さぬきうどんのメニュー、風習、出来事の謎を追う さぬきうどんの謎を追え

vol.57 新聞で見る讃岐うどん

新聞で見る平成の讃岐うどん<平成11年(1999)>

(取材・文: 記事発掘:萬谷純哉)

  • [nazo]
  • vol: 57
  • 2022.10.24

「讃岐うどん巡りブーム」が全国のマスコミで報道され始め、全国からうどん巡り客が殺到し始める!

 平成11年(1999)は、全国ネットの雑誌やテレビによる「讃岐うどん巡り」情報が一気に増え、いよいよ全国から讃岐うどん巡り客が大量に押し寄せ始めました。そして、そのブームを全国ネットの「新聞」が報道し始めます。雑誌やテレビは「現在情報」をそのまま発信する媒体、新聞は「現在起こっていること」を分析報道する媒体という特性がありますから、新聞が報道を始めたということは、「讃岐うどん巡りブーム」がこの頃すでに社会現象的に膨れ上がっていたことを如実に表しています。

 ではまず、確認できた全国ネット媒体の「讃岐うどん情報発信」の状況を列挙しておきましょう。

【全国ネット雑誌】
●5月…旅行情報誌『シティマニュアル』が、「恐るべきさぬきうどん、やや完全制覇」と題して、カラー2ページで讃岐うどん巡りを紹介する。
(掲載店)おか泉、讃岐家、こんぴらうどん、わら家、さか枝、竹清、うどん市場めんくい、いきいきうどん

●5月…『AERA』が「讃岐うどんを極める/聖地伝説に彩られるディープな麺の世界」と題してカラー4ページ特集を掲載。
(出演)麺通団 (掲載店)中村、山内

●7月…フランスのタブロイド紙『クーリエ・アンテルナショナル』が「麺の聖地巡礼」と題して、讃岐うどん巡りブームをカラー2ページで特集する。
(出演)麺通団

●7月…ライフスタイル雑誌『サライ』が、全国の麺特集で「谷川米穀店」を紹介する。

●10月…エンタメ料理雑誌『dancyu』が、「うどん大勝負」と題した特集で讃岐うどんをカラー4ページで紹介する。
(案内人)麺通団団長 (掲載店)谷川米穀店、宮武、山内、中村、がもう、おがわうどん、赤坂、根ッ子、中野うどん学校

●10月…医療雑誌『LISA』が、「うどんから見えてくる異次元世界」と題して麺通団と『恐るべきさぬきうどん』を2ページにわたって紹介する。

 まず、5月に発行された『シティマニュアル』は、関西圏で人気の情報誌『エルマガジン』の旅行情報誌版。ここが特集を組むということは、「讃岐うどん巡り」がすでに京阪神で人気を集めていたことの証です。続いて朝日新聞出版の『AERA』が「讃岐うどん巡り」の特集を組み、「讃岐うどん巡りブーム」は社会派の雑誌でも取り上げられ始めました。

 そしてついに、「讃岐うどん巡りブーム」は海外に進出(笑)。『クーリエ・アンテルナショナル』は世界中のメディアから注目すべきニュースを転載するという媒体ですが、そこで『AERA』に掲載された「讃岐うどん巡りブーム」の記事がピックアップされ、フランスで紹介されました。続いて、『サライ』や『dancyu』といったハイレベルな編集のライフスタイル雑誌、料理雑誌も「讃岐うどん」を特集。さらに、全く異なるジャンルの医学雑誌にまで「讃岐うどんブーム」の背景が取り上げられるなど、ブームを伝える雑誌業界は、かつてない勢いであちこちに広がり始めました。

【全国ネットテレビ】
●TBSのモーニングワイド『おはようクジラ』に麺通団が出演。

●NHK-BS『おーい日本』が、10:00~20:00の10時間特集で穴場讃岐うどん店を紹介。
(出演)西山浩二、渡辺美奈代、永井美奈代、麺通団他

 テレビでは、NHK-BSの『おーい日本』という特番が「讃岐うどん」をテーマに、東京のスタジオと香川県内各地のうどん店を中心としたロケ場所を結んで朝から晩まで10時間の生番組を放送。筆者もタレントの出演者たちと一緒にロケバスで各所を巡り、讃岐うどん情報満載の番組が丸1日全国に流れることに。さらに朝のモーニングワイドでも麺通団が紹介されるなど、「讃岐うどん巡りブーム」は、もはや揺るぎない「全国区」の現象となってきました。

【ローカルテレビ】
●3月…山陽放送『VOICE21』が「回顧・展望 讃岐うどん大全集」というタイトルで5回目の讃岐うどん番組を放送。
(紹介店)松岡、中村、山越、宮武、ヨコクラ、渡辺、谷川米穀店、三島製麺所、たかの、谷本、大西他。

●5月…山陽放送『VOICE21』が「讃岐うどん王奮戦記」と題して、国営讃岐まんのう公園で行われた「第2回讃岐うどん王選手権」のドキュメントとうどん店紹介を放送。同番組は99年度民放連盟賞「娯楽部門」で中四国最優秀賞を受賞。
(紹介店)彦江、がもう、山下(坂出)、山下(善通寺)、田村、山越、長田、灸まんうどん、久保、さか枝、前場、大釜他

●11月…山陽放送『VOICE21』が「讃岐うどん王、ふたたび」というタイトルで、初代うどん王と讃岐うどん店の紹介番組を放送。
(紹介店)長楽、須崎食料品店、西川、はなや食堂、松岡、宮武、久保、道久製麺所他

