さぬきうどんのメニュー、風習、出来事の謎を追う さぬきうどんの謎を追え

vol.77 新聞で見る讃岐うどん

新聞で見る平成の讃岐うどん<平成30年(2018)>

(取材・文: 記事発掘:萬谷純哉)

  • [nazo]
  • vol: 77
  • 2024.03.21

「讃岐うどんテーマパーク」の一つの完成形の上で、みんながそれぞれ活動中

 平成最後の年になりました。讃岐うどん界の動きとしては特に大きな変化はありませんが、この数年は「讃岐うどんテーマパーク」としての一つの完成形を迎えた感があり、新聞紙上には小さなイベントやプロモーション、うどんと何かのコラボメニューの開発、店舗展開といった同じような話題が掲載され続けています。今回は「新聞で見る平成の讃岐うどん」の最終回なので、うどん関連記事をなるべく割愛することなく拾いながら、この頃の讃岐うどん界の全体像をイメージしていただければと思います。

 ではまず、「讃岐うどん巡りレジャー」の概要に触れた記事を2本。

連休の人気店の行列は“見慣れた光景”

 恒例のゴールデンウィークの県内観光地の賑わい振りをレポートした記事の、うどん店に関する記述部分です。

(5月4日)

まつり、花、うどん… 県内観光地にぎわう

 ゴールデンウィーク後半の4連休が始まった3日、県内のイベント会場や観光地には大勢が繰り出した。…(中略)…県内のうどん店では開店前から長蛇の列ができた。「山越うどん」は通常より約2時間早く開店して対応。…(中略)…「竹清」では開店の約3時間前から客が並び始め…(以下略)

 讃岐うどん巡りレジャーの繁忙期は、ゴールデンウィークやシルバーウィークといった大型連休に加え、お盆と学生の夏休みが重なる8月と、春休みの3月。県下のうどん専門店はこの頃、約600店とみられていて、そのうち週末や連休に大行列ができる「超人気店」が20~50店ぐらい。さらにそれらに次ぐ「大人気店」も100店ぐらいあって、「讃岐うどんテーマパーク」は盤石の体制です。

うどんの現場で進む外国人対応

 2010年代に入って香川県内でも“インバウンド”が目に見えて増え始め、うどん店でも少しずつ“外国人対応”を余儀なくされてきているようです。とは言ってもうどん店における外国人客の比率はまだまだ微々たるものですが、とりあえず、そのあたりの様子が短く記事になっていました。

(5月4日)

うどん店、多言語化進む 県内人気100店調査 ブームは「文化」に

 県内の人気うどん店100店を対象にした四国新聞社の調査で、うどん店を訪れる外国人観光客が増加していることが明らかになった。外国語メニューを準備するなどの対応をとる店も増えている。一時の熱狂的な讃岐うどんブームは沈静化したものの、新たに外国人観光客の間で本場のうどんの味が広まりつつある。

 「この1年ぐらい、外国人のお客さんを見るようになった。こんな所までどうやって来るのかと思っていたら、レンタカーを借りてきていた」。交通の便の悪い山間部で営業するまんのう町内のうどん店の店主は外国人客の増加に驚きを隠さない。高松市内のセルフ店が「土日になると外国人が連れだって来店する」と言うように、県内のうどん店では外国人観光客の姿が目立つようになっている。

 外国人客の増加に店側の対応も進んでいる。調査では「外国人向けの対応をしている」とした店は、検討中を含めて23店あった。最も多いのは英語やローマ字表記のメニューの用意だ。アジア系の外国人が多いことを踏まえ、「英語に加え、中国語、韓国語も準備している」(高松市内のセルフ店)とメニューを多言語化する対応も増えている。セルフ店独特のシステムは日本人でも戸惑うが、外国人客にも人気の高松市内のセルフ店は、ネギや天かすの近くには「Free topping」の貼り紙を掲示。どんぶりの返却口も迷わないように英語表記で案内している。

 外国人客の増加の一方で、かつての熱狂的な讃岐うどんブームは落ち着きを見せている。調査では、半数超の52店が「前回調査(2016年1月)に比べ来店数が減った」と答えており、ブームの沈静化を印象づけた。「このところ、(数店を巡るため)1杯のうどんを3人で分けるような客は見なくなった」「ピーク時に比べて1日あたり300玉は減った」などの声も多く聞かれた。ただ、讃岐うどん人気は顕在で、三豊市内の一般店は「以前のようなうどん店巡りは減ったが、今は観光地を訪れるのに合わせ、うどんを食べに来ている」と観光客の動向を分析。ブームが去り、人気が定着したとの意見も多く、「ブームは『文化』になった」とは坂出市内のセルフ店。高松市内の店は「今度は外国人観光客の間でブームの兆しがある」と語り、新たな動きに期待を込める。…(以下略)

 「ブームは『文化』になった」というフレーズが見出しにも使われて「うまいこと言うた」感を出していますが(笑)、「讃岐うどん」は昔から郷土の食文化の代表だったので、「讃岐うどんブーム」ではなくて「讃岐うどん巡りブーム」が文化になった、つまり「讃岐うどん巡り」というレジャースタイルが当たり前のように定着してきたということでしょうか。ま、そんな厳密な解釈はさておき、大きく言えば「ブームが定着して、外国人客も増えてきた」ということでしょう。

 それに関連して、こんな動きも出てきました。

(5月14日)

県内イスラム教徒の食を支援 理解あるうどん店紹介 戒律守れる料理教室も

 イスラム教の戒律に沿った食事を香川県で楽しめるようにと、大学生や料理教室の先生らが食を通じた異文化交流に取り組んでいる。増える傾向にある県内のイスラム教徒(ムスリム)からは、「宗教にまつわる食事情を理解してもらえるのはうれしい」と喜びの声が上がっている。香川大の学生団体「ハラリシ・プロジェクト」は、ムスリムに讃岐名物のうどんを安心して食べてもらおうと「ハラルうどんマップ」の制作を始めた。…(以下略)

 食べ物についての戒律があるのはイスラム教(教徒約18億人)とヒンドゥー教(同約11億人)で、食べられない食材はヒンドゥー教の方が断然多いそうですが、何となくムスリムの方が注目度が高いようです。いずれにしろ、国際化がさらに進むと、日本社会にさらに世界のいろんな戒律や習慣が入り交じってきて、新たな対応も必要になってくるかもしれません。

 続いて、県の施策の中に出てきた「うどん」に関する記述が2本。

外国人向け観光戦略に「うどん巡り」を盛り込む

 まず、2018年の県の施策をいくつか取り上げた特集の中の「食文化の統一ブランド」という項目に、「うどん店巡りの周遊モデルルートを用意する」という記述がありました。

(1月1日)

2018年香川のキーワードは 音楽、アート、うどん…オンリーワン売り込め

 (前略)…農林水産省は昨年、食文化を生かして訪日外国人を誘致する「農泊食文化海外発信地域」の一つに、県内14市町の「さぬき地域」を認定した。…(中略)…さぬき地域では、県や農業団体、観光団体などで作る協議会が中心となり、うどんを軸とした「食」を売り込む。…(中略)…フルーツやオリーブ牛、オリーブハマチなどを積極的にアピールする他、うどん店巡り、盆栽の剪定体験、遍路を組み合わせた周遊モデルルートを用意する。…(以下略)

 今日の讃岐うどんの隆盛は1990年代後半から起こった「讃岐うどん巡りブーム」に端を発するわけですが、実は行政や識者や業界の権威筋や地元メディアの間では当初からずっと「讃岐うどん巡りブーム」ではなく、「巡り」を外して単に「讃岐うどんブーム」と呼んでいました。ブームがピークを迎えた2000年代に入って、県は平成19年(2007)に「うどんツーリズム元年」というスローガンを打ち出したのですが(「平成19年」参照)、その時も「香川の個性豊かな歴史や文化、風土に讃岐うどんを絡めた『まち歩きツアー』を全国に売り込む」というコンセプトで、「讃岐うどん店」はあくまでも「まち歩きコンテンツの一つ」という位置付け。少なくとも「讃岐うどん巡り」というコンセプトを前面に打ち出した施策は、これまでほとんど出てきていませんでした。そこへ、ここにきて「うどん店巡りの周遊モデルルート」という言葉が出てきたということは、今日のブームの原動力が郷土料理や文化としての「讃岐うどん」ではなく「うどん店巡り」というレジャーであることが、ようやくちゃんと認識されてきたのかもしれません(笑)。

