)。

当時の製麺組合の動き

 そして、香川県製麺組合連合会の大川会長さんがご挨拶を寄せていました。
 

香川県製麺組合連合会会長 大川 優さん

 なめらかな舌ざわり、端切れのよさ、つるりとすすると、くすぐるようなノド越しのよさ--これが”さぬきうどん”のだいご味です。名産さぬきうどんは全国に知られ、伝統に裏づけされた品質のよさは厳正な公正取引委員会でも認められ、さぬきで製造された”さぬきうどん”以外は名産、本場などの名前は使用できないことになりました。それだけに、わたしたち讃岐の製麺業者は、その責任の重大さをひしひしと感じ、いっそうの自覚と、原点にたちかえって日本一のうどんづくりに努力しよう、と誓っているところでございます。

 ことしの五月には、香川県と香川県製麺組合連合会の共催で第一回さぬきうどん品評会を開き、栗林公園では、手打ちうどん無料接待会など、大方の喝采をいただきました。この催しは、これから毎年行う予定でございますが、これを機会にふるさとの手打ちうどんをもう一度見直していただき、格別のご愛顧とご声援をいただきますようお願いしてごあいさつとします。

 製麺組合の具体的な活動として、「名産、本場などの用語の囲い込み」「讃岐うどん品評会の開催」「栗林公園の手打ちうどん無料接待会」の3つが上げられています。もちろん他にも多くの活動内容があったと思いますが、新聞紙上の挨拶文にこの3つを取り上げたということは、これが当時の組合の目玉的活動だったと思われます。

うどん関連広告は引き続き順調に

 昭和53年のうどん関連広告は、社名だけの小さな協賛の“名刺広告”も含めて92本。2年ぶりに90本台になりました。内訳は以下の通り。ここ4年ほど広告本数が少なかった「かな泉」が6本に増え、「さぬきうどん」との両巨頭が復活です。また、この年は協賛広告で製粉会社の名前が6社お目見えしていました。

<県内うどん店>

(9本)…「さぬきうどん」(高松市栗林公園前本店他)
(6本)…「かな泉」(高松市大工町本店他)
(5本)…「いずみや」(高松市常磐町・ダイエー地下味の街)
     「久保製麺」(高松市番町)
(4本)…「さぬき麺業」(高松市・坂出市)
(3本)…「川福」(高松市ライオン通)
(2本)…「さぬき一番」(高松市兵庫町)
     「丸川製麺」(高松市中新町)
     「わら家」(高松市屋島中町)
     「番丁」(高松市県庁裏)
(1本)…「羽島」(高松市片原町)
     「更科」(高松市ライオン通)
     「どんとん亭」(高松市瓦町)…8月8日オープン
     「源芳」(高松市番町)
     「松下製麺所」(高松市中野町)
     「すゑひろ」(高松市中野町)
     「うずしお」(高松市瀬戸内町)…4月2日オープン
     「うどんの一平」(高松市福岡町)…11月12日オープン
     「古里うどん」(高松市春日町)
     「なかむら」(高松市太田上町)
     「田中松月堂」(高松市御厩町)
     「ヒコーキうどん」(高松市林町)…3月14日オープン
     「花車」(高松市元山町)
     「桃太郎館」(高松市鬼無町)…4月27日オープン
     「なみき」(高松市香西東町)
     「井筒屋」(引田町)
     「家康」(坂出市室町)
     「やしろ」(坂出市・丸亀市)
     「うどん亭」(丸亀市ダイエー丸亀店内)…11月30日オープン
     「七宝亭」(観音寺市吉岡町)
     「かんおんじ」(観音寺市)
     「つるわ」(津田町)
     「矢坪うどん」(香南町)
     「木村」(飯山町)
     「うどん亭讃岐」(豊浜町)

<県外うどん店>

(2本)…「ニュー高松」(東京都有楽町)
(1本)…「松野たらいうどん」(徳島県土成町)
     「御所温泉」(徳島県土成町)
     「玉藻」(東京都新橋)
     「さぬきめん坊」(京都市中京区)

<県内製麺会社>

(2本)…「民サ麵業」(高松市勅使町)
     「トミタ」(香南町)
(1本)…「日糧」(詫間町)
     「藤井製麺」(三木町)

