さぬきうどんのメニュー、風習、出来事の謎を追う さぬきうどんの謎を追え

vol.41 新聞で見る讃岐うどん

新聞で見る讃岐うどん<昭和58年(1983)>

(取材・文:  記事発掘:萬谷純哉)

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  • vol: 41
  • 2021.08.05

昭和50年代終盤は「うどん店の第一次成熟期」の様相

 昭和58年の讃岐うどん界は、新聞からは特に目立った動きは見られませんが、うどん店の広告出稿は引き続き好調です。県内で「うどんを食べる」場面は、昭和30年代あたりまでは製麺所の玉売りと食堂のうどんメニューが主体でしたが、昭和40年代中盤あたりから「うどん専門店」が続々登場し、さらに新聞広告を出せるうどん店が50店、60店と出てきたのが昭和50年代の終盤のこのあたり。讃岐うどん界はここにきて、「うどん店の第一次成熟期」を迎えたと言えるかもしれません。では、新聞に載ったうどん関連記事を拾っていきましょう。

「讃岐うどん」は流政之先生が命名した?!

 年明け早々の人物特集で彫刻家の流政之先生が紹介されていましたが、そこに「『讃岐うどん』という呼称を命名したのは流先生だ」という話が出てきました。

(1月3日)

特集「忙中閑談」
石に温かさを刻む おれは文化の用心棒(彫刻家:流政之氏)

(前略)…この香川の土地が好きで移住してきて、この土地で仕事をしている流政之氏の舌鋒(ぽう)は鋭い。「そうした人間は他にいないでしょう」。たとえば、讃岐うどんという名称を考えついたのが流氏であることなど、意外に知られていない。満濃町の長田うどんへ十河信善氏に案内されたとき、明確な名前がないことを聞いて「讃岐うどんというのがいいよ」と言った。「十河さんが即座に手を打って、それがいい、それでいきましょう、ということになったんだ。いまや全国に名を売った讃岐うどんだが、命名のおこりはこんなところなんだ」

 その讃岐うどんが、天ぷらをのせて「天ぷらうどん」として売られることには我慢がならないという。「すうどん」では高い値をつけられないから、天ぷらをのせて、という発想がいじましすぎるじゃないかとおっしゃるのである。「讃岐には白みそ仕立ての汁の中へあん入りもちを入れるという恐るべき発想の食べ物(雑煮)があるじゃありませんか。そうした先人の発想を大切にしなければ、香川はどんどん駄目になりますよ」

 「讃岐うどんという名称を考えついたのが流氏であることなど、意外に知られていない」と書かれていますから、これは「流政之先生が『讃岐うどん』と命名したのは事実である」という前提の記事ですが、その根拠は「流氏がそう言っていた」という“情緒的”なものなので、ちょっと“ファクト”から検証してみましょう。

 まず、四国新聞に初めて「讃岐うどん」という言葉が出てきたのは、昭和31年の「旅田の栄養玉うどん」の紹介記事の中です(「昭和31年」参照)。従って、流先生が「讃岐うどん」と命名したのであれば、昭和31年以前ということになりますが、流政之先生の経歴は「大正12年に長崎県で生まれ、戦後は日本全国を放浪して独学で彫刻を学び、昭和38年に渡米。その後、昭和41年に香川県の庵治にアトリエを作り始め、ベトナム戦争を機に日本に帰国する」とありました。すると、流先生は「日本全国を放浪して独学で彫刻を学んでいた途中で香川に立ち寄って『讃岐うどん』を命名して帰った」という話になるのですが、どうなんでしょう。

 ちなみに、筆者は2000年頃、流先生から「全国的な讃岐うどんブームを起こした田尾君という若者と話がしたい」といって御指名を受け、当時の牟礼印刷の社長の仲介で、3人で牟礼の郷屋敷で2時間ほど会食をしながらお話をさせていただいたことがあります。その時、私と流先生はうどんの話でずいぶん盛り上がったのですが、流先生から「私が『讃岐うどん』を命名した」という話は全く出ませんでした(出たら絶対何かで私が公にしています)。う~ん、どうなんでしょう(笑)。

東京に「讃岐うどん」の店が約300店? 昭和28年頃に新橋駅前に讃岐うどんの店?