「ヤドン県」、発進

 平成27年(2015)に県がエイプリルフール広告で「ポケットモンスター」のキャラクター「ヤドン」を使って、「渇水対策で秘密裏に飼育していたヤドン800匹が逃走した」と発表してちょっと話題になっていたのですが、今度は「ヤドンが知事になって『ヤドン県』に改名する」という広告を出しました。

(4月2日)

「うどん県」から「ヤドン県」に? エープリルフール 県がコラボ第2弾 動画サイト再生3万超す

 エープリルフールの1日、県は「ポケットモンスター」のキャラクター「ヤドン」が知事となり、「ヤドン県」に改名するとのジョーク広告を同日付の本紙に掲載。“ヤドン知事”が登場する動画も公式観光サイトで公開を始めたところ、再生回数は3万回を超え、大きな反響を呼んでいる。「ヤドン」を用いた県のエープリルフール企画は2015年に続く第2弾。「ヤドン」が「うどん」と響きが似ている、しっぽが甘く県特産の和三盆や希少糖を連想させる、あくびをすると雨が降るとされ県にはありがたい存在…に着目。前回は「渇水対策で秘密裏に飼育していたヤドン800匹が逃走した」との広告を本紙に掲載して話題となった。…(以下略)

 「うどん」と言葉が似ていることで「ヤドン」に目を付けたようです。昔、平成の大合併前の詫間(たくま)町が「言葉が似ている」というだけでアメリカのワシントン州の「タコマ市」と姉妹提携を結んだみたいなものですか(笑)。「再生回数3万回」がどれほどのバズり程度なのかわかりませんが、今回は本格的なコラボ企画を始めるようです。

(4月6日)

県が「ヤドン」とコラボ企画 ピンクと白のうどんや和三盆など ジョーク広告現実に

 県は12日から、「ポケットモンスター」のキャラクター「ヤドン」とのコラボレーション企画を始める。ピンクと白色の麺が入ったうどんや和三盆の販売、スタンプラリーなどの他、“ヤドン知事”も来県する。…(中略)…コラボ企画は「ヤドンパラダイスin香川」と銘打ち、広告や動画で発表した改名記念商品が実際に登場する。…(以下略)

 それにしても、いつ頃からこういう類の“お遊び企画”が県の仕事になってきたのか、全国的に行政の観光施策やPR戦略の多くがこういう類のPRに熱心になっているみたいです。ま、いろいろと楽しそうで何よりですが(笑)。

恒例のうどんイベントは、「どじょ輪ピック」と「年明けうどん大会」と「さぬきうどんタイムカプセル」の3本

 続いて、うどん関連イベントを見てみましょう。まず、「祭りやイベントの中で行われるうどんイベント」ではなく「うどんを主役にしたイベント」に限れば、毎年恒例のように記事で紹介されている継続中の「うどんイベント」は、「どじょ輪ピック」と「年明けうどん大会」と「さぬきうどんタイムカプセル」の3つだけになりました。

(11月19日)

熱々名物味比べ さぬきで「どじょ輪ピック」

 さぬき市造田地区に伝わるドジョウ汁の味比べを楽しむ「第25回どじょ輪ピックinさぬき」が18日、JR造田駅前東側広場で開かれた。…(中略)…今年は地元の自治会や事業所など9団体が腕を振るった。各チームは一度に約100食分を調理できる大釜を複数用意。ドジョウ、うどん、里芋などを煮込んだ後、味噌や調味料を独自の配合で加えて味付けした。…(以下略)

(12月2日)

各地の31種類食べ比べ 年明けうどん、高松で全国大会

 県内外のご当地うどんが集まる「全国年明けうどん大会2018inさぬき」(県など主催)が1日、サンメッセ香川で始まった。北は北海道、南は沖縄の18都道府県と台湾から計31種類が登場。会場には約1万7200人が詰めかけ、各地の“自慢の一杯”の食べ比べを楽しんだ。…(以下略)

(11月13日)

「近未来うどん」2種食べ比べ 坂出でイベント

 うどんを食べ比べる恒例イベント「さぬきうどんタイムカプセル」が、坂出市林田町の製粉会社で開かれた。…(中略)…イベントは吉原食糧が2007年から毎年開催している。今年は大麦の健康機能性に着目した麺と、もちもち感と粘りを追求したハイブリッド小麦の麺を各1000食用意し、1杯100円で提供した。…(以下略)

 「どじょ輪ピック」と「年明けうどん大会」は行政絡みのうどんイベントで、民間では吉原食糧が行っている「さぬきうどんタイムカプセル」だけ。このうち、一番長く続いているのは「どじょ輪ピック」です。ちなみに、「どじょ輪ピック」は「どじょううどん」の大会で「年明けうどん大会」は全国のいろんなうどんを持ち寄るという“企画モノ”、「さぬきうどんタイムカプセル」は粉に焦点を当てた食べ比べイベントで、「うどん県」なのに「讃岐うどんの総合イベント」がありません。また、かつての「讃岐うどん王選手権」(1998~2001)や「讃岐うどん巡礼八十八カ所」(2000~2003)以来20年近く、新しい切り口のうどんイベントも出てきていません。うどん店もうどん関連企業も団体も、メニューも職人も客も、素材はあふれるほど揃っているのですが、どこか仕掛けるところは出てこないのでしょうか。
 

一般イベント内のうどんプログラムは、「流しうどん」と「うどん打ち体験」

 続いて、一般の祭りやフェスティバルの中で行われたうどんイベントが4本。

(2月11日)

小雨にも負けずテングウオーク 坂出で「天狗まつり」開幕

 日本八天狗に数えられる「白峰相模坊(さがんぼう)天狗」にちなんだ第28回「坂出天狗まつり」が10日、坂出市高屋町の松山小学校などで始まった。初日はテングウオークの出発式に約300人が参加、地元園児が祭りの開幕を告げる太鼓演奏を披露した。…(中略)…大屋冨町の相模坊では「相模坊まつり」があり、うどんの接待などが行われた。…(以下略)

(5月9日)

ご当地グルメや小物販売いかが 東かがわ、13日に「マルシェ」

 東かがわ市内の飲食店主らで作る「東かがわ活勢隊」は13日、とらまる公園で恒例の「とらマルシェ」を開く。36店が参加し、ご当地グルメや革製品、小物などを販売する。…(中略)…うどん打ち体験のワークショップなどもある。…(以下略)

(7月23日)

流しうどん、速~い! 丸亀城で「納涼フェスタ」

 夏のおもてなしイベント「丸亀城納涼フェスタ」(丸亀市観光協会主催)が22日、丸亀城で開かれた。大手門広場から三の丸につながる急勾配の「見返り坂」では名物となった「高速流しうどん体験」が行われるなど、大勢の家族連れらが多彩な催しを楽しんだ。流しうどん体験では「見返り坂」に長さ40メートルの筒を設置。出来たての麺が勢いよく流れていき…(以下略)

(9月25日)

流しうどん楽しい! 瀬戸大橋公園でイベント

 地域おこしに取り組む香川大の学生らが「流しうどん」を振る舞うイベントが22日、瀬戸大橋記念公園であり、来園した親子連れらが笑顔でうどんを味わった。「さかいで沙弥島プロジェクト」と銘打ち、同公園内の記念館で土日祝日にカフェ「Hashi Cafe」を営業する香川大生チームが3年振りに企画。瀬戸大橋開通30周年記念事業として同公園管理協会と共催した。学生らが雨樋などを使って、長さ約20メートルの流しうどん台を芝生広場に設置。…(以下略)