 ローカルのテレビでは、山陽放送の『VOICE21』が3回にわたって「讃岐うどん」の特番を放送し、番組はとうとう民放連の賞を獲ってしまいました。ただしここまで、ローカルのテレビで山陽放送以外に「讃岐うどん巡り」の特集を組んだところはありません。興味がなかったのか、知らなかったのか、あるいは『VOICE21』と「麺通団」のタッグが強力すぎてうかつに手を出せなかったのか(笑)、事情はわかりませんが。

『朝日新聞』が「讃岐うどん王選手権」の2代目優勝者を紹介

 ではここから、この年の全国ネットの新聞に載った「讃岐うどん」の記事を拾っていきましょう。まずは、朝日新聞が「讃岐うどん王選手権」の第2代チャンピオン福田君を紹介していました。

(6月13日)朝日新聞

コラム「おめでとう」…第2代讃岐うどん王に輝いた福田寿也さん

 …(前略)…5月、満濃町の国営讃岐まんのう公園で約200人の参加者を集めて「第2回讃岐うどん王選手権」が開かれた。「うどん王」とは、県内に約1000店近くあると推定されるうどん屋の麺やつゆ、薬味の味わいの違い、営業形態、店主の人柄まで知り尽くした、うどん通最高位の称号だ。刻んだネギを見ただけでどの店の薬味かを答えさせるようなカルトな難問に攻められる選手権に、兵庫県在住の友人と参加した福田さんは、愛媛大学の生協職員。年間1500玉を平らげると豪語する香川県人の昨年覇者の連続優勝を阻み、第2代うどん王の座についてしまった。

 讃岐うどんに開眼したのは7年前のことだという。高松のタウン情報誌で連載されていた隠れた名店の探訪ルポを一読して、生来の麺好きの舌がうずいた。以来、月に一度は休日を丸1日つぶし、少なくとも10店は香川県内のうどん屋を巡り歩きながら、味覚を記憶に焼き付けている。ゆで上がったばかりの讃岐うどんの麺には、かみ切ろうとする歯を包み込みながら、それにあらがおうとする、いわく言い難いコシがある。福田さんに言わせれば、「麺がそれ自身の勢いで力ずくで立ち向かってくる」と言う。

 ここ数年、福田さんと志を同じくする麺通たちが、人知れず驚くべき麺を打つ名店の発見に血道を上げている。県内全店制覇まで目論まれているらしい。うどん通の王位を守るのも、死に物狂いの覚悟を試されるデスマッチなのだ。

 「讃岐うどん王選手権」は筆者の会社が主催して始めたマニアックなうどんイベントですが(「平成10年」参照)、何と、その優勝者を天下の朝日新聞が「おめでとう」という連載コラムで紹介するという、これは事件(笑)。麺通団の「怪しいうどん屋巡りプロモーション」の活動は、そのスピンオフのイベントの、さらにスピンオフの「優勝者」まで紹介され(よっぽど記事のネタがなかったのか・笑)、その遊び方はどんどん拡大しています。

『スポーツ報知』が「讃岐うどん巡りブーム」を体験レポート

 続いて、スポーツ新聞の『スポーツ報知』が「讃岐うどん巡りブーム」を大きく取り上げました。

(8月20日)スポーツ報知

香川・讃岐うどん大ブーム うどん屋巡りに探検のおもしろさ

 今、讃岐うどんが全国的に大ブームとなっている。これまでは香川県観光のついでにうどんを食べることが多かったが、うどんを食べるために香川を訪れる客が激増した。讃岐うどん人気の秘密を知るため、地元でも評判のうどん店に潜入してみた。

 目指す「やまうちうどん」は香川県仲多度郡仲南町の山奥にあった。店を見つけた瞬間は古代の遺跡を見つけたような気持ちになった。店は午前9時の開店からお客でいっぱいだった。駐車場には県外ナンバーの車がズラリと並び、マイクロバスまで止まっている。…(中略)…今では北は北海道から南は沖縄まで、1日約500人の客が来る。…(中略)…

 香川県で「麺通団」を結成し、『恐るべきさぬきうどん』などの本を発行してブームの火付け役となったホットカプセル社長・田尾和俊さんの話。「うどん屋巡りをレジャーとして捉え始めたことで人気が出たのでは。これまで、讃岐うどんとして認識されていたのはレストランタイプの小綺麗な店だった。でも、ブームは地元密着のうどん店、つまり、讃岐うどんの源流探しが人気になっている。ドライブとして見ても、田舎ですから山とか川とかは豊富だし、探検のおもしろさ、発見する喜びもある。もちろん、うまくて値段もめちゃくちゃ安いわけですけど。一言で言えばポケモンとかを集めるのと同じ感覚でうどん屋を巡っている。やっぱり全部集めたいじゃないですか」

 スポーツ紙のレジャー欄の5分の1ページほどを使った、かなりのボリュームの特集記事。山中の山小屋のような製麺所型うどん店の「山内」に県外ナンバーの車からマイクロバスまで来ていて、全国から1日500人もの客が来ているという情報が入っていますが、ブームはここから2010年頃にかけて、まだまだ膨れ上がっていくことになります。