<県内製粉会社>

(4本)…「日清製粉」(東京本社・坂出工場)
(1本)…「木下製粉」(坂出市高屋町)
     「日讃製粉」(多度津町)
     「豊国製粉所」(観音寺市粟井町)
     「安田製粉」(内海町)
     「吉原食糧」(坂出市青葉町)

<その他うどん業界>

(2本)…「さぬき麺機」(高瀬町)
(1本)…「福井工作所(麺機製造)」(坂出市府中町)
     「鎌田醤油」(坂出市)

「うどん店」のオープン広告は6本

 「うどん店」のオープン広告は、まず単独店が4本。

●3月14日オープン…「ヒコーキうどん」(高松市林町)

S54年広告・ヒコーキうどん

 なかなか唐突なネーミングですが(笑)、高松市林町は平成元年まで高松空港があった場所で、広告内の地図からすると「ヒコーキうどん」は旧空港のすぐ近くのようなので、そういう名前になったのかもしれません。

●4月27日オープン…「桃太郎館」(高松市鬼無町) 

S54年広告・桃太郎館

●8月8日オープン…「どんとん亭」(高松市瓦町)

S54年広告・どんとん亭

 うどん巧「どんどん」がオープンした活魚料理の店。うどん専門店ではなさそうですが、うどん店が展開する店ですから「うどん定食」もしっかり推しています。

●11月12日オープン…「うどんの一平」(高松市福岡町) 

S54年広告・うどんの一平

 続いて、大きな施設のオープンに合わせてテナント店でオープンしたうどん店が2つ見つかりました。

●4月2日オープン…「うずしお」(高松市瀬戸内町)

S54年広告・うずしお

「関連商品売り場」左列上から7番目。

●11月30日オープン…「うどん亭」(丸亀市ダイエー丸亀店内) 

S54年広告・うどん亭

最下段のテナント店枠の右から2番目。

「うどんすき」があちこちに広まっています

 続いて、うどん店の単独広告からいくつか目についたものを拾ってみましょう。まず、讃岐うどんの一番豪華なメニューとして語り継がれる「うどんすき」が、料亭や旅館の広告内にメニューとして載っていました。

●料亭「二蝶」の「うどんすき」

S54年広告・二蝶うどんすき

 高松の名門料亭「二蝶」の広告の中に、鍋料理として「魚ちり」「すき焼」と並んで「うどんすき」が出ていました。「魚ちり」と「すき焼」は7000円の「竹コース」と10000円の「松コース」がありますが、「うどんすき」は「竹コース」だけです。

●観光旅館「喜代美山荘」の「うどんすき」

S54年広告・喜代美山荘うどんすき

 観光旅館「喜代美山荘」(現在の「喜代美山荘花樹海」)にも、5000円と6000円の「うどんすき」コースがありました。ただし、もっと高い7000円と10000円のコースには「うどんすき」はありません。「二蝶」も10000円の松コースには「うどんすき」がありませんでしたが、「うどん」となるとそれ以上豪華にできなかったのかもしれません(笑)。

●「かな泉」の「うどん寿喜」の出張サービス!

S54年広告・かな泉うどん寿喜1

S54年広告・かな泉うどん寿喜2

S54年広告・かな泉うどん寿喜3

 「かな泉」が「うどん寿喜の出張サービス」を大々的に打ち出していました。新聞紙上に「うどんすき」が初めて出てきたのは、昭和44年の「川福」の広告の中にあった「うどんすき鍋」(「昭和44年」参照)ですが、その後、「かな泉」が「うどん寿喜」という表記でうまくプロモーションしたこともあって、うどんすきといえば「かな泉のうどん寿喜」というイメージがすっかり定着したようです。

「川福」は「うどんちり鍋」、さぬき麺業は「そうめん流し」

●「川福」の「うどんちり鍋」

S54年広告・川福うどんちり鍋

 一方、「うどんすき」の新聞広告第1号である「川福」の広告は、この年、「うどんすき」ではなく「うどんちり鍋」を打ち出していました。

●「さぬき麺業」の「そうめん流し」

S54年広告・さぬき麵業

 こちら「さぬき麺業」は坂出府中店で、まさかの「そうめん流し」です(笑)。

(昭和55年に続く)

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