 「坂出天狗まつり」には毎回「天狗うどん」が振る舞われていたのですが、この年の記事には「天狗うどん」の表記がありませんでした。実際は振る舞われていたのかもしれませんが、記事になっていないということは、あまり“祭りの名物”として打ち出されなくなっているのかもしれません。かつて、第1回の天狗まつりには「天狗汁」と「天狗うどん」と「天狗ずし」が出ていたのですが(「平成3年」等参照)、祭りの名物としてうまく育てられなかったのでしょうか。プロモーション次第ではまだ何とかなりそうな気もするのですが。

 あと、「とらマルシェ」のうどん企画は、うどん企画の定番とも言える「うどん打ち体験」。「丸亀城納涼フェスタ」の「高速流しうどん体験」は、急勾配の「見返り坂」を使った“ご当地”ならではの企画ですが、地域おこしに取り組む大学生が行う「さかいで沙弥島プロジェクト」も、うどん企画は「流しうどん」。今後は若い感性で斬新な企画を期待したいところですが…。

「讃岐うどん」「出雲そば」「三輪そうめん」の三麺交流会が金刀比羅宮で開催される

 続いて、うどん行事とうどんイベントが2本。まず、「讃岐うどん」と「出雲そば」と「三輪そうめん」の献麺式と三麺交流会が、金刀比羅宮で開催されました。

(5月6日)

讃岐うどん、出雲そば、三輪そうめん 繁栄願い献麺式

 金刀比羅宮で5日、讃岐うどん、出雲そば(島根県出雲市)、三輪そうめん(奈良県桜井市)を一緒に献上する「献麺式」と「三麺交流会」があった。金刀比羅宮での開催は初めてで、出席者は互いの繁栄を願った。…(中略)…出雲大社(出雲市)は大国主命、金刀比羅宮と大神神社(桜井市)は大国主命の別名の大物主神を祭り、地域に麺を食べる習慣が根付いているという共通点がある。過去2回は八百万の神々が集まるとされる出雲大社、日本最古の神社とされる大神神社で開催した。…(以下略)

 記事に「過去2回は出雲大社、大神神社で開催…」とありますが、「三麺交流会」は平成18年に「こんぴら温泉まつり」の一環行事として「金陵の郷」で開催されたのが最初なので(「平成18年」参照)、「交流会」は通算4回目のはずです。ただし、三麺の「献麺式」は平成18年には行われなかったようなので、「献麺式」としては通算3回目のようで、ちょっと記事が紛らわしい。もしかすると、「金陵の郷」で開催された「三麺交流会」はなかったことにされているのかもしれません。

「うどんマラニック」の開催が発表される

 「うどんマラニック」という聞き慣れないイベントが開催されることになり、「うどん脳」が大会の名誉会長に就任しました。

(2月22日)

うどん店巡り走ろう 来春「うどんマラニック」開催 「うどん脳」名誉会長に

 マラソンとうどん店巡りを組み合わせた「ウルトラうどんマラニック」が来春、高松市内を舞台に開かれる。コースの総距離はフルマラソンの42.195キロ以上とし、各うどん店では限定メニューなどを提供する計画。大会の名誉会長にはご当地ゆるキャラの「うどん脳」が就任し、今後、本番に向けて盛り上げ役を務める。

 県内のマラソンやうどんの愛好家らが実行委を作り計画した。県外からも参加者を呼び込み、香川の魅力を広くアピールするのが狙い。大会名の「マラニック」はマラソンとピクニックを掛けた造語。…(以下略)

 うどんと他の食材のコラボ商品はいっぱい出てきましたが、「うどんとマラソンとピクニックのコラボ」は意表を突かれました(笑)。朝日新聞の記事によると「100キロのコースを2日かけて走りながら、8軒のうどんを食べる」という大会で、店選びにもなかなかこだわりがあり、「白バイではなく白馬が先導する」とか「リタイアしたランナーはうどんタクシーが迎えに来る」など、おバカな演出も盛り込まれているとのこと(笑)。「走れる人」じゃないとなかなか参加できないので広く一般に拡大していくのは難しいかもしれませんが、新しい切り口の遊び心あふれるイベントで、毎年開催を予定しているそうです。

うどん焼きの「こんぴっぴ焼き」と「とっと焼きうどん」を名物に

 琴平の「こんぴっぴ焼き」、丸亀の「とっと焼きうどん」という、「焼きうどん」のご当地新メニューが2つ登場しました。

(3月29日)

「こんぴっぴ焼き」新名物に 琴平のボランティア団体考案 地元産ニンニクなど使用

 琴平町のボランティア団体「K3(ケースリー)」は、町内で生産が盛んなニンニクやナバナを使った焼きうどん「こんぴっぴ焼き」を考案した。…(中略)…「こんぴっぴ焼き」は、みじん切りにしたニンニクと湯がいたナバナを混ぜた焼きうどん。盛り付けた後に温泉卵を乗せ、仕上げにニンニク風味のふりかけで味を調える。…(以下略)

(5月13日)

B級グルメに舌鼓 まんのう公園でフェスタ

 四国内外の安くてうまい人気グルメを集めた「四国B級ご当地グルメフェスタ」が12日、国営讃岐まんのう公園で始まった。会場の芝生広場には30ブースが出店し、来場者が各地の名物の味を楽しんでいる。…(中略)…香川からはオリーブ豚のスペアリブやバラ串焼き、丸亀名物の「とっと焼きうどん」などが味を競い合った。…(以下略)

 
 「焼きうどんは讃岐うどんか?」というツッコミも入りそうですが、「うどん県」だからオッケーということで(笑)。「とっと焼きうどん」はB級グルメの人気メニューを目指し、「こんぴっぴ焼き」は家庭料理として広まっていくのを期待しているそうです。

うどんの新メニュー、コラボメニューが続々と

 続いてさらに、うどんと特産品のコラボメニューやいろんなものを混ぜ込んだ開発メニューが続々と記事になっていました。まず、定番の「うどんと特産品のコラボメニュー」が3つ。

(2月14日)

一流シェフの知恵拝借 特産食材PRへ試食会(東かがわ)

 一流シェフの知恵を借り、地域食材の新たな魅力を発掘する試みが12日、東かがわ市で初めて行われた。テレビ番組「料理の鉄人」などで知られ、東京で創作イタリアンの店を営む神戸勝彦さんが来県。食を通じた地域おこしに取り組む住民らに、市の特産品を使ったオリジナルのコース料理を振る舞うなどして、地域食材を活用するヒントを共に探った。市が総務省地域力創造アドバイザーの千田良仁さんらの協力で企画した。…(中略)…「スモークサーモンとロマネスコのカルボナーラ」は、麺は讃岐うどんで、地元農園の採れたてアスパラガスや烏骨鶏の卵の他、旧引田中跡地で生産された生キャビアもトッピングした。参加者は豪華さに驚きつつ、「やさしい味」「とてもうどんとは思えない」などと感嘆の声を上げた。…(以下略)

(4月28日)

「オリーブ地鶏」×「うどん」 さぬき麺業でフェア

 3月から販売が始まった「オリーブ地鶏」を使用したうどんを提供するフェアが27日、「さぬき麺業」の県内全店舗で始まった。香川の新ブランドの「オリーブ地鶏」を定番のうどんとともに提供し、さらなる消費拡大に努める。フェアは、県内の生産者や流通業者らで作る「オリーブ地鶏振興会」と「さぬき麺業」が初めて実施した。…(以下略)

(5月30日)

オリーブうどん発売

 JR四国グループ会社でうどん製造販売の「めりけんや」は、オリーブの葉の粉末を生地に練り込んだ「オリーブうどん」を6月1日から期間限定で販売する。…(以下略)

(10月21日)