 続いて、久しぶりに東京の讃岐うどん事情を書いた記事が載っていましたが…

(1月21日)

讃岐うどん、都内に300店 素朴な味で”市民権”

 香川といえば「手打ちうどん」。素朴なこの古里の味が”首都圏の味覚”の一つに数えられるようになり、「讃岐手打ちうどん」を名乗る店を最近、東京のあちこちで目にするようになった。讃岐の原材料と味をベースにした”正統派”から、単に名前だけの「のれん」便乗組まで、その数約300店ともいう。

 東京で”市民権”を得た讃岐うどんだが、まだまだ歴史は浅く、県出身者が新橋駅前に「手打ちうどん」ののれんを掲げてから、まだ30年。この頃から県が音頭をとって観光物産展などの際に実演販売コーナーを設けるなど地道にPR。その甲斐あってか、手打ちうどんの味は34、35年頃から急速に普及していった。一昨年3月には紀尾井町のホテルで県と県観光協会、県性麺組合連合会が観光誘致PRを兼ねた「さぬきうどん祭り」を開催、約200人の出席者にしょうゆ豆やタイの浜焼きなどの郷土料理と本場手打ちうどんを振るまい、好評を得た。53年にも、文京区本郷の「讃岐金刀比羅宮東京分社」で初の献麺式が行われ、式のあと参拝者にうどんが無料接待された。また55年には県観光協会が江東区の亀戸天満宮で1000食分を無料接待、手打ちうどんのPRにひと役買った。

 現在、讃岐うどんの看板を掲げる店は都内で約300店、といっても首をかしげたくなるような”のれん便乗組”も数多い。そんな中で原材料はもちろん経営者、調理人とも生粋の讃岐産というのが大手町の農協ビル地階にある老舗。故宮脇前農協中央会長のキモ入りで40年にオープンした。しかし、当初は「薄味になじまない人が多く、味つけに工夫をこらした」など当時は苦労も多かったが、今では大半が常連さん。名前で売れる讃岐うどん。しかし讃岐とは無縁の看板が林立し始めた昨今、県東京物産観光あっせん所の平井義行次長らは「讃岐うどんの味を守り、相互の連絡を取り合うためにも組合のようなものが出来れば…」と話している。

 まず、「その数約300店ともいう」という、一見“ファクト”のように見えるけど根拠が示されてない数字が出てきましたが、それがすぐ後ろで「現在、讃岐うどんの看板を掲げる店は都内で約300店」と、事実であるかのような書き方に変わっています。こういうふうにやられると、いずれなし崩しに「香川にうどん店が3000軒あると言われる」みたいな話になっていく恐れがあるので(笑)、とりあえずこの場は数字を信用せずに、「そうなんだー」ぐらいで軽く流しておきましょう(笑)。

 次に、「県出身者が新橋駅前に『手打ちうどん』ののれんを掲げてからまだ30年」とありますが、残念ながらこの記事には「何年に誰が何という店を出したのか」が何も書かれていません。また、これまでの新聞記事にも「昭和28年頃に新橋に讃岐うどんの店が出た」という話は全く出てきてないし…今のところ、記録に残る東京の讃岐うどんの第1号は昭和32年に早稲田大学のすぐ横で喜田さんが開業した「玉藻」なので(「開業ヒストリー」「昭和34年」参照)、もしこの記事の内容が本当なら「第一号」が更新されることになるのですが、これもどうなんでしょう(笑)。

香川大学の真部先生が「讃岐うどんの消費と好みについて」のアンケート結果を発表

 「讃岐うどん研究会」の会長としてご活躍された香川大学の真部先生が、県民約4000人から「讃岐うどん」についてのアンケートを採っておられました。

(11月27日)

讃岐人、うどんこよなくお好き 全県的アンケート調査で裏付け
業者へ注文、体温まり口あたりよい、「もっとこし強く」 品質向上へ研究会発足も

 「毎日1回はうどん」の声も珍しくないほど、うどん好きの多い香川だが、この愛着ぶりを裏付ける初の全県的なアンケート調査結果が26日、香大農学部の真部正敏教授(53)から発表された。真部教授はこの調査結果をもとに、讃岐うどんの品質向上のため製品の分析調査や、うどん研究会を発足させたい考え。

 農産物利用学が専門で、うどん品評会の審査員も担当している真部教授は今年7月、「讃岐うどんの消費と好みについて」をテーマに、県下全域で5000人アンケートを実施した。回収は3960人(回収率79.2%)。この結果を性別、年代別、地域別などに分けてコンピューターで分析。消費者の好みと製造者への注文などをまとめた。

 消費傾向をみると、讃岐うどんのおひざ元だけに、うどんを食べる回数が「ほぼ毎日」は男性の19.5%、女性の6.3%を占め、「週に数回」も合わせると過半数を占める。うどん好きの傾向は「好きな食べ物」についての調査結果にも表れており、これによると最も人気の高いのはやはりうどん(29.1%)、次いでごはん(19.8%)、すし(17.6%)、ラーメン(11.4%)、カレー(8.0%)の順。うどんを好む理由として「冬に体が温まる」(40.8%)「口あたりがよく満足感がある」(25.8%)「食欲の落ちる夏をカバーしてくれる」(15.5%)「消化がいい」(12.5%)など。人気の高いうどんだが製造業者への注文では「こしを強く」がトップ。次いで「県産小麦の使用を」が高い比率を占め、「自販機で簡単に買える工夫を」「自宅で手打ちうどんを作るために技術指導を」などの注文が目立っている。

