香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市片原町・昭和14年生まれの女性の証言

よろず屋が機械でうどんを作っていた

(取材・文:

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  • vol: 8
  • 2015.07.09

よろず屋が機械でうどんを作っていた

うどんはなぁ、私が子供の時(昭和20年代に入った頃)は家で作ったりはしよらなんだで。最初の記憶いうたら五名(旧白鳥町の山奥)の家で食べてたってことやけど、なんかなぁ、メリケン粉持っていっきょったわ。ほら、川の上に「水車(みずぐるま)」ってよろず屋さんがあったやろ? ほんまに水車があったから、製粉もやっりょったんちゃう? そこへ遣いに出されて、機械からできあがっていくうどんをジーッと見よった思い出があるけどなぁ。細いんが出てきては、カチャッと切ってするんや……ほら、塩とメリケン粉を水で練って作った玉を平たに延ばしてするやろ? それを機械の上から入れたら、たぶん途中になんぼもの刃があるんやろ……下に出てきた時はもううどんで……ある長さ出たら裁断するいう仕組みがな、子供心に手品のようで面白ぉて、待っちょる間じゅうズーッと見よったんやわ。それでできたんをもろて帰って、親が茹でてくれて食べさせてもらいよった感じやなぁ。

ダシは、自分とこで作ってなぁ。今みたいにいっぱいはかけなんだで。浸すくらいの感じ……醤油も、ちょっとかけよった気がするなぁ。今で言う、“ぶっかけ”に近かったかもしれん。ダシ素材? そら、煮干しじゃわ。ウチは引田に親戚あったから、おっさんがようくれよったんや。紙袋で、ゴソッと。やから、鍋やらにも重宝しよった。買うた記憶なんて、なかった思うなぁ。

「うどんはごちそう」の時代

ふだん食べるもんではなかったわな、うどんは。盆とか田植えの終わりとか刈り入れの終わりとか……やって、うどんやお寿司はごちそうやったけんな。でも、そのへんの人呼んでとかまではなかったわ。自分くだけでやっりょった気がする。私の母の出里も山奥やったけん、そこへ行った時も何かあったらうどんしてくれよったわ。「うどんはごちそう」っていう時代やったからなぁ。

初めてお店でうどん食べたいうたら、17~18歳(昭和31~32年)で働きに出るようになってからかなぁ。白鳥神社の西に大路織布いう工場があって、そこに1~2年おって……好かんで、すぐ辞めたけど。その近く……神社のすぐ西隣あたりに、こんまい大衆食堂があってな。テーブル2つくらいの。名前まで覚えとらんけど、そこでうどんやら食べてたなぁ。

高松に嫁いだのが昭和38年で、たまに里帰りしたりしてまた高松帰ってきた時は駅前の路地入ったとこにあったうどん屋で食べてから帰宅してたなぁ。それか、駅構内にあった立ち食いうどんで食べて帰るかどっちか。五名に向かう時は、三本松駅からバスに乗り換えるんやけど、その駅前のバス停近くにあった大衆食堂で食べたりもしよった。名前や覚えとらんって(笑)。

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