香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

昭和36年生まれの女性の証言

徳島から越してきて、うどんの一番の記憶は「かな泉」のCM

(取材・文:

  • [showa]
  • vol: 138
  • 2016.06.24

<思い出に残る「かな泉」の特徴的な外観とテレビCM>

 小さい頃(昭和40年代)にうどんを食べた記憶は、ほとんどありません。小学生の時に香川へ越してきましたが、もともと両親が徳島の人間だったために馴染みがないのでしょう。 そんな中で唯一、思い出に残っているのは、高松の商店街にあった「かな泉」です。休日などに家族で街へ遊びに行った際、「かな泉」をたまに利用していました。お店の入口の横で職人の方が麺を打っていて、その仕事ぶりを外から窓ガラス越しに眺められましたよね。

当時、「かな泉」はテレビのCMでもよく放送されていて、そのCMでも特徴的な外観や麺を打つ様子が映されていました。映像と合わせて流れる「♪かないずみ~♪」という女性のハーモニーや、「名物かな泉」という男性のナレーションも未だに耳に残っています。

それ以外で、うどんの記憶は……。家でも食べませんでしたし、通っていた太田小学校の給食でもうどんが出たことは多分、ありません。鯨の肉と脱脂粉乳はしょっちゅう出ていましたが(笑)。

<兵庫町の「うどん市場」で、まかないでお客さんと同じメニューを食べていた>

 そんなうどんには縁のない幼少期でしたが、大人になってからとても身近になった時期がありました。実は今から約20年ほど前(平成6~7年頃)、高松の兵庫町商店街の「うどん市場」で働いていたんです。人が足りないときだけ手伝う臨時スタッフとして。 当時のお店はとても忙しくて、休憩時間はわずか10分程度でした。その代わりに時給はとてもよくて、ここだけの話、その額はなんと1000円でした。現在のパート代でも割のいい金額ですよね。

あと魅力的だったのは、まかないの食事がお客さんに提供しているメニューと同じものだったこと。メニューから何を選んでもよくて、おまけに食べ放題だったんです!

「うどん市場」には丼物といったうどん以外のメニューもたくさんありましたから、かなり豪華でした。ネギトロ丼なんかもありましたよ。自分もまだ若かったですから、うどんに丼、天ぷらと加えて、いつもお腹いっぱい食べていました。短い休憩時間に食べないといけないこともありましたが、欲張って慌てて掻き込んでいましたね(笑)。「うどん市場」では2~3年ほど働きましたが、人生で一番、昼食が充実していた頃でした。

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