 うどんの消費傾向に関する全県的な調査が行われたのは今回が初めてだが、真部教授は調査結果について「県民のうどんに対する関心は非常に高い。一方、品質面では甘みとコクのある県産小麦を使ったうどんやこしの強さを望む声が多く、業者も製造と流通過程で改善に取り組む必要があるのではないか」と話している。真部教授はうどんの品質改善のため県内各地からサンプルを集めて物性、化学性、官能試験に取りかかっており、製造業者も消費者も交えたうどん研究会も創設したい考え。「うどんを香川の一つの文化に位置づけ、品質の向上に努めればさらに普及率は高まるはず」と話している。

【うどんを食べる回数】
・ほぼ毎日………(男性)19.5% (女性) 6.3%
・週に数回………(男性)45.2% (女性)38.9%
・月に数回………(男性)32.2% (女性)46.7%
・年に数回………(男性) 2.1% (女性) 7.1%
・全く食べない…(男性) 0.1% (女性) 0.2%
・その他…………(男性) 0.9% (女性) 0.8%

【さぬきうどんへの要望】
・こしを強く………(男性)48.2% (女性)47.4%
・こしを弱く………(男性) 5.8% (女性) 7.7%
・包装容器改善……(男性) 2.6% (女性) 4.7%
・自動販売機設置…(男性) 3.7% (女性) 2.4%
・技術指導…………(男性) 6.5% (女性) 8.9%
・乾しうどん………(男性) 4.3% (女性) 7.3%
・県産小麦使用……(男性)24.7% (女性)19.2% 
・その他……………(男性) 4.2% (女性) 2.4%

 「うどんを食べる回数」は、誰もが「そうだろうな」と思うような結果ですが、こうやってデータで裏付けされたのはおそらく初めてです。一方、「讃岐うどんへの要望」は、比率を足すと100%になるので、おそらく複数回答ではなくて「1択」の回答。また、「こしを強く」から「県産小麦使用」までの7項目は最初から選択肢として並べられていたのではないかと思われますので、メニューやダシや具材、値段、店舗、サービス内容等のバラエティーな選択肢を並べて複数回答にするとまた違った意見が出てくると思いますが、いずれにしろ、「讃岐うどん界にいよいよ学術的アプローチが始まった」という感じです。真部先生はこの翌年(昭和59年)1月に「さぬきうどん研究会」を発足させ、“讃岐うどん文化”の発展に貢献していくことになります。

香川大学商業短期大学の八十川先生が「うどん屋の業態分化が非常に進んでいる」と分析

 続いて、香川大学商業短期大学の八十川先生が「うどん屋のスタイルの変化」に触れていました。

(6月27日)

「流通展望」飲食店の業態 続々と新タイプの店

 従来の飲食店は、うどん屋、すし屋、中華料理店、フランス料理店など提供している料理、すなわち商品の種類によって区別されていたので、伝統的な小売店の場合と同じく、業種による分類となっていたといえよう。ところが、ドライブイン・レストランをはしりとして、最近では業種概念では説明のつかない、新しいタイプの飲食店が次々と出現している。

 ドライブインは普通のレストランと異なり、客層をドライバーに絞った営業形態で、新しい市場ニーズに対応した業態として開発されたものである。ニューファミリー市場の成熟とともに、「中産階級核家族が家計に無理のない範囲で、家族連れの外食を月に2、3回楽しめる」というファミリー・レストランが現れ、メニュー、価格ゾーン、店の内外装などを、このユニセプトでまとめた業態として確立された。さら最近では、味覚やムードに対する消費者の要求水準が高くなってきたし、子供抜きの夫婦やミセスの友達連れの外食も多いので、価格ゾーンをやや高く設定し、メニュー、内装、サービスの質を充実したディナー・レストランという業態が現れている。

 うどん文化の水準が高い香川県では、ニーズの多様化に対応して、うどん屋の業態分化が非常に進んでいる。うどん屋敷、うどんレストラン、うどんカフェテリア(セルフ・サービス)、うどんスタンド、うどんショップなどである。(香川大学商業短期大学部助教授・八十川睦夫)

