香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市国分寺町福家日名代・昭和28年生まれの男性の証言

「まつもとくるま」の支払いはカヨイで

(取材・文:

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  • vol: 43
  • 2015.07.10

「まつもとくるま」の支払いはカヨイで

昭和30年代の小さいころは、家でうどんを打って湯がいて食べるのが日課であった。うどんの数が多く必要な法事とか年末には、新名の「まつもとくるま(松本水車)」に遣いに行かされていた。おじいさんとおばあさんが水車の代わりにモーターを回して、うどんを鍛えて、自動で切って、高いところから粉にまみれたうどんが落ちてきていたように思う。うどんの生麺をもらって持って帰るのだが、現金での支払いはしなくて、カヨイ(通帳)に記入するツケであった。年末に祖母がまとめて払っていたように思う。村社会独特の信用取引であり、ゆったりとしたのどかな生活が思い出される。

「まつもとくるま」の他に、本村に「山下製麺所」があった。法事では30人くらいのお客様がお参りに来られ、三部経の合間に、生麺を湯がいて、浅い皿のお湯の中にうどんを入れた今でいう「湯だめ」を、薬味と一緒につけだしで食べる。お昼には、同じうどんとバラ寿司と漬物でもてなしていた。

当時は、今のように集会場もなく、獅子舞の練習は各家を回って行っていた。練習の後は、うどんとバラ寿司を振る舞ってくれるのがほとんどであったが、中にはまだ珍しかったカレーライスを出してくれる家があったことが印象に残っている。子ども心に「洋食を出してくれるなんて、げんしゃ(金持ち)の家やな」と思ったことをはっきり覚えている。

「まんどぐるま」の大将はソフトボールの指導者

中学生の時(昭和40年頃)は、部活が終わると無性に腹が減り、中学校の近くのうどん店の「まんどぐるま」に寄り道してうどんを食べていた。そこにはびっくりするほど安いラーメンもあった。うどんもラーメンも安く良心的であった。大将の小林さんはソフトボールの指導をしており、その当時、国分寺中学校の女子は四国大会で優勝した。後に、この店は店舗を拡大して多くのお客様を集めていたが、近年休業中なのが寂しい限りだ。

ドジョウの代わりにタイワンドジョウ!!

成人した後は、獅子舞の練習があると近所の家でみんなが集まり「ドジョウ汁(打ち込みうどん)」を食べながら一杯やるのが習わしだった。ある時は、ドジョウの代わりに「タイワンドジョウ(雷魚)」をぶつ切りにして鍋に入れ、煮詰まったところに生うどんを入れて食べたこともある。若気の至りだ。

小学校の前に助吉さんという酒屋があって、獅子舞を教えてくれた長老にお酒をごちそうになった。コップになみなみとこぼれるまで酒を注ぎ、口をコップに持っていって、スルメをあてに一杯やった。表面張力を利用した酒を飲むコツはこの時に学んだ。

今も獅子舞の練習のある土曜日には必ず「ドジョウ汁」をするが、ドジョウを食べない若い人が多いから、ドジョウを入れない打ち込みうどんも別に作っている。もったいない。

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