『読売新聞』が麺通団団長と「讃岐うどんブーム」を紹介

 続いて、私事で恐縮ですが(笑)、読売新聞が麺通団団長の紹介とともに「ブームの起こり」を簡単に紹介してくれました。

(10月17日)読売新聞

特集「夢人もよう」/“怪しい店”探検「プロの客」…讃岐うどんの名ルポを書き続ける田尾和俊さん

 香川県坂出市郊外の田園地帯。緑の中にポツンと一つ、古びた納屋のような建物が見える。竹で編んだ庇(ひさし)の陰に「うどん」の看板。店が狭いので、客は丼を外に持ち出し、田んぼを見ながらうどんをすすっている。「ここが県下有数の讃岐うどんの名店だと言うと、誰もが「何をアホな」という顔をする。でも、ここのうどんはめちゃくちゃうまい。私が車で30分かけて昼飯に来るぐらいやから」と、高松市の出版社社長、田尾和俊さん(43)が言う。

 「かけの大」にチクワの天ぷらを乗せ、締めて180円。満足げな田尾さんに、客から声がかかる。「うどんの本、読んでるで」「新しいの出たんか?」。製麺所の隅に椅子を並べただけの店、自分で麺を湯がく「セルフの店」……。観光客の行かない、庶民の暮らしに密着した「讃岐うどんの原点のような店」を訪ね歩いて10年、田尾さんがまとめたルポ『恐るべきさぬきうどん』は、うどん好きの県民の必読書なのだ。…(中略)…

 田尾さんは、仲間を巻き込んで「ゲリラうどん通ごっこ軍団(略称・麺通団)」を結成した。93年、雑誌連載をまとめた『恐るべきさぬきうどん』第1巻が出版されるや、県内ベストセラーの1位に躍り出た。翌94年には第2巻発売、96年に第3巻が出る頃には、本を片手に「うどんツアー」をする集団が現れ、製麺所のおばちゃんを驚かせた。「今年の5月の連休は、県外ナンバーの車ばっかり。1万円かけて瀬戸大橋渡って、うちの200円のうどんを食べに来る人がいっぱいおる。恐るべき客やね」…(以下略)

 そしてその翌週には、同じ読売新聞でブームの状況が報道されました。

(10月25日)読売新聞

三橋時代迎え、製麺所うどん店に県外客が急増 1日10軒回る団体も

 瀬戸内三橋時代を迎え、うどん発祥の地とされる県中部の讃岐うどん店巡りを日帰りで行う関西や中国、九州地方からの旅行客が増えている。地元の人たちが1玉(1杯)100円前後で出来立てを食べる「製麺所うどん店」が目当て。1日に10軒前後を回るグループなどもおり、旅行業界も新しい観光資源として注目している。

 県内に約700店と言われるうどん店のうち、製造販売もしている「製麺所うどん店」は約100店。坂出市と綾南、綾上町を流れる綾川沿いを中心に、田園地帯にポツンと立っている納屋風の店が多く、客寄せの目立った看板もない。しかし週末になると、店の前には1日中長蛇の列が絶えない。毎週土曜になると約900人の客が押し寄せるという綾南町内の店の経営者(58)によると、関西からの客が目立って増えたのは、明石海峡大橋が開通した昨年4月以降。本州四国連絡道・尾道~今治ルート(しまなみ海道)が開通した今年5月からは、中国、九州からの客も増えた。900人のうち半数がこうした県外客という。また、1日約400人が訪れるという坂出市内の経営者(52)も「大阪、神戸、京都ナンバーだけでなく、広島や福岡といったナンバーも最近は目立つ」と言う。県外客は400人の約9割を占める。…(中略)…

 東武トラベル高松支店は、うどん店巡りの楽しさをパンフレットに記載、全国の支店に置いている。12月には東京から飛行機を利用してうどんを食べ歩く個人向けのパックツアーを、3万円台で売り出す計画だ。

 店名は書かれていませんが、「毎週土曜日に約900人来て、半分が県外客という綾南町内の店」は、明らかに綾上町の「山越」(記事は町名を間違っています)、「1日約400人が訪れて9割が県外客」という坂出市の店は、明らかに「がもう」です。ちなみに、「山越」は筆者が初めて訪れた90年代初頭は食べに来るお客さんが1日10人くらいでしたから、この10年足らずで一気に100倍くらいに激増。そして、2000年代のピークにはゴールデンウィークに1日3000人以上を集める店に化けていくことになります。

 こうした「讃岐うどん巡りブーム」到来を受けて、旅行会社も「讃岐うどん巡りブーム」に便乗し始めました。ただし、狭い香川に密集するうどん店を巡るのは圧倒的に「車」が便利なため、残念ながら旅行商品としての「うどんツアー」はその後、大きく伸びることはなかったようです。

四国新聞が「讃岐うどん巡りブーム」を検証

 ではここから、地元『四国新聞』に載ったうどん関連記事です。まず、前出の全国紙の「讃岐うどん巡りブーム」紹介に先立って5月に、四国新聞の「シリーズ追跡」という特集記事で、ようやく「讃岐うどん巡りブーム」が取り上げられました。少し長いので、小分けにして見ていきましょう。

(5月17日)

シリーズ追跡/食・遊一体のおもしろさ うどんツーリズム

 腹が減ったときに食う。これが、一般的食生活の在りようだ。ところが、わがさぬきうどんの世界に今、奇妙な現象が現れている。打ち立ての時間に腹を合わせ、評判の店を巡る。巡るのだから1軒ではない。1日で10カ所も行脚するつわものもいるという。有名店は避け、本業は製麺、食べさせるのは副業といった構えの店が中心。味だけでなく、シチュエーション自体をおもしろがる「うどんツーリズム」とでも名づけたい現象なのだ。週末など県外客を含め、押すな押すな、1000人もが詰めかける店もあるという。讃岐うどんの新たな可能性か、あだ花か。食べ歩きブームを追った。