善通寺産の魅力PR 今日まで農商工フェス

 善通寺市内の農商工業品をPRする「夢フェスタ2018」が20日、善通寺五岳の里・市民集いの丘公園で始まった。特産品の試食販売や地元企業の製品展示、ステージイベントが繰り広げられ、家族連れらで賑わっている。フェスタは市が毎年開催。…(中略)…人気を集めていたのは、特産品のダイシモチ麦を使ったうどんやコロッケ、キウイフルーツやイチゴのスムージーなど。…(以下略)

(11月24日)

郷土の魅力、うどんで発信 陶小でフェス 6年生が新メニュー提供 地元食材使い栄養満点

 綾川町の陶小学校で23日、児童が企画運営する「うどんフェスティバル」があり、6年団が考案したオリジナルうどん「綾川きんちゃくうどん」が販売された。…(中略)…「きんちゃくうどん」は、旬の地元野菜をきんちゃくで包み、児童が手打ちしたうどんにトッピングしたオリジナルのメニュー。だしにもこだわり、伊吹いりこなどの県産品を使用した。…(以下略)

 記事になっていたのは、

●「スモークサーモンとロマネスコのカルボナーラ」(東かがわ市)
 →うどん+地元産アスパラガス、烏骨鶏の卵、生キャビア

●「オリーブ地鶏うどん」(オリーブ地鶏振興会、さぬき麺業)
 →うどん+オリーブ地鶏

●「オリーブうどん」(めりけんや)
 →うどん+オリーブの葉の粉末

●「ダイシモチ麦うどん」(善通寺市)
 →うどん+ダイシモチ麦

●「綾川きんちゃくうどん」(綾川町、陶小学校)
 →うどん+地元産野菜、伊吹いりこ

というラインナップ。いずれも単発だったり期間限定だったりして「名物に育てようという」意志は定かではありませんが、いずれにしろ「うどんと地場産品のコラボ」という試みは、新メニュー作りの定番手法のようです。

 続いて、特に地域の特産とのコラボではない新メニュー情報も2本載っていました。

(2月2日)

うどんで恵方巻き 津田の松原SAが販売

 穴吹エンタープライズが運営する高松自動車道津田の松原サービスエリア(SA)は、シャリの代わりにうどんを使用した恵方巻き「うどん県巻」の予約を受け付けている。エビの天ぷら、キュウリ、卵焼きなどを巻いた「うどん県巻」、甘辛く煮た牛肉がメインの「肉うどん巻」を用意。…(以下略)

(6月2日)

香川短大生とコラボうどん こだわり麺や、県内11店舗で5日から発売

 セルフうどん店「こだわり麺や」を運営するウエストフードプランニングは、香川短大と連携して「サラネバぶっかけうどん」を開発し、5日から県内11店舗で販売を始める。複数の野菜を取り入れ、夏バテ気味でもさっぱりと味わえるように仕上げた。…(以下略)

健康志向のうどん商品も2つ

 続いて、うどんの新商品のもう一つの方向性である「健康志向系」の商品も2つ開発されていました。

(3月10日)

「大麦配合うどん」開発 吉原食糧 血糖値抑制効果

 吉原食糧は、県産の小麦「さぬきの夢」と大麦「イチバンボシ」を使用した生うどん「讃岐の二穀うどん」を開発、20日から販売を始める。特殊な配合により、モチモチとした食感と血糖値の上昇抑制効果を兼ね備えた一品に仕上げた。同社によると、「イチバンボシ」は香川が生産量全国2位で、玄米の約3倍の食物繊維が含まれている。…(中略)…大麦は粘りを含む成分が含まれないため、これを配合した麺は表面がざらつき、切れやすい欠点があった。同社は独自の製粉技術と配合の改良を重ねることで、小麦と大麦の長所を両立させた。…(以下略)

(8月22日)

「機能性うどん」開発 久保田麵業、生麺で国内初 健康志向対応、主力事業に

 製麺業の久保田麵業(丸亀市)は、血中中性脂肪の上昇を緩やかにする機能などがある食物繊維「難消化性デキストリン」を練り込んだうどんを開発、販売を本格化している。消費者庁によると、生麺としては国内で初めての「機能性表示食品」。…(以下略)

 こうしたコラボメニューや配合系新商品の開発は昔から時々新聞に載っていましたが、この10年ほどは明らかに数が増えて、讃岐うどん界の大きな流れの一つになっています。残念ながら、その後ほとんどの商品が「定番の人気メニュー」にまではなっていないようですが、ブーム当初の「山越」の「釜玉うどん」や「竹清」の「半熟卵の天ぷら」みたいな“レジェンドメニュー”が出てくることも期待したいところです。

「年明けうどん」と「さぬきの夢」の普及活動があちこちで

 県と組合が力を入れている「年明けうどん」と「さぬきの夢」の普及活動が、各所で行われています。まず、年明けの1月に、総本山善通寺の初詣と丸亀城でのイベントで「年明けうどん」が振る舞われました。

(1月3日)

県内初詣 天候恵まれ、どっと

 (前略)…総本山善通寺では1日午前0時から恒例の「年明けうどん」の接待があり、参拝者は心も体もホクホクさせながら1年の始まりを祝っていた。

(1月9日)

年明けうどんいかが 丸亀城で「新春フェスタ」

 丸亀城大手門広場周辺で8日、「丸亀城新春フェスタ」(市観光協会主催)があった。あいにくの雨となったが、観光客らが次々に訪れ、「年明けうどん」の接待やご当地アイドルのステージなどを楽しんだ。…(以下略)

 新聞に載っていた「初詣」と「年明けうどん」の組み合わせは総本山善通寺だけでしたが、どうせなら「香川の正月三が日の初詣は、全ての神社とお寺でそれぞれ違った『年明けうどん』が振る舞われる」という“完成予想図”を目指したらどうでしょう。「年明けうどん」の推進者の方々、全国へのPRより先に、地元での圧倒的な定着を狙うのも有力な方向性ではないかと思いますが。

 続いて、小学校にも「年明けうどん」と「さぬきの夢」の普及活動が及んでいます。

(10月5日)

県産小麦でうどん作り 松崎小 児童42人が舌鼓

 県産小麦「さぬきの夢」を使ったうどん教室が三豊市詫間町の松崎小学校で開かれた。5、6年の42人が職人と一緒に生地作りなどを体験し、出来たての郷土の味に舌鼓を打った。うどんや県産小麦への理解を深めてもらおうと、本場さぬきうどん協同組合が毎年県内の小学校で開催。…(以下略)

(12月5日)

県産小麦を使って年明けうどん作り 造田小児童

 県産小麦「さぬきの夢」を使ったうどん教室が4日、さぬき市造田の造田小学校で開かれ、児童らはプロの職人からうどんの作り方を教わり、出来たての手作り麺の味を楽しんだ。教室は県と本場さぬきうどん協同組合が2012年から開催。…(中略)…茹で上がった麺は赤い餅をトッピングした「年明けうどん」にして味わった。…(以下略)

(12月6日)

給食に「年明けうどん」 高松皮切り 8種の野菜ふんだん

 金時ニンジンなどの野菜を使った学校給食向け「年明けうどん」の提供が5日、高松市を皮切りに始まった。初日は同市松並町の鶴尾小学校と同中学校で計約300食が振る舞われ、今後、各市町の幼稚園、小中学校の給食で順次提供される。…(中略)…給食向けのレシピは県栄養士・学校栄養職員研究会や料理研究家らで作るプロジェクトチームが初めて考案。赤い具材の県産金時ニンジンをはじめ、計8種類の野菜を使い、「年明け八菜うどん」と名付けた。…(以下略)

 小学校での「さぬきの夢」や「年明けうどん」の普及活動を進めているのは「本場さぬきうどん協同組合」で、学校給食の「年明け八菜うどん」を始めたのは県絡みのプロジェクトチーム。やはり、県や組合は「讃岐うどん」全体のプロモーションより、「さぬきの夢」と「年明けうどん」の普及に力を入れているようです。