 「飲食店が“専門店”から“複合店”に展開している」という話から「うどん屋の業態分化が非常に進んでいる」という話に展開していますが、「うどん屋敷、うどんレストラン、うどんカフェテリア、うどんスタンド、うどんショップ」という業態の羅列はちょっと曖昧。「うどん屋敷」はつい前年にオープンした「郷屋敷」を指しているのだと思いますが、「うどんレストラン」はドライブイン型をはじめとして昭和40年代から広告にちょこちょこ出てきますし、そもそもうどん専門店が出始める以前は食堂型うどん店が主流でした。また、「うどんカフェテリア(?)」は「アズマヤ」をはじめ昭和30年代から結構あったし、「うどんスタンド」が立ち食いうどん店のことなら、駅の立ち食いうどんは昭和27年からあったし(「昭和27年」参照)、「うどんショップ」なるものはどういう店なのかもよくわかりません。しかしこの数年、「うどん割烹」や「うどんとお好み焼き」「うどんと炉端焼き」等の複合店が出てきていることからすると(「昭和57年参照」)、やはりうどん店ビジネスが成熟してきて店舗スタイルが多様化してきたことは間違いないでしょう。

県発酵食品試験場の研究員が「低塩分健康うどん」を開発

 「牛乳うどん」や「大麦入りうどん」に続く健康志向のうどんとして、塩を加えないうどんが開発されました。

(10月11日)

塩抜きうどん開発 味、歯ごたえ変わらず(県発酵食品試験場)

 昼食はもちろん、三時のおやつもうどんが常食という“うどん王国”讃岐だが、「うどんに含まれる塩分が高血圧症の原因になる」というのが悩みのタネ。そこで、県発酵食品試験場の主任研究員が、うどん業界でも初めてという塩抜きのうどん製法を開発した。近くうどんメーカーが製品化し、病院や学校給食を手はじめに「低塩分健康うどん」(小麦粉自体が含んでいる塩分だけ)として売り出される。

 開発に成功したのは同試験場高松分場の中山重徳主任研究員。健康食品ブームが高まるなかで「うどんの塩をいかに少なくするか」はうどん業界が抱える長年の宿題。しかし、うどんの味の決め手となるシコシコした麺の歯ごたえ、腰の強さを練り上げるには塩が欠かせない。麺の腰は小麦粉に含まれるタンパク質が、網目状に絡み合うグルテン化によって作られるが、グルテン化を起こすために食塩が必要という。一人前のうどんには、大人1日の塩分限度量(10グラム)の約5分の1が含まれ、高血圧症の人には要注意食品だ。

 中山主任は約2年間の研究で、食塩の代役を有機酸という酢の一種にやらせる方法を見つけた。有機酸のうどんは塩分を含まず味、麺の腰、生産コストも塩を使用したうどんとほとんど変わらない出来だという。試食の結果では「ちょっぴり塩分の足りないのが気になるが、手打ちうどんの味」と讃岐っ子にも好評。中山主任研究員は「うどんなど古い伝統を持つ食品の改革は消費者に抵抗があり、これまでなかなか受け入れてもらえなかったが、今後は健康第一で食品を選んでほしい」と低塩分うどんをアピールしている。

 「牛乳うどん」や「ハトムギうどん」、「大麦入りうどん」(「昭和56年」参照)に続いて、健康志向の高まりはついに、うまいうどん作り(麺作り)に欠かせない「塩」を抜く、というところにまで進んできました。でも、どれも今日定着していないということは、やっぱりみんな「ちゃんと塩の入ったうまいうどんが食べたい」ということですか(笑)。ちなみに、「うどんに含まれる塩分は麺よりダシに多い」というのが定説ですが、さすがに「塩分なしのうどんダシ」は誰も作ろうとしないようです。

幼稚園や小中学校で「うどん給食」と「うどん作り体験」

 続いて、子供とうどんのふれあい記事が4本。

(1月26日)

打ち込みうどん、しょうゆ豆 ふるさと給食に歓声(直島)

 全国の小、中学校で”ふるさと給食”が登場しているが、直島町でも25日、讃岐名物の「打ち込みうどん」と「しょうゆ豆」がお目見えした。全国学校栄養士協議会が、昨年の”統一カレーライス”に続いて「郷土料理の日」を提唱、直島町学校給食センターの栄養士、木原範子さん(23)が知恵を絞ってこれに応えたもので、この日の献立はバターロール、チーズ、ミカンにニンジン、ダイコン、揚げなどを入れた打ち込みうどんとしょうゆ豆。木原さんは「直島特有のものをと考えたのですが、適当なものがなくて、讃岐ではポピュラーなものになってしまって」と謙そんしていたが、直島小、中学校あわせてざっと750食分もあるだけに特別メニューの準備も大変。昨年11月に一度打ち込みうどんだけは”予行演習”してこの日に備え、午後0時15分の給食開始時間にはすべて準備OK。学童らは日ごろと違うメニューに大喜び、ふるさとの味をじっくりかみしめていた。

