香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市御厩町・昭和18年生まれの男性の証言

香東川の土手にあった精米所で麺を買っていた

(取材・文:

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  • vol: 198
  • 2017.05.11

打ち込みうどんを作るときだけ、家で麺を作った

子どもの頃、どんなときにうどんを食べていましたか?
 学校へ弁当を持って行かない日の昼や、「おきゃく」のときです。おきゃくというのは、親戚など大勢の人が家に集まって食事をすることで、葬式や法事、春と秋に行われる御厩神社の祭りなどの折りに場を開きました。あと、寒い日の晩には打ち込みうどんを作って食べることも多かったです。
麺はご自宅で作っていましたか?
 打ち込みうどんをするときは家で作っていました。家には麺を打つ専用の台もありましたから。水で練った小麦粉を手で捏ねたり、足で踏んだりと、子どもだった自分が遊び半分で手伝うこともありましたね。

 麺を打つ台が家にまだなかった頃は、土間にござのようなものを敷き、その上に生地を置いて作業をしていました。また、足踏みの際には必ず、生地の上に白い布を重ねていたことも憶えています。

せいろに入った麺をミゼットで買いに行く

普段の日や、おきゃくのときのうどんは?
 家ではたいていカマボコやネギ、揚げなどが入った「かやくうどん」のようなものを食べていましたが、おきゃくのときには、バラ寿司や天ぷらといった豪華なメニューも加わりました。天ぷらはレンコンやサツマイモ、ちくわなどが並んだでしょうか。衣には青や赤、黄色の色粉が入り、それはそれは綺麗でした。

 うどんの玉は当時、自宅からほど近い香東川の土手にあった精米所で買っていました。納屋のような暗い雰囲気が印象的な、小麦の製粉もしていた店です。手打ちで麺を作っていましたが、途中からかなり大きな製麺機が店に鎮座するようになりました。製麺機の口から、「にょろ~ん」とうどんが出てきていた光景も記憶に残っています。

 その店へ、普段は金ボウルを持って買いに行き、またたくさんの麺が必要な時にはミゼット(業務貨物用の三輪自動車)で出掛け、せいろごともらって来ました。家で商売をしていたので、ミゼットがあったのです。昭和30年代のことでした。

女学生は喫茶店でうどんを食べた

その精米所でうどんを食べることは出来ましたか?
 店にテーブルや椅子はありませんでしたが、近くの農家の人たちはしょっちゅう、その場で食べていました。脚立に腰掛けたり、立ったままで。

 うどんは釜から上がったばかりの麺に、普通の醤油を掛けただけのものです。麺は水で締めてもらうこともできました。薬味は一切ありません。家で食べるうどんとは違って、麺がツヤツヤでしたよ。自分も食べてみたかったですが(笑)、子どもや女性は遠慮してしまう雰囲気でした。

 店でうどんを食べたのは高校生になってからのことです。学校から利用を禁止されていた喫茶店の「アズマヤ」で(笑)。甘辛いダシのかやくうどんと、シューの上にソフトクリームがのった「ローゼ」を一緒に食べるのが当時の女学生の人気でした。

その精米所はいつ頃までありましたか?
 昭和40年過ぎでしょうか。実はその精米所は、いま鬼無(高松市)にある「ヨコクラうどん」の親戚の方が切り盛りしていたんです。精米所がなくなった後に「ヨコクラうどん」がオープンしました。うどん作りのノウハウはしっかりと伝えられているようです。
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