香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市仏生山町・昭和3年生まれの男性の証言

戦前の仏生山にはうどん屋が7軒くらいあった

(取材・文:

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  • vol: 239
  • 2017.10.16

戦前~戦後に、ダシの入ったとっくりを釜で温めている店があった

子供の頃(戦前)、家でうどんは食べていましたか?
 食べとった。うちの家で作ったんは、たいてい「打ち込みうどん」やの。昔はどの家にも、うどんを打つための打ち板と麺棒があった。うちも農家兼商売しよったけど、打ち込みうどんの中にじゃがいもや何か放り込んでの。それで麺と一緒に煮込んで、昼にそれ食べる。

 どじょう汁もさいさい(頻繁に)した。どじょう汁は、うちの近所に川があっての。前手の川が古川いう川で、そこから石を敷いて水路を作って水を引いて、その先に溜まりを作って仕掛けしとくんや。ほんならそこにどじょうがようけ上がって来るんや。それを捕まえての。

その頃、仏生山近辺でうどん屋さんはたくさんありましたか?
 仏生山あたりにうどん屋は…7軒くらいあったと思う。僕が小学校の時、支那事変が始まった頃やから昭和10年代か。麺はたいていそれぞれの店で打っちょったから、店ごとの味があった。仏生山駅前の「藤木」いうんは自分とこでなしにやっりょったけど、「橋本」の製麺所も自分とこで打っちょった。橋本はおいしかったわの。

 戦時中は(食糧)統制があっての。うどん屋は休みやったんか、記憶にないわ。配給制やけん、酒屋はやめたやろ。醤油屋も企業整備いうんがあっての。それで材料やなんや入らん。多少の保証はあるか知らんけど、全部店やめたん。あそこの「イケノヤ」もやめたし、「ミヤタケ」の醤油屋もやめたし。それから「ウエタ」の醤油屋もやためし。「カワダ」の酒屋もやめたし。酒と醤油はほとんどやめとる。「神崎」のお酢屋が残っただけ。当時、配給だけでは足らんかったけど、あんまり食べ物に不自由したような記憶はない。

 それから「藤本」っていううどん屋は、映画に行った帰りに寄った。うどん茹でる釜があるんやけど、ダシ注ぐ一升徳利みたいなんを栓して釜に入れての。縄みたいなんがついとって、蓋して木がついて沈まんように。ダシが冷えたらいかんけん、常時お湯は沸かっしょった。当時は薪や。ほんで、ダシが減ったら別に炊いとるダシを徳利に注ぎ足して入れての。そのぬくめたダシで、つけ麺で食べる。

 「野口」のうどん屋は戦後に始めたんやけどの。今は瓦葺きになってるけど、戦後は藁葺きでの、当時は今の大将の親がしよったんや。農家やから庭が広いわ。その庭の奥の方に行ったら、たらいうどんでの。うどん打つやろ。せいろに入れるやろ。それをたらいに入れて食べる。役場で勤めよった頃に4~5人で行って、どんぐらい食べたかわからんけど、1人4~5玉は食べよったの。

大食い伝説二題

昔はうどんの大食いの話がよく出てきますね。
 野球を若い頃にしよったんやけど、その中に山田いうんがおっての。体はちょっと細身や。それが野球の練習済んでの、野球やっりょる奴ばっかり寄って野口のうどん屋に寄ってうどん食べるん。その山田は10杯食べての、「11杯目どいや」言うたら「そんなドカ食いせんけんこれでやめとく」いうての。10杯でも十分ドカ食いやけどの(笑)。なんせ1杯で2玉分やから、20玉は食べよったで。未だに語り草になっとる。やっぱうどんは別腹で。

 それともう一つ、戦後の昭和21年か22年に厚生関係や福祉関係の仕事しよった64~65歳くらいの人がおっての。夏になったら戦死した遺族の法事があるやろ。法事にその人が行くんや。ずーっと座っとらんけど、お参りだけ行くんや。お参りに行ったらうどんよばれるやろ。で、行くたんびにうどんよばれる。7軒も8軒も行ってうどん断ったことがない。それで、「あの人、何軒行っても全部食べよる」いうて噂になったんや。

 それで、「あんた、行くたびにうどん食べて7つも8つも食べよるいう話で、そりゃせっかくやし食べるやろけど、よう入るの」いうて言うたら、「食べたら次歩いて行っけんの。歩いて行っきょるうちに腹が減るけん。うどん腹いうんは一時(いっとき)ぞ」言うんや。一時いうたらだいたい2時間かの。うどんで腹一杯なってても、だいたいそれぐらいしたら腹減る言うての。

地の粉の風味が懐かしい

 あとはそやの、サンメッセの向こうに「穴吹」いうんがあるやろ。あれも古いんや。今でも図書館やなんや行く時は、必ずそこ寄るんや。ほんなら5月~6月くらいになったらタケノコようけ鍋いっぱいで。タケノコのダシで食べる。淡竹(はちく)いうての。あれのダシで食べる。あっさりしとんで。あれは昔の基本やわの。昔はダシが煮干しくらいやろ。コンブもあるにはあったけど、煮干しとタケノコ。旬の時期にはタケノコ、淡竹。タケノコのダシはおいしい。

 うどん粉は、本来は地の小麦を使う。オーストラリアのもうまいけどの。やっぱ地の小麦で作ったうどんいうんは風味があるし、食べたら味がある。この頃はみんな「うどん(麺)の味」とはあんまり言わんけどの。最近のうどんはコシはあるけど、味がないの。だいたいうどんにコシがあるんは普通やのに。固すぎるんはいかんけどの。地の粉使うとったら風味があるんや。それと、色が白いんやなくて、ちょっと色のついてる、アメ色に近いのが見た目もおいしそうな。白いやつはいかん。けど、そういううどん屋は減っとる。

法事にはうどんと寿司

法事でうどんは出てましたか?
 うちは浄土真宗やけど、うどんはだいたい出るな。法事は昔は家々でしよったけんの。やからうどんとお寿司は必ず出よったの。法事のおつとめ始まる前に、まず一杯うどん食べよった。うどんを入れてた器も、丼やなしに平たい、模様が入った波打ったようなので出しよった。それをダシにつけて食べよった。これが基本やろの。持ち帰りで渡すんは、麺に塩入れたうどんやった。

 子供の時のうどんいうんは、法事とかお祭りや行った時にの、食べたんはおいしかったでの。風味やなんや言うんは別にしての。うどんおいしかったわの。市やお祭りの時にうどんやお寿司を重箱に入れて、親戚の家に持って行ったり持って帰ったりりしょった。

●編集部より…今、数軒の釜あげ専門店などで見られる「つけダシの入った徳利」は、戦前~戦後あたりから使っている店があったようです。「昭和の大食い伝説」はあちこちにあるようですが、今のところ「仏生山の野口でいつも20玉食べていた山田君」が最強?(笑)

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