 全国学校栄養士協議会が、「統一カレーライス」や「郷土料理の日」を提唱していたそうです。で、「郷土料理の日」に直島町は適当な郷土料理がなかったので讃岐名物の「打ち込みうどん」と「しょうゆ豆」を出したという話。ちなみに、文中に「昨年の“統一カレーライス”に続いて…」とありますが、その全国学校栄養士協議会が「統一カレーライス」を打ち出した昭和57年1月22日が今、「カレーの日」とされている、という“プチうんちく”を一つ(笑)。

(2月2日)

楽器・竹馬・手打ちうどん、親子で作り楽しむ(善通寺西部小)

 善通寺市立西部小学校(石田定雄校長、児童307人)で、このほど、親子共同創作学習が開かれ、全校児童が親子で学年ごとのテーマ作品を楽しく作り、親子のふれ合いを味わった。親子共同創作活動学習は、「1年生が親子カルタ大会、2年生が竹で作るカスタネット、3年生がビー玉遊び、4年生が竹馬づくりと遊び、5年生が竹トンボづくりと飛ばし方教室、6年生が手作りうどんとふるさとの味を楽しむ」など各学年ごとのテーマに分かれ、それぞれのテーマを楽しんだ。…(中略)…6年生51人は、小麦粉で顔を白くしながら粉をねったり、めん棒で伸ばしたり、おいしそうなうどんを作り上げていた。出来上がったうどんは親たちと一緒においしそうに食べ、ふるさとの味を十分に味わった。(以下略)

(2月17日)

練って、のばして…うまく出来たぞ!! 手打ちうどんに挑戦(善通寺中央小)

 善通寺市立中央小学校の6年生90人が15日、ふる里の味を学ぶ手打ちうどんづくり教室を開き、自分たちで作った手打ちうどんを給食の時間に食べ、ふる里の味を味わった。この手打ちうどんづくり教室では、50キロのうどん粉を使い、大きい容器で粉に水を入れ練り上げ、足で何回となく踏んだ後、麺棒でのばし、包丁で細く切り、大釜でゆでておいしそうな手打ちうどんを作りあげていた。6年生たちは顔に白いうどん粉を付けながら、初めてのうどんづくりに真剣に取り組み「手打ちうどんの半分は家へ持ち帰り、おじいさんやお父さんに食べてもらいます」と大喜びだった。

(2月20日)

手打ちうどんの試食会(善通寺市立南部幼稚園)

 「園児に手づくりの味を」と善通寺南部幼稚園(堀家里美園長、園児118人)で、このほど、手打ちうどんの試食会が行われた。同園に集まったお母さんたちは、同市櫛梨町の宮本正雄さんの指導を受け、粉を練ってのうどん作りから始めた。この語、大釜へダイコンやホウレンソウ、油揚げ、シイタケなどを入れ、昔ながらの打ち込みうどんが出来上がった。”フー、フー”と白い息を弾ませながら試食した園児たちは”ふるさとの味”をかみしめていた。

 いずれも善通寺で行われた子供とうどんのふれあいの記事。特に善通寺でこういうふれあいが多く行われていたのか、特に善通寺担当の記者がこういうのをたくさん拾ってきているだけなのか、たぶんどちらかです。

「うどんで慰問」の記事も相変わらず中西讃ばかり

 「うどんで慰問」の記事は3本。対象もこれまでと同じ「老人ホーム」と交通安全のドライバーサービスですが、やはりいずれも中西讃です。

(2月22日)

手打ちうどんでホーム慰問(高瀬町生活改善クラブ)

 満濃町長尾の老人ホーム満濃荘に21日午前、高瀬町生活改善クラブ(入江朝子会長、会員20人)が訪れ、昼食に手打ちうどんの接待をしてお年寄りに喜んでもらった。入江会長らは、うどん粉30キロで手打ちうどん200玉を2時間がかりで作り上げ、イリコとカツオ、コンブでだしをとり、昔ながらの手打ちうどんにお年寄りたちは大喜び。昼食後は詩吟や踊り、カラオケなどの演芸を披露した。

(6月23日)

コシのある安全運転を ドライバーにうどん接待(琴平署前)

