香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

さぬき市志度・昭和26年生まれの男性の証言

志度のうどんの思い出

(取材・文:

  • [showa]
  • vol: 257
  • 2017.12.18

インドの旅で再確認した「讃岐うどん魂」(笑)

 平成29年10月12日から19日まで、真言宗善通寺派総本山善通寺主催の「インド・ネパール仏跡巡りの旅」が催行されました。善通寺派の権大僧正を団長に、多くの真言宗関係者とともに私も参加しました。旅も4~5日を過ぎると朝昼晩のカレー攻勢にすっかり飽き、旅程の中で1回きりの和食の献立が心待ちされるようになるものです。こんな時、一番に思い浮かぶのが「うどん」。香川県民の性ですかね。「のびのびでもええけん、うどんはあるんかな」。誰もが希求したものの、残念ながらうどんは出ませんでした。

 8日ぶりに帰国した関西国際空港での食事の時間のことです。もちろん、うどん専門店もありました。ところが皆さん、「せっかくここまで我慢したんやから、うどんは明日香川で食べましょう」と、申し合わせたように蕎麦をいただきました。2日前のインドでは、インスタントでも何でも、うどんみたいなものさえあれば飛びつくような勢いでしたが、日本に帰るとそうはいかないのですね。香川県民のうどんに対する心意気を垣間見たようで、思わず背筋が伸びました。

施餓鬼法要のうどん

 志度寺周辺の4カ寺では、毎年夏に施餓鬼供養といって、檀家さんを招いて法要を営んでいます。施餓鬼(せがき)とは難しい言葉ですが、要は、ご先祖様が帰ってくるお盆に、ご先祖さまだけでなく無縁仏も一緒に供養しようというものです。施餓鬼法要とも呼ばれています。毎年決まって8月5日は普門院、6日は自性院、8日は地蔵寺、9日は私が住職を務める圓通寺で施餓鬼供養を行っています。

 施餓鬼法要では、午前中にうどんをいただき、昼過ぎから法要を営みます。本山の善通寺より能化(のうけ)様をお招きし法話を聞かせていただくこともあります。うどんは、檀家さんのご婦人の方々が協力して出汁を作ってくれます。檀家さんに製麺所があった時は、当然そこから麺を取っていました。昭和のころは、今ほどうどんの専門店がなくて、うどんといえどもそれなりのごちそうだったように記憶しています。少し前は寿司も付けていましたが、最近はうどんだけになっています。

 三木町にも檀家さんがありますが、海が珍しい山間の人々は、まず志度の海で泳いでから、施餓鬼法要に参ることもありました。なにせ、暑い盛りのことです。連れてきた子どもたちをじっとさせているのが大変だったようです。

連絡船うどんの世代です

 寺の長男に生まれた私は、物心ついたころから住職を継承するのが当たり前のように考えていました。そういう育てられ方をしたのだと思います。志度小学校から志度中学校、津田高校と進んだ私は、関東にある私立大学の工学部に進学しました。僧侶になるのは宿命と悟りながら、理系が好きだったという理由からでした。住職の父がまだまだ元気だったこともあり許してくれたのでしょう。昭和26年生まれですから、宇野から高松に帰る連絡船に乗ったら、甲板で“あの”連絡船うどんに走った世代です。

 大学を出ると、私は決められた路線に乗るように高野山に勉強にまいりました。そこからは一直線でした。父の下で副住職を務め、平成19年2月4日に住職に就任しました。おかげさまで、今回のように諸大徳の皆様に同行させていただき、インドとネパールの仏跡巡りに参加できる幸運にも恵まれました。

出前のうどんには割りばしに七味が

 昭和40~50年代、幼いころのうどんの思い出と言えば、自宅である寺にお客様が見えた時、出前でうどんやいなり寿司を取っていましたが、ついでに自分の分も取ってもらった時は大ラッキーでした。当時、寺の近くの門前町には、「但馬屋」「仲よし」の2つのうどん店がありました。

 出前のうどんには、なぜか、割りばしの先に小さいナイロンの七味の袋が付いているんですね。それをうどんにかける時、これぞうどん店の味とうっとりしていたことを覚えています。今になって、うどん屋さんのグッドアイデアだと思いますが…。

 家から歩いて行ける食堂のようなうどん店は懐かしい限りですが、どちらの店も今はなく、国道沿いに「源内」や「はなまるうどん」をはじめ、いろいろな人気店ができています。自動車の時代だから、どうしても幹線道沿いに店が集まるのは仕方ないことですね。

愛すべき中華そば

 うどんではないのですが、志度と言えば皆様ご存知の中華そば「ちどり」があります。昔は今の場所と違って、門前町にありました。なぜか中華そばと焼き鳥をセットで食べるのが王道で、思わず私も注文してしまいます。白いスープの中華そばは、見た感じよりもあっさりしていて何回食べても飽きが来ません。以前は巻き寿司もありましたが、今はなくなり、中華そばと焼き鳥とおにぎりにビールとお酒だけというメニューもシンプルでいいですね。

 志度の町なかの人々は子どものころから「ちどり」の味で育ってきました。大人になっても「ちどりの中華を食べたら、やっと志度に帰ってきたような気がする」という人が多いのもうなずけますね。志度商業(現在は志度高校)ОBの人に「ちどり」の話をすると「なんで知っとん?」と盛り上がること請け合いです。それこそ、連絡船うどんと同じ感覚ですかね。うどん王国の記事にしては違和感がありますが、ちょっと付け加えておきたい話です。

●編集部より…お寺さんとうどんは、やはり昔から切っても切れない縁があったようです。「割りばしの先に小さいナイロンの七味の袋が付いている」というやつ、確かに見たことがあります。懐かしい!

ページTOPへ