 「あだ花か」という一言があるように、識者の間では、まだこの時点では「讃岐うどん巡りブームは、一過性のブームかもしれない」という意見が少なからずありました。

半日5軒の麺巡り 県外客急増、列できる店も

 「さぬきうどんの食べ歩きがはやっているらしい。それも県外から車でやって来て、一日で何軒もまわるそうや」―。こんな話を聞いたのはゴールデンウイークの始まる前だった。数年前から穴場のうどん屋が人気を集めているのは知っていた。が、1日に何軒もはしごするなんて本当なのか。連休の1日、半信半疑で「うどん店巡り」の車に乗り込んだ。

 取材班は「数年前から穴場のうどん屋が人気を集めているのは知っていた」そうですが、「1日に何軒もハシゴしているのは知らなかった」とのこと。それが本当ならメディアとしては「うどん巡り」がブームになっていることに気付くのが少々遅い気もしますが(記事に勢いを付けるためにあえて書いたのかもしれませんが)、ようやく初めての現地取材となりました。

●朝から行列

 飯山町の「中村」。テレビや雑誌で繰り返し紹介され、名前だけは追跡班も知っている。が、聞きしに勝るすごい建物。これがうどん屋か。午前9時すぎ、すでに駐車場にたくさんの車が並んでいた。県外ナンバーばかり。神戸、宮崎、富山、島根、なにわ…。うわさは本当だった。

 綾上町の「山越」。今、県内で最も人気を集めるうどん店の一つ。辺ぴな場所なのに、土曜日や祝日には朝早くから行列ができる。記念撮影をする客もいる。「ここ1年くらいは特にすごい。土曜日なんか、3割から半分くらいが県外のお客さん」。店主の山越芳信さん(57)も、県外客の急増ぶりに戸惑っている様子だ。「うどんの食べ歩き? ああ、すぐわかりますよ」と山越さん。大抵、カップルかグループで来て、男でも1玉(小)しか注文しない。店を紹介した雑誌やガイドブック片手の場合も多く、前夜から駐車場で午前9時の開店を待っている客もいるという。

 「昨秋にテレビで紹介されてから食べ歩きの客が増えたねえ」。綾南町の「田村」でも、経営者の田村定美さん(64)は「わざわざ青森から車で来たり、タクシーでうどん店巡りをする客もいるよ」と少々あきれ顔だ。そうしているうちに、先ほど山越で一緒だったグループが入って来た。まるで、うどんの聖地をめぐる巡礼のようだ。

 「中村」「山越」「田村」はいずれも田舎の製麺所型うどん店で。ブーム以前は玉売りが主体の近所の人しか知らなかったような店ですが、いずれも「讃岐うどん巡りブーム」を牽引した“レジェンド店”の一角です。田村の大将のコメントに「テレビで紹介されてから増えた」とあるように、「讃岐うどん巡りブーム」は「ゲリラうどん通ごっこ」~『恐るべきさぬきうどん』をきっかけに、「全国ネット雑誌」が話題を全国区に押し上げ、「全国ネットテレビ」で一気に人が押し寄せ始めた、という経緯で広がっていきました。

●観光より生活

 食べ歩きの魅力はどこにあるのか。県外客に話を聞いた。「麺が全然違う。関西のと同じうどんとは思えない。それにびっくりするほど安い」。明石市から車で来た二人組は職場の同僚。うどんツアーは2回目で、この日の目標は6軒。「セルフ方式も他ではないし、観光地を見て回るようで楽しい」。夫婦で訪れた兵庫県龍野市の会社員(26)は「観光うどんより、生活うどんがおもしろいと聞いて来た。本当に店が納屋みたいでびっくり」。未知のできごとの連続に目を輝かせる。いずれも瀬戸大橋などを渡っての日帰り旅行。一杯100円程度のうどんを食べ歩くために、1万円以上の交通費を使ってやってきた。

 これらの店はいずれも製麺所で、客に食べさすのは「副業」の場合が多い。一般のうどん店よりメニューが少なく、セルフサービスの店がほとんど。うどん屋巡りにはもちろん一般店も含まれるが、人気を集めているのは、地域の人しか知らなかった製麺所タイプの店が多いという。この日、食べて歩いたのは計5軒で7玉。思っていた以上に食べられる。それぞれ麺やロケーションに違いがあり、うどん巡礼の楽しさを垣間見た気がした。

●午前中が鉄則

 ブームを盛り上げた一人で、「麺聖」と呼ばれる食べ歩きの達人がいる。県内のほぼ全店にあたる約800店(廃業店も含む)を食べ歩いた。この世界ではちょっとした有名人だ。この麺聖氏に、今人気の食べ歩きルートを紹介してもらった。…(中略)…「製麺所は午前中に」が鉄則。混雑を避けて「山越」を午後9時スタートすれば、昼ごろには7店をすべて回れる。一店1玉としても7玉。食べられない量ではないが、何回かに分けて回ってもいい。「詳しい地図を記さないのは、自分で見つける楽しさを味わってほしいため。そして自分なりの穴場の店を見つけてほしい」と麺聖氏。日曜はほとんどの店が休みのため、土曜日がお勧めという。それぞれの店に特徴があり、うどんを食べ慣れた県民も十分に楽しめること請け合いである。

 このあたりも今では当たり前の光景ですが、記事に“うどん通の神”と称される「麺聖」も駆り出されるなど、紹介される店も人も変わってきて、それまでと全く違った視点の「讃岐うどん店のおもしろさ」に注目が集まってブームになったことが改めてわかります。以下、ブームの発端からの経緯が紹介されていましたので、新聞に載った貴重な過去の情報(笑)として再掲しておきます。