 “梅雨どきもスッキリ行こう讃岐路を”と、第3回さぬきうどんラリー(四国新聞社、県製麺組合連合会主催)PRキャンペーンを兼ねた「さぬきうどん交通安全該当キャンペーン」が、22日午前11時から琴平署前で行われ、国道32号を通るドライバーに手打ちうどんを接待した。このキャンペーンは、仲多度郡南部製麺組合(大西秀雄組合長、組合員28人)が琴平警察署の協力で実施したもので、組合員たちは、手打ちうどんを作る打ち台、麺棒、ゆで釜などの道具一式を持ち込み、ドライバーに実演を披露しながら、かま上げうどんを接待、「うどんのようにコシのある粘り強い安全運転をしてください」と呼びかけるのと併せ、安全運転うちわとチラシを配布した。ドライバーたちは、思わぬうどんプレゼントに大喜びで、昼過ぎまでに500玉が“売り切れ”ていた。

(9月25日)

安全うどん接待 ドライバー大喜び(観音寺)

 観音寺市出作町、将八うどん経営高橋正一さん(33)は24日、ドライバーに交通安全キャンペーンの手打ちうどんをサービスした。高橋さんは、観音寺交通安全協会の代議員をしており「4月に開店。まずまず順調にいってるのは、皆さんのおかげ。何かお役に立つことを」と、朝早くから600玉のうどんを用意し、接待した。店がちょうど国道11号沿いにあることから、観音寺署員が次々と車を駐車場に誘導し、高橋さんは家族や従業員を総動員してもてなした後「気をつけていってらっしゃい」とドライバーたちを気持ちよく送り出していた。運転者たちは、警察官の停車指示に戸惑いをみせていたが、思いがけない手打ちうどんのサービスに満足そう。中にはおかわりをする家族連れもあって、正午過ぎには“予定玉”を終了した。

 いかにうどんのサービスとはいえ、運転中にいきなり警察署員に車を誘導されたらビビりますね(笑)。うどんを食べに入ったドライバーみんなに「免許証を拝見」「持ち物を拝見」とかやったら何か出てきそうな気もしますが、「讃岐うどんにそんな無粋なことは似合わない」というのが大方の意見、いや、筆者の意見(笑)。

物産展で販売されていた「パックうどん」って何?

 物産展は仙台と新宿で開催された2本が記事になっていましたが、そのどちらにも「パックうどん」という商品が出ていました。

(2月11日)

仙台で物産展 ”青い国・四国”り魅力満載、手打ちうどんや展示即売に人気

 みちのく(東北)の販路拡大と観光PRを図るため、”青い国・四国”の魅力を満載した「四国の観光と物産展・特産品見本市」(いずれも四国プロック物産斡旋協議会=幹事香川県=主催)がこのほど、仙台市のデパートで初めて開かれた。同展は四国4県の郷土物産と観光資源のPRを図るため、毎年関東以北で開いているもので、今年は東北新幹線の開通で東北地方の中心都市なった仙台市で開催した。会場入り口には、四国の四大夏祭りを象徴する阿波、高松踊りなどの等身大の人形を飾り、仙台七夕祭りとはひと味違ったムードを盛り上げた。

 香川からは特産の乾麺や生うどん、パックうどんのほか、オリーブ油、お茶などが展示即売。実演コーナーを併設した手打ちうどんの店や一閑張りが人気を呼んでいた。特に、どの売り場とも1000円から2000円程度の商品に注文が相次ぎ、同デパートの話では6日間の売上目標額(4県で2000万円)を突破するほどの盛況ぶりだった。また特産品見本市コーナーでは、うちわや桐下駄、漆器などが人気を集めていた他、会場内で入場者に抽選で12組にフェリーによる四国観光旅行が当たる観光アンケートを実施、仙台っ子らに青い国四国を大いに売り込んだ。

(2月18日)

新宿で観光と物産展 ”青い国四国”の魅力PR タイの浜焼きも特別出品

 首都圏に”青い国四国”の魅力をPRする「四国の観光と物産展」(四国ブロック物産斡旋協主催)がこのほど、東京・新宿のデパートで開かれた。同展も今回が4回目とあってすっかり都民に定着、家族連れなどでにぎわった。販路の拡大と観光客の誘致を図るために企画された同展には、四国4県から特産品が山積みされ、産地直送をPR、各コーナーの実演や試食販売が人気を呼んだ他、この催しを楽しみにしている常連の中には商品名を名指しで買う人も多く、6日間の期間中で目標額(4県で約5000万円)を達成した。

 県の特産品コーナーには、手打ちうどんや漆器、一閑張り、桐下駄などの他、今回特に催し期間中の宣伝ポスターにとり上げられたことから”仲間入り”したタイの浜焼きが好評だった。地酒コーナーに並んだ特別銘柄の酒も人気を呼び、限定200本を売り切った。例年好評を得ているオリーブ油は、自然食ブームなどに支えられ今回売上のトップ。この他、パックうどんや生うどんなどが相変わらず人気を集めていた。(以下略)

