香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

三豊市三野町・昭和17年生まれの女性の証言

外食のうどんは高瀬の大坊市で

(取材・文:

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  • vol: 189
  • 2017.04.03

子供の頃の楽しみは津島さんと大坊市

 私は昭和17年に三野町の大見という所に生まれました。今は三豊市になっています。女の子ばかり4人姉妹の2番目で、家の中はにぎやかな毎日でした。子供のころの楽しみは、夏の津島さん(津島神社)のお祭りと、秋の高瀬大坊市でした。津島さんは、子どもの神様として有名で、祭りの2日間だけ、沖の神社まで橋が架かって渡れます。JRも2日間だけ営業する臨時駅があります。

 大坊市は高瀬の方では「高瀬市」とも親しまれる本門寺の市です。食べ物の屋台が多かったことから「食い物市」とも呼ばれ、今でも続いています。最寄りのJRの駅も「高瀬大坊駅」でしたが、平成6年に「みの駅」に名前が変わりました。

かまぼことネギだけのかけうどんが格段にうまかった

 大坊市は11月の麦まきが終わったころに開かれていました。家族みんなで出かけていたことを覚えています。子どもたちが田んぼを手伝ったら、父が連れて行ってくれて、うどん、おでん、のしいかなどを食べさせてくれていました。かまぼことネギだけが入ったシンプルなかけうどんが、これまたうまかったことを覚えています。家で時々食べるうどんとは格段に味が違っていました。ダシがよかったのでしょうか。滅多にない外食の雰囲気からでしょうか。いまだにわかりません。

 うどん屋の他にも、いろいろな屋台が並び、サトウキビやバナナなど食べ物の他には、おもちゃが当たるくじ引き、トンガ、クワなど簡単な農機具や、九州辺りから来た業者が唐津物を扱うテントもありました。唐津物のテントでは、おじさんが威勢のいい掛け声を張り上げながら見事な口上でお皿やお湯のみ、お茶碗などの陶器類を売りさばいていました。おじさんが慣れた手つきで、売れたものを新聞紙にくるんで渡してくれていました。母も、ここで買うのを年中行事のようにして、お土産はいつも唐津物でした。上高瀬の町へ行けば陶器店もありましたが、当時は家の近くにそんな店はありませんでした。

 境内の一番奥は広場のようになっており、大坊市の時はいろいろな催し物が行われ、サーカスや芝居などもあったように記憶しています。広場の一角では、勝てば岩おこしなどの景品をくれる紙相撲がありました。しゃがれたおじさんの「残った、残った。押し出し、鏡里~」「上手投げは吉葉山の勝ち~」「両者がっぷり四つから、寄り倒しで千代の山~」などの名調子に男の子たちは熱狂していました。

家ではうどんより蕎麦

 私の家に限ったことかもしれませんが、家でうどんを打ったことはほとんどなかったように思います。むしろ、蕎麦の方が印象にあります。祖父が石臼でそば粉をひいて、手作りの蕎麦をよく食べさせてくれていました。

 家が農家だったため、贅沢はできませんが、米だけはいっぱいありました。普段は米と野菜の炊いたものを中心に食べていたので、大坊市や町でたまにうどんを食べる時は、大変なごちそうのように感じていました。

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