ブームの背景…田尾和俊氏

 「いやあ、まさかこんな展開になるなんて。単行本にするときも、売れる、売れんで議論が分かれたくらいですから」。食べ歩きツアーの”聖書”とも言われる『恐るべきさぬきうどん』の著者で、今回のブームの火付け役、ホットカプセル社長の田尾和俊さんは、控えめな言葉の裏側に情報ゲリラの満足感をにじませた。それまで近所の人たちだけが食べていた製麺所付属のうどん店に光を当て、世に出したのは『月刊タウン情報かがわ』連載の田尾さんのリポートだった。鋭い文明批評を笑いのオブラートで包んだ連載のタイトルは「ゲリラうどん通ごっこ」。すべてはここから始まった。

●怪しい店

 「あれが忘れられんかったんですわ」。田尾さんの原体験は、高松市南郊の製麺所「中北」との出合い。それは、来店を拒むような民家と田んぼの中にあり、店構えは納屋風、製麺のついでにうどんを食べさせる店だった。このうどんが香ばしかった。注文すると揚げてくれるてんぷらがうまかった。「讃岐うどんの紹介の仕方は、偏っているのではないか」。その味は、メニューや器に付加価値を付け、高級レストラン化する店がもてはやされる状況を問い直すに十分だった。

 「ただただうまいうどんが食いたい」。うどん好きの友人たちを集め、それだけを満たす店探しを始めた。連載はその報告。平成元年のことだった。チームは次々と麺が輝く店を発見していく。米屋の表示しかない店、客に裏の畑のネギを抜かせる店、魔法の水を持つ店…。気にいるのは、なぜかシチュエーションの変わった店が多かった。田尾さんはそれを「怪しさ」と呼ぶ。怪しさとはこの場合、「忘れかけていた讃岐の暮らし」とほぼ同意義だ。しかも各店は、味、構え、おばちゃん、すべてが異なっていた。「ゲリラうどん通ごっこ」は、多様で豊かだったうどんの原風景への回帰だった。5年後、リポートは「恐るべきさぬきうどん」と改題され、単行本となる。

●はためく本

 人が動き始めたのは、出版後。「本に穴を開け、ミラーにつって紹介した店を巡るバイクが現れ、火がつくかなと思った」と田尾さん。間を置かずにテレビや雑誌が取り上げ、原風景巡りはブームの様相を呈し始める。1日20人ほどだった客が、週末には1000人を超える店が現れるのに時間はかからなかった。「恐るべき―」は3巻まで発行され、第1巻は2万5000部。山陽放送放映のうどん6回シリーズは最高視聴率30%。インターネットのうどんホームページも30を突破、アクセス数十万件超という人気ページも出現した。

 「恐るべき―」が切り開いたのは、生々しい個別具体の情報世界だった。「ここがこんなにうまく、こんな状況が面白い」。「ゲリラ」や「ごっこ」といった自嘲をタイトルにかぶせることで、従来のマスコミが避け続けた聖域に楽々と踏み込んだのだ。世間がこうした情報を待ち望んでいたことは、1玉80円のうどんを食べるのに1万円の大橋通行料を惜しまない県外客がいることが証明しているし、情報の確かさはリビーターの数が物語っている。

●1日で手軽に

 それでも半日で7軒とか1日10軒とかいった「巡礼」が目立ち始めたのは、最近のことだという。「ドライブとレジャーと味覚を組み合わせたワン・デイ・トリップ。元は取りたいという県外客が始めたんじゃないでしょうか」というのが田尾さんの分析だ。作家村上春樹は、田尾さんのいう「怪しさ」を「ディープ」と表現した。奥深いという意味だろう。その奥深さを1日で手軽に味わえるのが、うどん巡礼というわけだ。

 「そこがちょっとね」という声もある。「こういう視点だけだと、長年の企業努力で讃岐うどんをグレードアップし、ブランドイメージを育ててきた店が辛いよね」とは、さぬきうどん研究会の真部正敏会長。どうやら「ゲリラ」が最初に突き当たった偏りを、今や「正規軍」が感じているよう。「うーん。讃岐うどんは本当にディープだ」。追跡班はうなるしかない。

 最後は、「讃岐うどん研究会」の真部会長のブームに対する批判的なコメントで締められていました。真部先生は「讃岐うどん巡りブーム」を最後まで一貫して「先人の努力をないがしろにする。歴史ある讃岐うどん文化を壊す」という論調で批判されていました。

「さぬきうどん」の名称はいつから?

 うどん巡りブームの中、一日一言子が「讃岐うどん」のネーミングにちょっと絡んでいました(笑)。

(5月7日)

コラム「一日一言」

 …(前略)…うどんは香川を代表する名産品として全国ブランドになった。この連休中もガイドブックで紹介された有名店には、食べ歩きツアーと思われる県外ナンバーの車がたくさん並んでいたそうだ。しかし、そもそもなぜ香川でうどんブームだったのかについては諸説あって定まらない。 決して香川の特産ではなかった「うどん」が、どんな経過でブランド化したのか。わずか30年間ほどの現象だから余計に面白い。

 万博にうどんを持ち込んだ故・金子正則元知事の功績を挙げる人もいれば、旧・宇高航路の連絡船うどんに注目する人、セルフ方式の発案にとどめを刺す人もいる。いずれにしろ、原料、製法を含め、香川でなければならない理由は見当たらない。それにもかかわらず、「さぬきうどん」が急速に全国ブランド化したのはなぜなのか? うどんの話で、食欲より好奇心を満たすのは困りものだが、解明できれば、新しいブランドを作りたい人の参考にはなりそうだ。