 「乾麺や生うどん、パックうどん」とありますから、パックうどんは乾麺でも生うどんでもない…とすると、残るは「パックのゆでうどん」か「パックの半生うどん」か「パックの冷凍うどん」のうちのどれかですが、半生うどんや冷凍うどんならそう書くだろうから、ゆで麺をパックに詰めたものでしょうか。ちなみに、「物産展のうどん」は、新聞記事によると昭和31年に新宿三越で開催された「香川の食料品展示即売会」で初めて「手打ちうどん実演販売」が」行われたようですが、それ以来ずっと、物産展で「讃岐うどんがどういう商品の形で売られていたのか」が具体的に一切書かれていないため、半生のお土産うどんが全盛になる前のうどん商品の姿は、残念ながら新聞からはよくわかりません。

番組で来県したタレントが「うどん打ち」体験

 西日本放送のラジオ番組案内に、こんなのが載っていました。
 

(12月5日)

ラジオ番組案内/チンペイ、うどんに挑戦(西日本放送ラジオ「青春キャンパス」)

 パーソナリティの谷村新司、ばんばひろふみが高松にやってきた。11月に行われたツアー・イン高松の模様を今週5日間放送。13日RNCホールで行われた公開録音から、チンペイ、バンバン、ゲストの三田寛子が手打ちうどんに挑戦。

 当時の読者には注釈もいらなかったのだと思いますが、「チンペイ」はアリスの谷村新司の愛称で、「バンバン」はばんばひろふみの愛称です。当時のラジオでは全国的に超人気だったコンビですが、香川に来たらうどん打たされちゃいます(笑)。

第3回さぬきうどんラリー開催

 第3回の「さぬきうどんラリー」は6月10日~7月20日の期間で行われ、広告枠は53店に増加(第1回は28枠、第2回は48枠)。観光客も1軒に行っただけでラリーに参加できる(1枚賞)ようになりました。

S58年広告・さぬきうどんラリー

S58年広告・さぬきうどんラリー

S58年広告・さぬきうどんラリー

●讃岐うどんマニアには懐かしい「世界最大の“小”」でおなじみの「かながしら」が初参加。

S58年広告・さぬきうどんラリー・かながしら

●本家「丸亀製麺」も登場! 会社が健在なのにあの「丸亀製麺」に名前を持って行かれたのは、何があったんでしょうね。

S58年広告・さぬきうどんラリー・丸亀製麺

 ちなみに、告知広告の中の文章は、

七月二日、讃岐では田植えが終わった半夏生には“はんげのハゲうどん”と称して野良仕事を休み、そろってうどんを食したという。それがいつの間にか「七月二日はさぬきうどんの日」になってしまった。(以下略)

という内容です。「さぬきうどんの日」は「○○が○月○日に制定」ではなく、「いつの間にか七月二日になってしまった」とあります。

第2回さぬきうどんまつり開催

 四国新聞社と香川県製麺組合連合会の共催で前年に始まった「さぬきうどんまつり」が7月2日、無事第2回目を迎えました。

S58年広告・さぬきうどんまつり

 プログラムは、

●第3回さぬきうどんラリー
●献麺式
●讃岐うどん無料接待
●母と子のうどん料理コンクール

となっていて、前年から「讃岐うどん品評会表彰」がなくなり、「母と子のうどん料理コンクール」が新しく加わりました。ちなみに、告知広告内の文章はこういう内容。

 弘法大師が中国から伝えたといううどん、いまでは香川県人にとっては県民食とまでいわれるようになり、7月2日(半夏生)を「さぬきうどんの日」に制定し、県民の間に浸透しつつあります。(以下略)

 うどんの起源については、もはや「弘法大師が中国から伝えたといううどん」という乱暴な扱いになってしまいました(笑)。また、「7月2日=さぬきうどんの日」は、6月19日の「さぬきうどんラリー」の広告内で「いつの間にかなってしまった」と書いていたのに、ここでは「7月2日(半夏生)を『さぬきうどんの日』に制定した」とあり、さらに「主語がないので誰が制定したのかがわからない」という、新聞なのに変な文になっています。いくら広告内の適当な文章とは言え、これはさすがにいけません(笑)。

オープン広告は1本だけ

 では最後にいつものように、昭和58年の新聞に載ったうどん関連広告の一覧です。広告を出したうどん店は59店。前年の61店から2店減ったものの、“高値安定”状態です。ただ、オープン広告は1店しかありませんでした。

