香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市国分寺町・昭和35年生まれの男性の証言

なつかしい職場うどん

(取材・文:

  • [showa]
  • vol: 56
  • 2015.07.16

なつかしい職場うどん

このうどん店は、平成元年4月1日に国分寺町役場の庁舎が現在地に移転してからは、玉売り(1玉60円)はしていましたが、その後廃業となったようです。私が、昭和59年に仕事を始めてから、昼ごはんは、だいたいうどんと決めていました。値段が安いのも魅力でしたが、一番は、早いということでしょう。それに、うまいし。

思い起こせば、私が、就職した職場(国分寺町役場)は、その当時、近辺に食堂があるわけでなく、コンビニエンスストアも今のようにはありません。昼休みの1時間で昼食をとるには、近所の玉売りをしている製麺所で玉を2玉購入し、職場に持ち帰って食堂でどんぶり鉢に入れ、しょうゆと味の素をかけ、食べるのが手っ取り早い方法でした。昼飯代120円なりでした。ただ、このうどんはでき立ちで本当においしかったです。

魅惑の小部屋で「昼の憩い」

この製麺所(うどん屋)には、特別な秘密があったのです。先輩方数人が、毎日のようにこの製麺所にうどん玉を買いに行っていたのですが、なぜか行方が知れなくなるのです。でも、午後1時からの仕事には間に合うように、すっきりとして帰ってくるのです。スパイのように調べたわけではありませんが、だんだんこの理由がわかりました。この製麺所は、玉売り専門の店なのですが、数人のみ、製麺所の傍らの小部屋でうどんを食べていたのです。それも、うどん屋のおばさん手作りのしっぽくうどんではないですか。もちろん、メニューなどはありませんが、1杯(1玉)150円なりです。非常に安かったと記憶に残っています。2玉入りのしっぽくうどんでも、200円でした。

残念ながらこの小部屋は5人ぐらいしか座れません。上下関係のはっきりした職場ですから、レギュラーになるまでにはだいぶ日数がかかりました。しかし、5人までなら、テレビを見ながら、冬はコタツで、おいしいうどんを食べて、1時まで、休息ができるのです。職場はすぐそば、時間もぎりぎりまで使えます。魅惑の時間です。うどん屋の名前は「すえざわ」です。地域に根ざした、本当に素晴らしい時代だったと思います。

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