 結論が楽しみだが、名前も重要なポイントだろう。うどんは昔から全国どこにでもある。 そして昔はみんな手打ちだった。しかし誰かが、香川のおいしいうどんを「さぬきうどん」と命名して紹介した。その時、ブランド化への道は始まった。5月の連休をゴールデンウィークと命名したのは、全盛期のころの映画会社の宣伝マンだった。 もちろん映画館の大入りを期待してのことだが、思惑を超えて言葉は広がり、映画は忘れられた。実体も大切だが名前も大切。両方そろって初めて人は理解する。うどんブームは今が黄金期。

 「讃岐うどん」という名前は昭和31年の「旅田の栄養玉うどん」の紹介記事の中に出てきていますから(「昭和31年」参照)、誰かが命名したとすれば、それ以前のこと。その後、郷土の彫刻家・流政之先生が「『讃岐うどん』という名前を付けたのは私だ」とおっしゃったことがありますが(「昭和58年」参照)、時系列がちょっと不明ではあるものの、流先生のご発言には誰も逆らえませんから(笑)、この際「命名者は流政之先生」ということでどうでしょう…と言われてもどうしようもありませんが(笑)。

うどんイベントは例年通り

 新聞に載っていた恒例のうどん関連イベントは、

●2月13日…「第9回坂出天狗まつり」(会場で天狗うどん1000食を振る舞う)
●5月16日…「丸亀お城まつり/さぬきうどん早ぐい大ぐい競争日本一決定戦」
●8月13日…「高松まつり/さぬきうどん早ぐい・大ぐい選手権大会」
●11月21日…「第7回どじょ輪ピック」

の4本。筆者の会社主催の「第2回讃岐うどん王選手権」は山陽放送で特番も組まれ、前出の朝日新聞でも紹介されたのですが、四国新聞では無視されました(笑)。その他の関連イベントでは、

●「第21回さぬきうどん品評会」開催(農林水産大臣賞は善通寺市のカガワ食品)。
●国営讃岐まんのう公園で全長100メートルの「流しうどん」が行われる。
●「夜市まるがめ」のイベントで「スッポンうどん」が振る舞われる。
●「うどんの日」に高松三越前でうどんの無料接待が行われる。

といった記事がありました。あと、「うどんの日」の記事にはこんな紹介が出ていました。

(7月2日)

きょうは何の日?/【うどんの日】

 夏至から11日目にあたる半夏生の日。農繁期がひと段落するこの日に農家でうどんを打って食べる習わしにちなんで、1980年(昭和55年)、県生麺事業協同組合が制定した。…(以下略)

 以前にも何度か触れましたが、新聞紙上に「うどんの日」が出てきたのは昭和53年で(「昭和53年」参照)、この時は県と県観光協会が広告紙面に大きく「7月2日(半夏)は『うどんの日』」と書いていたのですが、いつの間にか「昭和55年に県生麺組合が制定した」というのが“事実”にされたようです(笑)。

「おか泉」の大将が中学校で講演

 この頃すでに宇多津町に移転して大人気を博していた名店「おか泉」の大将が、坂出中で講演されていました。

(7月7日)

うどん店経営の人生学ぶ 附属坂出中でセミナー 親子400人、熱心に聴講

 坂出市青葉町の香川大学教育学部附属坂出中学校は5日、同校体育館で親子セミナーを開き、約400人の親子が、この道一筋に歩んだ講師のバイタリティーあふれる生き方に共感の拍手を送り、こだわりや夢を持ち続ける人生哲学を学んだ。

 …(中略)…この日は、宇多津町のうどん店経営、岡田文明さん(41)を招いた。「この道一筋、私と讃岐うどん」と題して岡田さんは、兵庫県で生まれ、小学1年生の時に大阪の食べ物屋になることを決意したエピソードから話し始めた。高校卒業と同時に軽い気持ちで飛び込んだ高松でのうどん修業、その奥深さに触れ、独立開業に至るまでの人との出会いや貴重な体験談を紹介した。その上で岡田さんは、「味やサービスはもちろん、自らこだわりを持ち続ければ、やり甲斐が生まれ夢も生まれる。どうか夢を目標に置き換えて欲しい」と締めくくり、感動を呼んだ。

 空前の全国的な「讃岐うどん巡りブーム」を受けて、当時某店の社長が「以前は銀座のクラブでホステスさんに“お仕事は何をされているんですか?”と聞かれても絶対に答えんかったけど、今は胸を張って“香川でうどんの会社をやっとる”と言えるようになった」と笑っていましたが、ブームは「うどん店(会社)経営者」や「うどん職人」の地位を上げるという効果も確実にあったようです。

うどん商品の不当表示検査が行われる

 続いて、うどん商品の不当表示検査の記事。

(3月18日)

不当表示に厳しい目 県生麺類試買検査会(高松)

 県は17日、高松市番町二丁目の高松商工会議所会館で、消費者や業者の代表が生麺類の表示の適正さを検査する「生麺類試買検査会」を実施。スーパーや土産物屋の生麺類18点を検査し、半数近くが機械を使用しているにもかかわらず「手打ち」と表示している実態を確認した。県は今後、詳細な実態調査を行った上で、不当表示のあった業者に改善指導などの措置を講じる方針。…(中略)…