<県内うどん店>
【高松市・中心部】

「かな泉」(高松市大工町他)……… 17本
「三福」(高松市兵庫町)………………1本 3/18オープン
「都由」(高松市ライオン通)…………1本
「更科」(高松市ライオン通)…………1本
「番丁」(高松市番町他)………………3本
「めん」(高松市番町)…………………2本
「久保製麺」(高松市番町)……………2本
「鶴丸」(高松巣古馬場町)……………1本
「一代」(高松市西の丸町)……………1本
「井筒製麺所」(高松市西の丸町)……1本
「福八」(高松市今新町)………………1本
「ゆたか」(高松市中新町)……………1本
「丸川製麺」(高松市中新町)…………2本
「さぬきうどん」(高松市栗林町他)…6本
「丸山製麺」(高松市宮脇町)…………1本
「松下製麺所」(高松市中野町)………2本
「すゑひろ」(高松市中野町)…………2本
「源氏うどん」(高松市上福岡町)……1本
「さぬき一番」(高松市福岡町他)……1本

【高松市郊外】

「善や」(高松市新田町)………………1本
「ふるさとうどん」(高松市春日町)…1本
「やしま」(高松市高松町)……………1本
「山進」(高松市香川町)………………1本
「花車」(高松市元山町)………………2本
「かながしら」(高松市元山町)………1本
「さぬき麺業」(高松市松並町他)……4本
「うどん矢」(高松市林町)……………2本
「馬渕うどん店」(高松市太田下町)…1本
「なかむら」(高松市太田上町)………1本
「大にし」(高松市多肥下町)…………2本
「元禄」(高松市紙町)…………………1本
「田中松月堂」(高松市檀紙町)………1本
「田井製麺」(高松市香西本町)………1本

【東讃】

「権平うどん」(白鳥町)………………1本
「讃州讃岐屋」(大内町)………………1本
「吉本食品」(大内町)…………………1本
「門家」(志度町)………………………2本
「源内」(志度町他)……………………1本
「八十八庵」(長尾町)…………………2本
「入谷製麺」(長尾町)…………………1本
「野田屋」(長尾町)……………………2本
「郷屋敷」(牟礼町)……………………2本
「つゞみ屋」(牟礼町)…………………1本
「味呂」(庵治町)………………………1本

【中讃】

「日の出製麺」(坂出市富士見町)……1本
「上原製麺所」(坂出市室町)…………1本
「まごころ」(丸亀市蓬莱町)…………3本
「にゅー浦島」(丸亀市川西町)………1本
「浦嶋うどん」(丸亀市城西町)………1本
「やじろべえ」(丸亀市土器町)………1本
「木村」(飯山町)………………………1本
「こんぴらうどん小河」(琴平町)……1本
「水車うどん」(仲南町)………………1本

【島嶼部】

「寒露うどん」(土庄町)………………1本
「うどん亭讃岐」(豊浜町)……………1本

<県外うどん店>

「玉藻」(東京都新橋)…………………1本
「つるつる家」(東京都新宿区他)……1本
「川福」(大阪市南区)…………………1本
「めん坊」(京都市中京区)……………1本

<県内製麺会社>

「藤井製麺」(三木町)…………………3本
「国方製麺所」(高松市多肥上町)……1本
「古川食品」(高松市川島東町)………1本
「丸亀製麺」(丸亀市城西町)…………1本
「柳屋」(坂出市白金町)………………1本
「さぬき坂出麵業」(坂出市谷町)……1本
「おおみね麵業」(土庄町)……………1本
「二葉製麺」(土庄町)…………………1本
「日糧」(詫間町)………………………5本
「石丸製麺」(香南町)…………………1本

<県内製粉会社>

「日讃製粉」(多度津町)………………1本
「豊国製粉所」(観音寺市粟井町)……1本
「吉原食糧」(坂出市青葉町)…………1本
「安田製粉」(内海町)…………………1本
「木下製粉」(坂出市高屋町)…………1本

<その他うどん業界>

「さぬき麺機」(高瀬町)………………2本

●「三福」(高松市兵庫町)…3月18日オープン

S58年広告・三福・オープン

讃岐うどんの全国チェーン「つるつる家」が広告に登場

 「讃岐うどんの全国チェーン」と名乗る店(会社)が、四国新聞に初めて広告で出てきました。

S58年広告・つるつる家

 「さぬき亭つるつる家」はこの時点で「関東地区に10店舗」を展開しているそうで、「東京・大阪・勤務可能な方」とあるので、これから大阪にも進出しようという勢いです。ただし、募集している「料理長」とか「調理経験者」というのが、実に讃岐うどんに馴染みません(笑)。

(昭和59年に続く)

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