讃岐うどん関連ビジネスもいろいろと

 ではここから、うどんのビジネス関連記事を見ていきましょう。まず、出店関係のニュースが2本。

(1月10日)

うどん「おか泉」セルフ店が開店

 宇多津町のうどん店「おか泉」が丸亀市飯野町に整備していた初のセルフ店「うどん・おかだ」が9日、オープンした。移転拡充した土産・贈答用の製麺工場の一角に店舗を設け、工場の麺でうどんを提供する。…(以下略)

(10月30日)

さぬき麺業が東京初出店

 さぬき麺業(高松市)は東京駅一番街に初の都内店となる「香川さぬき麺業」を30日オープンする。八重洲南口地下1階の「にっぽん、グルメ街道」に入居。東京限定メニュー「オリーブ鶏天ぶっかけ」「瀬戸内地エビかき揚げぶっかけ」や骨付鳥などを提供する。…(以下略)

 新聞に載ったのはこの2件だけでしたが、もちろん、全てのうどん店や製麺、製粉会社等が活発にビジネス展開をしているはずです。

 続いて、商品開発の記事が3本。

(2月27日)

うどんの生地、好みにカット 味源が新商品

 食品製造の味源(まんのう町)は、生地を切り分けることができる「包丁切りうどん」を開発した。好みの形や太さにしたり、型抜きをしたりと、自宅で多彩な楽しみ方ができる。職人が手打ちした後に熟成させた生地をパックした。…(以下略)

(9月23日)

“謎肉うどん”実現 高松のうどん店、トッピングサービス開始

 高松市内のうどん店で22日、日清食品の主力商品「カップヌードル」の具材の一つ“謎肉”が無料でトッピングできるサービスが始まった。…(中略)…“謎肉”の無料トッピングは、日清食品が「香川が謎肉の生産量世界一」と公表したのを受け、うどん県副知事で俳優の要潤さんがツイッター上で提案。同社がコラボ企画を立ち上げ、高松市鹿角町のうどん店「中西うどん」の協力で実現した。…(以下略)

(10月12日)

香川ご当地ポテチ 今度は「しっぽくうどん味」

 スナック菓子大手のカルビーは、香川の冬の郷土料理「しっぽくうどん」の味を再現したご当地ポテトチップス「ポテトチップスしっぽくうどん味」を29日から期間限定で発売する。「ご当地チップス」は地域活性化を目指す同社の「ラブジャパン」プロジェクトの一環。2017年に香川の「骨付鳥味」など47都道府県ごとのご当地チップスを発売したところ好評だったことから、第2弾を企画した。…(以下略)

 多くの企業が新技術や新しい動きや流行を取り入れて、「讃岐うどん」でいろいろな新商品にチャレンジしています。

 続いて、「讃岐うどん巡りレジャー」関連でのビジネス的な動きが2本載っていました。まず、瀬戸内7県エリアの観光振興に取り組む「せとうちDMO」という組織が、メジャーな予約サイト「Voyagin(ボヤジン)」と「じゃらんnet・遊び体験予約」の2社と提携したというニュース。

(2月13日)

体験型観光 PR強化 有名予約サイトと連携

 瀬戸内圏の観光振興を進めている「せとうちDMO」(広島市)は、体験型観光商品の海外、国内向け予約サイト2種類と自社のサイトをそれぞれ連携させる取り組みを開始した。…(中略)…予約サイトは、月間ページビューが200万回に上り利用者の7割が欧米人という「Voyagin(ボヤジン)」と、国内向けの「じゃらんnet・遊び体験予約」。

 せとうちDMOの自社サイトも国内と海外向けの2種類があり、国内向けでは注目のレジャーやアート、宿泊場所、グルメの他、「レンタカーで巡る讃岐うどん旅」「徹底取材!小豆島景観24選」などの特集も発信する。…(中略)…サイトの連携によって、国内向けでは自社サイトに「じゃらん」の検索画面を設置、「香川県、レジャー、体験」などを選択すると、うどん打ちやオリーブオイルの香油作りなどの体験内容を確認、予約や支払いができる。…(以下略)

 DMOの自社サイトに「レンタカーで巡る讃岐うどん旅」というコンテンツがあるそうで、やはり県外から見た讃岐うどんの楽しみ方は「讃岐うどんの文化や歴史や技術」といった教養系ではなく、「うどん店巡り」というレジャーがメインコンセプトになっているようです。しかし、「讃岐うどんの店巡りレジャー」は1990年代後半のブーム勃発当初からずっとメインコンセプトですから、そう目新しいものではない。そろそろ新しい「讃岐うどんレジャー」のスタイルが出てきてもいいのではないかと思われます。

(12月14日)

うどんタクシー×うどん脳 香川誘客へコラボ(琴平バス)

 「うどんタクシー」を運行している琴平バスは、ご当地キャラクター「うどん脳」を“見習い運転手”に任命した。活動の第1弾としてさっそく「うどん脳」が台湾であったイベントに出向き、香川をアピールした。…(中略)…今年7~9月には台湾・高雄市であった「ご当地キャラエキスポ」で、うどん脳がうどんタクシーの資料などを来場者に配布。ポスターやカードも制作しており、今後も国内外の観光イベントで活躍してもらう。…(以下略)

 「うどん脳」が精力的に活動しています。「うどん脳」のキャラクターは全国のゆるキャラの中ではデザインもコンセプトもトップクラスのセンスを持っていますから、そろそろ大規模な「うどん脳プロモーション」を考えてはどうでしょう。

「瀬戸内うどんカンパニー」がいろいろ活動中

 前年に設立された三豊市の地域商社「瀬戸内うどんカンパニー」が、さっそくうどん関連商品を発売。10月には体験型宿泊施設「UDON HOUSE」もオープンしました。

(4月29日)

うどん作りで英才教育 三豊の地域商社 子ども対象キット、来月販売

 三豊市の地域商社「瀬戸内うどんカンパニー」は、イリコや小麦粉、麺棒などをセットにした「さぬきうどん英才教育キット」を5月1日から発売する。家庭で郷土の食文化を学びながら本格的なうどん作りが楽しめるもので、うどんを一から作る体験を通じて讃岐っ子の感性を育てたいという狙いがある。…(以下略)

(10月27日)

うどん文化発信拠点に 体験型宿泊施設「UDON HOUSE」三豊に今日オープン

 三豊市豊中町に体験型宿泊施設「UDON HOUSE」が27日オープンする。外国人を含む県外からの観光客を主なターゲットに、うどん打ちや野菜の収穫などの体験観光を売り込む。…(中略)…「UDON HOUSE」は、瀬戸内やうどんをキーワードに観光事業や商品開発などを展開している三豊市の地域商社「瀬戸内うどんカンパニー」の新事業。…(以下略)

(12月2日)

目指せ!うどん名人 三豊「UDON HOUSE」 地元家族ら、手打ち体験

 三豊市豊中町の体験型宿泊施設「UDON HOUSE」で1日、住民を対象にしたうどん打ち体験会が開かれた。家族連れら約40人は、生地を延ばして切る工程を体験した後、ゆで上がったばかりの出来たてに舌鼓を打っていた。…(以下略)

 初年度事業が商品開発、宿泊施設、体験会というラインナップ。地域商社というのは純粋な民間企業とは少し違うのかもしれませんが、これから地域にどんな豊かさをもたらすのか注目したいところです。

国際交流に「うどん打ち体験」は付き物

 国際交流の話題が3本載っていましたが、いずれもプログラムに「うどん打ち体験」が盛り込まれていました。

(6月1日)

うどん作りで「絆」 琴平と台湾・瑞芳区、友好協定締結 中学生が交流

 琴平町は31日、台湾・新北市瑞芳区と友好交流協定を結び、町総合センターで締結式を行った。この日は瑞芳中学校の生徒が琴平中学校を訪問し、讃岐うどん作りを通して絆を深めた。…(以下略)

(7月11日)