 同日は、公取委四国支所職員や製麺組合員ら10人の検査員が、添加物や賞味期限・内容量など必要事項の表記の有無、「手打ち」「高級」などの表示の正当性など12項目について、厳しくチェック。その結果、最も不当表示が多かったのは、機械を使用しているにもかかわらず「手打ち」と表示している商品で、全体の半数近くに及んだ。「手打ち」の表示は本来製造の全工程を手作業で行った商品だけに認められているが、裁断機を用いた商品への不当表示が目立ったという。この他、産地や原材料について、客観的根拠なく「本場」や「極上」などと明記しているケースも数点確認された。県は今後、検査員の判定を参考に実態調査を行い、不当表示のある商品については業者に改善を促していく。

 チェックされたのは「スーパーや土産物屋の生麺類18点」とありますから、うどん店ではなく、店頭販売の「うどん商品」。おそらくブームに乗っていろんな商品が出回り始めたのだと思われます。

「さぬきうどん研究会」が入門書の改訂版を発刊

 「さぬきうどん研究会」が、平成4年に出した「讃岐うどん入門」を7年ぶりに改訂して発行しました。

(6月8日)

これであなたも”うどん通” 入門書第2弾を刊行 歴史から作り方まで網羅(さぬきうどん研究会)

 「さぬきうどん研究会」(真部正敏会長)は、讃岐うどんの歴史から作り方までをコンパクトにまとめた「新讃岐うどん入門」を作製した。同研究会は、讃岐のうどん文化を発展させようと高松市民らで結成、平成4年に第1弾の「讃岐うどん入門」を刊行した。今回初版から7年が経過したため内容を大幅に刷新し、うどんのメニューにカラー写真を採用。ページ数も28ページから40ページに増やすなど、中身をぐっと「大盛り」に。讃岐の行事とうどん、讃岐のうどん店の特徴からうどんの作り方まで、初心者にも簡単に理解できる。

 「さぬきうどん研究会」は、県や組合と組んだ“権威筋”として、讃岐うどんの「文化・歴史・技術」の継承を掲げて活動されていました。一方、「麺通団」は権威も何もないけど讃岐うどんを「レジャー&グルメ」のエンタテインメントとして遊び、「棲み分けて両輪で讃岐うどんを盛り上げて行こう」というスタンスでしたが、しかるべき消息筋の話によると、真部先生は“新参者”の「エンタメ組」の活動から起こった「讃岐うどん巡りブーム」を相当苦々しく思っていたみたいです。権威筋の方々には、何やら掻き回してしまって申し訳ありません(笑)。

観音寺のうどんは細めだった?!

 「一日一言」に、「観音寺のうどんは細かった」という話が出てきました。

(7月2日)

コラム「一日一言」

 …(前略)…細めのうどんを推奨したのは、文芸評論家の福田宏年さん(大野原町出身)。機会あるごとに、観音寺のやや細めのうどんについて、その素晴らしさを雑誌などに書いた。だから、東京などで「讚岐うどんは細めのもの」と思い込んでいる人は案外多いかもしれない。福田先生も、細くて軟らかめだが弾力あるノド越しの味わいを必要条件として挙げている。「ダシは燧灘のイリコ (煮干し)でなければならない」というのも福田先生のこだわりだった。うどんの好みも、人さまざま。…(以下略)

 かつて「西のうどんは太い、東のうどんは細い」という通説を聞いたことがありますが、確かに筆者の大好きな観音寺の「柳川」の麺はかなりの細麺。まあそのあたり、例外なのか店によって違うだけなのかもしれませんが、ご当地の一見ある年配の方のお話ですから、観音寺の麺は昔は押し並べて細かったのかもしれません。

うどんを使った交流や慰問、体験行事は30本以上

 この年に新聞に載ったうどん接待、交流、慰問、体験教室等の記事は、30本以上。そのほとんどが、恒例の交流や慰問行事の中に「うどん」の接待や体験教室が組み込まれたものでしたが、丸亀市国際交流協会が丸亀市内の外国人を対象に「讃岐うどん作り国際交流会」を開催するなど、「うどん行事」として開催されたものもいくつか見られました。「讃岐うどん巡りブーム」に湧き始めた香川ですが、県内各所で「うどん交流」が盛んに行われているところが、「うどん王国香川」のうどん文化の“分厚さ”です。

麺通団団長が高松市の文化奨励賞を受賞

 再度私事で恐縮ですが(笑)、麺通団団長が公の賞を頂くという事態になってしまいました。

(11月5日)

山下、田尾さんに記念盾 文化奨励賞の贈呈式(高松市)

 今年の高松市文化奨励賞の贈呈式が4日、同市屋島西町の高松テルサであり、増田市長が受賞者の漆芸家山下義人さん(48)=同市神在川窪町=と出版社社長田尾和俊さん(43)=同市西宝町=に記念の盾などを贈った。贈呈式には、過去の受賞者や同賞選考審議会のメンバーら関係者が出席。増田市長は「これからも高松からの情報発信や、地域の文化振興に寄与されることを期待します」と二人の業績をたたえ、今後の活躍を祈った。

 山下さんは「受賞を励みに、賞に恥じない仕事に精進したい」、田尾さんは「思いがけない賞に戸惑いもしたが、選んでくれた方々に感謝したい」とそれぞれ抱負や喜びを話した。贈呈式の後、受賞者と語る会があり、山下さんが「うるしのはなし」、田尾さんが「うどんのはなし」をテーマに、作品制作や取材にまつわるエピソードなどを紹介した。

