香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市国分寺町・昭和17年生まれの女性の証言

自作の小麦を製麺所でうどん粉に

(取材・文:

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  • vol: 46
  • 2015.07.10

自作の小麦を製麺所でうどん粉に

昭和23~30年ごろ、近所にうどん屋さんはなかったよ。田舎だからね。だから普段はそんなに食べなかった。でも春と秋の祭りや、田植えや稲刈り、小麦の収穫後など農作業が一段落したときには必ずといっていいほど、家でうどんを打ったね。

家で作った小麦を近くの製麺所に持って行って、うどん粉に挽いてもらっていた。周りはほとんど農家だったから、みんなそうしてたと思うよ。新名の県道綾南国分寺線沿いに「原渕」いう製麺所と、その近くの谷本商店前の細い道を東に行ったところに「津川製麺所」があってね、そのどちらかに持って行って挽いてもらった。

家ではおじいさんが、そのうどん粉を練って足で踏んで、打ってくれたわ。母親がイリコでだしをとって作っただし汁で、かけうどんにして食べたわ。祭りには、巻き寿司や青やピンクの色の付いた天ぷらを作って一緒にね。なんであんな派手な天ぷらしよったんかな。おいしかったけど、今考えたらちょっと気持ち悪いね。

法事のときは、おじゅっさんがくる前に、集まった親戚がうどんを食べた。やっぱり人が集まるときはうどんが付きものだったね。お経が終わったら、おじゅっさんも一緒にうどん食べてたなあ。おじゅっさんが上品な箸づかいで食べていたのを覚えてるわ。

地域でときどき井出ざらいがあるんやけどね、当時はどじょうがいっぱいとれてな、それで「どじょううどん」を作ってみんなで食べたよ。大きな釜を囲んで、何杯もお代わり、楽しいごちそうだったね。

そのころ小学校は給食がなかったけど、年に何回かPTAのお母さんたちが小学校に来て、打ち込みうどんを作って食べさせてくれたことがあったわ。授業中いい匂いがしてきて、気になってしょうがなかったよ。

これがうどん?

高校が高松市の街中だったから、そのころにはうどん屋さんがあった気がするけど、ほとんど食べに行かなかった。お小遣いも少なかったし。卒業して大阪に出たとき、うどんが懐かしくてお店で食べたけど、すごく軟らかいのにビックリしたね。お箸で持ち上げると切れてしまうんよ。え~、これがうどん? と思ったわ。

逆に、京都出身の主人は香川に来て、讃岐うどんの硬くて太いのに弱ってたわ。なかなか飲み込めなくて。周りの人がズルズルとすごいスピードで食べるのを見て驚いてたなあ。「なんであんなにして食えるん? 噛んどんかなあ。とてもあのまねはできん」って。いまだに硬めのはちょっと苦手。細くて軟らかめのうどんをゆっくり食べてるよ。

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