香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市多肥下町・昭和26年生まれの男性の証言

大勢が家に集まってうどんを作って食べていた

(取材・文:

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  • vol: 118
  • 2015.11.10

近所の人がうちに集まってうどんを作って食べていた

子どもの頃に家でうどんを食べていましたか?
食べとった。けど当時、うどんはご馳走やったから、今みたいにしょっちゅうは食べてなかったで。めったにはお目に掛かれんかった。法事やお祭り、婚礼がある時ぐらいやな。それと盆と正月。年に数回ぐらいなもんや。
うどんはご自宅で作っていましたか?
近所の人が家に集まって来て、大人たちがみんなで一緒にうどんを作っとった。というのも、我が家には当時(昭和30年頃)、まだ珍しかったテレビがあったんや。そのテレビを観るために、うどんを作るときは近所の人がよっけ集まって来よったんや(笑)。

 だいたい一辺に100玉は作っとったな。一つのせいろに5×5の25玉か、4×6の24玉かが入っとったと思うけど、そのせいろがいつも4~5枚あったから。

うどんを作る材料はどこから?
今でこそ多肥は人気の住宅地になっとるけど、当時は田んぼや畑ばっかり。うちは非農家やったけど、周りはみんな農家やった。だから、集まって来る近所の人が自分とこの畑で作った小麦を石臼で挽いて、その粉を持って来てくれた。

 ダシを取るイリコは、母親の里が同じ町内で雑貨屋をしとって、そこからもらっとった。戦前から営業しとった古い店で、塩や砂糖や酒なんかも扱っとって、戦争中は多肥地区の配給元やったそうや。だから当時の食糧難のときも、調味料なんかは割と店にあったらしい。その割には、うどんのダシに使う材料がイリコだけだったのが寂しいけど(笑)。当時は昆布や鰹は高級やったから、間違ってもダシに入ることはなかった。そのダシでかけうどんにするか、醤油をかけるだけで食べるかしよったな。

うどんを作る道具は?
それは家になんぼ(いくら)でもあった。麺棒だろうが、うどんを打つ板だろうが。うちの家は代々、木工所をしとったからな(笑)。そんなんを作って用意するのは何でもなかった。

製麺所でなく、商店でうどん玉を買っていた

子どもの頃、周りにうどん屋はありましたか?
中学ぐらいのとき(昭和40年頃)の記憶かも分からんけど、多肥や太田の辺りには製麺所がたくさんあったんを憶えとる。それで、どこも精米もしとった。もともとは製麺所ではなくて精米所からスタートしたんやと思う。この辺りは田んぼばっかりやったからな。
当時あった製麺所の名前を憶えていますか?
憶えとるよ。知っている限りでは、周りに「穴吹製麺所」と「馬淵製麺所」「大島製麺」「別所うどん」「国方うどん」の5軒あった。そのうち穴吹と馬淵と大島は今も営業しとる。
子どもの頃に、その製麺所へ行ったことはありますか?
ないな~。買うてきたうどんは家で食べたことあるけど、それも製麺所でなくて商店から買いよった。近所に「古市商店」いう店があってな、今も建物だけは残っとると思うけど、そこでうどん玉が買えた。店に並べられとった木のせいろに「大島製麺」の焼き印があったから、製麺所から仕入れて売りよったんやろな。近所にもう一つ「奥商店」いう店もあったけど、そこもうどん玉の入ったせいろを積んどった。どこの焼き印が入っとったかは忘れたけど。
商店で買った麺は、どのようにして家に持って帰りましたか?
家から鍋や大きな丼を持って行って、それにうどん玉を入れてもらった。店の人に「○玉」って必要な数を言うと、麺の上にかけられている埃よけのゴザのようなものが外されて、手掴みで入れられたなぁ。埃よけは掛けとるけど手づかみった、きれいなんか汚いんかよく分からん(笑)。
みんなが寄って来て作って食べる以外にも、商店で玉を買ってきて食べていたわけですか。
いや、そこはちょっと事情があってね。さっきも少し話したように、子どもの頃は家が木工所をやっとって、当時はまだ珍しかったテレビが家にあるくらい繁盛しとった。テレビだけやなくて、家には雇っていた子守がおったぐらいや。

 ところがある日、学校から帰ってくると、諸事情で家じゅうの家具なんかに紙が貼られとったんよ。意味、分かるな?(笑)それを境に生活が一変して、そのまま家で暮らすことはできたんやけど、大勢の人が集まってうどんを作ることはなくなった。それからうどんを食べるときは、商店で麺を買って来るようになったんや。

 まあ確かにうどんは当時ご馳走やったけど、正直言うと、子どもの頃はうどんはあんまり好きやなかった。昔のご馳走やったら、バラ寿司や「豆腐の八杯」の方が好きやった。

「豆腐の八杯」って何ですか?
醤油ダシのお汁が入ったお椀の中に、豆腐や揚げ、長ネギなんかが入っている田舎料理や。甘辛く味付けしとんやけど、砂糖は高級やったから替わりに人工甘味料の「アマミゲン」を使っとった。値段は安かったけど、身体には悪かったんやろな~(笑)。今はないもんな。

昭和30年代、小学校の給食でうどんが登場!

では、ご自宅以外でうどんを初めて食べたのは?
小学校の給食やな。多肥小学校に通っとったけど、月に1~2回、コッペパンの替わりにかけうどんが出た。黄色っぽいアルマイトの器に入って。毎日のように出るコッペパンには飽き飽きしとったから、うどんが出たときは嬉しかったで。
うどん店に初めて行ったのは?
高校生のとき(昭和40年代前半)やな。通っとった志度商業(現:志度高校/さぬき市)の正門の前にあったうどん屋に行ったのが初めてや。当時の志度商業には学食なんてもんがなかったから、よく利用したで。授業の休憩時間に店に行って急いでうどんをかき込んだり、学校帰りにも。

 店の名前は忘れたけど、製麺所やセルフではなくて普通にテーブルまでうどんを運んでくれた。店で一番安かったかけうどんしか食べたことがなかったから、他にどんな食べ物があったかは分からんけど、あってもわかめうどんやきつねうどん。それとおにぎりくらいかな。種類は少なかったはずや。値段はかけうどんが一杯、50円ぐらい。当時、タバコのハイライトが80円やった。ここだけの話。少ない小遣いでハイライトを買うか、それともうどんを食べるか悩んだこともあったな(笑)。

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