 高松市文化奨励賞は文字通り「文化振興に貢献した人」に与えられる賞で、歴代、文化芸術の分野から受賞者が選ばれていたのですが、なぜか筆者は文化芸術分野ではなく、「讃岐うどんブームを起こした」ということで受賞のお話をいただきました。当時の高松市長は無類のうどん好きを自称する増田市長でしたが、まさか妙な力学が働いたのでは…ないと思いますので(笑)、おそらくよっぽど他に候補者がいなかったのでしょう。ちなみに、同時に受賞された山下さんとは後日、筆者と2人でうどんを食べに行ったりしましたが、山下さんは後に「人間国宝」になるというすごい方でした。それに比べて…(笑)。

うどん関連広告が減少、ついに100本を切る

 ここ数年“低空飛行”を続けていたうどん関連広告は、この年は85本。とうとう年間100本を切りました。「讃岐うどん巡りブーム」が到来して県下うどん業界は大にぎわいが始まっているのですが、ブームの主役はこれまで広告出稿にほとんど縁のなかった「田舎の製麺所型うどん店」で、それらの店群はほとんどがメディアの「パブリシティ(無料紹介記事)」で客が殺到しているため、なかなか広告出稿につながりません。

 一方、これまで広告の主役だった大手のうどん会社やうどん店は、客が「田舎の製麺所型うどん店」に流れ始めたことも影響してか、今ひとつブームに乗りきれない状況。さらに、バブル崩壊の影響で投資が逆に足枷になってきたりして、広告出稿が減ってきたのではないかと思われます。果たして「うどん関連広告」はここから巻き返すのか、あるいはこのまま減少を続けるのか…。

<県内うどん店>
【高松市】

「さぬき麺業」(高松市松並町他)… 12本
「かな泉」(高松市大工町他)…………6本

「川福」(高松市ライオン通)…………1本
「こんぴらうどん」(高松市古馬場町)1本
「うどん棒」(高松市亀井町)…………1本
「久保製麺」(高松市番町)……………1本
「丸川製麺」(高松市中新町)…………1本
「松下製麺」(高松市中野町)…………1本
「野口製麺」(高松市上福岡町)………1本
「秀」(高松市八坂町)…………………1本
「ふるかわうどん」(高松市木太町)…1本
「田中」(高松市林町)…………………1本
「はすい亭」(高松市松縄町他)………1本
「さすが家」(高松市伏石町)…………1本
「植田製麺所」(高松市仏生山町)……1本
「黒田屋」(高松市円座町)……………1本 11月15日高松西インター店オープン
「中北」(高松市勅使町)………………1本
「てら屋」(高松市檀紙町)……………1本
「田舎人」(高松市香西本町)…………1本 7月19日香西店オープン
「北山うどん」(高松市鬼無町)………1本
「ヨコクラうどん」(高松市鬼無町)…1本

【東讃】

「かわたうどん」(香南町)……………2本
「権平うどん」(白鳥町)………………1本
「吉本食品」(大内町)…………………1本
「麺喰」(志度町)………………………1本
「郷屋敷」(牟礼町)……………………1本
「寒川」(三木町)………………………1本
「宮西製麺所」(香南町)………………1本
「宝山亭」(香南町)……………………1本

【中讃】

「長田うどん」(満濃町)………………3本
「めりけんや」(宇多津町)……………2本
「一屋」(丸亀市三条町)………………2本
「小縣家」(満濃町)……………………2本
「柳生屋」(満濃町)……………………2本
「日の出製麺」(坂出市富士見町)……1本
「いきいきうどん」(坂出市京町)……1本
「山下うどん」(坂出市加茂町)………1本
「まごころ」(丸亀市蓬莱町)…………1本
「四國館」(善通寺市与北町)…………1本
「サヌキ食品」(綾歌町)………………1本

【西讃】

「渡辺」(高瀬町)………………………1本

【島嶼部】

「甚助」(土庄町)………………………1本

<県内製麺会社>

「石丸製麺」(香南町)…………………4本
「日糧」(詫間町)………………………3本
「藤井製麺」(三木町)…………………2本
「サンヨーフーズ」(坂出市西庄町)… 1本
「冨田屋」(高松市川部町)……………1本
「こんぴらや」(琴平町)………………1本

<県内製粉会社>

「木下製粉」(坂出市高屋町)…………1本

<その他うどん業界>

「加ト吉」(観音寺市観音寺町)………4本
「香川県生麺事業協同組合」……………3本

 ちなみに、これ以外に「讃岐うどん技術研修センター(さぬき麺機内)」の「これから独立されるあなたへ。手打ちうどんの作り方、繁盛店のキメ手を教えます」という内容の広告が年間47本(!)も出ていました。実はこの頃、県下うどん店は「讃岐うどん巡りブーム」を受けて「新店出店ブーム」が始まっていて、筆者の情報誌時代の調査では平成8年まで毎年10軒前後のオープン数だったのが、平成9年以降、倍増以上の年間20軒以上のオープンが確認されています。

<県下うどん店の年間新規オープン数>

(平成2年)…14軒
(平成3年)…5軒
(平成4年)…16軒
(平成5年)…8軒
(平成6年)…8軒
(平成7年)…14軒
(平成8年)…16軒
(平成9年)…27軒
(平成10年)…23軒
(平成11年)…28軒
(平成12年)…29軒

 この流れを受けて、新規オープンを目指す人を狙って思い切った広告展開を開始したのではないかと思われますが、人の流れだけでなく、うどん店やうどん関連企業も含めて、時代は確実に次の局面に動き出しました。

(平成12年に続く)

  • TAGS: 
  • 関連URL: 

ページTOPへ