うどん打ちに挑戦 台湾の大学生、まんのう訪問

 まんのう町が国際交流事業の一環で招待した台湾の大学生4人が10日、町内でうどん打ちを体験し、できたてのうどんに舌鼓を打った。…(中略)…うどん打ちは満濃池の畔にある「かりん亭」で体験。学生は約1キロのうどん玉を足で踏んで延ばす作業から取り組んだ。…(以下略)

(12月28日)

留学生ら日本文化体験 三木さぬきLCが交流会

 三木さぬきライオンズクラブは三木町氷上の長覚寺で、香川大農学部の留学生らと交流会を開き、和太鼓やうどん打ちの体験を通して親睦を深めた。…(中略)…留学生らはLC会員とともにうどん作りに初挑戦。昼食で熱々のしっぽくうどんにして舌鼓を打った。…(以下略)

 新聞の原稿はよく「舌鼓を打ち」ますが(笑)、うどん打ち体験は動作と味の両方を伴うこともあって、昔から交流事業の定番プログラムになっているようです。郷土料理としては「ばら寿司」や「押し寿司」、「まんばのけんちゃん」、「しょうゆ豆」等々もありますが、これらもうどんと一緒に組み込んで味わってもらいたいところです。

うどんの「お接待」もあちこちで

 続いて、「うどんのお接待」の状況がたくさん記事になっていました。

(3月19日)

お遍路さんにうどんの接待 高松短大生実習(さぬき市)

 高松短大秘書科の学生8人は18日、四国霊場88番札所・大窪寺近くにある「おへんろ交流サロン」で、お接待実習に取り組んだ。学生たちはお遍路さんらにうどんや湯茶を振る舞い、地域に根付くおもてなし文化を体感した。

(4月16日)

受け継ぐ味で温まる心 三豊・大興寺 参拝客に「ヒャッカうどん」

 三豊市山本町の四国霊場67番札所・大興寺で15日、地元住民が恒例の「ヒャッカうどん」のお接待を行った。参拝客は、102歳まで接待役を務めた名物おばあちゃん、故斎藤マサさんの意志が受け継がれた心も体も温まるおもてなしをおいしそうに味わっていた。…(中略)…46年目の今回は、上河内、中河内地区の住民約20人がヒャッカと油揚げ入りのうどん900食や赤飯のおにぎりなどを振る舞った。…(以下略)

(7月3日)

半夏生は「うどんの日」 高松で無料接待

 「うどんの日」の2日、本場さぬきうどん協同組合は高松三越前でうどんの無料接待を行った。冷やしぶっかけうどん1000食が振る舞われ、買い物客らが厳しい暑さを凌ごうと舌鼓を打った。…(以下略)

(9月30日)

うどんで交通安全訴え

 三豊市三野町大見地区社会福祉協議会は28日、三豊署前でうどんを振る舞って安全運転を訴えるキャンペーンを実施、ドライバーらは交通安全の願いがこもった一杯に舌鼓を打った。…(中略)…三野町公民館大見分館のうどん同好会のメンバーが前日から仕込んだ約250食を用意。免許更新のために来署した人や職員らが次々にテントを訪れ、熱々のうどんを味わった。…(以下略)

(11月16日)

高松短大生ら、まんのう公園でお接待

 高松短大の学生らが、国営讃岐まんのう公園で来園者をうどんやお菓子でもてなす実習を行い、四国に根付くお接待の文化を学んだ。…(中略)…エントランス広場の特設テントで200食のぶっかけうどんやお菓子などを振る舞った。…(以下略)

 これらのうち、特に長く続いているのは「うどんの日」のお接待と大興寺の「ヒャッカうどん」のお接待。「うどんのお接待」は記事になっていないところでもあちこちで行われているので、うまくまとめて「讃岐のうどんのお接待文化」を大きなプロモーションに育て上げられればいいですね。
 

うどんの「手打ち教室」もあちこちで

 続いて、うどんの手打ち教室の話題が3本。

(1月12日)

3世代で手打ちうどん お年寄りがコツ伝授(観音寺)

 観音寺市粟井町の粟井公民館でこのほど、3世代による恒例のうどん作りが行われ、地域の小学児童や保護者、お年寄りら計60人が協力して、うどんの手打ちに挑戦した。…(以下略)

(6月3日)

神戸でうどん教室 本場の味再現に汗 兵庫香川県人会

 兵庫香川県人会は2日、神戸市中央区の生田文化会館で「さぬきうどんを打って食べる会」を開き、会員やその家族の他、京都、大阪の県人会員ら計120人が参加し、大いに賑わった。…(以下略)

(7月24日)

うどん打ち体験 おいしく味わう 高松で親子教室

 親子で手打ちうどんを作る教室が21日、高松市松並町の「さぬき麺業手打ちうどん体験道場」であった。…(中略)…さぬきうどん研究会が2015年度から毎年開催。今回は親子26組71人が集まった。…(以下略)

 子どもからお年寄り、親子、県人会と、バラエティーな層の人たちがあちこちでうどんの手打ちを体験されているようです。「うどんの手打ち文化の継承」が目的の一つだと思われますが、残念ながら、家でうどんを打つ人はもうほとんどいなくなりました。リタイア後の趣味で蕎麦を打ち始める人が全国にそれなりにいるみたいに、「リタイア後に趣味でうどん打ちを始める」というプロモーションとか、ちょっと視点を変えてみるのもいいかもしれません。

年末の警察署うどん接待も継続中

 ボランティアグループが年末の警察署をうどんで慰問するのも、おそらく50年近く続く讃岐うどんの恒例行事になっています。

(12月6日)

うどんで高松北署員激励

 年末年始の交通安全県民運動が始まるのを前に、高松北署の署員を励まそうと、管内の交通安全母の会が3日、高松市西内町の同署で打ち込みうどんを振る舞った。うどんによる激励は毎年恒例。この日、母の会の会員約20人は同署の駐車場に大鍋を持ち込み、約800食分を用意した。…(以下略)

(12月18日)

ドジョウうどんで署員を激励

 年末年始の特別警戒中の署員をねぎらおうと、高松南署管内の交通安全母の会は13日、同署で熱々のドジョウうどんなどを振る舞った。約30年続く恒例行事で、管内18校区から計約20人が参加。2つの大鍋でうどん約400食を作り、おにぎり約250個も用意した。…(以下略)

(12月27日)

「愛の炊き出し」さぬき署員を激励

 年末年始の特別警戒に当たっているさぬき署の署員らを激励しようと、長尾交通安全協会は長尾交番で熱々のしっぽくうどんを振る舞う「愛の炊き出し」を行った。8回目の今年は会員約20人が参加し、しっぽくうどん200食と炊き込みごはん150食を振る舞った。…(以下略)

(12月28日)

琴平署員をうどんで激励

 琴平ロータリークラブのメンバー17人が琴平署を訪れ、年末年始の特別警戒に当たる署員らにうどんとそばを振る舞って激励した。同RCが30年以上続けている年末恒例の活動。…(以下略)

 年末の警察署をうどんで慰労するという記事が新聞に載り始めたのは、昭和50年代に入ってから。昭和53年の記事には「綾南町ボランティア協議会が、ドジョウ汁で綾南署を慰問。同協議会の”ドジョウ汁慰問”は今年で4回目」とか「琴平町内のうどん屋さんで結成している『こんぴらうどんの会』が琴平署を訪れ、署員たちにこんぴらうどんを接待し労をねぎらった。同会はこれまでも署員に温かいうどんで慰問している」とありましたから、少なくとも昭和50年には警察署へのうどん慰労が始まっていたと思われます。ちなみに、当時は警察署と老人ホームへのうどん慰問がたくさん記事になっていましたが、老人ホームへのうどん慰問は行われなくなってきたのか、その後ほとんど記事にならなくなっています。

新聞に載ったうどん関連広告は低調のまま

 新聞に載ったうどん関連広告は低調のまま、目立った動きはありませんでした。

<県内うどん店>
【高松市】

「さぬき麺業」(高松市松並町)………4本
「愉楽家」(高松市林町)………………3本
「うどん棒」(高松市亀井町)…………1本
「てら屋」(高松市檀紙町)……………1本
「ヨコクラうどん」(高松市鬼無町)…1本

