香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

丸亀市柞原町・昭和33年生まれの男性の証言

昭和40年頃、丸亀にセルフのうどん屋が登場した(「山ともうどん」大将のお父さんのお話)

(取材・文:

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  • vol: 208
  • 2017.06.08

牛にうどんの茹で汁をかけたワラを食べさせてた

お生まれはどちらになりますか?
 丸亀市の柞原町(くばらちょう)です。丸亀城からちょっと南へ行ったところで、実家は農家でした。小麦も作ってましたし、ニワトリや牛も飼ってたんですよ。

 牛は肉牛で、子牛を買ってきて大きく育てて売っていました。その時に、牛のエサの刻んだワラに、うどんのゆで汁をかけてたんです。実家から歩いて1分の所にうどん屋さんがあって、そこから店で捨てるゆで汁をもらってきてね。その頃はゆで汁に塩が利いてるのを知らなかったもんですから、「えらい白い湯だな」くらいにしか思ってなかったけど、今思うと牛の腎臓に悪かったんやないかと(笑)。

まあ、デンプンも出てますから栄養はあったと思いますよ(笑)。

小学生の時に朝からうどんを4~5玉食べていた

で、そのうどん屋さんからもちろんうどんも買ってたんですよね。
 買ってました。朝、うちの親父が「うどん買ってこい」と言うと、ざるを持ってうどん屋に行って、たいてい30玉買ってきてました。
朝から30玉!
 家族が6人くらいいましたんで。私も小学校に行く前に4玉も5玉も食べて行ってました(笑)。醤油と味の素をかけて、それに白ご飯も付けて食べて行きよった。
醤油だけかけたうどんをおかずにしてご飯を食べてたんですか(笑)。
 ネギもなかったですね。私が本家でいる時には、ダシを作ってくれてかけうどんにして食べた記憶はない。ほとんど醤油ですね。そういうのがだいたい週に2回ぐらいありましたね。小学生の頃だから、昭和40年代の初め頃です。
うどん屋さんの名前はわかりますか?
 「西尾」さんです。そこはたぶん玉売りだけをやっていたと思います。西尾さんとこで客がうどんを食べてるのは見たことがないですから。それから息子さんが跡を継いで、国道沿いに「京極うどん」という店を出しました。お城から南に行った国道沿いで、今はローソンとセブンイレブンが向かい合わせにある角っこの斜め前に居酒屋の「うまか房丸亀店」がありますが、そこに京極うどんがありました。
打ち込みうどんやドジョウうどんはやってなかったんですか?
 私のところは、打ち込みうどんはやってないです。ドジョウうどんも私の親父がドジョウが嫌いだったんで、私も食べたことないんです。飯山とか土器川沿い辺りではドジョウうどんは出していましたけどね。まあ、打ち込みするんだったら歩いて1分のところに買いに行ったらいいやっていうのもあったんでしょうね(笑)。いやー、それにしてもおいしかったですねー、あのうどんは。
周りの農家さんも小麦は作ってましたか?
 作ってました。だいたい裸麦ですね。小麦は裸麦より少なかったです。収穫した麦はたいていそのまま売っていました。家で小麦を挽いてたのは見たことないですね。

法事の時には隣組にもうどんを5玉ずつ配っていた

法事でもうどんは出てましたか?
 出てました出てました。必ずうどん。うちは一向宗ですけど、おじゅっさんが来たらまずうどんを出して、それから人が来るたびにうどんを出して。昼はお膳で、うどんは出してませんでしたけどね。
法事の帰りにはうどんのお土産を?
 うどんと一緒に料理のお土産を渡してました。それと、今は呼び方が違うかもわかりませんが、自治会とは別に“隣組”(となりぐみ)っていうのがありまして、隣組にも法事があればお供えと一緒にうどんを配ってましたね。
ご近所さんに配るうどんですね。
 そうですね。私のところは17~18軒の隣組のご近所に、一軒あたり5玉くらい配っていました。

昭和40年頃、丸亀にセルフうどん店が登場

他に昔のうどんで何か思い出はありますか?
 私たちが小学校の時(昭和40年頃)に、丸亀の浅田病院の向かいに「四國うどん」というセルフうどんができたんです。あれは丸亀で最初のセルフだったんじゃなかったかな。連れと一緒に行って「これ自分でするんや」って言いながら、丸い筒の中で湯煎をして、ダシも自分で入れてました。

 あとは、丸亀市田村町にある「亀山うどん」の「きつねのおばけ」ですね。お揚げが丸ごと一枚乗ってくるんですけど、おあげがでかくてうどんが見えませんから、見た人がみんなびっくりするんです。これも仲間内で大ブームになりましたね。

 それから、もう閉めたけど「西森」もよう行った。西森さんは「なかむら」一門の本家やと思う。朝早くからやってて、うどん以外はゆでたまごと長天みたいなのしかなかったけど、うまかったですよ。

元は新聞屋、今は息子のうどん屋のアルバイト(笑)

息子さん(「山とも」の大将)は、いつ頃からうどん屋になろうと思い始めたんですか?
 「うどん屋をしたい」というのは中学校の時から言ってましたね。子供の頃からしょっちょう私と一緒にいろんなうどん屋へ食べに行ってたんですけど、うちの近所にある「蕎麦笑人(そばしょうにん)」っていう蕎麦屋さんが昔は「ぴっぴ庵」っていううどん屋さんだったり、周りにうどん屋さんが結構たくさんあって、そこの子供さんがうちの息子と年頃が近いので一緒に遊んだりしているうちに「うどん屋さんっていいな」と思ったんじゃないですかね。
しかし中学からっていうのは、かなり早いですね。
 「うどん屋は儲かる」と勘違いしたんじゃないですかね(笑)。昔は周りに釜ひとつだけで店舗構えてない「西森」系のうどん屋さんがようけありましたし、丸亀の駅の裏とか、ほんと町中にようけうどん屋さんあったからねえ。
で、息子さんが独立する時にお父さんが店の手伝いをするようになったんですか?
 いや、私はまだその時には新聞屋してたんで、「今日の味はどうかな? 麺はどうかな」って毎日、混んでない時間に行って「今日は固いよ」「今日は辛いよ」って文句だけ言うて帰ってました(笑)。それが、店がだんだん忙しくなってきて、「ちょっとだけ手伝って」という格好で、そうこうしているうちに新聞屋の方もある程度やったので「もうそろそろやめてもいいかなあ」と思って新聞屋は27年でやめて、今はこちら(山とも)でアルバイトで雇ってもらってます(笑)。

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