香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市鶴市町・昭和18年生まれの男性の証言

ユニークなエピソードに事欠かない名物店主たち

(取材・文:

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  • vol: 196
  • 2017.05.04

うどんツアーのガイドを始めて、これまでに延べ2000人以上を案内

いただいたお名刺に「うどんツアー社」というお肩書きが添えられていますが。
 若い頃からうどんを食べ歩くのが大好きで、つい趣味が高じまして…(笑)。うどん店巡りのガイド役をボランティアで担当しています。20数年前から本格的に始めて、500回以上ツアーを行いました。その間に案内するコースはどんどんと増え、今では30種類ほどのレパートリーがあります。うどん店巡りの合間に老健施設などを訪れるシニア向けの「介護コース」や、瀬戸内の島を渡る「クルージングコース」といったユニークなものもありますよ。

 これまでに外国の方も含めて、延べ2000人、頭数で600~700人ほど案内させていただきました。ツアーガイドは個人的にもセカンドライフの大きな楽しみの一つになっています。

2000人ですか!? もの凄い数ですね。当初から、それほどまでの好反響を予測できましたか?
 いいえ、まったくです。ただ、「恐るべきさぬきうどん」という本との出会いは大きな自信になりました。現在のうどんブームの仕掛け人である田尾和俊さん(麺通団団長・現四国学院大学教授)が、怪しい店を面白おかしく紹介した一冊です。

 ことでん片原町駅の真向かいに、昔は宮脇書店があったのですが、そこは店内がとても小さく、店前の歩道にまで販売スペースが張り出していました。販売スペースといっても、地面にレンガを置いたその上に大きな木の板を重ね、そこに新刊本を並べるという荒っぽい具合です。いつも「邪魔だな~」と思いながら宮脇書店の前を通り過ぎていたのですが、ある時、たくさん並べられた本の中から「恐るべきさぬきうどん」の文字が飛び込んで来ました。

 「大袈裟なタイトルやなぁ。うどん屋くらい自分もよく知っているし、あちこち行ったことがある」。そう思いながら本を手にすることなく素通りしていたのですが、数ヶ月するとまた「恐るべきさぬきうどん」の本が大量に並べられていたんです。
「そら見たことか、やっぱり売れ残っているやないか!?」。
ところが、表紙をよく見ると「2」と書かれてありました。好評で、わずかの間に続編が発売になっていたんですね。そこで慌ててシリーズの2冊を買い求め、襟を正して拝読し(笑)、うどん店を巡るのがレジャーとして成立することを確信しました。本格的にガイドを始めるきっかけになったのは言うまでもありません。

香川県でカラーテレビが月に数台しか売れない時代、かけうどんは一杯数十円だった

初めてうどん店を訪れたのはいつ頃ですか?
 高松へ転勤してきた、昭和40年の初め頃です。20歳そこそこでしたが、同僚達によく連れて行ってもらいました。かけうどんが一杯数十円で、19インチのカラーテレビが19万8000円でしたね(笑)。カラーテレビを設置する仕事をしていたので値段をよく憶えています。余談になりますが、その頃まだカラー放送の番組はNHKの「ひょっこりひょうたん島」くらいでした。放送用のアンテナが前田山(高松市)にようやくできて、一ヶ月にカラーテレビが売れる台数が香川県でわずか数台という時代です。PRのために、坂出の城山にあるゴルフ場にも設置しました。

天ぷらの持ち込みがOKだった!?

その頃に比べると、随分うどん店も変わりましたか?
 そうですね。吉田橋(高松市十川東町)のたもとにあった「入谷」や、名前は忘れましたが丸亀の土器川の土手にあった店(編集部注:幻の「西森」だと思います)、あと「松家(まつか)製麺所」など、よく通った店のいくつかがなくなりました。

 「松家」の店の前にはその昔、八百屋があったのを知っていますか? 「松家」を利用するほとんどの人が八百屋で天ぷらを買い、そしてうどんにその天ぷらをのせて食べていたんです。ただ、あまりにあからさまな持ち込みだったので、ほどなく「松家」でも天ぷらを売り始めましたが(笑)。

警察官も制服を着たまま製麺所を利用

さすがにユニークなエピソードをご存知ですね(笑)。
 今は百間町(高松市)で営業をしていますが昔は三越(高松市内町)の近くにあった「山鹿」も、通い詰めた一軒です。2階には広間もあり、宴会での利用にももってこいでした。うどんすきがとても美味しかったですね。ただ、もう亡くなられましたが、ここの先代の親父さんがかなりのヘンコツでね(笑)。利用客が「注文したメニューはまだですか?」と訊ねるだけで、いきなり「もうええ、帰れっ!」と言い出す始末。絵に描いたような頑固親父でした。

 亡くなられたご主人といえば、坂出の「がもう」の先代にもお世話になりました。現在、店の大駐車場になっている場所は当時まで畑で、収穫したばかりの野菜をよく頂戴したことを憶えています。大行列が当たり前の今では考えられないほど、のどかな雰囲気でした。店の近くでスピード違反の取り締まりをしている警察官も「がもう」を頻繁に利用していたほどです。

るみばあちゃんとの禅問答

店主との交流もうどん店を巡る楽しみの一つだったのですね。
 今も元気にご活躍されている「池上」のるみばあちゃんも、微笑ましいエピソードには事欠きません。鶴市町(高松市)に店があった時、たまに見慣れない人と一緒に作業をしていることがあったのですが、「新しい従業員?」とおばあちゃんに訊ねると、「わたしゃ知らん、あんたの知り合いかい?」と返ってくるような禅問答はしょっちゅうでした(笑)。明るい朗らかなおばぁちゃんです。

 反対に寡黙で印象に残っているのは、飯山にある「なかむら」のご夫婦。徳光和夫さんが司会をしていた朝の生番組「ズームイン!!朝!」に登場した時も、一向に口を開きませんでした。質問しているアナウンサーは困り果てていましたよ。それと……

紹介できるギリギリの話題になってきましたので、その辺で(笑)。
 ご期待する話とは違う内容になったかも知れませんが、昔のうどんといえば店やメニュー以上に店主の顔が浮かびます。今後も店主の温かい人柄まで紹介できるガイドを、健康でいられる限り続けたいですね。
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