【東讃】

「野田屋竹屋敷」(さぬき市多和)……2本
「八十八庵」(さぬき市多和)…………1本

【中讃】

「日の出製麺所」(坂出市富士見町)…2本
「こだわり八輻」(善通寺市善通寺町)1本
「おかだ」(丸亀市飯山町)……………1本 1月9日オープン
「塩がま屋」(宇多津町)………………1本
「歩」(丸亀市飯山町)…………………1本
「はなまる」(イオン綾川内)…………1本

<県内製麺会社>

「石丸製麺」(高松市香南町)…………2本
「藤井製麺」(三木町)…………………2本

<県内製麺会社>

「吉原食糧」(坂出市)…………………1本

昭和は「讃岐うどん認知」の時代、平成は「讃岐うどん巡り」の時代

 というわけで、ここまで昭和20年から平成30年まで全74回にわたって「新聞に載った讃岐うどん」拾ってきた結果、戦後の讃岐うどんの“正史”に近い経緯が見えてきました。出来事の詳細は本欄「さぬきうどん年表」等を参照いただくとして、最後に10年刻みで大きな流れだけをまとめておきましょう。

【昭和20年代(1945~1954)】

●新聞に「讃岐うどん」という表記が見当たらない。香川のうどんは「庶民の食べ物」という扱いで、新聞からは「香川の名物」という視点は感じられない。
●流通しているうどんの商品は、県外への販売から県内での贈答等に使われるうどん商品まで、圧倒的に「乾麺」が主流。
●うどん専門店は非常に少なく、店で食べるうどんは、一般食堂が製麺所で作られたうどん玉(ゆでうどん)を仕入れて「うどん」というメニューで出すというスタイルが主流。
●屋台の「夜鳴きうどん」がまだ存在していた。
●家庭では、家でうどんを打つところもまだあったようだが、製麺所の普及によって、製麺所からうどん玉(ゆでうどん)を買って家で食べるというスタイルが多くなる。

→戦後復興期の讃岐うどんは、製麺会社が製造する「乾麺」が商品として流通し、併せて製麺所が製造する「ゆで麺のうどん玉」が食堂や家庭に出回っていたという時代。「讃岐うどん」というブランドはネーミングとしては確立しておらず、「香川の名物・讃岐うどん」という認識はまだ全国に広まっているとは言えない状況だったようです。

【昭和30年代(1955~1964)】

●新聞に「讃岐うどん」という言葉がチラホラ出てくる。
●「香川の名物はうどん」という認識が全国に広まり始める。
●イリコの生産は東讃と小豆島が本場で、「伊吹のイリコ」はあまり出てこない。
●(38年)高松駅ホームに立ち食いうどんが登場。

→日本が復興期を終えて高度経済成長期時代に入り、讃岐うどん界も製麺業、飲食業として少しずつ形が整い始めた時代。しかし、業界団体や行政、マスコミの間では、まだ讃岐うどん全体のプロモーション的な動きはほとんど見られません。

【昭和40年代(1965~1974】

●うどん専門店が増え始め、うどん店の新聞広告が増加する。
●県産小麦の壊滅的不作で、讃岐うどん用小麦が香川県産から外国産に大きくシフトし始める。
●サラリーマンの昼食仕様の「大衆セルフ店」が増え始める。
●一部のお寺でお遍路さんへのうどん接待が行われ始める。
●(44年)山田竹系著『随筆うどんそば』刊行。讃岐うどんの文化や歴史の考察とともに、21軒のうどん店を紹介する。

→昭和40年代は、讃岐うどん業界が目に見えて動き始めた時代。まず、自分の店で粉からうどんを作って出す「うどん専門店」が増え始め、県下で初めて「うどん店」を紹介する本『随筆うどんそば(山田竹系著)』が刊行されました。また、県産小麦は昭和38年に天候不順(長雨と冷害)で大きな打撃を受けた後、昭和45年に再び長雨で壊滅状態となり、小麦の作付面積は激減。以後回復することなく、讃岐うどん用小麦はこれを境に香川県産から外国産に大きくシフトし始めました。

 ちなみに、昭和42年の新聞記事に「原料の粉は讃岐の小麦が昔からよいとされるものの、色の白さの点で最近地元の小麦粉は敬遠されがち」という記述があり、色の白い外国産小麦は昭和45年の県産小麦壊滅以前からうどん用に使われていたことが推測されます。また、当時の外国産小麦はカナダ産とアメリカ産が中心だという記述もあり、今日の主流のオーストラリア産ASWの名前は新聞にはまだ出てきません。しかしいずれにしろ、外国産小麦にシフトしてもうどん店や製麺業はますます隆盛になっていったという時代です。

 あと、昭和45年に大阪万博が開催されましたが、新聞で見る限り、大阪万博に香川から讃岐うどん店が出店したという記録はなく、「地方自治体館のレストランにうどんメニューとして出た」という記述があるのみで、それも「同館レストランの讃岐手打ちうどんは“高くてまずい”とあまり評判は芳しくなかったようだ」と書かれていました(笑)。従って、「大阪万博で讃岐うどんの名声が上がった」という風説は、どうも怪しいようです。

【昭和50~60年代(1975~1988)】

●郷土史家や新聞、識者等が「香川のうどん店は3000軒」(実際は600軒程度)、「讃岐うどんの起源は空海」という風説を流し始める(笑)。
●ボランティア団体による警察署や老人ホームへの「うどん慰問」が広がり始める。
●(53年)県と県観光協会が「7月2日はうどんの日」と宣言。
●(54年)「第1回讃岐うどん品評会」(県、県製麺組合連合会主催)開催。
●(56年)「第1回さぬきうどんラリー」(四国新聞主催)開催。
●(57年)「第1回さぬきうどんまつり」(四国新聞社、県製麺組合連合会主催)開催。
●(59年)「さぬきうどん研究会」が発足。
●(59年)丸亀お城まつりで「第1回うどん早食い大会」開催。
●(61年)飯山町が「第1回ドジョウ汁日本一大賞」を開催。

→昭和50年代~60年代にかけて、讃岐うどん界は「イベントと評論の時代」とでも言うべき賑やかな時代を迎えました。まずイベント関係では、昭和40年代まではうどんをメインテーマにした祭りやフェスティバル、大会といったイベントはほとんどなかったのですが、50年代に入って上記のように、県や製麺組合、四国新聞等が主催するうどんイベントが次々に始まりました。また、ドジョウ汁の大会を最初に始めたのは、現在「どじょ輪ピック」を行っているさぬき市ではなく、飯山町が最初でした。あと、「うどんの日」は今「昭和55年に本場さぬきうどん協同組合が制定した」とされていますが、昭和53年7月2日の四国新聞に香川県と香川県観光協会が合同で「7月2日(半夏)・うどんの日」という全ページ広告を出して高らかに「うどんの日」宣言をしていたのは、なかったことにされているみたいです(笑)。

 そしてもう一つ、讃岐うどんの「文化」や「歴史」や「技術」を語る識者や文化人が新聞紙上を賑わし始めたのも昭和50年代の特徴です。時系列で言えば、昭和40~50年代は郷土史家の山田竹系先生、昭和50~60年代は同じく郷土史家の佐々木正夫先生、昭和60年代から平成に入っては香川大学名誉教授で「さぬきうどん研究会」の真部正敏先生が代表的論客で、新聞紙上での論調を見る限り、山田先生はどちらかと言えばファクト(事実)ベース派、佐々木先生は情緒ベース寄りの論調が見られます。ちなみに「香川のうどん店は3000軒、讃岐うどんの起源は空海」という話は佐々木先生が新聞紙上で何度か披露されていて、それに倣ってか、新聞や行政からも同様の話が新聞に何度も載っていましたが、そうした風潮に対して山田先生が新聞紙上で「事実に基づいていない風説が流されている」という内容の苦言を呈されたこともありました(「昭和57年」参照)。そして真部先生は学者肌系の論調で、「大学・県・組合」という人脈を擁して“讃岐うどん行政”に最も関わってきた論客だったと言えます。

 しかしいずれにしろ、こうした「讃岐うどんを評論する論客」の皆さんの登場で、県内外において「讃岐うどん」に関する認識と考察が一気に深まることになったのは間違いありません。そして、「衣食足りて文化あり」とも言われるように、昭和50~60年代の「イベントや評論の隆盛」は、讃岐うどん業界が時代なりに成熟してきた証だとも言えるでしょう。

【平成一桁代(1989~1997)】

●県内小学校でうどん打ち体験教室や交流会が盛んになる。
●県内各地でうどんによる慰問、接待、交流会が盛んになる。
●民間企業や団体等によるオリジナルうどんの開発が盛んになる。
●「さぬきうどん研究会」の活動が活発になる。
●(元年)『タウン情報かがわ』が怪しい製麺所型うどん店探訪記「ゲリラうどん通ごっこ」の連載を開始。
●(5年)『恐るべきさぬきうどん』第1巻発刊。
●全国の雑誌(グルメ系、レジャー系、旅行系、トレンド系等)が「讃岐うどん巡り」を次々に特集紹介し始め、「讃岐うどん巡りブーム」が始まる。

→平成最初の10年の讃岐うどん界は、大きなトレンドが3つありました。まず、うどん業界の周辺では、うどんを使った体験教室や慰問、接待、交流会等が、これまでにも増して盛んに行われるようになりました。特に、小学校でのうどん打ち体験を通じた親子や三世代の交流行事や、中学生による老人ホームへのうどん慰問が数多く新聞に載っていたのは、行政関係(教育委員会等)が何らかの思惑で推進したのかもしれません。また、うどん以外の民間企業や組合、団体等がうどんとコラボして「○○うどん」なる商品を盛んに開発、販売し始めたのもこの頃です。

 2つ目の目立った動きは、「さぬきうどん研究会」の活動が活発になってきたことです。大きな活動としては、平成2年に真部会長を団長に製麺、製粉の業界関係者やうどん研究家ら14人が「讃岐うどんの源流を中国大陸に探ろう」ということで2週間の訪中。翌年には中国からの交流団を日本に招聘し、さらに平成6年には2回目の訪中を行いました。このあたりから「さぬきうどん研究会」と「さぬきうどん協同組合」、県の所轄部署、観光関連団体等が手を組みながら、後の「さぬきの夢2000」の開発振興から「年明けうどん」につながる“讃岐うどん行政”において、讃岐うどん界の“権威筋”となっていったと思われます。

 そして3つ目の大きな動きは、『タウン情報かがわ』の「ゲリラうどん通ごっこ」連載に端を発する「怪しい製麺所型うどん店の“針の穴場”探訪ブーム」、いわゆる「讃岐うどん巡りブーム」が始まり、「全国から讃岐うどん巡りに客が押し寄せる」という、かつてない動きが讃岐うどん界に起こったことです。その結果、それまでほとんど注目されたこともなかったような製麺所型うどん店が一気に超人気店になって大行列ができ始め、讃岐うどん店に“下剋上”のような現象が起こりました。そしてブームは一過性に終わることなく、ここから平成20年代初頭に一つのピークを迎えることになります。

【平成10年代(1998~2007)】

●全国ネットのテレビ番組(グルメ系、レジャー系、旅行系、トレンド系等)が「讃岐うどん巡り」を次々に特集紹介し始め、「讃岐うどん巡りブーム」に拍車がかかる。
●新聞の全国誌が「讃岐うどん巡りブーム」を紹介し始める。
●(10年)綾南町(現綾川町)が「讃岐うどん発祥の地」を打ち出す。
●(10年)『さぬきうどん全店制覇攻略本』が発刊され、香川のうどん店の数が「653軒」と発表される。
●(10年)「第1回讃岐うどん王選手権」(「タウン情報かがわ」主催)開催。
●(12年)「第1回讃岐うどん巡礼八十八カ所」(「タウン情報かがわ」主催)開催。
●(12年)県が「さぬきの夢2000」を品種登録する。
●(13年)政府主催の「インターネット博覧会」で、県が麺をテーマにした「メンパク」を実施。
●(14年)「めりけんや」と「はなまる」が相次いで東京進出。
●(14年)高松高等技術学校に「さぬきうどん科」が新設され、1期生21人が卒業。
●(14年)「スポレク香川2003」の大会スローガンが「うどんツルツル!スポーツスルスル!!」に決まる(笑)。
●(15年)県下うどん店が相次いで首都圏進出を開始。
●(16年)県農協による「さぬきの夢2000不正表示事件」が発覚。
●(16年)小規模うどん店の排水規制問題が勃発。
●(17年)香川の地域プロサッカーチームの名称が「カマタマーレ讃岐」に決定。
●(18年)映画『UDON』が公開される。
●(19年)県が「うどんツーリズム元年」を宣言。

→平成10年代は、讃岐うどん巡りブームが周辺を巻き込んでどんどん膨れ上がっていく時代です。ここにピックアップした項目はそのほんの一部ですが(詳細は本編を御再読ください)、「讃岐うどん巡りブームの勃発」から「『さぬきの夢2000』の登場」、「『はなまる』の全国展開開始」、「映画『UDON』の公開」と、讃岐うどん界のビッグニュースが目白押しです。その中には国レベルの大きな大会のスローガンに「うどんツルツル!スポーツスルスル!!」を採用したり、プロサッカーチームの名前に「カマタマーレ」と付けたりするなど、「うどんで遊ぶマインド」が公的にオッケーになってきたという変化もあります。“郷土の食文化”讃岐うどんは、間違いなく新しい時代に入ってきました。そして間もなく、ブームは最高潮を迎えます。

【平成20年代(2008~2017)】

●インターネットとSNSで人が動く時代の到来。
●台湾と中国で「讃岐うどん」の商標登録問題が起こる。
●大衆セルフチェーン店が大きく増え始める。
●県内うどん店の海外進出が活発になる。
●うどんと県産品のコラボメニューが次々に登場する。
●(21年)「年明けうどん」が始まる。
●(21年)「瀬戸大橋の通行料・土日上限1000円」キャンペーンが始まる。
●(22年)「さぬきの夢2009」の販売開始。
●(23年)県が「うどん県」を宣言する。

→平成21年に2年間限定の「瀬戸大橋の通行料・土日上限1000円」キャンペーンが始まり、「讃岐うどん巡りブーム」は史上最大のピークを迎えました。その後、平成23年に県が「うどん県」を宣言し、「讃岐うどん巡りブーム」を核とする広い意味での「讃岐うどんブーム」は一応“完成形”を迎えたというところです。「うどん県宣言」は讃岐うどんブームの原動力になったというより、讃岐うどんブームの「完成宣言」みたいな位置付けだと言えるでしょう。そして、その後はブームの財産の上でいろんな店や企業、団体、行政から個人までが遊び、活動しながら今日に至っているという状況です。

 以上、「新聞で見る昭和の讃岐うどん」と「新聞で見る平成の讃岐うどん」、合わせて約70年の大まかな総括でした。改めて俯瞰してみると、「讃岐うどん巡りブーム」は奇しくもその起こりからピークまでが平成の時代とほぼぴったりシンクロしていることがわかります。すなわち、昭和の讃岐うどん界は「讃岐うどんが全国的に認知されていく時代」、平成の讃岐うどん界は「全国から讃岐うどんを食べるために香川に多くの人がやって来る時代」というふうに、局面が時代に合わせてきれいに2つに分かれていると言えるでしょう。

 というわけで、本欄はこの後、70年の歴史をテーマごとにまとめたり、戦前の新聞を発掘したりしながら続編をお届けしようと考えていますので、興味のある方は引き続きご覧いただければ幸いです。

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